★第一話 チビデブと干物女
短編版が思ったより反響があったので連載版を開始しました。
★マークがある所は短編版と被っている所です。
その場に居合わせたのは全くの偶然だった。
その日、帰りのホームルームが終わるや否や俺は友人たちと一緒に教室を飛び出した。
狭い昇降口が人でごった返す前にさっさと下校したかったから。
早歩きで昇降口まで来た所で俺は体操着を教室に忘れてしまったことを思い出した。
「わりぃ、忘れ物したわ。取ってくるから先帰っといて!」
と、申し訳程度に手を合わせながら友人たちに告げると、
「おいおい将也、追いつけんのかお前の足で」
「あんまり急いで走ったら痩せちまうから気をつけろよ~」
何とも失礼な反応が返ってくる。
この言い方だとまるで俺がデブみたいじゃないか。
違う、俺はポッチャリではあるがデブではない。
ただこの俺に対する体型イジリはもう慣れたもので、
「うっせ、俺は動けるタイプのデブなんだよ!」
と吐き捨ると友人に背中を向けて、教室へとドスドスと駆けだした。
昇降口に向かってくる生徒の群れを右へ左へ華麗に躱して一目散で教室へ。
後ろ扉から教室に入るとギャハハハハと下品な笑い声が響いてきた。
見ればクラスで問題児として認知されているDQN女子たちが一人の女子生徒に詰め寄っているところだった。
「だから~、私らこれから塾あんの、塾」
「そーそー、受験近いんだからベンキョーしなきゃいけないわけ」
外れのウニみたいにスカスカの脳を持つこいつらから塾とか勉強とか、そんな単語が出てくるとは思わなかった。
夏休みが終わって秋も深まってきた今日この頃。
ようやくこいつらもまともに勉強する気になったか……
感慨深いことだ。
なんて思うかボケ。
授業中ずっと寝てたり騒いだりしてるこいつらが勉強? ありえないね。
視線をギャルたちに詰め寄られている三つ編みにメガネの地味な女子生徒──樋本さんに移せば、その手には箒が握られていた。
なるほど、どうやらこいつらは樋本さんが気弱なのを良い事に掃除当番を押し付けようとしているらしかった。
「でも……あの……」
何とか言葉を絞りだそうとする樋本さんに
「は~? 聞こえないんですけど」
「地味な干物女が何言ってんの?」
「中三にもなって三つ編みメガネの地味子とか漫画でもいねーよ」
「確かに、マジ芋いんだけど」
畳みかけるように言葉を被せている。
(……ったく)
俺は小さく舌打ちをした。
もちろんこいつらの人を舐め腐った態度もそうだが、本当に腹が立ったのは見て見ぬフリをしている他の連中の態度に対してだ。
関わりたくないのも分かるが、ここで何もしなかったら余計につけあがるだけだろうが。
俺は心の中で先に行った友人たちに詫びながら樋本さんとギャルの間に割って入る。
ギャルには背中を向けて、罵詈雑言から樋本さんを庇うように相対して。
「樋本さん、手伝うよ」
メガネの奥の瞳はふるふると小さく揺れていた。
……誰も庇ってくれなかったのに一人でこいつらに立ち向かっていたなんて。
気弱そうな見た目に反して強いところがあるんだな……。
「は? おい豚、カッコつけてんじゃねーよ」
「ちゅーに病ってやつ? マジきも」
完全に無視されたギャルの標的が俺に移ったらしい。
だが俺はこの通り防御力には自信がある。
はち切れんばかりの弾力を持つ駄肉が、ギャルの刺々しい言葉を軽く受け止めた。
「掃除の邪魔だ。早く帰れよ」
怖がられているこいつらがいなくなれば、見て見ぬフリをしてる他の連中も手伝ってくれるだろうし。というか手伝わせるし。
だから俺としてもこいつらにはさっさといなくなってもらった方が都合がいいのだ。
「うわ、マジきも」
「きっとあれじゃん。干物女に惚れてんでしょ」
「絶対それ! デブと干物女ってお似合いなんだけど」
「それじゃ、お幸せに~」
舌をベーっと出しながら皮肉たっぷりの言葉を残してギャルたちは教室から消えていった。
生憎だが、皮はともかくこれ以上肉はいらん。
二人がいなくなったのを確認した俺は掃除用具入れに向かった。
そして箒を取り出すと固まったまま動かない樋本さんに向けて、
「それじゃ、ささっと終わらせちゃおうか」
と笑いかけた。
「あ……うん」
少し顔を赤らめながら、俯きがちに樋本さんは頷いた。
にしても背が高い。
俯きがちになって初めてチビの俺と目が合うくらいだ。
「あの……相羽くん。ありがと」
真っすぐ目を見つめて、ぎこちない笑みを浮かべる樋本さん。
その顔を見ると何故だか分からないが胸が跳ねるように高鳴った。
きっと思春期真っ只中だからだろう。
俺は照れ隠しに視線を逸らして、気まずい空気を垂れ流している教室の連中に呼びかけた。
「お前らも手伝えよ」
先ほどまで気配を消していた連中が渋々立ち上がって掃除用具入れへと向かっていく。
黙々と掃除をこなす間、もう樋本さんと言葉を交わすことはなかった。
当然と言えば、当然。
だって樋本さんと俺は半年以上同じクラスにいるのにほとんど喋ったこともないんだから。
四月の自己紹介の時の第一印象──大人しくて気弱そうだな、というイメージを今まで引きずっていたくらいだ。
だから今日、ギャル二人に真っ向から立ち向かうところを見て思った。
案外強いところもあるじゃないか、と。
一つ気になる所ができれば、どんどん見え方も変わってくる。
これまで知らなかった、知ろうともしていなかった姿が。
例えば、樋本さんが誰よりも朝早くに来て、椅子と机をさりげなく揃えてることだとか。
大抵の人がテキトーにこなす緑化委員会の仕事、花壇の水まきを欠かすことなく行っていることだとか。
プリントを後ろの席の人に配る時に、さりげなく見やすい向きに整えてあげていることだとか。
気付けば俺はどんどん樋本さんのことを目で追うようになっていった。
だから俺は、勇気を出して話しかけてみることにしてみた。
そして気付いた。
樋本さんはただ人見知りなだけで、話嫌いではないということ。
メガネの奥の瞳は怜悧な印象があったが、笑うと幼くて可愛いこと。
その笑った時にできるえくぼが素敵なこと。
気付いていったことが雪のように積もって、いつからか俺は樋本さんのことを好きになっていた。俺にとっての初恋だった。
だから受験が終わって地元の高校への進学が決まってから、樋本さんに進学先を聞いた時、同じ地元の高校に進学するんだと知ってすごく嬉しくなった。
──告白しよう。
積もっていった雪は解けて春が近づいて。
卒業を間近に控えたその時期に俺はそう決心した。
正直可能性は低いと思っていた。
俺はチビでポッチャリで、オシャレにだって無頓着だ。
取り柄らしい取り柄もない。
それでも伝えたかった。
伝えられずにはいられなかった。
だから卒業式の日、俺は樋本さんを呼び出して──
「好きです! 付き合ってください!」
直球勝負。
思いを言葉で飾ったりはしなかった。
ただ胸の内から溢れる想いを直にぶつけた。
俺は返事が怖くてキュッと目を瞑って答えを待った。
無限にも感じる数秒が過ぎる。
「──私も……」
時を動かしたのは樋本さんの声。
その擦れるように小さな音が密やかに空気を震わせた。
「私も……相羽くんのことが──好き、です」
目を見開いて顔を上げると、桜色を通り越して真っ赤な顔をした樋本さんがいた。
こうして俺たちは──デブと干物女と呼ばれた俺たちは付き合うことになった。
そして俺たちは春休みに初デートをすることになったのだが……。
「お待たせ、相羽くん」
「!? 樋本……さん?」
俺の前に現れたのは三つ編みでメガネの大人しそうなあの樋本さんではなく、周囲の視線を釘付けにする雑誌に出てくるモデルのように綺麗になった樋本さんだった。