第一章 どきどきサマーキャンプ1
移動中の電車の中、いきなり幼女クレアが眉を吊り上げた。
「もぉ! 何てことをやらかしてくれるんですかぁぁぁあっ! トオルさまがぁ子ネコになっちゃったじゃないですかぁっ!」
車両端の対面座席のシートの上に立つ幼女。その金切り声に、通路を挟んだもう一方の対面座席に座る時雨保子莉が首をすくめた。
「わ、わらわは何も知らんぞ」
とは言え、読心能力を持つクレハ星人相手に嘘をついたところで、ガラス張り同然に等しいのだが。
「お嬢さまぁ、シラを切らずに正直にお答えになってください」
怒りを押し殺して静かに諭すクレアに、さすがの保子莉も観念したようだ。
「いや、そのぉ、面白そうじゃなぁと思って、おぬしが作るお菓子作りに、わらわの髪の毛を入れてみたのじゃが……まさか、これほどとは……」
その悪びれることのない保子莉の態度に、幼女がまたキレた。
「どうしてぇお嬢さまはぁ毎度毎度ぉ、そうやってぇ余計なことをすんですかぁ!」
「惑星保護条約からすれば、クレアだって規定違反を犯しておるではないか。見よ、トオルがおぬしのようにちっこくなっておる」
とトオルを見やる保子莉たち。ズリ下がったトランクスとカーゴパンツを腰へと持ち上げている識常トオルがそこにいた。
延河原高校一年生。身長165センチ。さそり座。
本来ならばトランクスがズリ下がることのない標準体型のはずなのだが……なぜか身長1メートル未満の幼児体型になっていた。
原因はただひとつ。
幼女クレアからもらったアメ玉を食べた瞬間、見る見る間に身長が縮み、全身が黒い体毛に覆われたかと思えば、なぜか尻尾と猫耳までが生えてしまったのだ。
――どうして、こうなった?
対面で無気力な顔をして座る芝山田長二郎を見れば……トオル同様の姿になっていた。タルタル星からの帰星後、生きる活力を失った親友。クレアに口をこじ開けられ、強制的に食べさせられたのだから当然かもしれない。二人の猫っ子獣人。幸いなことに座席の高い背もたれにより、トオルたちの異体が他の乗客たちの目に触れるようなことがなかったのは幸いだ。
「おにいちゃんたち。とってもかわいいよ」
長二郎の隣に座る子供が興味津々でトオルを眺めていた。
芝山田家三男坊。ミオ6歳。
今年の春、小学一年生になったばかりの子供。長めの髪の毛をおさげにしているその容姿はどちらかと言えば、女の子のように可愛らしかった。そんなミオの発言に、保子莉の隣でもうひとりの子供がケチをつけた。
「バーカ! おとこがカワイイわけないだろ!」
跳ね上がった寝癖頭を気にすることもなく、やんちゃ盛りを絵に描いたような男の子。
名は九斗。苗字は不明。
宇宙の保険会社コスモ・ダイレクト社の営業を務めるクレハ・クリス・クレアが、どこからともなく連れてきた子供である。年齢はミオと同い年。それ以外の詳細は身柄を預かった顧客との契約規定事項により知らされてはいないらしいのだが……この現状において、そんな些細なことはどうでも良かった。
トオルは長二郎の姿を今一度確認してみた。190センチを超える面影はすでに無く、背丈はミオや九斗と同じくらい。しかも猫耳と長いヒゲを生やし、黒い尻尾をダランっと垂らしていた。そこから推測出来ることと言えば、宇宙人の技術による遺伝子変化。つまり幼女クレアと保子莉の肉体起因が濃厚だった。普段は子供姿のクレハ星人。おそらく身長が縮んでしまったのは、このクレアの遺伝子が作用し、また猫に変幻してしまったのは猫族である保子莉の遺伝子がそのまま作用したに違いない。その両者が持つ本来の体質により、トオルたちは猫っ子になってしまったのだ。
――もう驚くほどのことじゃないから、別にいいけどさ
トオルは肩幅の合わなくなってしまったフリーサイズのTシャツの下で、ブカブカになったトランクスとカーゴパンツを持ち上げた。
「クレア。なんとなく想像がついているんだけど、どうして僕たちがこんな姿になってしまったのか、理由を聞かせて欲しいんだけど」
自分でも判る声変わり。もっともこの場合、子供の声なのだが。
「今回、子供たちの同行もあったのでぇ、トオルさまたちにもぉ子供になってもらってぇ、みんなで仲良く楽しめたらなぁっと思いましてぇ、先日宇宙通販で『遺伝子組み換えくんDNX』を購入したですよぉ」
幼女の言っていることが、さっぱり分からなかった。
「つまりぃ、その『遺伝子組み換えくんDNX』にぃ、私の髪の毛を混ぜてぇ調合したんですけれどもぉ、どうやら目を離している隙にぃ、お嬢さまもぉご自身の髪の毛を入れてしまってたようでしてぇ……」
同居しているのだから、そんなことは朝飯前だったのだろう。
「そんな面白いことを、わらわに内緒でやっておるからいかんのじゃ」
オカッパ頭の黒髪を手で梳き上げて不満を漏らす保子莉。相変わらずのことだが、本当にろくなことをしない。
幸いにして今回は、テニス部の夏合宿により、妹の智花が同行していなかったことは唯一の救いだった。もしこんなことを知れた日には、自ら進んで『遺伝子組み換えくんDNX』を口にし、周りの迷惑など顧みず、車内ではしゃぎ回っていたことだろう。
「その結果ぁ、私たち二人の遺伝子がぁトオルさまのぉ、お体に反映してしまったようですぅ」
どうやら聞くまでもなかったようだ……と手のひらにできた肉球をぷにぷに触っていると、保子莉がニコニコしながらクレアに訊ねる。
「まぁ、可愛いから良いではないか。それでクレアよ、解毒剤とかは用意してあるのじゃろ?」
「もちろんですともぉ」とクレアは飴を包んでいた紙をトオルに差し出した。
「これを食べればぁ、元の体に戻れますですよぉ」
その段取りの良さに感心するトオルだったが……まさかゴミ同然の包み紙が解毒剤だとは思わなかった。
「コレ……食べれるの?」
どう見てもビニールの包み紙なのだが。
「お体に害はないのでぇ、心配しなくてもぉ大丈夫ですよぉ。さぁさぁ、グイッといっちゃってくださいなぁ」
まるで飲み物を煽るかのような物言いだった。しかし、この5センチ四方のゴミを飲み込まないと治らないのだ。仕方ない。と丸めた包み紙を飲み込めば……ほのかに甘い味が広がると同時に溶けてなくなっていく。その初めて知る味と食感に、すぐに元の体に戻るものだと思っていたのだが……なぜか一向に戻る兆候が現れない。
「クレア。コレ、ホントに効いてるの?」
疑心暗鬼で訊ねると、幼女が自前の端末機を覗き込んだ。
「えーっとぉ……分類されている惑星人種によればぁ地球人に近似するDNAの場合ぃ、約ぅ30分? ……ほどでぇ元の体に戻るらしいですねぇ」
「らしい?」
「えぇ、そうみたいですよぉ」
「みたいですよ?」
取扱説明書に目を走らせながら説明をするクレア。その元に戻れない可能性を含む曖昧な返答に、トオルは眉をひそめるばかりだった。
「ご心配なくですよぉ。ちゃんと元の体に戻れますしぃ、営業成績トップ5に入る保険屋のぉ私が保証しますですよぉ」
得意顔でぺったんこな胸を張る幼女。確かに今までの経緯を考えれば、クレアは間違ったことはしてこなかったし、またトオルにまつわる全ての問題を解決してきたのだ。それだけに今回も幼女を信用するしかないようだ。
「そうなると、しばらくはそのままと言うことか」
保子莉はふむふむと頷き、同族の子供を見るような眼差しをトオルに向けた。
「見れば見るほど可愛いのぉ……。トオルよ、ちょっと、こっちにおいで」
短パンの裾から突き出た両膝を叩いて誘う保子莉。何が悲しくて、同い年の女の子に幼児扱いされなければならないのか。
「イヤだ」
幼声で顔を背けるトオルの態度が、保子莉の母性本能をさらに刺激した。
「くぅぅう! 小生意気な感じが、また可愛いらしいのぉ!」
身悶えしながら地団駄を踏む保子莉に、トオルが呆れ果てていると……
「おまえ、にんげんに、もどれないのかよ?」
保子莉の隣で九斗が意地悪そうにほくそ笑んでいた。きっとトオルを人間以下の猫とみなしているのだろう。
「九斗くん。それって年上に対しての態度じゃないよね?」
「ふんっ! ネコのくせに、なにいってんだよ! ネコはネコらしく、くびわでもしてろよ!」
少しだけイラッとした。そもそもこの子はクレアが預かった子だが、少しばかり躾がなっていないように感じた。
「さっきから乱暴な言葉遣いばかり使っているけど、お父さんお母さんにお話の仕方とか教わらなかったのかい?」
「そんなもん、しるか! ばーか!」
ベーと舌を出して煽る九斗を、ミオがオドオドしながら止めに入ってきた。
「きゅーとくん、トオルおにいちゃんがおこってるから、もうやめなよ」
こちらは九斗とは違い、年の割りには周りの状況が見えているらしい。
「ミオくんはしっかり者だね」
「えへ」と女の子のように照れまくるミオ。それを見て九斗が癇癪を起こした。
「なんだよ! ミオばかりほめてさ! ネコになったくせに、なまいきいうな!」
口を尖らせ、食って掛かる九斗。こうなれば力づくで躾けようと、トオルもズリ下がるズボンを片手で押さえて構えた。身長と体格は九斗と同じくらい。だからと言って負けるわけにはいかない。……と、意気込んで見せたそこへ、クレアが仲裁に入ってきた。
「こらぁ、ケンカしないでぇみんな仲良くするですぅ!」
「いや、でも、クレア。九斗が……」
「トオルさまも言い訳しない!」
なぜか怒られてしまった。
「子供そのものじゃのぉ」
楽しげにクスクスと笑う保子莉。こうなると一分でも早く大人の体に戻りたいのだが……
「モフモフですぅ♪」
「どれ、わらわにも触らせろ。おぉ、まだ子供じゃから毛が柔いのぉ」
結局、元の体に戻るまでクレアと保子莉のオモチャになってしまったトオルだった。
小さな無人駅を降り、運行本数の少ないバスを乗り継ぐこと四十分。そこからさらに海岸を目指し、数十分の徒歩を経て、ようやく一里塚深月の親戚が経営する旅館に辿り着いた。
が、しかし……
「本当にごめ~ん」
深月が申し訳なさそうに両手を合わせ、頭を下げていた。彼女の説明によれば、旅館組合からの頼みで、釣り人の団体客を受け入れることとなってしまったのだ。しかも小さな旅館だけに数団体のお客さんが来ただけで満室となり、トオルたちが泊まるはずだった部屋がなくなってしまったとのことらしい。
もっとも旅館を営む親戚にとっては、無料宿泊を目当てにしてやってくる高校生たちよりも、収益に繋がる釣り客を優先するのは当たり前のことではある。……が、それよりも問題は、このあとどうするかである。
いきなりの宿無し。
やんちゃ盛りの子供二人と、魂の抜け切った長二郎を引き連れているのだ。海で遊んだ末の日帰りではあまりにも酷すぎるメンツ。しかも元々二泊三日を予定していただけに、子供たちを説得させるには、相当な根気が必要になるだろう。
「それでね、昨夜メールしたように、別の場所に案内するから安心して」
代わりの宿泊施設を用意しているとは、流石、クラス委員。と、言いたかったが……
「めーる?」
初耳とばかりに、長二郎を除いた誰もが互いを見合った。
「あれ? 私、保子莉さんの携帯にメールしたんだけれど……もしかして届いてない?」
その事実に、トオルとクレアの視線が保子莉に集中した。
「わらわんところにじゃと? そう言えば、昨日から準備に追われたまま一度もチェックしておらんかったわ」
背負っていたナップザックから赤い携帯電話を取りだし、送信者の前で着信メールを確認する保子莉。
「……すまん、深月。確かに届いておる」
謝る保子莉に、深月は機嫌を損ねることもなく笑った。
「送ったのは夜中だもの。きっと朝は朝でドタバタしてメールなんか見れないだろうから気にしないで」
その深月の寛容さに、思わず惚れ直すトオル。
――やっぱり一里塚さんって良い人だなぁ
一度は告白を受け入れられ、二度目は断られた相手に、トオルの未練が沸き上がった。
――まだチャンスがあるだろうか
今回の海水浴で自身の男らしさを再認識してもらい、互いの距離を縮め、三度目の告白チャンスを狙いたい。それだけに日帰り海水浴になることだけは、絶対に避けたいところだ。
「ふむ……なるほど。そういうことじゃったか……」と保子莉は頷き、携帯のフリップを閉じた。
「良い提案だと思ったんだけれども、どうかしら?」
「どういうことなの、保子莉さん?」
「知れたことよ。宿が無いのならキャンプをするに決まっておろう」
何が知れたのか、良く分からなかったが……今、知ったことをドヤ顔で言うのはやめて欲しいかった。
「そうそう。キャンプだよ、敷常くん」
「きゃんぷぅ?」
「あれ? もしかして敷常くん、キャンプ知らないの?」
真顔で小首を傾げる深月。他校はどうだったのかは知らないが、小学校の林間学校でキャンプくらいは経験済みである。そのことを伝えると
「ならば話は早い。つまりじゃ、深月が言うには、この近くにキャンプ場があるらしく、そこを拠点として今回のバカンスを楽しもうという提案なのじゃ」
なるほど。メールの内容が何となく掴めてきた。
「キャンプ場も親戚が管理している場所だから、タダでキャンプ道具も使えるし、薪も使いたい放題。おまけに露天風呂も近いから最高だと思うよ」
「ほぉ、それは良いのぉ」
深月の誘い文句に、保子莉やクレアの顔がほころんでいた。
――露天風呂かぁ
トオルが何気に混浴風呂を連想していると、隣の幼女から軽蔑の眼差しを向けられた。
「そう言うことじゃから、我ら女性陣はおぬしの仕事っぷりに期待しておるぞ」
「へっ? どういうこと?」
「男はおぬしと長二郎だけじゃろ。正直、今の長二郎は当てにならんし、力仕事などの類いは経験者であるおぬしだけが頼りじゃ」
保子莉の指差す方を見れば……庭園の大石に腰掛けた長二郎が岩苔と同化していた。
「そうねえ。テント張り、水くみ、買い出しもあるし、力仕事は男の人にやってもらいたいよね」
大きくつぶらな瞳を向けて、トオルに期待する深月。力仕事の適任者は他にもいるのだが……とクレアを見るものの、外見がまんま幼女なだけに、働かせればきっと児童虐待として目に映ることだろう。しかも長二郎と言えばセミの抜け殻状態である。ゆえに女性陣からしてみれば、男の自分だけが頼りのようだ。
しかし考えようによっては、絶好のチャンスでもあった。
――もしかして、これは頼もしい男として見られるのでは?
テキパキとキャンプの段取りを済まし、トングを持って肉を焼くバーベキュー男子の自分を妄想した。うん。カッコいいかも……と心の中でガッツポーズを決めていると、深月がナップサックを担いだ。
「それじゃ、早速、キャンプ場を案内するよ」
庭園で遊んでいた子供たちを呼び寄せ、先導を務める彼女。その背中を追うようにして、トオルたちも緑茂る山中へと足を踏み入れた。
「こっちだよ」
地元の人しか知らないであろう細い獣道をグイグイ登っていく深月。そのアグレッシブさに、トオルは驚きの声を漏らした。
「一里塚さんって、ずいぶん山歩きに慣れているみたいだけど、登山の経験でもあるの?」
何しろ彼女の格好と言えば、薄手の長袖Tシャツとカーゴパンツ。しかも履いているのは洒落たスニーカーではなく、ハイキング用の靴であり、腰に登山ナイフまで帯刀している。
「登山経験ってほどのことじゃないんだけど、小学校の頃、お父さんと富士山に登ったことはあるよ。あっ、そこ! 急斜面になって滑りやすいから気をつけて」
乱れることのない息でもって、後続者に配慮する深月。その優秀なガイドっぷりに保子莉も感心の声を漏らす。
「ずいぶんこの辺りの土地に詳しいようじゃが、もしかして毎年、親戚の家に遊びに来ておるのか?」
その問いに、一瞬だけ深月の表情が曇った。
「実は私、去年までこっちに住んでたんだよ」
ここが深月の生まれ故郷だったとは知らなかった。でも、なぜ延河原へ。もしかしたら彼女の進学に合わせて、家族総出で延河原に引っ越してきたのかもしれない。
「ちょっと、いろいろあってね。まぁ、あんまり聞かないで」
後ろを見ずに手をひらひらさせて寂しげに背中を向ける深月。
――家庭内で何かあったんだろうか?
どうやら彼女の進学だけが理由ではないようだ。親の都合で子供が口出しできなかった事情でもあったのだろう。いずれにしても本人が言いたくないと言うのだから、その話題に触れないように心がけることにした。