プロローグ
その部屋は狭かった。
四方を無機質な白い壁に囲まれ、外界から隔離された小さな世界。
叫べどもその声は反響することも無く、壁を叩いてもヒビが入るどころかビクともしない。目に映る物と言えば睡眠を取るための寝具と、排泄物を処理するための便座のみ。
それら全ては管理者とおぼしき者の指導により、教えられ……躾けられた。
その者は時折、壁の向こうから現れ、似たような質問を繰り返していく。
「今日の気分はどうだい?」
白衣の男に抱きかかえられた小さな子供。
そして、いつもの決まり文句。
屈託のない笑顔で人を見下すその態度が、油断ならなかった。
「相変わらず警戒心が強いね。もう少しボクを信用してくれてもいいんだよ。せっかく知恵を授けてあげたのに、喋らないのでは何の価値も見出せないじゃないか」
言わんとすることは理解しているし、感謝もしている。
だがそれを素直に受けいれるほど、目の前の子供は信用に値する人間ではない。奇妙な首輪を強制的にはめられ、本能的に相手を拒絶し続けた結果なのだ。
それでも子供は嫌な顔ひとつせず、いくつかの質問をし、そして……
「新しく雇った世話役はよくしてくれるかい?」
この問いには首を横に振った。
自身の面倒をみてくれる世話役は短気で乱暴だからだ。意味もなくすぐに癇癪を起こし、首輪に電気を流して暴行を加えてくるのだ。
「まぁ、世の中、そういう輩もいるということだよ」
子供は白衣男と一緒になって笑うだけだった。
「どうするかはキミの自由だけど、相手の心理を考えて会話することも覚えようよ。黙って相手の言いなりになっているだけでは、いつまで経っても状況は変わらないと思うよ。相手をおだてて取り入るのか、それとも騙してつけいるか。いろいろ考えてやってごらん。知恵というのは覚えておくものではなく活用するものだからね」
投げかけるだけで、あえて結論を伏せておくこの性格が信用できない。
そんな胸奥を見透かしたかのように子供は笑うと、白衣男と共に部屋を出ていった。
しばらくすると、今度は世話役が壁の向こうから現れた。
「おらっ! バケモンっ! メシの時間だぞぉん! さっさと喰えよぉん!」
「余計な手間をかけさせるでないちゃんよ!」
世話役と一匹のつがいは、そう言って粗雑に食事を置いていった。
その不愉快な連中の捨て台詞に、自身を見つめ直した。
――バケモノ……いや、拙者はバケモノなどではない
もし自身がバケモノならば、なぜこの世に生を受けたのか。
与えられた知恵を駆使して考えた。
バケモノとは異形な容姿をしている者を差すか、または能力的に脅威となる者、もしくはなりえる対象者のはず。もしその定義に当てはめるならば、管理者である子供や、世話役たちの方がよほどバケモノと言えよう。
しかしいくら考えても明確な結論を導くことができなかった。
結局、バケモノの定義など知れたものではないのだと、考えることをやめた。
そして心の拠り所を求めるように白い端末機を握りしめ、募る想いを虚空に馳せらせる。
――もう一度、あの娘に逢いたい……
「ミヅキ……」
それは、生まれて初めて紡いだ『言葉』だったかもしれない。