1.わけあり令嬢の事情(2)
◇ ◇ ◇
アイリスはハイランダ帝国の片田舎に居を構える、コスタ子爵家の長女として生を受けた。兄弟は双子の弟──ディーンの一人だけだ。
コスタ子爵家は子爵家ではあるものの、領地は猫の額ほどしかない。元々はただの騎士爵だったのが、何人かの先祖が戦争で高い功績を挙げたとして徐々に爵位を上げ、今の地位になったからだ。
お父様はコスタ家の男らしい大柄で屈強な男性で、普段は皇都にいて近衛騎士団長として働いていた。いつも厳しい表情をして眉間に皺を寄せており、娘のアイリスですらあまり笑顔を見たことはない。
逆にお母様は明るく朗らかな人で、いつも笑顔だった。
アイリスはこの二人を足して二で割ったらちょうどいいのに、と本気で思っていたほどだ。
「姉上、勝負をしましょう」
「望むところよ」
その知らせが来たのは、いつものようにディーンと剣の手合わせをしているときだった。
幼い頃のアイリスの遊びと言えば、弟のディーンとの剣の手合わせが殆どだった。コスタ子爵家の将来の当主であるディーンは幼少期から厳しく剣の訓練を受けており、アイリスは一人で待っているのも暇だったのでいつも一緒に剣の指導を受けていた。
暇というのは実は方便で、本音を言えば一応自分のほうが姉なのだから、弟に剣で負けるのが面白くなかったというのもある。
「お母様、今日も僕が勝ったよ」
「もう、ディーン! そんなことは報告しなくてよくってよ!」
模擬剣を握りしめながら笑顔でお母様に走り寄る弟のディーンを、アイリスはむくれ顔で追いかける。
しかし、いつもならくすくすと笑いながらアイリス達を見守っているお母様に笑顔がないことに気づき、足を止めた。
お母様は立ち止まると、少し屈んでアイリス達と目を合わせる。
「よく聞きなさい。皇都でクーデター未遂が起きたの。お父様が率いる近衛騎士団は懸命に陛下達をお守りしたのだけど、人数が全然違って──」
──お父様は亡くなったのよ。
お母様の言葉は、どこか別の世界の話を聞いているかのようで現実感がなかった。
けれど、生活の変化はすぐにやってきた。
使用人は最低限に減らされて、お母様は少し離れた場所にある商家に家庭教師として働きに出た。父は皇族を守るために殉職したとしてコスタ家には国から多額のお見舞金が支払われたらしいけれど、それでも大きな屋敷を維持し続けるのは限界があったのだろう。
しかも、アイリスとディーンはそのとき、まだ十一歳の子供だったのだから。
──不幸というものは、なぜこうも続くのだろう。
十四歳になったとき、家庭教師先へ行くために母が乗った馬車が脱輪し、転倒事故をおこした。打ち所が悪かった母は、医師の懸命な処置に拘わらず帰らぬ人となった。
大きな屋敷にアイリスとディーンの二人きり。
残ってくれたのは、代々コスタ子爵家に仕える僅かな使用人だけだった。
そんなある日、その男は現れた。
部屋でディーンと二人、本を読みながら自主学習をしていると僅かに怒鳴るような声が聞こえたのだ。恐る恐る階下へと降りると、家令のリチャードと知らない男の人が向き合っていた。
「誰?」
ディーンと寄り添ってそちらを窺い見るアイリスに気付いた男は、途端に表情を和らげる。
「やあ、会いたかったよ、可愛い子供達。わたしは君達の叔父のシレックだよ。君達のお父さんの弟だ」
リチャードに何かを怒鳴っていたその人──シレックは、アイリスとディーンを見るとにこやかに笑って両手を広げた。
父の弟と聞いても、ぴんとこなかった。焦げ茶の髪と瞳は確かに父と同じだったけれど、それ以外はちっとも似ていなかったから。
引き締まった体躯で凜々しかった父に対し、シレックのお腹は妊婦のように突き出ていて、中には何が入っているのだろうと不思議に思ったほどだ。
「二人きりでは大変だろう? 叔父さんが来たからにはもう大丈夫だよ。これからは後見人として助けるから、安心するといい」
後見人がどういうものかはよく知らないけれど、どうやら両親が亡くなって仮のコスタ子爵となっているディーンを補佐する立場なのだということはわかった。
──叔父さんがいてくれるなら、もう大丈夫よね?
不安そうにシレックを見つめる弟の手を、アイリスは安心させるようにぎゅっと握りしめた。
◇ ◇ ◇
──それなのに、これはどういうことなの?
アイリスは手元の書類を見て、はあっと息を吐く。
コスタ子爵家の財政状況を示す帳簿には、多額の支出を示す数字が並んでいた。挟まっている請求書の明細には、高級紳士服にドレス、貴金属、酒、……。
どれもアイリスには覚えのないものだ。
きっと、屋敷の誰に聞いても覚えなどないだろう。
「お嬢様。シレック様がお越しです」
今も屋敷に残る数少ない使用人の一人、レイラが部屋の扉から顔を覗かせる。アイリスは持っていた帳簿をテーブルの上に置いた。
「ちょうどよかったわ。私も、叔父様に聞きたいことがあったの」
すっくと立ち上がると、叔父のシレックが待つ応接間へと向かった。
アイリスが応接間の前に到着したとき、シレックは執事のリチャードに不満を述べているところだった。