13.恋心
ハイランダ帝国の宮殿は、内郭と外郭の二重構造になっている。内郭は皇帝の執務室や生活空間、外郭は各省庁の執務エリアや軍の訓練場になっているのだ。
この日、勤務交代のために住み込みの部屋からリリアナ妃の元へと向かおうとしていたアイリスは、ふと明るい話し声に気付いて立ち止まった。
声のほうを見ると、庭園のオープンスペースにご令嬢達の姿が見えた。
──宮殿に来たご令嬢がお茶をしているのね。
宮殿の外郭部には、用事があって宮殿を訪れた貴族や普段から勤務している者がちょっとした休憩をとることができるオープンスペースが各所に設けられている。ソファーや椅子、テーブルなどが置かれており、頼めば女官がお茶も用意してくれるのだ。
アイリスはその四人組のご令嬢達を眺めた。
年の頃は自分とさほど変わらない位に見える。皆、色とりどりの美しいドレスを着て着飾っていた。
「マリア様ももうすぐご結婚ですわね」
「ふふっ、ありがとう」
マリアと呼ばれた黒髪の可愛らしい令嬢が、嬉しそうにはにかむ。
その表情からは、幸せそうな様子が覗えた。
──結婚かぁ。
アイリスの中になんとも言えない感情がわき上がる。
自分にもあんなふうに普通の幸せがくるのだと信じて疑っていなかった頃があったのを思い出す。
「そういえば──」
アイリスが踵を返そうとしたとき、ご令嬢のひとりが口を開く。
「お父様が、さすがにレオナルド様もそろそろお相手を決める頃じゃないかって──」
レオナルドと聞こえて、思わずにアイリスは振り返った。立ち聞きはよくないとは思いつつも、耳をそばだててしまう。
「確か、今、二十六歳でしょう? さすがにそろそろお相手を決めるはずだわ。普段、ほとんどお近づきになれないから、なかなか親しくなれないわよね。今度の舞踏会が勝負だわ」
「私、頑張って声をお掛けしてみようかしら」
「そうよね。まずは認識していただかないと始まらないわ。ドレス、どんなのにしましょう?」
同席していたご令嬢達が次々と相槌を打ち、盛り上がる。
貴族の結婚においては、相手の家格や職位の高さは何よりも重視される。
皇帝ベルンハルトが特に重用する側近は全部で四人いるが、レオナルドを除く三人は既に結婚もしくは婚約していた。
残った唯一の相手が決まっていない側近であり、名門貴族出身かつこの若さでハイランダ帝国副将軍であるレオナルドは現在、社交界で一番の注目の的であることはアイリスにもわかった。
──レオナルド様、もうすぐご結婚なさるのかしら?
貴族の当主であれば当然いつかは妻を迎えて跡継ぎとなる子をなすだろう。
そんな当たり前の事実に、酷くショックを受けた。
◇ ◇ ◇
その後、内郭エリアに到着し、とぼとぼと廊下を歩いていると、正面から見覚えのある人影が近付いてくるのに気付いた。第一師団のジェフリーだ。
ジェフリーが所属する第一師団は通常、皇帝の生活空間である内郭の警備を受け持っている。
アイリスは小さく会釈してジェフリーの横を通り過ぎようとする。そのとき、「待てよ」と呼び止められた。
「私に何か?」
アイリスは立ち止まると、ジェフリーのほうを振り返る。
「なんでお前が近衛騎士団なんだよ! 性別を偽っていたくせに」
「なんでと言われましても、レオナルド閣下が決めたことですので私は全力でその務めを果たすだけです」
アイリスは真っ直ぐにジェフリーを見返す。
近衛騎士団は組織上、皇帝の直属部隊だ。
最も近い場所で皇帝を守る精鋭達で、皇都騎士団とは一線を画している。ジェフリーはアイリスが近衛騎士になったことが気に入らないのだろうということはすぐに予想が付いた。
「ふざけるなっ! お前なんかが近衛騎士になれるはずがない! お前が抜けたせいで俺が第五師団に異動になるんだぞ!」
ジェフリーは興奮したように捲し立てる。彼が第五師団に異動するとは初耳で、アイリスは驚いた。
「どうせ、女であることを利用してレオナルド閣下に頼み込んだんだろう!」
ジェフリーは最後に吐き捨てるように、そして、あたかもそれが間違いなく事実であるかのようにそう言った。
「……なんですって?」
その意味を理解して、アイリスは急激な怒りが込み上げるのを感じた。
「レオナルド閣下が私の色仕掛けに陥落するようなお方だと思っているのなら、あなたの目は節穴ね」
「っつ!」
言葉に詰まるジェフリーをキッと睨み付けると、アイリスは踵を返す。背中に憎悪にも近い視線を感じたが、決して振り返らなかった。




