其九
雲にも届きそうな空を、佩は一直線に飛んでいた。
真下は何もないと表すに正しい、真っ暗な砂漠。少年に言われて咄嗟に東へ発ったものの、未だ焦りは消えそうになかった。
「燃えてる」
佩の背中で少年が呟く。いつの間にか被せていた布が吹き飛び、視界が開けて後ろの地平線が見えたようだ。
「……村全てを焼き払えと命令されていた。本来ならお前の死亡を確認してからの筈だが、どうせ誰かがお前を探すのに飽きたんだろう」
佩は出来るだけ淡々と言った。感情を隠す事は得意だと思っていたが、今この状況においてばかりはどうも上手くいかない。
「じゃあ、岟の村は……」
「消えて無くなる。そこにあったという記録だけを残してな」
「……」
余りにも軽々しく言い放つと、少年は何も言わなくなった。佩の肩を掴む彼の手に力が入るのを感じる。
彼は今何を思っているのか。分かる筈もない事を考えていると、東の地平線に微かな明かりが見えた。
***
男が黙って高度を下げ始める。正面の光る点に降りるつもりのようだ。
段々と砂の地面が近付き、やがてもう少しでぶつかる高さにまでなると男は姿勢を縦にし、僅かに浮き上がってからふわりと着地した。
「なっ、何だ!?空から人が降ってきたぞ!」
「この男、翼が生えてやがる!それに角と尻尾もだ!」
焚き火に群がっていた男達が突然の事に驚き慌てる。悪魔だ何だと叫んで剣や弓を取る者もいた。
「お、俺達を喰うつもりか!?」
「違う。俺は決して人を喰らったりは……」
「邪悪なる者め、易々とそうはさせないぞ!」
男達はまるで彼の言葉を聞き入れようとしない。引き絞られた弓矢や剣の鋒が次々と彼へと向けられるのを、霆は彼の背中から眺める事しか出来なかった。
「今すぐその槍斧を捨てろ!」
「……そうすればお前達も武器を下ろすと約束出来るか」
「うるさい黙れ!良いからとっとと捨てろ!捨てろと言っているんだ!」
じりじりと彼に詰め寄る男達。そろそろ彼等が襲い掛かって来そうになった所で、ついに彼は意を決して手に持つ戟を勢い良く足元に擲った。
「良く聞け。俺にお前達を攻撃する意志はない」
それから彼は霆を下ろし、自分の前に出す。
「こいつを預かって欲しいだけだ」
「えっ」
霆は自らの耳を疑い振り返った。その一方で男達の視線が霆に集中する。
「何だ、こいつにも角が生えているぞ」
「噛んだりしないよな?毒とか持ってないよな?」
「こんな奴、預かれる訳がないだろう」
龍族の男と同様、若しくはそれ以上に霆の事を不審がる男達。しかしその中で一人だけ、違う態度を見せる者がいた。
「この子は確か、秌霣さんの所の……」
「何だって?」
男達が一斉に声のした方を向く。霆はその男に見覚えがあった。商隊の男だ。
「誰だ?秌霣って」
「昨晩岟の村で私を泊めてくれた人だよ。食べ物も酒も沢山食べさせて貰った。とても親切だった」
岟の村――その言葉を聞き、忘れていた涙が少しずつ溢れてくる。その場にいた全員がぎょっとしたが、霆は構わず大声を上げて泣き始めた。
「……何か、あったのですか?この子を預かって欲しいなんて依頼は不自然だし、そもそもあなたの様な者はあの村にいなかった」
問われた龍族の男は何も話さない。霆もまた、先程何があったかなど自分からは到底口に出せそうもなかった。ただ彼の号哭だけが砂漠に響く。
「私達は一商隊でしかありません。彼を匿う目的でこれを頼んでいるなら拒否します」
「……匿って欲しいとまでは言わない、せめてこいつを遠くの村か街まで連れて行ってくれないか。その後はまた誰かの所へ預ければ良い」
「対価は?」
男は即座に切り返した。龍族の男が少し考えてから、躊躇しつつ足元を指差す。
「この戟でどうだ。護身用としても申し分ない」
「……まあ、良いでしょう。交渉成立です」
明朗な声でそうは言ったが、男の表情はどこか渋かった。戟を拾い上げ、霆の前で屈み込み、恐る恐る頭の角に触れる。
「これがあるから、あなたは頭巾を被っていたんだ」
霆は泣き噦りながら頷いた。それを見た龍族の男は胸を撫で下ろすが、すぐに早く戻らねばという考えが彼の頭をよぎる。
「どうかそいつを頼んだ」
「分かりました。この子は私達が、責任をもって連れて行きます」
「……感謝する」
男は満足げに踵を返し、大きく翼を広げて一度だけはためかせた。彼の周りの黄色い砂が焚き火と月に照らされて舞う。
「秌霆」
そして彼は西の空を向いたまま、厳しい口調で忠告した。
「もしお前が生きていると他の龍族の者が知れば、様々な目的でお前を探し始めるだろう。だが恐らく、誰に捕えられても最後にお前は殺される。だから逃げろ。絶対に捕まるな。お前にはお前が祝福の下に迎えられるまで、何としても生き延びて貰わなくてはならないんだ。……龍族の者が皆『龍』を名乗る事を覚えておけ」
強烈な風と共に砂が捲き上る。霆が思わず目を瞑ると、次の瞬間にはもう男はいなかった。
月を目指すが如く一直線に飛ぶ小さな影。霆はその影を、雲の向こうへ消えてしまうまで見つめていた。




