5.大怪我
入団から半年ほどが過ぎた頃になるとアイリス達も一人前の騎士として任務にあたるようになっていた。
皇都騎士団は任務にあたる際、必ず二人組のペアを組む。そしてこの日、アイリスはペアのカインと窃盗犯の追跡をしていた。
道が細くなるにつれて、馬で追うのは難しくなる。
買い物をしようと多くの市民が行き交う繁華街、間違って市民を馬で傷つけるわけにはいかないので、思うようにスピードが出せないのだ。さらに、左右の商店からせり出した軒先にぶら下がっている商品が、視界を阻む。
「くそっ、このまま進んで小道に入るつもりだぞ」
隣で馬を操るカインが忌ま忌ましげに吐き捨てる。
通りの遙か先にいる男が細い小道に入ろうとしているのが見えた。
「小道に入られたら追えなくなる。ここで決めます」
「え? 待てよ、ディーン!」
叫ぶカインの制止を振り切り、アイリスは馬の腹を蹴る。にわかにスピードを上げた馬を、市民が慌てたように避けた。
「来るな!」
アイリスが近付いていたことに気付いた男は懐から刃物を取り出すと、騎乗したままそれを突きつける。
「止めなさい! 窃盗に傷害罪が加わりますよ」
「うるせえ、来るなって言っているだろ!」
逆上した男が刃物を大きく振ったのを見て、アイリスはチッと内心で舌打ちする。こんなところで刃物を振り回されては、一般市民が巻き添えになりかねない。
アイリスは鞍の上に足を置くと、勢いよく自身の馬から相手の馬へと飛び移った。
「うわぁぁぁ!」
錯乱状態の男──この日、帝都の宝飾店から貴金属を強奪した強盗犯はがむしゃらに刃物を持った手を振り回す。体に鋭い痛みが走るのを感じたが、アイリスはそれよりも目の前の男の拘束を優先させた。
短剣をたたき落とし、男を馬から引きずり下ろすとうつ伏せに地面に押しつけ、後ろ手を拘束する。
「ディーン! 大丈夫か!?」
ようやく追いついたカインがアイリスに駆け寄る。
「ええ。拘束しました」
「よしっ」
素早く助太刀して男を縛り上げたカインは、ホッとしたような表情を見せる。そして、アイリスに視線を向けた瞬間、大きく目を見開いた。
「ディーン、それ……」
アイリスはその視線の先を追う。濃紺色の騎士服は至る所がざっくりと切れており、その下から覗く白いシャツは深紅に濡れていた。
「ああ。どうりで痛いと思いました」
アイリスは曖昧に笑って答える。
本当に、どうりで痛いと思った。男を無事に拘束して気が抜けた途端、その痛みが体中に押し寄せる。特に、刃物を体の中心部に受けるのを避けようとして右腕上腕部に受けた傷がズキズキと痛んだ。
「どうりで、じゃねえよっ! だから待てって言ったんだ」
「大した傷ではないし、犯人は捕らえました」
「血塗れじゃねえか! 宮殿に戻ったら医務室に行こう」
「行かない。大した怪我ではありません」
アイリスは首を振る。絶対に医務室には行けない。なぜなら、医務室に行けば自分が女であると知られてしまう。そうなれば、コスタ子爵家は終わりだ。
眉を寄せたカインが何かを言いたげに口を開きかけたが、アイリスはそれを無視して自身の馬に飛び乗る。
腕に力を入れると脂汗が滲むような激痛が襲ってきたが、なんとか耐えきった。
宮殿の皇都騎士団に戻って後処理を終えると、アイリスは自室へと戻った。服を脱ぎ捨てて怪我の具合を順番に確認してゆく。
「痛っ」
浴槽内で綺麗な水で傷口を清めると、鋭い痛みが走った。ぐっと唇を食いしばり、弟のディーンへ送る薬を買うために今も定期的に通っている薬屋で購入した塗り薬を塗り込む。
ディーンの病は今も完全にはよくならない。しかし、アイリスが送った体力回復の薬を飲んだ後は数日間調子がいいと手紙に書いてあったので、今も欠かさずに薬を送っていた。
全ての箇所に薬を塗り込むと、アイリスは最後に丁寧に包帯を巻いた。
元々こんな傷の手当てなど、一度もやったことがなかった。しかし、皇都騎士団に入団して早半年、常に生傷が絶えないので必要に迫られてできるようになったのだ。
おおかた処理を終えると、アイリスは最後に一番深い右腕上腕部の傷を水ですすぐ。先ほどまでとは比べものにならない激痛が走った。傷が思った以上に深い。
「まずいわね……」
薬を塗ってもすぐにぱっくりと傷口が開き、血が染み出てくる。更に、右腕上腕部という位置的に左手だけを使って包帯を巻かねばならず、うまく巻くことができなかった。
「こんなもので平気かしら?」
暫く格闘してなんとかそれらしく包帯を巻くことができた。胸に晒しを巻き直してから白いシャツを羽織り、騎士団から支給されている懐中時計を見ると、夕食の時間をとうに過ぎていた。
「あ、ディーン。一緒に行こうぜ」
部屋を出るとすぐに背後から声を掛けられた。振り返ると、ちょうど隣の部屋からカインが出てくるところだった。
「カイン。ゆっくりですね」
「くたびれたから、先に風呂入ったんだ」
カインは屈託なく笑い、こちらに歩み寄る。確かに、短く切られた黒髪は水に濡れていた。
こちらを見つめるカインの笑顔が、不意に消える。
「ディーン。それどうしたんだ?」
「何が?」
アイリスは聞き返す。人の顔を見るやいなや『どうしたんだ?』と言われても、答えようがない。表情を強ばらせたカインはアイリスの右腕を突然掴んだ。




