第三章 生存への執着2
夕暮れ時。
トオルたちはキャンプ場から少し離れた露天風呂に来ていた。
塩のついた体を洗い流し、赤く焼けた肌を熱い湯船に沈めた。
「イタタタ……」
と痛む日焼け痕に堪え、隣の目を向ければ……長二郎が重くるしいため息をついていた。
昨日はひとりでつまらなかったこともあり、今日は気分転換をふくめ無理矢理、親友を引っ張ってきたのだが……相変わらず死んだままだった。仮にもしこれが混浴だったら、少しは元気になっていたかもしれないだろう。
「あっちは楽しそうだな……」と頭上を仰ぐトオル。
男ならば誰しも気になる女湯の存在。
だが生け垣の目隠しにより、中の様子までは分からず……時折、甲高い声を張り上げるミオと九斗の楽しげな声が男湯まで響き渡っている。うーん、子供が羨ましい。などと思っていた矢先、突然、深月の声が頭上から落ちてきた。
「痛っ! 今、何かにお尻噛まれた!」
「深月さん! 大丈夫ですかぁ?」
「う、うん……」
「いたい! いたいっ! ぼくもかまれたよ、おねえちゃん!」
「九斗! 泣いていたのでは分からん! いったい、何にどこを噛まれたのじゃ?」
「クレアちゃん、ぼく、こわいよ!」
「ミオくん、そんなに怖がらなくてもぉ大丈夫ですよぉ……きゃぁぁっ! 私も噛まれたですぅ!」
「イタっ! って、こらぁ! 何じゃ、こいつは?」
連なる女子供の悲鳴に、トオルは慌てて湯船から立ち上がった。
「どうしたの、保子莉さん! 何があったの?」
しかし激しい水音がするだけで、女湯はさらに輪をかけてパニックになっていく。
「何で、こいつがここにおるのじゃ! みんな、急いで風呂からあがれ! 湯の中におっては危険じゃ!」
響き渡る女子の悲鳴と泣きじゃくる子供たち。ただ事ではない。と長二郎を見れば何の反応も示さず、ふやけていた。
――ダメだ、これは……
トオルは無気力な親友をほっぽらかし、腰にタオルを巻きつけて男湯を飛び出した。
――僕がみんなを守らなきゃ!
いたいけな女子を守るのは男の役目。そんな使命感に煽られるようにして、急いで女湯へと続く石畳を駆け上がった。そして赤い暖簾を払いのけ、脱衣籠を跨いで女湯へと足を踏み入れた。
「どうしたの、保子莉さん!」
瞬間、湯気と共にあられもない格好の美少女と子供たちの姿が目に飛び込んできた。
「たわけ! こっちを見るでないわ!」
ベチッ! と、保子莉の投げた濡れタオルで視界がふさがれてしまった。
「トオルさまはぁ、あっち向いててくださいですぅ!」
幼女クレアに腰元を掴まれ、体を180度反転させられてしまった。もっとも見るつもりなどなかったことはクレアにも分かっていたようで、特に咎められることはなかった。
「おねえちゃん……いたいよ……いたいよ……」
「落ち着け、九斗。どれ、噛まれたところを見せてみよ」
「ここ……」
背中越しでの会話を聞く限り、泣きながら訴える九斗の容態を保子莉が診ているのだろう。そしてクレアもミオの相手をしながら深月に尋ねている。
「深月さん。具合はどうですかぁ? 傷口、痛みますですかぁ?」
「ううん。噛まれた時は痛かったけれど、今はそうでもないよ」
それでも声は震えていた。
いったい女湯で何が起きたのか。お湯の中に危険な何かがいたことは間違いない。すると間延びしたトキンの声がした。
「大丈夫よ。あの子、毒なんか持ってないし、傷もすぐに治るわよ」
――毒? あの子? 誰それ?
なんのことを言っているのか、さっぱり理解できなかった。……が、すぐにトキンの首に巻きついていた双頭蛇を思い出した。
――まさか、あの蛇に噛まれたのか!
獰猛な牙を持った双頭の宇宙蛇。だが飼い主のトキンが無毒と言うのだから、毒に犯される心配はなさそうだ。
「それは本当じゃろうな?」
声からして、きっと疑わしい眼差しをトキンに向けているに違いない。
「だって私、毎日、あの子に甘噛みされてるもの」
笑みを含んだトキンの声に、一安心するトオルだったが……
「大変ですぅ、お嬢さまぁ! 深月さんからぁ陽性反応出ましたぁ!」
そのヤバそうな結果に、トオルは反射的に振り向いた。
濡れた板張りの上、深月が片膝に端末を当てて診療するクレアと、それを見守るミオ。その一方で九斗の腕を診ている保子莉と、素っ裸でのほほんと突っ立っているトキンの姿が。その芸術絵画のような全裸光景に、トオルは振り向いた理由を忘れてしまった。
「アホ面晒して、ガッチリ見るでないわっ!」
顔面目掛けて飛んできた風呂桶を寸前のところでかわし、慌てて背中を向けた。
「いったいどうしたのさ! 何が起きたかくらい、説明してくれてもいいだろ?」
保子莉の怒声に感化され、トオルの語気もつい荒っぽくなる。
「聞いてのとおり、トキンの双頭蛇は毒持ちと言うことじゃ」
飼い主が平気な顔をして首に巻きつけていたから、てっきり人畜無害だと思っていたのだが。
――あれ? そう言えば、昨日、海で会って以来、蛇を見ていないような?
そのことを告げると、トキンが恥ずかしげもなく笑った。
「実は私もライドマシンに乗せたまま、すっかり忘れてたのよね」
つまり逃げ出したことさえ忘れ、今日まで放置していたということらしい。しかし、よりによってなんで温泉なんかに。
「きっと私と一緒で、寂しかったんでしょうね」
自分とペットの心境をダブらせて代弁する飼い主に、トオルがあきれていると、背中からさらなる悲鳴が上がった。
「深月さんっ! しっかりするですぅ!」
「九斗っ! 大丈夫か?」
「きゅうとくん、死んじゃいやだよ!」
取り乱すミオの言葉から察するに、きっと宇宙蛇に噛まれた人間が意識を失ったのだろう。しかし、そのことを直に確認したくとも全員が裸ゆえ、手を貸すことすらままならなかった。
「とりあえず、このままではどうにもならん。トオルよ! 二人を運ぶのに男手が必要じゃから着替えてこい! それと、ついでに長二郎も呼んでこい!」
「分かった! あと他に何か必要な物があれば、ついでに……」
持ってくるけど。と言いかけた瞬間、右足に何かが絡みついた。その得も言えない感触に目線を下げれば……細長い生物がニョロニョロと巻きついていた。
「へっ?!」
二つの頭を持つ蛇と目が合い、反射的に股間を隠す。同時に蛇も双頭の顎をパカッと開いてトオルの脛に噛みついた。
「痛ぁっ!」
トオルが足を上げた途端、蛇も驚いて噛みついていた顎を外す。
――クソッ! なんてことをしてくれるんだっ!
トオルは怒りと恐怖に震えたまま、蛇の尻尾を掴み上げると、ブーメランの如く垣根の向こうへとブン投げた。
「クソッ! クソッ!」
その場にしゃがみ込み、右足の脛に開けられた四つの血穴を見て震えた。そして腰に巻いていたタオルを膝上に巻き付け、人力限界まで足を縛り上げる。
――これじゃダメだ! 木の棒でもっと強く縛りあげなきゃ、体中に毒が回る
素人知識をフル回転させ、毒の恐怖から逃れようと、血眼になって棒状の物を探し求めた。……が、代用となる物が見当たらない。
――このままじゃマズいっ!
額から吹き出すのが冷や汗か、脂汗なのか。それすらも分からないでいると
「落ち着け、トオル! 興奮すれば、それだけ毒の回りも早くなるのじゃから、そのままジッとしておれ!」
「でも……」
視線を向ければ九斗を抱える保子莉の姿が。もちろん誰もが裸だったが、この状況下では喜ぶどころの話ではない。
――僕も、あの二人のように気を失うのだろうか?
そうなれば自力ではどうすることも出来ず、失神した後は保子莉たちに託すしかないだろう。が、しかし……
「あれ? そう言えば保子莉さんも噛まれたはずでは?」
すると保子莉は左腕を上げ、噛まれた傷口をペロリと舐めて踏ん反り返った。
「見ての通り、見事に傷物にされたわい」
「それで具合は?」
保子莉を気遣う声が、だらしないほど震えていた。
「どう言うわけか、今のところは問題ないようじゃ」
強がるわけでもなくケロッとしている保子莉に、トオルが首を傾げていると、端末をいじっていたクレアが言う。
「お嬢さまぁ。毒の解析が終わりましたぁ」
「それで結果は?」
「はい。簡易分析になりますがぁ、蛇の種類からしてぇ、私たちにはぁ毒として作用しないようですよぉ」
――だったら、なぜ一里塚さんや九斗は意識を失ったんだ?
「だから、さっきから毒なんか持ってないって言ってるじゃない」
不満顔を露わにするトキンに、クレアが補足する。
「ただぁ残念なことにぃ地球上の哺乳類にとってはぁ、毒みたいでしてぇアナフィラキシーショックを引き起こすみたいですぅ」
天国から一気に地獄へと突き落とされるような宣告に目眩を覚えた。
――そうだ! 蛇と言えば……
「げ、解毒剤みたいなのはないの?」
解毒剤。つまり無毒化する抗毒素を主成分とする血清製剤のことだ。
「どうなのじゃ、トキンよ?」
保子莉の問いに、トキンが呑気に首を傾げた。
「確か、ペットショップからあの子を譲り受けたときに、そんな物もあったような……」
その歯切れの悪い物言いに、保子莉が痺れを切らす。
「あるのか、無いのか、はっきりせんか!」
「うーん、たぶんあるかなー? 船に戻って探してみないことには分からないわよ」
人差し指をこめかみに当てて記憶を探るトキン。もし解毒剤が用意されているのであれば、言わずとして毒蛇決定であり、時間も限られてくる。
「とにかく、サッサと着替えて、すぐに取って参れ!」
「分かったわよ」
トキンは面倒臭そうに返事をすると、そそくさと脱衣所に上がって着替え始めた。それを見やりながら、保子莉が幼女に尋ねる。
「そろそろ毒が効いてくる頃じゃな。クレアよ、急いでトオルの容態も診てやってくれ」
幼女は返事をすると、すっ裸のままトオルの脛に端末をかざした。が……
「あれぇ? 変ですねぇ?」
小さな頭を傾げる幼女。そのハッキリしない態度に、トオルも不安になった。
「どうしたの、クレア? もしかしてかなりヤバいの?」
「いえ、そうではなくぅ、毒の効果が中和されてるみたいですよぉ」
「何じゃと? それはいったいどういうことじゃ?」
すると着替え終わったトキンが脱衣所から首を出して会話に割り込んできた。
「だから、さっきから私たち宇宙人にとって毒じゃないって言ってるじゃない」
相変わらず無害を主張するトキンに、保子莉が激怒した。
「おぬしは黙って、サッサと宇宙船から解毒剤を持ってこんかっ!」
「分かったわよ、取ってくるわよ。取ってくればいいんでしょう」
ブツブツ文句を呟きながら『魔剣ヴェルファー』をのらりくらりと担ぐトキン。その体たらくさにトオルは不安を抱かずにはいられなかった。
「じゃあ、行ってくるわね」
「人命がかかっておるのじゃから、寄り道などせんで最短距離で行くのじゃぞ!」
「はーい」と返事をして脱衣所を後にするトキン。きっと浜辺に駐めてあるライドマシンで山の駐機場へ行くのだろうが……その往復における所要時間が気になるところである。
「ここからだとぉ、片道20分くらいですからぁ、捜し物含めてぇ、たぶん小一時間くらいで戻ってこれるかとぉ思いますですよぉ」
約一時間。その間、人体に入った毒はどれほど進行するものなのだろうかと、クレアに尋ねれば
「試算解析したところによればぁ、発熱を起こすみたいですねぇ」
「そのあとは?」
「個人差はあるようですけれどもぉ……八時間以内にぃ下痢や嘔吐などの症状が表れてぇ、痙攣もしくはぁ体温が低下してぇ、おおよそ三十時間くらいでぇ完全にぃ意識がぁ混濁しますですぅ」
深刻な表情で発症経過を語る幼女の言葉にゾッとした。
「そうなると、最後はどうなるの?」
「脳に毒が浸透した場合ぃ、何らかの機能不全を起こしましてぇ、最終的にはぁ、死に至ると思いますですぅ」
その死亡宣告を知らされ、血の気が引いた。しかし、なぜ自分だけは毒を中和できたのか。するとクレアが解析結果を読み取って言う。
「どうやらぁ、『遺伝子組み換えくんDNX』の副作用がぁ良い具合にぃ働いたみたいですねぇ」
つまり幼女の作ったアメ玉が、予防接種のような働きをし、免疫効果の役割を果たしたということらしい。
「当然じゃ。何しろわらわの遺伝子が入っておるからのぉ、蛇ごときの毒にやられるはずもないわ。それよりも心配なのは深月と九斗の方じゃ」
確かに、いつまでもこのままというわけにはいかないだろう。トオルはすぐに立ち上がり、タオルを腰に巻きつけた。
「とりあえず一旦、男湯に戻って長二郎を呼んでくる。それまで保子莉さんたちは一里塚さんと九斗に服を着せといて」
「うむ。了解した。と、言うことでクレア!」
「はい、お嬢さまぁ!」
それを合図に、三人は揃って行動を起こした。