15.真相
平和な日々が続いていたある日、アイリスはリリアナ妃が城下の聖堂に併設された福祉施設にお忍びで慰問訪問する護衛をすることになった。
お忍びなので、本日リリアナ妃を護衛をする近衛騎士は最小限に限られていた。侍女に扮したアイリスと御者に扮した男性騎士の二人だけだ。
代わりに、皇都騎士団の第五師団がこの周辺を重点的に警戒してくれているはずだ。
孤児がいれば優しく微笑み菓子を配り、病人がいれば手を握り魔法で癒やす。そんなリリアナ妃の様子を、今回同行した筆頭侍女であるナエラとアイリスは見守る。
「リリアナ様、そろそろ戻りましょう。もう二時近いので、陛下の元へ行く時間に間に合わなくなります」
「ええ、そうね。わかったわ」
一時間ほど施設に滞在した頃、ナエラがリリアナ妃に声をかける。
リリアナ妃とナエラが施設から出て馬車へと向かう。
今日は豪華な馬車ではなく、普通の庶民的な一頭立ての箱馬車だった。
「どうぞ」
御者に扮する近衛騎士が箱馬車のドアを開けてリリアナ妃に手を差し出す様子を眺めていたアイリスは、ふと違和感を覚えた。
──これは視線? 誰かがこっちを見ている?
アイリスは周囲を見渡す。誰かがじっとこちらを見るような、嫌な感覚だ。
そのとき、数人の男が飛び出してきてアイリスは咄嗟に身構えた。
「リリアナ様、危ない!」
アイリスの声に気付いた御者姿の男性騎士がリリアナ妃を守るように立つ。アイリスはそちらは彼に任せ、自分は袖口に隠していた短剣を素早く引き抜いて構えた。
──一、二、三、四。四人ね。
突然現れた人相の悪い男達は全部で四人いた。
同行している男性騎士はリリアナ妃とナエラを守るように立ちはだかっているので、実質的にこの四人はアイリスが相手しなければならない。
人相の悪い男のひとりがアイリスを見下ろし、ふんと鼻で笑う。
「お嬢ちゃん、どきな。そこにいるべっぴんさんを渡してくれたら悪いようにはしねえよ」
男は顎でリリアナ妃を指す。男性騎士は殺気だったように剣を腰から抜いた。
──ここはひとまず私が相手して、リリアナ様達は馬車で逃がしたほうがいいわね。
アイリスが頭の中でぐるぐると作戦を考えていたそのときだ。すぐ近くから、威勢のよい声が聞こえてきた。
「おい、お前達! 動くな!」
──この声は、ジェフリー?
聞き覚えのある声に、アイリスは驚いてそちらを見る。そこにはペアの騎士と二人でいる制服姿のジェフリーがいた。
今日は第五師団がこの辺りを重点的に警戒しているはずだ。現在第五師団に所属しているジェフリーが来たことに、アイリスは応援が来たのだと少なからずホッとした。
──助けに来てくれたのね?
そう思ったそのとき、今度は「動くな!」という地響きのような別の声がした。
──え? こっちの声は──。
黒い制服姿の騎士が一気に目の前になだれ込む。
「このお方が誰か知っての狼藉だろうな?」
颯爽と現れたレオナルドは凍てつくような瞳で人相の悪い男を見下ろす。
剣がヒタリと狼藉者の首筋に当てられれ、鋭く磨き上げられた刃先が日の光を反射して輝く。「ひっ!」という声にならない音が男の口から漏れた。
一緒にいた皇都騎士団の団員達が次々に男の仲間を捕らえてゆき、それらの騎士の中にはカインもいた。
「ちょっと待ってくれ! 俺はこの姉ちゃんをちょっと脅すだけで金をくれるってそいつが言うから──」
「そうだ。頼まれただけだ」
急に狼狽えたように怯えだした男達は、口々に弁解しながら指先で一方を指す。その先には、目を見開き呆然と立ち尽くすジェフリーがいた。
「え?」
アイリスは驚いてジェフリーの顔を見つめる。
どういうことか状況が全く読めない。
一方のレオナルドは落ち着き払った様子だった。
刃先を男の首筋に当てたまま、顔だけをジェフリーに向けた。
「と言っているが、どう弁解する?」
「これは……、でたらめです」
「何言ってやがる、この野郎!」
ジェフリーの言葉に、お前のほうこそでたらめを言うなと男達が罵声を上げる。
「我々はある程度の証拠に基づいて捜査を行ってきた。エイル家の人間がこの男達に接触していたことも把握している」
ジェフリー、それはお前だな?
レオナルドの声は、低く落ち着いていて、けれど言い逃れを許さないような凄みがあった。
ジェフリーは目を見開いたまま、レオナルドを見返す。
「リリアナ妃を害そうとした疑いでお前を連行する」
「違います! 俺はただっ」
ジェフリーは悲痛な声を上げる。しかし、その先を口にすることは許されなかった。レオナルドは「連れて行け」と部下に命令する。
「お前さえいなければ──」
ジェフリーが視線だけで人を射殺せそうなほどに憎悪に満ちた視線を向けてきた。
──お前さえいなければ。
アイリスは両脇を押さえつけられたその後ろ姿を見送りながら、呆然と立ち尽くす。
──私は……。
自分はここにいていいのだろうかと、足下が崩れ落ちそうになる。
今回の真相はまだよくわからない。けれど、自分がなんらかの原因になっていることはなんとなく感じられた。
「アイリス」
呼び掛けられたアイリスははっとして顔を上げる。険しい表情のレオナルドがこちらを見下ろしていた。
「リリアナ妃の護衛は終わってないぞ。気を抜くな」
「っ! 承知しております」
厳しい指摘にアイリスは足に力を入れると、しっかりと頷いた。
けれど、自分はもうこの職を辞したほうがいいのではないか。
そんな弱気な気持ちが湧いてくるのを止めることはできなかった。




