10.近衛騎士(2)
アイリスが近衛騎士団に入団して数日が経った。
近衛騎士のみに許される白い騎士服には、まだ慣れない。
それでも、この制服を着ると自分は近衛騎士なのだという実感が湧き、身が引き締まる思いだった。
「ねえ、アイリスさん。こっちにいらっしゃらない?」
部屋の隅に立っていると、ソファーに腰掛けた皇后──リリアナがこちらを振り返る。淡い紫色の瞳と視線が絡んだ。
近衛騎士となって初めて至近距離で実物を拝見したリリアナ妃は、噂通りの目を瞠るような美女だった。
白い肌、ほんのりとピンクに色づいた頬、ぷるんとした桃色の唇。ぱっちりとした瞳は宝石のアメジストを思わせ、ハーフトップで結い上げたシルバーブロンドの髪は流れ落ちる滝のようだ。
「はい」
呼ばれたアイリスは一礼してリリアナの元に歩み寄ると、背後に起立した。
「違うわ。ここよ」
リリアナはポンポンと自分の横にあるソファーの座面を叩く。
「しかし……」
アイリスはリリアナの護衛だ。
皇后であるリリアナと共にローテーブルを囲むなど許されない。
リリアナはそんなアイリスを見て、頬を膨らませた。
「いいから座って。ひとりでお茶をしていてもつまらないわ」
どうしたものかと視線を彷徨わせると、リリアナ付きの筆頭侍女であるナエラと目が合う。
ナエラがコクリと頷いたので、アイリスは恐縮しながらもソファーに座った。
「このお菓子、美味しいのよ。是非召し上がってね。この前陛下とお忍びで城下に行ったときに見つけて気に入ったの」
リリアナは焼き菓子の載った皿をアイリスの前に差し出す。
可愛らしい、花形に焼き上げた菓子だ。
勧められて食べないのも非礼に当たるかと思い、アイリスはそれをひとつ摘まんで口に入れる。ふわふわとした食感とバターの利いた味わいが口に広がった。
「美味しい……」
「そうでしょう? これ、私の故郷にあったお菓子に味が似ているの。最近、周辺国との国交が活性化しているから似たようなお菓子が入ってきたみたい」
リリアナは嬉しそうに笑い、自身もその焼き菓子を摘まんで口に入れる。
「仲がよろしいですね」
まだリリアナ付きとなってから日は浅いが、アイリスが知る限り、リリアナ妃と皇帝陛下はとても仲がよい。立場は全く違うが、亡き父と母を思い出した。
「ふふっ、ありがとう」
リリアナははにかんだような照れ笑いをして、アイリスを見つめる。
「アイリスさんは、婚約者はいらっしゃらないの?」
「おりません」
「もうすぐ十八歳よね? 子爵令嬢なのに、珍しいわね」
リリアナが首を傾げたので、アイリスは所在なく視線を落とす。
アイリスには元々は婚約者がいた。初めて参加した舞踏会で破棄を申し出てきた、ヘンセル男爵家の嫡男──スティーブンだ。
しかしなんだかんだあって破棄された。
その後の縁談の誘いは、アイリスに男になることを決心させたあの老人の商会会長との縁談だけだ。
「私はこの通り男勝りでかわいげがないので……」
「あら、そんなことないわ。アイリスさんはとっても格好よくて素敵ですわ! 宮殿に勤める侍女の中でもたくさんのファンがいらっしゃるのよ!」
リリアナはとんでもないとでも言いたげに、力説する。
ぽかんとするアイリスと目が合うとふわりと微笑んだ。
「でも、婚約者がいらっしゃらないなら自由な恋愛ができるから、それはそれでいいと思うわ」
貴族令嬢は一般的には親が決めた婚約者と結婚することが多い。自由恋愛など少数派なので、アイリスは、面食らった。
「アイリスさんは、どんな男性が好き?」
リリアナは会話を続ける。
こちらを見つめる紫色の瞳は期待に満ちている。
「あまり考えたことがありません」
「一度も?」
アイリスは問いかけられて、アイリスはまた目を伏せる。
かつては自分も、自分だけの騎士様が現れると思っていた。
「そうですね、強い人がいいです」
もしも結婚するなら、亡き父のように誰よりも強い人がいいと思った。
「強い人。騎士であるアイリスさんらしい答えね」
リリアナが微笑む。
「はい。強く、公明正大で、面倒見がよくて、一見厳しいようでいて相手のことをきちんと見ていてくれて──」
そこまで言って、脳裏に一人の男性が思い浮かぶ。
口にはしないけど、いつも自分のことを気にかけてくれる──。
「まるで、誰かのことを想像しながら言っているみたいね」
「そういうわけではありません」
楽しそうに微笑むリリアナの指摘に、アイリスは頬が赤らむのを感じて咄嗟に首を振った。




