第二章 深月の過去3
「トキンおねぇちゃん! もっと、はやく! もっと、はやくして!」
「きゅうとくん! こわいから、そんなこといわないでぇ!」
「クレアよ! これはこれで楽しいのぉ!」
「まったくですぅ!」
ライドマシンに繋がれたロープの浮き輪に乗っかって、大はしゃぎする二人の子供と保子莉たち。牽引するライドマシンが跳ね上げる水しぶきを被りながら喜ぶ光景は、さながらバナナボートのようだった。
――みんな、楽しそうだなぁ
トオルは浜辺からその様子を眺めながら、思い悩んでいた。
相談相手となるはずの親友は、遠くの岩場でフジツボのように膝を抱えたままだ。行方知らずのエテルカと会うこともままならず、加えてトキンによる差し押さえ。これで元気なほうがどうかしているだろう。そんな親友の胸中を考えると、みんなと一緒に遊べる心境ではなかった。
同時に、トオルはもう一つの悩みを抱えていた。
事のきっかけは昼の買い出しのときだった。
「お前。昨日、深月と一緒に歩いてただろ?」
不意に呼び止められ、振り向けば二人の少年が立っていた。年の頃はトオルと同世代くらいだろうか。垢抜けない顔立ちに、派手なTシャツとカーゴパンツにクロックスを履いていた。
「だったら何?」
地元の少年と思われる二人に対し、トオルは気後れしまいと虚勢を張ってみせた。本音を語れば怖かった。もし、ここで喧嘩沙汰になれば、二対一で間違いなく負けるだろう。そんなことを考えていると、少年のひとりがニヤニヤしながら口を開いた。
「なんで深月と一緒にいたんだよ?」
その不躾な問いに、トオルの口角が歪んだ
――こいつ、もしかして一里塚さんの元カレか?
自身の勝手な憶測に気持ちが淀んだ。正直なところ、深月は誰とも付き合ったことはなく『処女』だと信じていた。しかし目の前の少年を見る限り、それはトオルの幻想に過ぎなくもない。だが、それでもトオルはモヤモヤした心を押し潰して相手を睨んだ。
「君たちには関係のないことだろ」
すると、もうひとりの少年が言う。
「まぁ、関係ないと言えば関係ないんだけどさ。ただ……」
「ただ、なんだよ?」
らしからぬ自身の言葉。
――もったいぶらずに、早くその先を言え!
せっつく気持ちを、喉元で抑える。だが、表情までは隠せなかったようで
「そんな怖い顔するなよ。ただ俺たちが言いたいのは、お前……あいつの正体知ってるのかって、聞きたいだけなんだ」
「しょうたい?」
訝しむトオルを見て、二人の少年が苦笑いした。
「なんだ、やっぱり知らないのか」
――何を言ってるんだ。この二人は?
油断することなく疑惑の目を向けていると、少年たちは顔を見合わせ、また笑った。
「深月のやつ、転校先では自分がバケモノということを隠してるみたいだな」
「どうやら、そうらしいな」
聞き捨てならないその言葉に、トオルは息を呑んだ。
「一里塚さんがバケモノなわけがないだろ!」
「バケモノなんだよ、あの女は」
あざけ笑う少年を、もう一人の少年が注意した。
「おい。かわいそうだから、こいつに全部、教えてやれよ」
――全部? 何をだ? こいつらはいったい、何を隠しているんだ?
気付けば手にしていた買物袋を放り出し、相手の襟首を掴み上げていた。
「言えよっ! お前たちが知っていることを教えろよっ!」
「何、そんなに怒ってんだよ?」
「うるさいっ! 早くお前たちの知っていることを教えろっ!」
相手の胸ぐらを揺さぶっていると、もうひとりの少年がトオルたちの間に割って入った。
「ちょっと落ち着けよ!」
「ふざけんなっ! 一里塚さんをバケモノ呼ばわりされて落ち着いていられるかっ!」
左手で相手の胸ぐらを掴んだまま、右手の拳を振り上げた。が……
「落ち着けって言ってんだろっ!」
仲立ちの少年に突き飛ばされ、思わず地面を這う。アスファルトで激しく擦った右肘からは血が滲み出ていた。しかし、そんな傷を気にすることなくトオルが立ち上がると、少年たちがヘラヘラと笑って後退りする。
「おいおい。頼むから、おとなしく人の話を聞けよ」
「なら、早く言えよっ! なんで一里塚さんがバケモノなのか。その理由を早く答えろよっ!」
鬼気迫るトオルに、二人の少年は深月の過去を話し始めた。
一里塚深月。
この村で産声を上げた深月は、幼少の頃から野山を駆け回る活発な少女だったらしく、村でも知らない者はいなかった。しかし小学校の入学間際のこと、自宅近くの山中で少女は行方不明となってしまったのだ。夕刻間際にも関わらず、村人総出で捜索したのだが……少女はもちろんのこと、その痕跡すら発見することが出来なかった。
神隠し。
それは瞬く間に全国ニュースとして伝播したのは言うまでもなく……消息不明のまま一週間が過ぎようとしていた。憔悴しきった両親の願いも虚しく、村人が少女深月の捜索を半ば諦めた頃、唐突に少女は発見され、無事に保護された。
当時の第一発見者の証言によれば、少女はこの辺りの浜辺をひとりで遊んでいたとのことらしい。そして健康診断の結果、一週間の記憶が抜け落ちている以外、身体的な問題はなかったそうだ。こうして小さな村で起きた行方不明事件は解決した。……かのようにみえたが、少女は成長するに連れ、得体の知れない能力を露わにしていく。
予知能力と念動力。
二人の少年……つまり深月の同級生たちは、そう語っていた。
小学生時代の深月は普通の女の子として過ごしていた。当然、同級生の女の子たちと恋話や占いなどに興じていたのだが
ある時、こういったことを言ったそうだ。
「としあきくんの好きな子は、ことみちゃんだよ」
それは小学二年生の時であり『としあきくん』という人物は、二人の少年のひとりだった。それだけに彼は当時のことを良く覚えていた。もちろん、としあきくんに好意を抱いていた少女もいたらしく……また、ことみちゃんにも好きな男の子がいたらしい。それは年端もいかない子供たちが織り成す、たあいのない日常だった。
だが、それはこれから起こる騒ぎの片鱗に過ぎなかった。
的中したことが嬉しく、少女深月は得意になって次から次へと同級生たちの好きな相手を言い当ててしまったのだ。片思いから両思いまで、様々な人間関係をほぼ毎日のように連ねていたらしい。
「きのう、夢のなかで、だいすけくんが、さおりちゃんにフラれてたよ」
「きのうの夢に、ようたくんと、のあちゃんがでてきて、手をつないでいたよ」
止めどもなく暴露される予知夢の評判に、クラス内だけでとどまらず、隣のクラスの女子たちをも巻き込み……やがて大人まで巻き込んでいった。
ある時、少女は仲良しの友達にこう言ったそうだ。
「こうや先生って、みたぬき先生とつきあってるよ」
お互い若い先生だったらしく、普通に考えれば、それはごく自然なことに見えただろう。だが、当事者の教師たちはお互い既婚者だったのだ。不倫関係。だが幼い少女たちにとって、そんな意味など知るはずもなく……おませなクラスメートが親に告げ口をしてしまったのだ。
その後は火を見るよりも明らかだった。噂はあっという間に村中に広がり、翌日には学校あげての大問題となったのは言うまでもない。情報の発信源が深月と言うことも知れ渡り、さすがの両親も厳しく少女を叱りつけたそうだ。
だが、この事件には続きがあると目撃者本人が語る。
数日後……。
担任のこうや先生に居残りを命じられた少女が、ひとり教室で待っていると、こうや先生が怖い面持ちをして現れた。
「一里塚。お前には話があって残ってもらった」
男性教師は年端もいかない少女の座る席に近づいた。
「一里塚。お前、どこから俺たちを覗き見ていた?」
恐ろしい顔をして問いただす担任に、少女は意味が分からず、ただ震えるだけだった。
「みてません、みてません! わたしの夢にこうや先生とみたぬき先生が……」
戸惑う少女に、こうや先生が迫った。
「俺とあいつがどうしたって? お前の夢の中で俺たちは何をしてたんだ?」
途端に男の顔から教師という仮面が剥がれ落ちた。その豹変ぶりに、少女は思わず押し黙ってしまう。
「言えっ! 俺たちが何をしていたのか言えっ! お前が見たのは何だったのか、ハッキリ言えっ!」
男は迫るや否や、少女の小さな肩を揺さぶった。大人の、しかも男の大きな指が肩に食い込んでいた。その恐怖に少女は悲鳴を上げた。そして、あろうことか成人男性である教師の体を一瞬にして吹っ飛ばしたという。
「信じられないだろうけど、本当に吹っ飛んだんだ」と、としあきが何度も力説する。
教室に並べられていた机が薙ぎ倒され、教壇の黒板に打ち付けられた教師に、少女は泣きながら叫んだ。
「先生なんか、大キライっ!」
教室にあった全ての物が宙に浮いていた。その様子を廊下の窓から覗き見していたとしあきも驚いたそうだ。その直後、校内の巡回をしていた教師に見つかり
「こらっ! 下校時間は過ぎてるのだから、早く帰りなさい!」
廊下中に響く教師の声に、我に返る少女深月。その瞬間、浮いていた物がガタガタと床に落ち……同時に少女は意識を失い、教師も教壇に倒れた。
後日。
少女は原因不明の高熱により、三日間学校を休んだそうだ。その間、こうや先生は遺書を書き記して自殺を図ったらしい。それ以降、少女は予知夢のことを誰にも話さなくなり、過ぎゆく年月とともに人々の記憶から薄れていった。
そして中学一年の時。
深月は迫る大型台風による被害予測を克明に口にしたという。
「お願いです! 早急に避難勧告を出さないと死者が出るんです!」
吹き荒ぶ強い雨の中、深月は父親の雨合羽を着て役所の窓口へと詰め寄った。しかし荒れる天候ゆえ、役所の人は納得したことを深月に告げ、彼女を家に帰したそうだ。
だが実際は避難勧告の対応が遅れ、土砂災害により村にとって過去最悪の死者を記録する。その年以降、毎年のように押し寄せる大型台風に対し、防災を心掛け、災害を未然に防いだのだが……高校受験を迎える年、妙な噂が一里塚家を直撃した。
「お宅の娘は、この村にとって災いの元だ」
噂の出所は村長の祖母だった。しかも若き頃、神社の巫女を務めていた経歴もあり、村人が信じるまでに、そう時間はかからなかった。クラスメートからは白い目で見られ、近所からは村八分。そんな中、両親がもっとも心配したのは彼女の弟のことだった。小学校でのイジメ。毎日、泣いて帰ってくる幼い弟を不憫に思い、同時に深月の高校受験も考慮した末……一里塚家はこの村を去ったと言うのだ。
――あの二人が言ってたことは、本当なのだろうか
沖合いで遊ぶ保子莉たちを見ながら、深月が抱える過去に苦悩していると、旅館での用事を終えた深月が浜辺に現れた。
「どうしたの? 敷常くん。みんなと遊ばないの?」
笑顔で訊ねる深月に、トオルは首を横に振った。
「元気ないね?」と隣に座る深月。
「ねぇ。もしかして、誰かと会った?」
見れば、海を眺めたまま寂しげな表情をしていた。
「いや……誰とも会ってないよ」
「嘘ついてもムダだよ。買い出しに行ったきり、なかなか帰ってこなかったでしょ」
深月の元同級生の話に聞き入ってしまい、キャンプ場に戻ってみれば、ほとんど食事が終わっていたのだ。ゆえに誰もが、何をしていたのかと首を傾げていた。
「ちょっと、道に迷ったって言ってたけど、それほど難しい道じゃないよね。しかも怪我もしてたし」
どうやら、深月が相手では誤魔化すことができないようだ。
「誰かに聞いたんでしょ。私の秘密」
「僕は……僕はあんな話、信じてないよ」
と否定するトオルだったが
「ありがとう。でも知っちゃったことだし、もういいよ。でも『バケモノ』呼ばわりされた時は、ちょっと辛かったなぁ」
淡々と口にする深月に、トオルは安易に同情することができなかった。虐げられ苦しめられた過去。それを生半可な言葉で慰めたところで、傷ついた彼女の心は癒やされることはないだろう。それほどまでに、この村における深月の過去は重く暗いのだ。
「一里塚さん。今は、今はどうなの?」
「どうって?」
過去よりも現在。そして未来に目を向けて欲しかった。
「つまり、そのぉ……今は充実してるのかな?」
すると深月は青い空を見上げて笑った。
「みんなと、こうして楽しい思い出が作れてるから幸せかな。で、敷常くんはどうなの? 充実してる?」
まっすぐに視線を向ける深月に、トオルは言った。
「僕は、一里塚さんのいつも通りの笑顔が見れたから、それだけで充分かな」
途端に深月が大口を開けて笑った。
「何それ? 口説き文句? もぉ、聞いてる私の方が恥ずかしくなっちゃうよ」
格好つけすぎたかな。それでも深月の心が少しでも軽くなるならば、別に大したことはない。同時に、これがもし保子莉だったならば、なんと言って返してきただろうか。
たぶん積極的な彼女のことだ。
「そうじゃろ、そうじゃろ」と得意になって笑っていたかもしれない。