6.剣技大会(2)
「くっ!」
アイリスは奥歯をぐっと噛みしめて手に力を込めた。
普段から偉そうな口を利いているだけあり、打ち込まれた剣は想像以上に重い。しかし、重さで言うならば、ペアを組んでいるカインのほうが上のように感じた。
それに、毎日のようにレオナルドに剣の相手をしてもらっているせいか、その太刀筋はひどく無駄が多いように感じた。
腕力に差があるため、まともに打ち合っては分が悪い。
そう判断したアイリスは次々に繰り出される攻撃を受け流しながら後ろに下がる。
ジェフリーが完全に押している状況に、周囲から双方の応援の歓声が上がった。
「手足も出ずに追い込まれるなんて情けないなっ」
せせら笑うようにジェフリーがそう言った瞬間、隙が生まれた。
──いける!
アイリスは手に握った剣を、流れるようにジェフリーの腹に打ち込んだ。レオナルドに教えられたように、一切そちらを見ず、最短の動きで剣を移動させる。
「ぐはっ!」
模擬剣、かつ防具を身につけているとはいえ、まともに剣を食らったジェフリーは痛みに顔を顰めて体をよろめかせる。
次の瞬間、「勝負あり、止め。勝者、ディーン=コスタ!」と審判の声が響いた。
◇ ◇ ◇
結局、剣技大会の優勝者は第一師団の入団五年目の騎士だった。アイリスはと言うと、第三試合で第二師団のベテラン騎士に当たってしまい、かなりの実力差で敗退した。
表彰式が終わると、参加した面々はお互いの健闘を称え、自分達への部屋へと戻る。
アイリスもすぐに自室に戻ろうと踵を返した。
汗をかいたせいで服がまとわりついて気持ちが悪いし、全力でぶつかり合ったせいで、既に手には力が入らなくなっていた。早く風呂に入ってすっきりしたい。
「おいっ!」
足早に歩いていると背後から呼び掛けられて、アイリスは立ち止まった。振り返ると、不機嫌そうなジェフリーがこちらを睨み付けている。
「私に何か?」
「お前、いい気になるな」
「言っている意味がわかりません」
「今日の試合だ! 俺はお前が腕を怪我したって聞いて、手加減してやっただけだ」
「なんだって?」
アイリスはジェフリーを睨み付ける。
絶対にジェフリーは本気を出していたはずだ。それなのに、なんて言い草だ。
「嘘をつけ! 本気だったはずだ」
「はっ! 誰がお前みたいな、女みたいにひょろひょろしてる奴に本気なんか出すか。窃盗犯相手に剣も抜けずにへましたくせに」
ジェフリーはいつものように小馬鹿にしたように笑う。
あまりの物言いに、頭に血が上るのを感じる。アイリスに負けたということを正当化して自尊心を守ろうとしていることは明らかだ。
アイリスが言い返そうとしたとき、トンと肩に手が置かれた。振り返ったアイリスとジェフリーが、同時に目を見開く。
「レオナルド閣下!」
そこには、レオナルドがいた。
澄ました表情のレオナルドは、アイリスとジェフリーの顔を交互に見比べる。
「今たまたま通りかかったところで少し話が聞こえたが、ジェフリーはディーンに手加減をして負けたのか?」
静かに問いかけられ、ジェフリーはピンと背筋を伸ばした。
「そうです。本気を出せば、負けるはずがありませんでした」
「なるほど。怪我をした仲間を思いやるのはよい心がけだ」
レオナルドは小さく頷く。
ジェフリーは勝ち誇ったように表情を緩め、アイリスは悔しさに俯く。
「しかし、ときと場合を考えるべきだな。我々がしていたのは剣技大会であり、真剣勝負の場所だった。そのような場面に、個人の事情を持ち込んだ意図はなんだ?」
「それは……」
次いで聞かれた問いに、ジェフリーは言葉に詰まる。
「真面目にやらない奴は、皇都騎士団には不要だ。以後、肝に銘じておけ。それと、ディーンが任務中に剣を抜かなかったのは、そこで剣で応戦すればすぐ近くにいた市民を傷つける可能性があったからだ」
ジェフリーが顔を歪め、一礼するとその場を立ち去る。その後ろ姿を見送ったレオナルドはため息を吐き、アイリスのほうを振り返った。
「気にするな。改善すべき点は多いが、なかなかよい試合だった」
ポンと肩に手を置かれる。
「お前は確かに線が細く、力が弱い。だが、俊敏性に関してはむしろ騎士団でもトップレベルだし、誰よりも努力している。もっと自信を持つとよい」
「……はい」
アイリスの返事を聞くと、レオナルドは小さく頷き、アイリスの脇をすり抜けてゆく。カツカツとブーツの靴底が床に当たる音が遠ざかっていった。
──レオナルド様、私が怪我をした理由に気が付いていたんだ……。
アイリスは怪我をした右腕を、左手で摩る。
ほんの些細なことだけれど、同じ第五師団の先輩騎士達も気付いていないことをレオナルドは状況を知っただけで理解してくれていた。そのことが、とても嬉しかった。
アイリスは自分の胸に手を置く。
憧れが、自分の中で段々と違うものへと変わっていくのを感じる。
──困ったわ。
レオナルドは皇都騎士団の団長であり、アイリスのことを恩師の息子である『ディーン』だと思い、上司として指導している。
それなのに、叶うことならば『アイリス』としても見てほしいと思う自分がいる。
──バカね。そんなこと、叶うはずないのに……。
女としての人生は、髪と一緒に切り捨てたのだ。たとえディーンが元気になって自分が女に戻る日が来ようとも、入れ替えに気付かれないためにもアイリスは姿を消すべきだ。
アイリスは自嘲気味に笑うと、小さく首を振った。




