15.真相(2)
◇ ◇ ◇
数日後、レオナルドの執務室に呼び出されたアイリスは、これまでの捜査経過を聞きながらも信じられずに何度も手元の書類を見返した。
「では、全てジェフリーが?」
「ああ。嫉妬していたのだろうな、お前に」
「なんてばかなことを……」
それ以外に言葉が出てこない。
嫉妬されることなど、何もなかった。
アイリスからすれば、恵まれた家庭で育ち剣の実力もあるジェフリーのほうが、よっぽど羨ましかった。
レオナルドから聞いた事件の一部始終は、アイリスの理解を超えたものだった。
エイル家の三男であるジェフリー=エイルは入団当初からディーン=コスタに並々ならぬ対抗心を燃やしていた。お互いが名門騎士家系の出身であり、嫌でも比較される対象だからだ。
さらに、ジェフリーにはその時々の同期でトップの功績を挙げ続けた二人の優秀な兄がおり、自分だけが落ちこぼれとみられることを極度に恐れていたという。
そして、歪んだ自尊心はやがてディーン=コスタを蹴落とすという、あってはならない方向へと動き出す。
「だからって、なんでこんなことを──」
先日の福祉施設でのごろつきの件は、レオナルドの読み通りジェフリーの仕業だった。
金で雇ったごろつきにリリアナ妃一行を襲わせる真似事をし、その場に偶然を装って現れた自分が手柄を取る。
さらに、護衛のアイリスの不手際を糾弾するつもりだったようだ。
ジェフリーがしたことはそれ以外にもあり、全部で三つだ。
ひとつ目は、探偵を雇ってコスタ家について調査を行い、ライバルである『ディーン=コスタ』に弱みがないかを探ったこと。これにより『ディーン=コスタは実は病弱で、ここにいるディーンは姉である』という噂が騎士団内に流れた。
二つ目は、違法薬物の拠点突入の日に、元々用意していた虚偽の指令書を本物の指令書の中に紛れ込ませ、情報を錯綜させた。指示通りに動かなかったディーンとカインの評価が落ちることを狙ってのことだった。
三つ目が、今回の事件──リリアナ妃のお忍びに合わせてごろつきに襲わせる真似事をさせたことだ。
その全てが、アイリスを陥れようという確固たる意志に基づいたものだった。
「指令書の偽造については絶対に看過できない不正だ。軍のような集団ではひとつの命令系統の乱れが全体の命取りになりかねない」
レオナルドは淡々とした様子でそう言った。
「彼はどうなるのですか?」
「まず、皇都騎士団は除名だ」
「はい」
それは、アイリスも予想していた。
これだけのことをしでかしたのだから、除名にもなるだろう。あの突入作戦は一歩間違えば失敗していた。それに、あと少し仲間の到着が遅かったらカインとアイリスは死んでいたかもしれないのだ。
「その後は軍規に従い、処分を決める審査会がある。エイル家のこれまでの功績を踏まえて酌量減軽があるはずだ。恐らく国境警備隊で予備兵としてやり直しだろうな」
「国境警備隊の予備兵──」
国境警備隊はその名の通り、国境を守る隊だ。
ハイランダ帝国は数年前まで隣国と戦争状態が続いていた。今は和平協定が結ばれているので当時ほどではないにしても、軍隊の中でも最も苛酷な訓練を積み、厳しい環境で任務に当たっている。
その中の予備兵というと、ジェフリーからすると耐えがたい屈辱だろう。
ジェフリーは確かに嫌みな男だった。
けれど、彼の剣の腕が確かなことをアイリスはよく知っている。こんなことをしでかさなければきっと順調にキャリアを積めただろうにと、やるせない気持ちになる。
深く嘆息したレオナルドは、今度は自分の執務机に置かれた別の報告書を手に取った。
「もうひとつ──」
「はい?」
沈んだ気分でいたアイリスは、レオナルドを見つめる。
「先日、カールから興味深い報告がきた」
「興味深い報告といいますと?」
アイリスは首を傾げる。
「ヘンセル男爵家から貴族院に婚姻関係の解消の調停を求める書簡が届いたそうだ」
「ヘンセル男爵家?」
ヘンセル男爵家は元婚約者のスティーブンの実家だ。婚約解消以来一切関わっていないので、今どうしているかも知らない。
「婚姻の解消といっても、既に子供が生まれたのでは?」
アイリスが宮廷舞踏会でスティーブンを殴り飛ばしたとき、背後にいた少女のお腹には命が宿っていたはずだ。時期を考えると、間違いなく生まれているはずだ。
今はまだ、生後数ヶ月といったところだろう。
「ああ、生まれた。淡い茶色の髪に緑の瞳の、可愛らしい男の子だそうだ」
「淡い茶色の髪に緑の瞳?」
アイリスは眉根を寄せる。
スティーブンは黒目黒髪だった。一緒に寄り添っていた少女も、うろ覚えだが淡い茶色の髪に緑の瞳ではなかったように思う。
「祖父母からの遺伝でしょうか?」
「祖父母にも淡い茶色の髪や緑眼はいないらしい」
「それは……」
跡継ぎである子供が生まれて間もないこの時期に、離婚の申し立て。
アイリスは何が起こっているのか、大体のことを理解した。
お気の毒に、としか言いようがない。
スティーブンは『アイリスが構ってくれないから』という子供のような理由で他の女にふらふらと靡いて婚約中に不貞を働いた。
彼はあの少女こそ自分の唯一だと信じて結婚したけれど、相手の少女にとっては違ったのだろう。
──不思議なものね。
スティーブンと婚約したのはまだ両親が健在だった頃──十歳だった。
およそ七年に亘り婚約者として過ごし、愛ではなくとも、親近感は持っていたし、あの舞踏会の日は少なからずのショックを受けた。
それなのに、彼のことを聞いても驚くほどに心が凪いでいる。
自分の中で、完全に過去のこととして消化されているのを感じた。
「気の毒だとは思いますが、私にはもう関係のないことです」
「そうか。では、知らせるまでもなかったな」
アイリスが泣くとでも思っていたのか、レオナルドはホッとしたような表情を見せると両手でその書類の端を持つ。
ビリビリと紙を破く音が室内に響く。
小さくなった紙片が、まるで花びらのように床に舞い落ちた。




