8.事件(2)
ガラン、ゴロン、と鐘の音が鳴り響く。
──まずいっ!
すぐに、仲間を呼ぶための合図だとわかったが、ここで逃げ出すわけにもいかない。背後からドタバタと複数の足音が聞こえてきた。
「何事だ!」
勢いよくドアが開け放たれ、見張りと思しき大男達がなだれ込む。
「我々は皇都騎士団です。違法薬物の制作と所持の疑いで連行します」
アイリスの声に、男は拍子抜けしたような顔をしてにやりと笑った。
「なんだ。非常時の鐘が鳴ったから何事かと思ったら、一人はガキじゃねえか。やっちまいな」
顎をしゃくるような合図に、後ろに控えていた大男が剣を抜く。
アイリスとカインも咄嗟に剣を構えた。
足に力を入れて一気に攻撃にかかる。こちらが二人に対して相手は見張り役の大男六人と武器を持たない作業員の男が四人。十対二とかなりきついが、少しの時間を稼ぐくらいならなんとかなるだろう。
しかし、予想に反して雇われの大男達は剣が立った。もしかすると、流れの傭兵でもしていたのかもしれない。さらに、いつまで経っても応援は来なかった。
「くそっ、まだか」
カインが苦しげに叫ぶ。
アイリスも必死に、剣を受け流した。
──なぜ、誰も突入してこないの?
さすがにこの人数の剣に覚えがある者を二人で相手にするのは無理だった。
それでも二人をなんとか気絶させたアイリスの腹部に、ガツンと大きな衝撃が走る。
「ぐっ!」
胃がせり上がるような強烈な痛みを感じた。体が吹き飛び、石の壁に叩きつけられる。
「ディーン! 大丈夫か!」
「問題ありません!」
気を失いそうな痛みだが、普段からさんざんレオナルドに吹き飛ばされているアイリスはぐっと歯を噛みしめて立ち上がると剣を握る。しかし、容赦なく襲ってくる剣を今度は脇腹に受けた。
咄嗟に自分の剣を滑り込ませて直撃を避けたが、鋭い痛みが走りバキッとあばら骨が折れる嫌な音がした。
ガシンと地面に叩きつけられる。
「ディーン!」
カインが叫ぶ。
──こんなところで、死ねないわ。ディーンが待っているもの。
アイリスは霞みそうな目をしっかりと開き、なんとか握っていた剣を支えに再度立ち上がる。そして、目の前の男の顔面に回し蹴りを入れた。男が背後に倒れ、気を失う。
作業員の一人が「ひっ!」と悲鳴を上げて逃げてゆくのが見えた。
「あと四人……」
息が切れる。
相手の剣をまともに受けたのかカインの悲鳴が聞こえたが、自分のことに必死で加勢する余裕はなかった。いつの間に切ったのか、目の上から滴り落ちる血のせいで視界がよく見えない。
ドタドタと階段を駆け下りてくる足音がまた聞こえてくる。
「皇都騎士団だ! 床に伏せろ!」
大きな怒声が聞こえてきて、助かったのだと悟った。一斉に皇都騎士団の団員がなだれ込んできて、密売人の一味を拘束してゆく。
「ディーン、カイン! 誰か、二人を運べ。医務室に──」
師団長の焦るような声が聞こえた。
「私は大丈夫です。それより、カインを」
アイリスは意識が朦朧とする中、必死に立ち続け首を横に振る。
「ばかを言うな! お前も行くんだ。こんな血塗れで!」
血塗れと聞いて自分の姿を見下ろすと、足下に水たまりのように血が滴り落ちていた。必死すぎて気が付いていなかったが、どこか負傷していたらしい。全身が痛かった。
──血が足りないわ……。
カランッと手から剣が滑り落ちる。支えを失った体は、地面へと崩れ落ちる。
「私は大丈夫です。医務室には行かない……」
アイリスはうわごとのように繰り返す。医務室に行けば、これまでの苦労が全てが水の泡だ。絶対に行けない。
ぐいっと力強く体を支えられて見上げると、今回の作戦の総指揮官であるレオナルドが眉を寄せて至近距離からこちらを見下ろしている。
「閣下……」
「医務室へ行くぞ」
「私は大丈夫です」
「自力で立てない奴を大丈夫とは言わない。足手まといだ」
レオナルドは吐き捨てるように言うと、アイリスの体を抱き上げた。
──嫌だ……。
逃れようとしたけれど、もはや手に力が入らない。自分を支える力強い腕に、酷く安心した。
「よく耐えたな」
囁くような声が頭上から落ちてくる。
それがアイリスの、その日の最後の記憶だった。




