7.噂
これまでの人生で、これほどまでの屈辱を受けたことがあっただろうか。
剣技大会を終えたジェフリーは私室に戻ると乱暴にドアを閉める。バタンと激しい音がした。
それでも気は治まらずにギリッと奥歯を噛みしめると、机の上に置かれた書類を乱暴になぎ倒した。
「くそっ! ディーン=コスタ!」
入団に先立ち、兄達から自分以外にも名門騎士家系の出身者がいると聞き、すぐにライバル心を燃やした。
騎士団の中の出世は暗黙の了解で名門騎士家系出身者が優遇される。現に、ジェフリーの兄達は若くして師団長や副師団長を務めていた。
そして、自分とその地位を争うとすればその相手はディーン=コスタに他ならない。
しかし、実際に会ったディーンは予想に反し、女のようにひょろひょろとした男だった。配属先も外れと言われる第五師団。
──こいつじゃ、俺の相手にはならないな。
すぐに優越感に満たされ、早朝練習をしても平均レベルの技量しかないディーンのことを心の中でバカにしていた。
ところがだ。
そう油断したのも束の間、ディーンは第五師団の中でめざましい活躍を遂げて、その評判はジェフリーがいる第一師団まで聞こえてくるほどだった。
あの女のような見た目は、町を守るにおいてはかえって有利だった。近寄りがたい雰囲気の皇都騎士団の団員の中では一際物腰が柔らかく見えるので、市民から親しみを持たれやすいようだ。
「俺が一番だ。あんな奴に、負けるはずがない!」
ジェフリーは拳をダンッと机に撃ち付ける。
血走った目でその手元を見ると、机の上に一通の封筒が置かれていた。
今日届いたものだ。差出人を確認してから乱暴にその封を切ると、中をざっと確認する。
「なんだと……」
ジェフリーはその便箋の文字を追い、呆然と独りごちる。
『ディーン=コスタは一年以上にも亘る病で起きることもままならない。姉のアイリス=コスタは働くために皇都に出てきているが、どの屋敷に務めているのか足取りは掴めていない──』
ディーンの弱みを掴もうとコスタ家ゆかりのものに金を掴ませて調べた調査書には、そう書かれていた。
ジェフリーは何度もその文面を目でなぞる。
「ディーン=コスタが病弱で、起き上がることすらままならないだと?」
では、自分の目の前に現れたあのディーンは一体誰だ?
もう一度文面をなぞり、ひとつの可能性に行き当たった。
「もしかして……」
これが当たっていたとすれば、コスタ家はとんでもない秘密を抱えていることになる。
ディーンに一矢報いるのも間違いないと、ジェフリーは一人ほくそ笑んだ。
◇ ◇ ◇
執務室で書類を確認していると、ノックの音が聞こえグレイルが入室してきた。
レオナルドは入り口をチラリと確認し、また書類へと視線を移す。グレイルの持っている書類の束を見て気が滅入るのを感じた。
元来軍人のレオナルドは訓練をしているほうが性に合う。しかし、ハイランダ帝国副将軍兼皇都騎士団の団長ともなると、そうも言っていられないのが現実だった。
「先月の皇都犯罪月報をお持ちしました」
「ああ、助かる。特に変わった点は?」
レオナルドは書類から顔を上げ、グレイルの報告を待つ。
「確認された犯罪件数は例月と横ばいです。一番多いのが窃盗、次が暴行、詐欺……。あとは、以前から問題になっている不正薬物の押収が続いています」
「そうか……」
不正薬物とは、ハイランダ帝国で使用が禁止されている薬物のことだ。幻覚・幻聴作用があるものや、徐々に人の体を蝕み死に至らせるような毒薬が含まれる。
ここ一年ほどそれらが押収されることが増えており、皇都騎士団では取り締まりを強化していた。
「押収したものは、宮廷薬師に届けたか?」
「はい。すでに分析を依頼しております」
グレイルはすぐに頷く。
宮廷薬師は国に仕える薬師の総称で、皇帝のための薬の処方はもちろんのこと、何か薬に関する問題が発生した際に調査・分析・研究に当たる役目を負っている。
「押収してもすぐに出回ると言うことは、どこかにこちらが把握していない製造施設があるはずだ。引き続き調査しろ」
「かしこまりました」
グレイルは心得たと一礼する。
「他に気になることは?」
レオナルドは犯罪月報を執務机の脇に置き、グレイルに確認する。グレイルは考えるように視線を宙に漂わせ、レオナルドを見つめた。
「最近、おかしな噂が若手の騎士団員を中心に広まっています」
「おかしな噂というと?」
「ディーン=コスタは女であると」
レオナルドは額に手を当て、眉間に皺を寄せる。
ディーンのことは、レオナルドも初めて出会ったときに女だと勘違いした。そういう噂が立っても不思議でないほど、女性的な男なのだ。
「男ばかりの集団にいて、思考がおかしくなっているな。公開訓練から令嬢を閉め出したのがまずかったか……」
「いえ。そうではなく、ディーン=コスタは病弱で、長年ベッドから起き上がれるのもやっとの状態だと」
「ばかばかしい。入団のときにコスタ家の証明はあったのだろう? なら、あのディーンは何者だというんだ?」
「姉ではないかと」
「ディーンは国中の精鋭が集められた皇都騎士団においても遜色ない剣技だ。あんな剣捌きの貴族令嬢がいると思うか?」
グレイルは答えることなく、肩を竦めて両肘を折り、手のひらを上に上げるポーズをした。




