其弐
岟の村は、西帝国やこの国、華之邦を通ずる長大な商路の途中にある。砂漠を渡る商隊にとって、天峰の湧水を湛えるこの村は重要な補給地点となっていた。
逆に、他の村から遠く離れた岟の村の者にとっても、商隊は貴重な収入源である。また行きは西帝国、帰りは華之邦の都の珍しい品物や情報までもをもたらしてくれる為、村の者は商隊を大いに歓迎した。
「しかし酒まで用意してくれるとは……あなたの親切に感謝します」
商隊の男が霣に頭を下げる。その光景を、霆は頭巾を被ったままつまらなさそうに見ていた。
商隊は村人の家を宿として使う。勿論秌家も例外ではなく、そして彼らが滞在している間、霆は四六時中頭巾を取る事を許されなかった。
「ここは良い場所です。砂漠を分かつ場所にあるというのに、ここには澄んだ水と美しい草木がある」
「全てあの山のお蔭ですよ」
決まり文句の様にそう言った霣が窓の外を指差す。今日の天峰もまた、雲にその頂を隠している。
「ここに来る途中にも見えたのですが、初めて目にした瞬間には言葉を失いました。あれはまるで天を支える柱です。是非とも頂上を見たいものだが、雲に覆われているのが実に残念だ」
男は言葉の通り残念そうに自分の膝を叩いた。その呟きは聞き慣れたもので、その次もまた誰もが同じ様に反応する事を霆は知っている。
「実は我々岟の者も見た事がないんですよ」
「……何だって?」
最早面白くも何ともない。余りにも予想通りで溜め息が出た。
「それでは、あの雲はずっと山頂を覆っているというのですか」
「ええ。私は一度も見た事がないし、他の者もそうでしょう」
そろそろ顔が赤くなってきた霣が上機嫌に話す。男は胡座をかいたまま頬杖を突いて唸った。
「ふむ……それは興味深い。更に雲の先を見てみたくなりました。帰ったら役人にでもこの事を知らせて、調査隊を結成させましょうか」
「おっと、それはいけません」
折角盛り上がってきたというのに、ここで霣が否定的になる。
「何故です?あなたも気になっているのではありませんか?」
男が文句ありげに迫ると、霣は答えの代わりに一編の詩を唱えた。
其角如牡牛
其翼如蝙蝠
其尾如大蛇
然其姿如人
住天峰之頂
莫下於其山
一怒不復安
草木且殺之
「一体何ですか、それは」
男が首を傾げる。
「古くからこの村にある言い伝えですよ。あの雲の先、天峰の頂には龍族という民が住んでいて、仮に彼らを怒らせる様な事があれば、その時は草木の一切に至るまで絶えてしまうとされています」
「成る程、それは恐ろしい。しかしあくまでも言い伝えでしょう」
男は霣の話を笑い飛ばした。しかし霆は、初めて父親が口にした事を、言葉の一つまで聞き逃さなかった。




