4.騎士団での生活(2)
「あの不思議な生き物はなんですか?」
「あれはワイバーンだ。近衛騎士が乗っている。あとは、軍の幹部だな」
「ワイバーン。近衛騎士……」
ワイバーンなど、聞いたことがない生き物だ。
近衛騎士は、皇都騎士団とはまた別の皇帝直属の騎士団だ。
近衛騎士団長と皇都騎士団長はレオナルドが兼任しているが、組織としては全く違う。常に皇帝や皇后の側に付き従い護衛を行うため、皇都騎士団の中でも特に優秀な騎士が引き抜かれて配属されると言われている。
「皇后のリリアナ妃が、魔法の国出身なのは知っているか?」
「はい」
現皇帝ベルンハルトの妃であるリリアナ妃がここハイランダ帝国に嫁いできたのは二年近く前のことだ。当時、国中が若き皇帝の成婚の喜びに沸いた。
アイリスは一度も直接拝見したことはないが、リリアナ妃はシルバーブロンドの髪とアメジストの瞳を持つ美しい女性だという。そして、リリアナ妃は魔法の国と呼ばれるサジャール国の姫君だった。
「ワイバーンはリリアナ妃の故郷で馬の代わりによく使われる生き物だ。陛下やリリアナ妃が乗るので、皇帝夫妻の護衛をするなら乗りこなせる必要がある」
アイリスは無言で頷く。
魔法の国の生き物と聞いて、妙に納得する自分がいた。
あのような不思議な生き物の背に乗って空を飛ぶなんて、魔法としか言いようがない。
──そういえば、昔お母様が読んでくれた本にも魔法使いが出てきたな……。
両親を失った不幸な少女が、魔法使いの力で幸せになる話だった。
本当の魔法とは、どんなものなのだろう?
あの物語のようなことが本当にあったら、どんなに素敵だろう。
そんなことを考え、馬鹿げた話を、とゆるゆると首を振る。
アイリスの様子をじっと眺めていたレオナルドが、つと口を開く。
「そういえばあの日、お前は決定的なミスをしていた。なんだかわかるか?」
「あの日?」
アイリスは突然レオナルドに切り出された話がよくわからず、首を傾げた。
「入団式の日に、盗人を追いかけていたときだ」
アイリスは驚いてレオナルドを見返す。
一度会っただけだし、アイリスは今年入団したばかりの新人団員。気付かれていないと思っていたのだ。
「私だと気付いておられたのですか?」
「当たり前だろう。それで、その決定的なミスはわかるか?」
レオナルドに再度問いかけられ、アイリスはじっと考え込む。
「自らの力を過信したことでしょうか?」
「それも大きなミスだ。だが、もっと大きなミスをした」
まるで謎解きのような問いかけに、アイリスは眉尻を下げる。なにをミスしたのかがわからなかったのだ。
「お前は勝負が完全に決する前に油断した。油断しなければあのように敵にみすみす武器を持つ隙を与えることなどなかったはずだ。実戦の際、その気の緩みが命取りになる」
レオナルドはそう言うと、アイリスのことをじっと見つめる。
「……実はあの日、お前のことを姉だと勘違いした」
「姉といいますと?」
「随分とお転婆で破天荒な姉がいるだろう? 双子らしいな? 以前、舞踏会で一度だけ見かけた。お前とよく似ている」
アイリスは目を見開く。フッと笑ったレオナルドはすぐに背中を向けて歩き出した。
しかし、何かを思い出したようにこちらを振り返った。
「俺はいつもあの時間にいる」
そして、今度こそ振り返ることなく、訓練場を後にした。
◇ ◇ ◇
新人騎士同士の訓練中、鋭い打撃を剣で受け止めたアイリスは体の節々に痛みを感じて顔を顰めた。
「痛たた……」
腕や腹部が引き攣りそうになり、小さな悲鳴を漏らす。
あの日以降、アイリスはこれまでに増して朝早く訓練場に行くようにした。レオナルドは大体夜明けの一時間前にやってきて、一時間ほど剣を振るって夜が明ける前に戻るのが日課のようだ。
そして、アイリスが現れると必ず「相手をしろ」と声を掛けてくれた。つまり、この痛みは度重なる朝練習による全身筋肉痛だ。
「おい、大丈夫か?」
今さっきアイリスに強力な打撃を食らわせた本人であるカインが心配そうに手を止める。
カインはアイリスと同じく第五師団に配属されていた。
「大丈夫、ちょっとした筋肉痛です。カインは益々打撃が強くなってきましたね」
アイリスは慌てて大丈夫だと片手を振ると、今の打ち合いの感想を伝える。
「そうかな?」
「はい、そう思います」
アイリスが頷くと、カインは嬉しそうに笑って頬を指で掻く。
カインは元々騎士とは全く関係のない平民だが、どうせなら夢は高く持とうと自己流で訓練を重ね、騎士団の入団試験を受験したという。皇都から少し離れた田舎町に幼馴染みの恋人がおり、仕事に慣れてきたら皇都に彼女を呼び寄せたいとよく話してくれた。
そして、いつかは故郷を守る騎士団の幹部になりたいと夢を語っていた。
自己流で剣を扱い始めてたった数年でここまで伸びるとは、元々騎士としての素質があったのだろう。最近は大きな体を活かして益々打撃が力強くなってきた。
レオナルドに朝稽古を付けて貰って慣れているからなんとか受け止められるが、そうでなかったら体重の軽いアイリスは今頃吹き飛ばされていたかもしれない。
「ディーンは剣がぶれなくなったな。以前は力で押されてぶれることが多かったけど、最近うまく流すようになったよな」
今度はカインがアイリスのよくなったところを褒める。
「そうかな?」
褒められると悪い気はしない。アイリスは嬉しくなってはにかんだ。
「第五師団の奴らは呑気でいいよな」
後ろから呆れたような声が聞こえて振り返ると、同期のジェフリーが少し小馬鹿にするようにこちらを見ていた。ジェフリーの配属は新人の中では特に人気の高い第一師団だ。
最初こそ嫌みを言われる度にムッとしていたアイリスだったが、どうやらジェフリーは自分と同じ名門騎士家系出身であるアイリスにライバル心を燃やしているだけだとわかってからはさほど気にならなくなった。
「なんだと? おい、待てよ」
相変わらずの様子にカインが眉を寄せてジェフリーを呼び止めようとする。
「カイン、気にしないでください」
アイリスはカインを制止する。
「だが……」
「相手にするのはやめましょう。それより、訓練の続きをしませんか?」
「そうだな」
アイリスが剣を構えて見せると、カインも気を取り直したように笑って剣を構える。
これは弟のディーンが元気になるまでの仮初めの生活。
そうはわかっていても、騎士団での生活はとても楽しかった。




