13.恋心(2)
──それにしても。
リリアナ妃の元に到着したアイリスは、部屋の壁際に立って自分の姿を見下ろす。
きっちりと着込んだ白い近衛騎士の制服が目に入る。腰には近衛騎士団入団にあたり皇帝陛下より直々に賜った長剣がぶら下がっており、袖口にも短剣が仕込んである。
──本当に、女らしさなんて皆無ね。
顔を上げると、リリアナ妃は今日も皇后に相応しい豪華な衣装を身に纏い、美しく着飾っていた。
今日は新しい衣装を作るために仕立屋を呼んだようで、熱心に生地を選んでいる。
リリアナ妃は元々天女のように美しい人なのだが、身に纏う服、顔の横で揺れる耳飾り、シルバーブロンドの髪に付けられた髪飾り、隙なく施された化粧、それらが彼女の美しさをより一層引き立てていた。
さらに、近付くと花のように甘く魅惑的な香りがすることも知っている。
──私とは、全然違うわ。
同じ女性でありながら、あまりの違いに苦笑してしまう。
今の自分は、リリアナ妃はおろか先ほど見かけた美しく着飾ったご令嬢達の足下にすら及ばないだろう。
アイリスの体のラインは細く華奢だが、皇都騎士団に入団してからの厳しい訓練の結果、『柔らか』というよりは『引き締まった』という言葉がしっくりとくる。
少し伸びてきた髪はいつも後ろでひとつに結んでおり、髪飾りを付けることはない。ましてや、化粧などまったくしない。
──これじゃあ、色仕掛けなんて絶対無理よね……。
先ほどカッとなって自分からジェフリーに言った言葉に、思いの外落ち込んでいる自分がいる。
更には先日、叔父のシレックの捕縛の際は勤務時間中にも拘わらず感情を乱して見苦しいところを見せてしまった。あれ以来、羞恥のあまり朝の訓練の際もレオナルドと目を合わせることができない。
「ねえ、アイリス。こちらとこちら、どちらがいいと思う?」
二枚の生地を体に合わせていたリリアナ妃が、こちらを振り返る。一枚は淡い水色、もう一枚はリリアナの瞳と同じ色──薄紫で、どちらもよく似合っている。
「そうですね。どちらもお似合いですが……淡い水色のほうでしょうか。染め付けてある白牡丹がとても素敵です」
「やっぱりアイリスもそう思う? ふふっ、水色は陛下の瞳と同じ色だわ」
リリアナ妃は嬉しそうに微笑むと、水色の生地を自分に当てて鏡の前でポーズを取る。
まるで妖精のよう、天女のよう、とリリアナ妃の美しさを称える言葉をたくさん聞いてきたが、その姿を見たアイリスは全くその通りだなと思った。
一通り生地を選び終えたリリアナ妃と目が合うと、リリアナ妃がパッと目を輝かせる。悪戯を思いついた子供のようなその表情に、アイリスはなんだか嫌な予感がした。
「ねえ、よかったらアイリスもドレスを作らない?」
「私ですか? 着る機会がございません」
「でも、今度の舞踏会にはアイリスも来てくれるでしょう? アイリスはとっても綺麗だから、着飾ったら凄く素敵になると思うの!」
リリアナ妃はとっても名案だと言いたげに、目をキラキラとさせて両手を口の前で合わせる。
リリアナ妃の言う『舞踏会』とは、年に一度だけ開催される皇后主催の王宮舞踏会だ。つまり、主催はリリアナ妃ということになる。
「舞踏会の日は、会場周辺で護衛をしているつもりです」
「駄目よ。アイリスは参加するの。わたくしが招待するのだから、絶対に参加して」
リリアナ妃はぴしゃりとアイリスの言葉を否定する。
「しかし、参加するにしても実家への仕送りもありますので贅沢は──」
「大丈夫! これはわたくしからのプレゼントよ。さあ、こっちに来て生地を選んで?」
リリアナが腕を広げて、仕立屋が持ってきた様々な生地を指し示す。
アイリスはおずおずとそちらに近寄った。皇后であり、自身が仕える主であるリリアナに命じられれば、断ることはできない。
「わあ……」
遠目に見るのと近くで手に取るのでは、全く違う。
一番手前に置かれた生地に手を触れると、滑らかで心地よい質感がした。アイリスが一着も持っていないような高級生地であることはすぐに想像が付く。
「これが似合う気がするわ」
とまどうアイリスを尻目にリリアナ妃が選んだのは、濃い紅色の生地だった。
仕立屋が鏡の前でアイリスにそれを合わせる。リリアナ妃付きになって室内での勤務が増えたことから元来の白さを取り戻し始めた肌が、パッと明るく見える。
「うーん、こっち?」
リリアナ妃は今度は紺色の艶やかな色彩の生地を手に取った。羽ばたく白い水鳥が染め付けてある優美なものだ。
「リリアナ様。本当に私は大丈夫ですので」
「駄目よ。わたくしが見たいの!」
リリアナ妃はアイリスを見上げると、首を傾げた。
「それとも、アイリスは着飾ったりするのがお嫌いかしら?」
「いえ、そういうわけでは……。ただ、このような豪華な衣装は慣れていないですし──」
アイリスは言葉を濁す。
かつて、アイリスも普通の一人の貴族令嬢だった。少しお転婆で剣を握ることはあったけれど可愛いものも大好きで、ドレスを着ては大喜びし、お母様の髪飾りや宝石を眺めてはうっとりした。
けれど、没落したコスタ家ではそんなものを用意することはできなかったし、今のアイリスはハイランダ帝国で唯一の女騎士だ。
──こんな美しいドレスは、私には相応しくないわ。
そう思うのに、きっぱりと否定できないのはまだ自分の中に女として生きたいという微かな思いが消えないからだ。
リリアナはそんなアイリスの心の奥底を見透かしたかのように、ふわりと笑う。
「嫌いではないなら、用意させて。さっきも言ったとおり、わたくしがアイリスが着飾るところを見たいのよ。そうだわ、アイリスはもう少ししたら十八歳の誕生日でしょう? だから、そのお祝いにするわ。それならいいでしょう?」
「……はい。仰せのままに」
これは主であるリリアナ妃に従ってのこと。
そう言い聞かせるのに、浮き立つ心を落ち着かせるのは難しかった。
──宮廷舞踏会か……。
幼い頃、いつかアイリスだけの素敵な騎士様がエスコートしてくれるはずだと母は笑っていた。一年弱前、初めて参加した宮廷舞踏会でその夢は見事に打ち砕かれたが。
──レオナルド様に初めてお会いしたのも、宮廷舞踏会だったわよね。
華やかなドレスを着れば、少しは自分も彼から綺麗だと思ってもらえるだろうか?
目の前に広がる艶やかな生地を眺めながら、アイリスはそんなことを思った。




