10.近衛騎士
緊張を解すには、いつもと同じ行動を取るほうがいい。
近衛騎士団入りを命じられた翌日、アイリスは朝早くに訓練場へと向かった。
いつものように一心に剣を振るっていたその人は、こちらに気が付いて剣を下ろした。
「よく寝られたか?」
「ほどほどには」
色々なことを考えてしまい、ぐっすりとは眠れなかった。
アイリスのばか正直な返事に、レオナルドは苦笑する。
「リリアナ妃は陛下の至宝だ。心して護れ」
「この剣に誓って」
アイリスは剣の平らな部分を沿わせるように斜めに胸に当てると、しっかりと頷く。
宮殿で働く者達の中で、皇帝夫妻の仲睦まじさは有名だった。
皇后であるリリアナ妃はそれまで国交がなかったような遠い異国から嫁いできた。皇帝夫妻は婚約するまで一度も会ったことがない政略結婚だ。
それにも拘わらず、二人は相思相愛のようだ。
レオナルドはアイリスの後方、訓練場の入り口へと視線を向ける。
「そろそろもう一人も来るはずなんだが……」
「もう一人?」
アイリスが首を傾げたそのとき、遠くから「ディーン!」と呼ぶ声がした。
アイリスは咄嗟にそちらを振り返る。
「カイン!」
そこには、皇都騎士団の制服を着たカインがいた。
「腕は? 大丈夫なの?」
アイリスは驚いてカインの元に駆け寄る。
医務室にいた人の話では、カインの怪我はひどく、元通りに剣を握れる可能性は極めて低いと聞いていたのだ。
カインは苦笑いするように、自分の右腕を摩った。
「ああ。宮廷医もお手上げだったんだけど、リリアナ妃に治していただいたんだ」
「リリアナ妃に?」
アイリスはどういうことかと聞き返す。
「リリアナ妃は魔法の国の元王女だ。我々が使えないような魔法をつかわれる。治療に関してもだ」
レオナルドの補足で、アイリスは理解した。
カインはリリアナ妃に魔法で治してもらったのだ。
「閣下、その節はありがとうございました」
カインは深々とレオナルドに対して頭を下げる。
「礼ならリリアナ妃に言え。俺はリリアナ妃に大怪我を負った隊員がいるという事実を告げただけだ」
レオナルドはそう言ったが、リリアナ妃が治してくれると半ば確信があったからこそ、その話をしたのだろうとアイリスは思った。
「魔法って凄いのね……」
アイリスの呟きに、カインがいいことを思いついたとばかりに顔を明るくする。
「そうだ。ディーンの弟も治して貰えないかな? 俺の怪我が治ったくらいだから──」
「それは難しいだろうな。リリアナ妃は皇后であり、医師ではない。今回が特別だ」
カインの言葉を、レオナルドがぴしゃりと否定する。
カインは残念そうに眉尻を下げたが、アイリスは気にするなと軽く微笑んで見せる。
魔法でディーンを治して貰えるなら、どんなにいいだろう。
けれど、一国の皇后に一介の子爵家の人間の治療をしてほしいなど、無理だということはアイリスにもわかる。
「だが──」
レオナルドが続けて口を開く。
「リリアナ妃に直接治療してもらうことは無理でも、なんらかの助言はくれるかもしれない。あのお方は人がいい。相談してみるといい」
レオナルドから諭すように言われ、アイリスは頷く。
「ところで、カインはアイリスの事情を前から知っていたのか?」
レオナルドに聞かれ、アイリスは頷いた。
「はい。カインだけにはかなり前に事情を話していました」
「……そうか」
(あれ?)
なんとなく一瞬、レオナルドの表情が曇ったような気がした。けれどそれは一瞬のことで、すぐにいつもと変わらぬ凜々しさを取り戻したので気のせいかもしれない。
「では、時間もないから、さっさと始めるぞ」
「「はい」」
そこでふとアイリスは気が付く。
なぜカインはここに呼ばれたのだろうかと。
「カイン、剣を握るのはあの事件ぶり?」
「ああ。実はそうなんだ」
カインはバツがわるそうな顔をする。
──やっぱり……。
レオナルドはきっと、剣を握らなかったブランクで本人が辛くならないようにと気を遣って呼び出したのだ。
久しぶりに剣を構えてカインと向き合う。
カン、カン、キンという小気味よい音が鼓膜を揺らす。
その様子を腕を組んで眺めていたレオナルドは、時折二人の動きを止めさせるとアドバイスをくれた。
アイリスはこの後小一時間ほど、レオナルドの指導の下でカインと汗を流したのだった。
◇ ◇ ◇
レオナルドが立ち去った後、アイリスは汗ばんだ肌をタオルで拭い、乱れてしまった髪をむずび直そうと組紐を解く。
琥珀色の美しい髪がパサリと肩に広がった。
カインはアイリスを見下ろし、頬を掻いた。
「知っていたとは言え、そうやって髪を下ろしていると女にしか見えないな」
「女だもの」
アイリスは苦笑する。
「女のくせに剣を握るなんてって呆れた?」
「いや」
カインは首を横に振る。
「女でそんなに戦えるなんてすげえよ。俺はお前以外に見たことがない」
「男みたいね」
「そんなことない。俺はディーン……ちがった、アイリスのこと、綺麗だと思うぜ」
故郷にいる俺の恋人の次に、とカインは付け加える。
アイリスは思わず吹き出した。
この実直さがカインのいいところだ。きっと、本気で言ってくれているのだとわかる。
「ありがとう、カイン」
アイリスがお礼を言うと、カインもホッとしたように笑う。しかし、その表情はふと何かを思いだしたかのようにすぐに真顔に戻った。
「そう言えば、あの日俺達がもらった指示書について、師団長が調査しているらしい」
「調査?」
「ああ。第一師団のセリアンは第一師団内で配られた指示書に俺達宛のが混じっていたから届けたといっているらしいんだが、第一師団の全員がそんなもの知らないって言っているらしいんだ。もちろん、第五師団長もそんな指示は出していないって」
「そう……」
アイリスはじっと考え込む。
では、あの指示書は誰がなんのために用意したのだろうか。答えがわからない気味の悪さに、アイリスはぎゅっと自分の身体を抱きしめた。




