6.剣技大会
アイリスは事件当日こそ熱を出したが、その熱もすぐに下がって元気になった。
女だてらに騎士として生活しているので、体力はあるのだ。右腕の傷口もカインに処置してもらったおかげであの後は傷口が開くこともなく、治ってきている。
カインに傷口の抜糸をしてもらった翌日、アイリスは久しぶりに早朝の訓練場を訪れた。
「いるかしら……」
恐る恐る入り口から中を覗くと、その人はやはり今日も一人で剣の練習をしていた。すぐにアイリスに気付いたようで、剣を振る手を止めてこちらに近付いてきた。
「暫くぶりだな」
「はい。怪我をしてしまったので暫く剣の練習はお休みしていたのですが、だいぶ治ってきたのでそろそろ再開しようかと」
「怪我?」
レオナルドが怪訝な顔で首を横に傾げる。
レオナルドには宮殿を拠点とする者だけでも何百人もの部下がいる。アイリスのような新人の怪我までは把握していないのだろう。
「はい。町で窃盗犯を追跡しているときに、逆上していた相手に右腕を切りつけられました」
「剣を持っていなかったのか?」
「持ってはいたのですが──」
アイリスは言い淀む。
実はあの日、先輩騎士からも同じ質問をされた。
なぜ剣で応戦しなかったのかと。アイリスが説明しようと口を開きかけたとき、レオナルドが先に言葉を発した。
「街中か?」
「はい」
「なるほど。怪我をしたのは右腕か?」
「え? はい」
てっきり失態だと怒られると思っていたのに、すんなりと話を流されてアイリスは戸惑った。
「では、今日は左手だけで俺の剣を相手してみろ」
「え?」
普段持つことがない左手で剣を握ると、やはり勝手が違う。
レオナルドの攻撃──恐らくかなり力を抜いてくれている──を受けた瞬間、握力が抜けて剣がぐらりと揺れた。
「おい、ふざけるな。実戦においては、ときに体の一部を負傷することもある。例えば、今のディーンでいう右手だ。そのときも、相手は手加減などしてはくれないぞ」
「え?」
アイリスは驚いてレオナルドを見つめる。レオナルドはまたこういう状態になったときに備えて、アイリスに稽古を付けてくれているのだ。
「なぜ閣下はこのようによくして下さるのですか?」
「俺がよくしていると感じているなら、しごきが足りないな」
「わわっ」
レオナルドがにやっと笑い剣のスピードがにわかに上がって、アイリスは慌ててそれを受け止めた。けれど、それはやはりアイリスが受け止められるギリギリの速さと強さに調整されていた。
三十分ほど打ち合っただろうか。
アイリスは息を切らせて額の汗を拭う。一方、涼しげな表情を一切崩さないレオナルドは自分の剣を腰の鞘にしまう。カチャンと金属が鳴る音がした。
「昔、お前の父親に俺もこうして稽古をつけて貰った」
「父に?」
「ああ。とても優秀な騎士だった」
レオナルドはどこか懐かしむように、目を細める。
近衛騎士団長だった父の剣技を、アイリスは殆ど見たことがない。
レオナルドはアイリスも含めて、全ての団員にとって憧れの存在だ。父がこの人の稽古をつけたというのは、不思議な感覚がした。
レオナルドは、ちらりとアイリスの右腕を見る。
「その傷、剣技大会までには治せよ」
剣技大会とは、年に一回開催される、皇都騎士団の全員が参加する剣技の大会だ。
トーナメント形式になっており、ここで優秀な成績を修めると各師団長の覚えもめでたくなり、出世の道も開ける。
「はい」
アイリスがしっかりと頷くと、レオナルドは「期待しておこう」と言い、ほんの少しだけ口の端を上げた。
◇ ◇ ◇
剣技大会当日、見上げれば雲ひとつない蒼穹が広がっていた。
故郷のコスタ領でも、涼しい季節になるとよくこんな空が広がっていたことを思い出す。
アイリスは闘技場の観覧席に腰を下ろすと、剣を立てるように柄を握り、そこに額を当てた。
──ディーン、あなたの不利益にならないように、頑張るわ。
剣術大会の結果は出世に大きく影響する。
ディーンのためにも、一回戦で無様に負けるわけにはいかない。
わあっと歓声が聞こえ、アイリスは闘技場の中心に目を向ける。今ちょうど勝負が付いたようで、倒れた騎士が悔しそうに顔を歪ませている。
「ディーン、そろそろ控え室に行ったほうがいいんじゃないか?」
少し前に試合を終えて戻ってきたカインが、まだアイリスが観覧席にいることに気付き声をかけてきた。
「ええ、わかっています。カイン、第一対戦突破おめでとう」
アイリスがカインに祝辞を送ると、カインは照れくさそうに笑う。
アイリスは剣を握ると、席を立ち上がった。
控え室に向かうと、アイリスの対戦相手、ジェフリーは既に準備ができた状態で待っていた。
「チビって逃げ出したかと思ったぜ」
目が合うや否や小馬鹿にしたように鼻で笑われて、アイリスはちょっとムッとした。
トーナメント戦の相手は各師団長が引いたくじ引きで決まる。アイリスの相手がジェフリーなのは、完全な偶然だ。
ジェフリーは同じ騎士家系出身であるアイリスにライバル心を持っているのか、なにかと突っかかってくる。
「あなたにだけは、絶対に負けません」
「へえ? 第五師団の落ちこぼれのくせに」
アイリスはぐっと言葉に詰まる。
先日負った怪我のせいでアイリスは何日もうまく剣を扱えず訓練を見学した。そのせいで『落ちこぼれ』と陰で言われているのは知っていた。
前の試合が終わり、闘技場のほうから歓声が響く。
剣技大会の勝負は頸、腹に一撃を食らうこと、もしくはどちらかが負けを認めるか、審判が試合終了と判断すると勝負が決する。
制限時間は三分で、その間に勝負が決まらないと審判の判定により勝負が決まる。
アイリスは闘技場の中央に立つと、しっかりと相手を睨み付けた。
「始め!」
審判の合図で、アイリスはすぐに攻撃に移ろうと剣を抜いた。しかし、一瞬早くジェフリーが動く。
──カキン!
剣を受け止める、高い金属音が鳴る。




