16.宮廷舞踏会(3)
外に出ると、心地よい風が吹いていた。テラスの下では所々に明かりが点されて、庭園全体を幻想的に浮き上がらせていた。
「ここはこんなに綺麗だったのですね」
「去年も見ているだろう?」
「見ていませんわ。だって、散々でしたもの」
「確かに、大暴れだったな」
レオナルドは去年の一部始終を思い出し、くくっと肩を揺らす。
怪しいものはいないかとテラスの外を確認してから戻ろうとしたら、会場から出てきた三人組。そのうちの一人、見た目はごく普通にしか見えない令嬢が若い男を拳で殴り、吹き飛ばしたのだ。
あんな光景は、これから先も二度とお目に掛かることはないだろう。
「あれから一年か。早いものだ」
「本当に」
アイリスも頷く。
突然婚約者に婚約を破棄され、自慢の髪を切り落とし、騎士団に潜入した。
がむしゃらに走り続けた一年だった。
「お前にはいつも、驚かされる」
「そうでしょうか?」
「ああ。ドレス姿で男を殴るわ、性別を偽って騎士団に潜入するわ、やることが突拍子もない。かと思えば、こうして淑女のようにも振る舞える」
「淑女に見えますか?」
アイリスはドレスのスカートを摘まむと、微笑む。
たった一度でも彼に綺麗だと思ってもらえたなら、それでもう十分だ。
「では、最後にもうひとつ驚かせても?」
「最後?」
レオナルドは怪訝な表情を見せる。
「はい。今日は、これまでのお礼をお伝えしようかと思いまして。私がディーンと名を偽っていた頃から、閣下にはとても気にかけていただき感謝しております」
アイリスはそこで言葉を止める。
ディーンの体調が戻ってきた頃から、随分と悩んでいた。決心したこととはいえ、声が震える。
「ディーンが元気になった今、私が皇都で騎士をしている大義名分が失われました。領地に戻ろうと思います」
「なぜだ?」
レオナルドの眉間に皺が寄る。
「なぜって……。私も十八歳になりますし、そろそろ良縁を結ぶ準備をしなければ──」
「駄目だ」
「は?」
「駄目だと言ったんだ。相手は最近独身になったヘンセル家のあいつか?」
アイリスは唖然として憮然とした表情を浮かべるレオナルドを見上げた。なぜここで元婚約者のスティーブンの名が出てくるのだろう。
「違います」
「では、どこのどいつだ?」
レオナルドは険しい表情のまま、怒気を孕んだ声で問い返す。
「相手はまだおりません。これから探すのです」
アイリスの言葉が予想外だったのか、レオナルドは黙り込んだ。
「もしかして、閣下は私にここに残れと仰っているのですか? 嫌です」
「なぜ?」
「では教えて差し上げます。閣下は全く気が付いていませんでしたが、私、閣下をお慕いしておりますの。閣下が他の女性を娶る幸せな姿を横目に見つつ、自分がこのまま騎士として女を捨てた人生を送るなんて、まっぴら御免です」
閣下からするとこのような男のような女に好かれて迷惑でしょうけれど、と付け加えてアイリスはぷいっとそっぽを向く。
レオナルドが体が小さく普通なら足手まといになる『ディーン』を気にかけたのは、彼が上司であったから、そしてアイリスの父をレオナルドが知っていたからだろう。
けれど、アイリスはそんなレオナルドに惹かれて恋をした。
レオナルドは皇帝の側近であり、この若さでハイランダ帝国の副将軍。当然、貴族令嬢から熱い眼差しを向けられていることも知っている。
そして彼女達がアイリスよりも女性的で美しく、そして身分も高いことも。
「誰が迷惑だと言った」
レオナルドの静かな口調が、夜に溶ける。
「女の相手は面倒だが、お前の相手は飽きない」
アイリスはレオナルドのほうを振り返り、形のよい眉を寄せた。
「珍獣を相手にしているみたいで面白いと言われているみたいですわ」
「お転婆で破天荒な上に、ああ言えばこう言うんだな」
眉を寄せたアイリスの眉間を解すように、レオナルドの指先がなぞる。
「アイリス、知っているか? 俺が美しいと思った女は、世界に一人しかいない。お前だ」
アイリスは元々大きな瞳を更に大きく見開き、レオナルドを見上げた。
「初めてお前を見たとき、衝撃を受けた。そして二度目に会ったとき、箒を片手に握り窃盗犯と戦う姿を見て『美しい』と感じた」
レオナルドの顔が近付き、コツンとおでこが付く。
「ここに、俺の側にいろ。それに、お前がいなくなったら、リリアナ妃を誰が護る?」
「リリアナ妃のため?」
「本当に、ああ言えばこう言う」
顔を離したレオナルドはアイリスを見下ろし、フッと笑みを漏らす。
「お前のことは常に気になるし、先ほど他の男に嫁ぐと言われて怒りを感じた。男装していることを俺には明かさなかったのに、カインには明かしていたことを知ったときは苛立った。これを愛と呼ばぬなら、きっと俺は生涯女性への愛を知ることはないだろう」
アイリスは美しい顔をくしゃりと崩し、微笑みを浮かべる。
なんて、この人らしい言い方なのだろう。
「今手放さなかったら、一生離れてあげませんわよ?」
「望むところだ。もとより逃がすつもりなどない。ヘンセル男爵家の嫡男の見る目のなさには感謝しよう」
その姿に憧れて、恋い焦がれて、でも叶わぬ恋だと思っていた人の顔が近付くのを感じてアイリスは目を閉じた。二人の影が重なる。
──お母様は昔、あなただけの素敵な騎士様が現れると言った。
これは没落した実家を救うために女を捨てた私の、かくも幸せな恋物語。
そしてその幸せはこの先も続くと確信している。
「戻るか?」
「はい。一曲踊ってくださいませ、閣下」
「普通は男から誘うんだがな」
レオナルドは苦笑する。けれど、その瞳はとても優しかった。
「踊ろうか?」
シャンデリアが煌めく会場の入り口の前で、ずっと憧れていた人がこちらに手を差し出す。
「はい、よろこんで」
──だって、私の行く先はこんなにも明るく輝いているのだから。
アイリスは花が綻ぶような笑顔を浮かべ、そこに手を重ねた。
〈了〉
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
そのうち二人の甘々な後日談など書けたらいいなとは思いますが、一旦ここで完結とさせていただきます。
皆さまから頂ける感想、ブクマ、★が執筆の励みになるほか、また新作を投稿しようと思うモチベーションにつながります。
是非応援頂けたら嬉しいです!




