其壱
霆は独り、岩の上に座っていた。
小高い所にあるこの岩からは、自らが住む岟の村を一望出来る。追いかけっこをする同世代の子供達、そしてそれを遠巻きに見守る大人達と、その集団に混ざりながら目線を霆に向ける数人。彼は頭巾を深く被った。
「霆」
自らの名を呼ぶ声が聞こえる。岩を降りると、父親が村と岩とを繋ぐ急な坂を登って来るのが見えた。
「やっぱりここにいたのか。夕飯が出来たから帰るぞ」
「うん」
二人で坂を下り、家路につく。例え霆の方が速く歩けても、彼は父親のすぐ後ろをついて行くのが癖になっていた。頭巾で最大限視界を隠して俯き、父親の脚だけを頼りに歩く。それでもやはり声まで遮る事は不可能だった。
「それにしても、秌霣さんはいつまであんな子を家に置いておくつもりなのかしら」
「本当。早くよそへやってしまっても良いんじゃないの」
聞こえないとでも思っているのか、はたまた聞かせているのか。いずれにせよ耳に入ってしまった以上霆はその言葉を理解せざるを得ない。
そうやって辿り着いたそこは、つぎはぎの木材で組み立てられた、辛うじて家と呼べるぼろ屋だ。暖簾をくぐるも、扉のない玄関や格子を取り付けただけの窓から吹き込む風のせいで寒さは外と大して変わらない。
「……ねえ、父さん」
黙々と座卓の上へ皿を並べる霣に、霆は頭巾を取って話しかけた。
「どうして、僕にだけ角があるの?」
頭巾に隠れていた彼の頭には一本の角――後ろに流れる様に生えた、双角の右の片割れ――がある。人にあらざるべきその角は、明らかに彼への待遇を決定していた。彼がそう疑問を口にするのも無理はない。
「どうしてだろうな」
霣は曖昧に返すと、夕飯を並べ終わった座卓の対面に霆を招いた。
黙々と食べ始める霣と、一向に手をつけない霆。座卓を囲むのはその二人で、この空間にはそれ以外誰もいない。霆はまた呟いた。
「……母さんにも、角はあったの?」
霣の手が止まる。時間が止まったかの如く訪れる静寂。
「……さあ、どうだったかな」
そう言って霣が視線を向けた先は、窓に切り取られた天峰だった。厚く広がる雲に覆われ、遥か高みの頂上を窺う事は出来ない。しかし、彼の目はまるでその見えもしない頂上に焦点を当てている様だった。
***
母さんはお前を産んで、それからすぐにいなくなってしまったんだ。霆は父親からそう教えられてきて、また彼が母親について知っているのはそれだけだった。霣を含め村で霆の母親の話をする者はない。彼にとって、母親など最初から存在しなかった様なものだった。
母親の情報を求めたのは、母親が欲しかったからではない。彼は単に、自分だけが片角を持つ理由を知りたいだけなのだ。しかしある時ははぐらかされ、ある時は話を変えられ、回答は一向に得られなかった。
「寒くなってきたが、大丈夫か?風邪を引いたりはしていないな?」
そして今回も、話題は前兆なくすり替わる。ここで話を戻そうとすれば夕飯が不味くなる事は、何度も同じ失敗を繰り返してきた霆には分かっていた。
「うん。大丈夫だよ」
「……そうか。それなら良かった」
霣が顔色一つ変えずに言う。夕飯を咀嚼しながら、次の話題を探す。
「そういえばな、もうすぐ西帝国の商隊がここに来るらしいんだ」
思いつきで放った言葉に、霆は体の動きを止めた。
「……へぇ」
「何だ、余り嬉しくなさそうだな。欲しい物があったら買ってやるぞ」
首を横に振る。
「別に、欲しい物なんてない」
霆は、また窮屈になるなと思うばかりだった。




