優しい人
向井さんはこんな時も穏やかな口調で、普通なら面倒な事に巻き込まれたとか、もう関わりたくないとかそう思うんだろうけど、そういう事を向井さんからは不思議と一切感じなかった。
「一緒に帰るのを辞める代わりに家に無事に帰ったらお互い連絡しませんか? それならお互い少しは安心じゃないですか? 安堂さんが辞めるまで。 どうです?」
「私が辞めるまでですか……」
「あと1ヶ月なんですよね? その相手は安堂さんが仕事を辞めるのを望んでるんですよね? 何かあったら報告する、それで情報の共有もできるし、何もなかった、無事帰れたっていうのがわかると俺も安心します」
私も向井さんに何かあっても困る。
私は向井さんの提案を受け、メッセージアプリのIDを交換した。
「もう一回見せてもらえませんか?」
そう言ってあの写真を眺め始めた。
「ほんと、全然わかんなかった……」
その写真は写真を撮った人を通り過ぎるかたちで何枚も撮られていた。
服装から3日分くらいかなという感じだった。
「これ、1枚もらっていいですか? ちょっと気になる事があるから」
その写真は前から撮られたもので、表情がよくわかるものだった。
何の話の途中なのかは分からないが、その写真からはつまらなそうな感じは全くなく、普通に和やかにしか見えない写真だった。
「いいですけど……、気になる事……ですか?」
「いや、わかんないけど……。 もらっていいですか?」
「あ……、いいですよ……。 私もどうしようかと思ってるし……、でも、これって捨てちゃっていいのかな……」
「とりあえず、しばらく手元に置いておいた方がいいんじゃないですか? 気持ち悪いなら俺、持っておきましょうか?」
向井さんにそんな事までしてもらうのは悪い……。
「大丈夫ですよ。 家のクローゼットの中の箱の中にいれておきます。 あ、もう時間ですね……」
小休憩が終わる音楽が流れた。
向井さんに話ができて一安心したが、疲れもどっと出た……。
今日からは一緒には帰れない。
いい機会だったんだ。
いつまでも甘えちゃいけない……。
でも向井さんには本当に申し訳ない事をした……。
私は力が抜け、手に持っていたファイルを床に落としてしまった。
「あ! ごめんなさい!!」
写真の入った封筒と一緒に入れてあった書類を一枚ずつ一緒に拾った。
「大丈夫ですか……? はいどうぞ!」
ちゃんと揃えられた書類の束を渡された。
「ごめんなさい……、ありがとう……」
「気を付けてください。 今日から一人でほんとに大丈夫ですか?」
そう言ってクシャッと笑い肩をポンと叩かれた。
こんな事があったのに向井さんはこの出来事が何でもない事の様に振る舞っているのが不思議だった。
もっと私に怒っていいのにな……。
もっと困った顔をしてもいいのにな……。
不謹慎に拍子抜けしてしまう……。
「じゃあ、帰ったら。 安堂さんも連絡して下さいね」
優しい人なんだな。
きっと思う事はあるだろうけど、そんなところを全く見せない……。
仕事に戻る向井さんを見送りながら、さっき自分が感じた複雑な気持ちを思い出していた。
肩にまださっきの感覚が残っている。
心がドキッとしたのだ……。




