7.噂(3)
カールの仕事は早かった。
依頼した一週間後にはコスタ子爵家に関するありとあらゆる情報を調べ上げ、レオナルドの元へと持ってきた。
レオナルドはその報告書を読みながら、額に手を当てる。
「ディーン=コスタは病に伏せっているということで間違いないんだな?」
「俺も信じられなくて再調査したが、間違いない。ディーン=コスタはコスタ領にいる」
「では、あのディーンは……」
「間違いなく、姉のアイリス=コスタだろうね」
カールから渡された報告書には、ディーンが別人であることはほぼ間違いないという事実がつらつらと書かれていた。
コスタ家の本当の嫡男であるディーン=コスタは十六歳になる少し前に突如体調を崩し、その後ベッドから起き上がるのもままならない状態になったという。
後見人を名乗る叔父は財産を食い潰すだけで碌なことはしておらず、姉のアイリスが仕送りをしてなんとか食いつないでいることも記載されていた。
さらには、レオナルドが初めてアイリスと出会った日にいた元婚約者の近況まで詳細に調べ上げられた力作だ。
「この叔父のシレック=コスタって奴が碌でもなくてさ、両親が亡くなった後はコスタ家の後見人を名乗ってやりたい放題だったみたいだよ。かなり派手に金品を使って、偉そうに振る舞っていることが確認されている。恐らく、遺産だろうね」
「そんなにたくさんの遺産があるのか?」
「まさか。もう、殆ど残っていないはずだ。現に、今も残る使用人は殆ど無給で働いていたようだからね。アイリス=コスタも外に出るときはいつも流行遅れの古いドレスを着ていたという証言がある」
「古いドレス……」
レオナルドはあまり女性の衣装に興味を持たないので何も思わなかったが、言われてみれば確かに舞踏会で会ったときも古びたドレスを着ていたような気がしなくもない。
「挙げ句の果てに、この元婚約者も不誠実な男だったみたいだね。アイリス嬢と婚約破棄した後に別の男爵令嬢と結婚しているけど、そろそろ出産だ」
「そろそろ出産?」
「まあ、そういうことだろうね」
カールは肩を竦めてみせる。
レオナルドの記憶では、あの舞踏会の日、アイリスは元婚約者の男と婚約破棄の話をしていたように思う。それから妊娠したのでは時期が合わない。
と言うことは、婚約中に別の恋人を作り、アイリスを捨てたということなのだろう。
「なんか調べてて、やるせない気分になったよ」
カールははあっと息を吐く。
「十七歳の子爵令嬢っていったら、普通は綺麗なドレスを着て友人達とお茶でも飲んで楽しく過ごしている時期なのに──」
──頼る人がいなくて、こうするしかなかったんだろうね。
カールの小さな呟きは、部屋の中で溶けて消える。
そして、険しい表情のまま書類を見つめていたレオナルドに視線を向けた。
「彼女、どうするの?」
「経歴詐称の場合、除名だ」
「経歴は合っているんだけどね。唯一違うのが、名前だ」
皇都騎士団ではそもそも男しか入団してくることを想定していなかったため、性別の申告欄がなかった。
アイリスとディーンは双子であるため誕生日も住所も経歴も同じ。
コスタ家の人間であることも間違いない。唯一違っていたのが、名前だった。
「まあ、ここの人事権はお前にあるから任せるよ」
カールは後ろに倒れて椅子にもたれ掛かると、アッシュブラウンの髪を掻き上げて困ったような表情をした。
◇ ◇ ◇
翌朝、レオナルドが訓練場で剣を振るっていると、アイリスはいつもよりも少し早めにやって来た。
「閣下、おはようございます!」
明るい呼び声がした。到底男とは思えない、高い声だ。
「ああ、おはよう。……ディーン」
レオナルドは手を止めて、アイリスを見つめた。
黒い騎士服をびしっと着込んでいるが、体の線の細さは隠しきれない。
「今日は早いのだな?」
「はい。昨日は雨で訓練できなかったから、今日は昨日の分までやろうと思います」
アイリスはそう言うと、下ろしていた髪を組紐でひとつに結ぶ。そして、一部の髪がほつれ落ちたことに気付くと、それを摘まみ上げた。
レオナルドはその様子をじっと観察した。
──どおりで華奢なわけだ。
男にしては不自然なまでに細い手足は、女性と思えば違和感がなかった。
ふとアイリスがこちらへと視線を向けて首を傾げる。
「閣下、どうかされましたか?」
「……いや、なんでもない」
じっと見過ぎて不審に思われてしまったようだ。
アイリスは不思議そうな顔をしたが、すぐににこりと笑った。
「髪が伸びてきたので、切ろうかと思いまして」
「そのままでいいのではないか?」
レオナルドは首を横に振る。
貴族令嬢にとって、長く美しい髪はとても大切なものだと聞いたことがある。女心はあまり理解できないが、アイリスにとってもそれは同じではないかと思ったのだ。
「結んでいれば邪魔にならないだろう」
アイリスは目を瞬いてから、摘まんでいた一房の髪を見つめる。
「では、そうすることにします」
素直に従ったその様子から、本当は髪を切りたくないのだと言うことは予想がついた。
いつものように剣の相手をしてやるが、どうにも調子が狂う。
男だと思っていたから多少無理させても平気だと思っていたが、女だとわかるとどれ位の加減でやればいいのか迷った。
アイリスはレオナルドの気分など露ほどにも知らず、いつも通り全力で向かってくる。
打ち付けられた剣をなぎ倒すときに、普段より少し力を抜いた。すると、今日はふき飛ばされなかったアイリスは回転を利用して鋭い回し蹴りを繰り出してきた。
レオナルドは咄嗟にその足を上腕で受け止め、払い倒す。今度こそアイリスは後ろにはじけ飛んだ。
「大丈夫か!?」
後ろに倒れて背を打ったアイリスは悔しそうに唇を引き結ぶ。レオナルドはやり過ぎたかと動揺したが、アイリスは慣れた様子ですぐに立ち上がった。
「お前は強いな」
レオナルドはしみじみと告げる。
こんなに細い体で貴族令嬢が単身騎士団に乗り込んでくるなど、常識では考えられない。
ましてや、そこで男に混じって騎士としてなんとかやっていっているのだから驚きだ。
「以前よりも強くなりましたか?」
剣のことを褒められたと思ったアイリスは、くしゃりと表情を崩す。
そして、花が咲いたかのように嬉しそうにはにかんだ。




