5.大怪我(2)
「医務室に行こう」
「何をっ! 傷の手当ては済んだ。全て掠り傷です」
「嘘をつけ! これで掠り傷のわけがないだろうっ!!」
ぐいっと腕を引かれ、アイリスは息を呑んだ。白いはずのシャツが血塗れだ。
きっと、包帯が緩んでまた傷口が開いたのだ。
「離せ。必要ありません」
「必要ないわけないだろう! 医者嫌いもいい加減にしろ!」
壁を殴るドンっという音がして、カインが不機嫌そうに目を眇めた。掴まれている右手を引いたが、全く動かなかった。カインの方が力が強い上に、傷が痛んで力が入らないのだ。
「今日こそは絶対に医務室に連れて行く」
「いやです」
「断る。怪我をした奴とペアを組まされたんじゃ、こっちがいい迷惑だ」
吐き捨てるようにそう言ったカインは、アイリスの手首を引く。
「やめて」
カインは答えず、振り返ろうともしない。
自分が女だとばれたら、これまでの苦労全てがお終いだ。弟のディーンが回復するまで、まだ女に戻るわけにはいかない。
「お願い。やめて……」
懇願にも近い泣き声にようやく振り向いたカインは、アイリスの顔を見てギョッとした顔をした。
「お前、なんで泣いてるんだよ。そんなに医者が嫌いなのか?」
「医者は嫌いです。でも、泣いてなどいません」
「嘘つけ。目に涙溜まってるし、鼻声になってる」
はあっとため息をついたカインは、アイリスを見下ろす。
「じゃあ、せめて傷口を見せろ。これはどう見ても掠り傷じゃない」
「…………。わかりました」
これ以上はぐらかすのは無理だ。
部屋で腕を見せるだけならばれないだろうとアイリスは腹を括った。
ランプに照らされた少し薄暗い室内で傷口を見せると、カインの眉間の皺は更に深いものに変わる。
「なにか掠り傷だよ。ざっくり切れてるじゃねーか。平気な顔をしてられるのが不思議なくらいだ」
アイリスは無言で俯いた。
「やっぱり医者に診せた方が──」
「駄目っ!」
カインの言葉を、アイリスは咄嗟に否定する。医者だけは絶対に駄目だ。
「なんでだよ。それに、胸の辺りもこんなに広範囲に包帯を巻くなんて──」
そこまで言いかけて、カインは何かに気付いたようにハッと言葉を止めた。きつく巻いても限度がある。あるはずのないアイリスの胸の膨らみに気付いたのかもしれないと思い、アイリスはサッと顔を青ざめさせた。
「これは……」
言い訳をしようとするアイリスの傍目に、カインはすっくと立ち上がる。
「仕方がない。俺がやる。相当痛いが我慢しろ」
カインはそう言うと、部屋を出る。暫くして戻ってきたカインの手には、小さな木箱があった。蓋を開けると医薬品の独特の匂いが辺りに漂う。
「何をするんです?」
「縫うんだよ。知らないか? 傷口ってある程度おおきくなっちまうと、なかなかくっつかなくて治りにくくなるんだよ。そういうときは傷口を縫合すると治りが早くなるし、跡も綺麗になる」
田舎にいた親父が時々やってた、とカインは付け加える。
カインの実家は田舎で床屋をしていると言っていた。田舎では十分な人数の医者がおらず、床屋や薬屋が医者の真似事をするというのはアイリスも知っている。
カインは針をアルコールランプで炙ると、「痛むが我慢しろ」ともう一度アイリスに告げる。
「ぐっ」
引き攣れるような鋭い痛みに思わず声が漏れる。カインはチラリとアイリスを見たが、手を止めることはなく黙々と作業を終えた。
「終わったぞ。化膿止めを塗ったが、これだけの傷だ。今夜は熱が出るかもしれない」
「はい」
「食えるうちに飯を食って体力を付けておけ」
薬箱を部屋に戻しに行ったカインは、すぐにアイリスの部屋に戻ってきて「食堂が閉まる前に行くぞ」と声を掛けてきた。最初に着ていた白いシャツから深緑のシャツに着替えたアイリスは、カインの背中を追う。
「……。なぜ、何も言わないのですか?」
「何が? 俺はひどい医者嫌いの奴がペアになったから、できる処置をしてやっただけだ」
「見たのでしょう?」
カインは立ち止まると、背後にいたアイリスを振り返る。
「傷なら見たぜ。とんでもない強がりな野郎だと呆れた」
「…………」
「俺にとってはディーンは騎士で、俺の相棒だ。これまでも、これからもだ」
アイリスはハッと顔を上げ、カインの顔を見つめた。
カインは少しだけ困ったように眉尻を下げる。
「まあ、正直だいぶ驚いたけどさ。何か事情があるんだろ? だから俺は、今日は傷しか見なかった。それでお終いだ」
「……ありがとう」
カインはそのお礼に答えることなく、アイリスの背をバシンと一回叩く。
「さあ、食えよ。お前の腕が早く治らないと、俺が困る」
こんな憎まれ口はアイリスが気を遣わないように言っているのだろう。
──私、カインがペアでよかったわ……。
アイリスは前を歩くカインの背中を見つめ、目元をそっと拭った。




