8.事件(3)
気が付いたとき、視界に最初に映ったのは真っ白な天井だった。
その天井からは、シンプルなランプがぶら下がっている。
ぎこちなく首を回すと、少し開けられた窓にかかるカーテンは風で揺れており、その隙間からは真っ青な空が見えた。
体中が痛い。なんとか動く腕を上げると、洗濯したての真っ白な布が目に入り、袖の下の肌に包帯が巻かれているのが見えた。
──なんてこと……。
アイリスは両手で顔を覆う。
自分は意識を失い、医務室に担ぎ込まれたのだろう。
体に巻かれた包帯から判断するに、医師や看護師にも体を見られたはずだ。それは即ち、女であることがバレたことを意味する。
カチャリと音がしてドアに目を向けると、若い女性が入ってくるところだった。
アイリスはその姿を見て目を見開く。見覚えがある人だったのだ。
「あなたは……、カトリーンさん?」
ハイランダ帝国ではまず見かけることがない波打つ金色の髪に花のようなピンクの瞳。それは、アイリスがよくディーンのための薬を買い求めにいっている薬店の薬師だった。
「改めてこんにちは。私、宮廷薬師もやっているの。傷の具合を見せてくださいね」
目の前の薬師──カトリーンはアイリスの元まで歩み寄ると、包帯を解いてゆく。そして、傷口を確認してふむと頷いた。
「だいぶよくなってきているわ。手や指は動く?」
「動きます」
ざっくりと切れたように感じたが、驚いたことに傷口は殆ど塞がりかけていた。相変わらず、この人が作る薬は抜群に効き目がいい。
「そう。よかった」
ホッと息を吐いたカトリーンが、新しいガーゼを宛がってまた包帯を巻いてゆく。続いて胸部や足も同じように観察してゆき、最後に「ごゆっくり」と微笑んで部屋を出た。
その数分後、再びカチャリと音がした。カトリーンが何か言い忘れでもしたのかと思ってそちらを見たアイリスは、そこに現れた人物を目にした途端、表情を強ばらせた。
「閣下……」
ドアの前には、レオナルドがいた。
レオナルドはアイリスの顔をチラリと見ると、後ろ手でドアを閉じる。カチャンという音が、シンとした部屋に響き渡る。
カツカツとアイリスのいるベッドに歩み寄ると、アイリスを見下ろした。
「加減はどうだ?」
「だいぶよくなりました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。助けて頂き、ありがとうございます」
アイリスはベッドの上で、ぺこりと頭を下げる。
「団員が怪我をしていれば助けるのは当然だ。加減がよいなら、よかった」
「あの……、カインは?」
「隣の部屋にいる」
レオナルドはそれだけ言うと、アイリスのベッドの前にある椅子にドサリと座る。
「ひとつ確認させてくれ。あのとき、なぜ事前の作戦通りに動かなかった?」
「……? 直前に、作戦変更の知らせを受け取ったのでその通りに動きました」
「なんだと?」
レオナルドは表情を険しくして、アイリスを見つめる。
「作戦変更の知らせは誰から受け取った?」
「第一師団のセリアンです」
アイリスは昨日に起こったことを一通りレオナルドに説明した。レオナルドは眉間に皺を寄せたまま、考え込むように額に手を当てる。
「話はわかった。では、最後にひとつ聞こう」
レオナルドは茶色い瞳で射貫くようにアイリスを見つめる。
「なぜ男の姿で騎士団に入った? ディーン。いや、アイリス嬢と呼んだほうがいいか?」
アイリスはひゅっと息を呑む。
医務室に運び込まれたのだから、多くの人に体を見られた可能性は予想していた。
団長であるこの人に、真実が伝わらないはずがないのだ。
アイリスは唇を噛み、ぎゅっと手を握りしめる。
──ああ、終わったのだわ。何もかも……。
天を仰いだが、状況は変わらない。頬を一筋の涙が伝う。
「全ての責任は私にございます。甘んじて罰は受け入れましょう」
ディーンである必要がなくなったアイリスは、静かにそう告げた。
どんな罰であろうと、受け入れる覚悟はできている。
自分はどうなろうと構わない。
けれど、ディーンにコスタ家当主の座を残してあげられなかったことが、そして何よりも、今まで親身になって自分を指導してきてくれた目の前の人に裏切りの事実を知られたのだということが胸に突き刺さり、心は張り裂けそうだった。




