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オカルトカルト  作者: 津蔵坂あけび
第零章
3/4

三、未練はひとつにあらず

前回までのあらすじ


 同じクラスメイトの一条のもとに届いた呪いのDVD。そこに映っていたのは旧校舎裏の古井戸と、DVDに憑りついていた幽霊、黒沼貞子。貞子の秘めたる胸中を勘付いた上に皆の前でバラしてしまった瑠奈は、貞子に謝るため赤いリンゴを持って古井戸へ。貞子は瑠奈の「押すなよ、押すなよ、絶対に押すなよ」のフリに応えて井戸の中へと突き落とした。そして落ちた井戸の中で、瑠奈は夢に見たあの何とも愛くるしい幼女の姿をした死神と再会するのだった。。


「とまあ前回はこんなとこだよな、瑠奈ねぇ」

「い、いや、そんなダチョウ倶楽部みたいなフリやってなかったよね?

 あと自分に補正をかけるな」



「決まりだ。ぶっ生き返すぞっ!」


 井戸の底。真っ暗な世界で、昨日の夢の中で会ったあのふざけた風体の死神がにっこりと笑いかけた。それだけでも十分におかしなことなのに。まだ死にたくないという自分のわがままに対して肯定的な返事が返ってきた。きょとんとする私に、死神はその肩書に相応しくない血色のいい頬を膨らませる。


「おい、訂正しろ。ふざけた風体じゃない。

 世界一可愛い死神と形容しろ」

「どこの世界に、ツインテール幼女の死神がいるんだよ」


「なんだよ。その言いぐさは。せっかく、好物のリンゴをくれたから

 融通を利かせてやろうかと思うたのに」


なんでこいつは私が井戸の中に落っことしてしまったリンゴを、さも自分に与えられた供物のように我が物顔で頬張っているのか。真っ赤なリンゴに白い健康的な歯を突き立てて、みずみずしいしゃくしゃくとした音を立てる。こうして小さな口を目いっぱい動かしてものを食べる様子を見ていると、少し可愛いと思えてしまう。


「まあ、美味いと言っても安物だろうし。取り下げでもいいかな」

「いや、あんたに買ったんじゃないんだけど……」


訂正。やっぱりこいつは可愛くない。口ばっかり立つちんちくりんだ。


「私の言うことには大人しく従っておくものだぞ。

 このまま未来永劫、地獄の底で暮らすことになってもいいのか?」


この真黒なビロードを下ろしただけのような殺風景な空間が地獄の底なんだという。こんなベタを塗りつぶしただけの世界はゴメンだ。そういうと、死神は遥か上の方を見上げて、指笛で合図を送った。すると、上方からすーっと白く光る絹のような綺麗な糸が一本降りて来た。一見すぐに切れてしまう頼りない糸のように思えたが、その中ほどをつまんで引っ張ってみると、たわんでいたのがぴんと張ったのだ。



「よし、こいつで登るぞ」



だからと言って、それは話が速すぎると思うわけである。


「……、あのさ……、それ、大丈夫?」

「案ずるな。蜘蛛の糸は地球上で最も頑丈で柔軟性に

 富んだ繊維と言われている。防弾チョッキに使われる

 アラミド繊維よりも丈夫なんだぞ」


「っつうか、それ蜘蛛の糸なのかよ。触りたくないんだけどっ!」

「ロマンがないなあ。地獄から這い上がると言ったら蜘蛛の糸だろうが」

「そんな芥川龍之介みたいなロマンは持ち合わせてねえっ!」


「なんだ嫌ならやめていいんだぞ」

「そ、それは勘弁してっ!」


 蜘蛛の糸を直に手で触れて手繰り寄せるのに抵抗はあるが、これより他に方法がないというならば背に腹は代えられない。おそるおそる掴んでみるとなんてことはない。絹の糸のようにしなやかで滑らかで、抵抗は嘘のように無くなった。いや、絹の糸も蚕が吐き出しているもので、同じ虫から生まれたものに違いはないが。問題は、このか細い糸が私の体重に耐えられるかどうか。芥川龍之介が書いた物語のように、途中で切れたりしなければいいのだが。

 一抹の不安を胸に手繰り寄せる。すると思いのほか頑丈で、いとも簡単にぶら下がることが出来た。そして腕力に自信のない私でも、自らの体重を軽々と持ち上げることが出来た。登るとともに、ただひたすらに黒いだけだった殺風景な辺りも様変わりしていった。煌々と揺らめく炎に包まれた焼野原、鋭利な剣の山、赤黒い血を蓄えた湖。昔話や物語で聞かされたとおりの光景には、恐怖と憧れを同時に覚える。見とれていると、こっちはあくせくと登っているのに当たり前のように宙に浮いてる死神が視界に入り込んできた。


「うわっ、飛んでるのズルっ!」

「そりゃあ、死神だかんな。ある程度のことは自由にできるぞ」


「さっきいたところは黒暗地獄というところでな。

 こっちまでくると地獄も色鮮やかでいいだろ?」

「……、ほとんど赤か黒だけど」


ぼそりと漏らすと、懐から糸切バサミを取り出して、刃先を糸にあてがう。


「なんだ文句あるのか、切っちまうぞー?切っていいのかー?」

「の、のおわぁああっ、そ、それだけはやめてっ!」


 どれぐらい登り続けただろうか。時の長さを忘れてしまうくらいだ。もう古井戸の周りのみんなは、帰ってしまったんじゃないだろうか。もしかしたら自分は死んだことにされていて、お通夜から葬式まで済んでしまっているんじゃないだろうか。何故か疲労を感じることが出来なくなってしまった私は、その途方もないときの長さだけを感じていた。


「ねえ、あんた名前はなんていうの?」


相も変わらずこいつは能天気な顔つきでぷかぷかと浮いている。退屈まぎれに名前を尋ねてみた。今頃かよと呆れ調子で返す。友達が少なそうだとも言われた。余計なお世話だ。


「ナラクだよ。ナラク」

「なに、その縁起の悪い名前……」


「相変わらず口答えが多いな、切るぞ」

「ごご、ごめんなさい」


まあでも死神ということを考えれば、似合う名前かも知れない。そんなことを考えてふと上を見上げる。すると、私が落ちてきたあの古井戸の内側が見えたのだ。希望に高鳴る胸とともに私の腕が、脚が、長すぎる退屈のせいで落ちていたペースを取り戻していく。


 そして、ついに私は古井戸の縁を掴んで、井戸の底から這いあがることが出来た。外の様子は、私が落ちたときと変わっていない。それどころか雪も、一条君もこちらを狐につままれたような面持ちで眺めている。どうやら地獄の底だけあって、時空でも歪んでもいるみたいだ。一度死んでしまったのだからそんなことには、いちいち驚きもしない。むしろ驚いたのは。


「うぇえ、ひっぐ、本当に貞子心配だったんだからねぇえっ!

 ウミと同じことになっちゃうかもって思ったんだもんっ!」


こいつが泣いていたことだった。


「え?ウミって誰……?」


あともうひとつ驚いたことというか、これはムカついたことなのだが。


「おい、ぼさっとしてないでどけっ!」


井戸の底からお尻を蹴り上げられた。ひとりで井戸に落ちた人間が、まさかふたりになって帰って来るとは誰が想像しただろうか。


「ったく、胸は貧相なクセにケツだけデカいんだな、お前は」

「なんで、あんたまで一緒にこっちに来てんだよ」


井戸の底の遥か底。地獄の底から死神が、こっちの世界までついて来るたのだたのだ。


「面白そうだから」

「面白そうだからじゃねえよっ!早く地獄に帰りなさいよっ!」


「……、なあその娘誰なん?」


 雪が当然中の当然ともいえる疑問をぶつけてきた。そりゃそうだ。井戸の中から見知りもしない十歳にもならないような女の子が出てきたら、疑問に思わずにはいられない。しかし、どう言い訳をしようか。死神と言って信じてはもらえなさそうだ。


「ああ、ここ、この娘はこの近所の子で……」


我ながら苦しい言い訳だ。こんな日本人離れした外見の子供が近所にいるはずがない。そして、この小憎たらしいガキを庇うような言動をしてしまっている自分に腹が立つ。


「そうなのか、俺にはそいつが井戸の中から出てきたように思えたが」


「ああ、私。井戸の主だから」


何を言っているんだこいつはぁああっ!


「別に嘘じゃないぞ。私が長いことあの井戸の底にいたのは本当だ」

「いや、そういうことじゃなくてっ!」


駄目だ。こいつに話させたら、周りが余計に混乱するだけだ。ここは、別の言い訳を考えよう。


「こいつは、あ、あたしの妹ですっ」


な、何を言ってるんだ、あたしはぁああっ!

こ、こんな憎たらしい妹、死んでもいらないわよっ!いや、一回死んだけども!


「妹って、瑠奈んとこ、一人っ子やったやん」

「ああ、それな。私は隠し子だ」


なんでそうなったぁああっ!


「ちょっと、ナラク。そんなあたしにぽんぽん新設定付け加えないでよっ!」

「だって、一人っ子だけど実は妹がいたって隠し子じゃん」

「いや、そういう問題じゃないから……」


井戸の主と名乗るどう見ても日本人離れした小娘が、妹で隠し子。目の前でつらつらと述べられる、当人である私にさえ馴染みのない身の上。雪と一条君の脳回路はぷすぷすと音を立てているようだった。ふたりとも顔のパーツの全てが凝り固まって、引きつった笑みを浮かべている。


「それにほら、ふたりとも考えることを辞めたって顔してるし、大丈夫だろ」


「いや、これ……、大丈夫じゃないだろ……」


地獄から来たこいつの横暴ぶりにはほとほと呆れ果てる。しかし、こいつのおかげで生き返ったようなところもあるし。何より、こいつに逆らうと再び地獄の外に突き落されかねないので、これ以上はとやかく言わないでおこう。


「あ、あのー。ナラクでいいのかなっ。本当にあの井戸にずっと住んでいたの?」

「ああ。なんか居心地が良くてな」


 思考停止状態に入っているふたりをよそに、幽霊の貞子がナラクに話しかけてきた。一度死んだ人間というのは、ちょっとやそっとの事態には慣れてしまっているのか。いや、そこに私も入ってしまっているのか。複雑な心境だ。にしても、古井戸に落ちる直前に感じた。あの嫌な冷たさは何だったんだろう。そして、あんな場所が居心地がいいと感じるのもどうかしているとしか思えない。


「う、ウミのこと知りませんかっ!」


ウミというのは、さっきも貞子が口走っていた名前だ。


「あ、あの……ウミって誰なんですか」

「……、ウミはここの飼育小屋で買っていたウサギの名前だよ」


 貞子は悲しいような、懐かしいような目をして今ではすっかり崩れてしまった赤錆だらけのウサギ小屋の前に立つ。幽霊には脚がないという定説を覆す、すらりとした脚でたたずむその背中はひどく寂しげだった。


「ここで、飼っていたこの学校のウサギ。あたしね、飼育委員だったんだー」


「飼育委員って、このウサギ小屋が使われていたのって

 かれこれ五十年以上前やで」

「じゃあとっくに、そのウサギは死んでいるんじゃ」


いつの間にか思考停止状態から抜け出した雪と一条君が会話に加わる。でもこちらには何故か目を合わせてくれない。


「うん、死んでるよー。で、それがどうかしたの?」

「はあ……、ああ……」


そしてどうして、この幽霊はこんなにも、あっけらかんとしているのだろう。


「だって、生き物はみんないつか死んじゃうでしょ?

 あたしだってー、五年前に老衰で死んじゃいましたし!」

「いや、なんで老衰で死んで幽霊になったのに、若い姿でいるんだよ」


「え~、死んでまであんなしわくちゃな姿でいる義理はないですよ~」

「……そういう問題なのか……」


「で、ウミはあの古井戸に落ちたのか」

「……、多分ね。ナラク、リンゴ隠し持ってるでしょ?」


「……、バレたか」


 貞子はナラクが着用しているローブの懐に奇妙な膨らみが出来てしまっているのを指さした。私が持ってきたリンゴの食べ刺しを持っていたらしい。貞子はナラクの歯型がついてしまったリンゴを苦笑いで受け取ると。井戸の底に向かって投げ入れた。そして、私たちに遠い昔の話をしてくれた。


「井戸の底は誰も知らないから。ウミはそこにいると考えることにしたの」


飼育小屋が台風で壊れてしまったときに、中にいたウサギのうち一匹が逃げ出した。彼女の話によると、それがウミだったという。台風が去ったあと、ウミがいなくなったことに気づいて、探した。名前を呼んで走り回った。そのときは普通の校舎として使われていた旧校舎を隅々まで。中庭も、裏山も、体育館もどこもかしこも。日が暮れるまで、日が暮れても探し続けた。


ただひとつ井戸の中を除いては……。 


 井戸の中は暗く途方もない闇が続いていた。石を試しに落っことしてみる。深く反響して、最後に微かに水音が聞こえた。怖い。こんな深くて暗い、井戸の中に自分は入れない。こんなところに入ったら自分もきっと、死んでしまう。そう思った瞬間、彼女は確信した。


きっとウミはこの中で泣いているんだ。

ひとりぼっちでこの井戸の底で泣いているんだ。


それから、彼女は井戸にリンゴを持って来てはその底に向かって、投げ入れるようになった。ウミの好物だったリンゴを。


「もういないって解ってるけど、この井戸を離れたくなくってねー」

「……でも、空しくないですか……」


「ちょっと空しいかもね。自分が死んでしまった今でも

 こうして供養の真似事をしているだなんて」


ひどく悲しげな瞳で、貞子は井戸の底を覗く。肩を震わせて、涙を一粒こぼした。


「それに……、それにここで死んだかもわからないのにっ!

 あたしはっ、あたしはっ!自分が死ぬのが怖いからっ!

 ここにいたなら、ウミがいたなら!

 自分が死んじゃうことを理由にウミが見つからないことで、

 自分を責めずに済むからっ!

 そんな臆病な理由であたしは、ウミを暗い井戸の中に

 ひとりぼっちにしたのよっ!……」


「貞子さん……」


井戸の底の世界を私は見たわけではない。私が見たのは、ふざけた臨死体験ぐらいだ。彼女には何と声をかけてやればいいのだろう。


「あのっ、貞子さんっ!」

「……、なに……?」


「う、ウミはひとりぼっちなんかじゃないと思います。

 こんなに思ってくれる貞子さんがいて、それはきっと

 伝わっていると思います。だからだから……」

「そーんなの知ってるわよ」


「え……」


またあっけらかんとした返事が彼女から返って来た。せっかくこっちは精一杯の言葉を紡ぎ出したというのに。彼女はそれを一言で跳ね除けた。


「そう言ってくれる人を待っている自分も、ウンザリするぐらいわかってる。

 そんなんじゃなくて、あたしは自分の気が済むまで供養の真似事も

 ウミを思って泣くことも、していたいの。そしてこうして、あなたたちに

 知ってもらう。ウミという可愛いウサギと、心優しい幽霊の話を

 それがあたしが、ウミにしてやれることだから」



「ありがとう。あたしの話を聞いてくれてっ」



私たち四人に向かって振り返り、彼女は幽霊という肩書に似合わない屈託のない笑みで笑った。生きている少女のようで、そしてもう本当に何も思い残すことはないというような、晴れやかな笑みだった。そして、太陽のいなくなった空が、夜の色に変わったと同時に忽然と姿を消した。ここで私は、彼女が幽霊であったことを思い知らされたのだ。


「……、消えてもうた」

「もしかして、成仏しちゃったんじゃないかなっ。

 あたしたちにお礼も言ってくれたしっ」


にっこりと雪と一条君に笑いかける。彼女が最期に見せた笑みを真似てみた。だが、私の視線の先で小憎たらしいガキは、呆れたような顔つきで睨み返してきた。


「お前、あの幽霊があれしきで成仏したと思ってんのか」

「……、え、違うのか……」


「あの幽霊は未来永劫、成仏なんてしないさ」



「うわっ、もうこんな時間じゃん。母さんに電話しねえと」


 一条君が慌てふためいて、ポケットからスマートフォンを取り出す。もう時計は夜の七時を回っていた。晩飯を作ってくれている家族が、遅い遅いと不平を漏らす時間だ。そして家族に連絡しようと画面のロックを外した瞬間、一条君は凍り付いた。なぜならば待ち受け画面に映っていたのは、あの長い黒髪を垂らした幽霊だったからだ。


「やっほー、一条くーん!今日から、あたし一条君の

 テレフォンガールになることに決めましたーっ!!」




「……、な、言っただろ。あの幽霊が成仏するわけないって」

「なるほど、新しい未練が見つかったってわけやな」

「これって……、結局あたしたち何の解決もできてないよね」


今度はスマートフォンが貞子に憑りつかれてしまった。一条君はそれを大きく振りかぶって投げたが、案の定ブーメランの用量で戻って来て彼の顔面にぶち当たるのだった。


「うがっ!」

「こらー、一条くんっ!物を粗末にしちゃだめでしょっ!」




「まあ、いいんじゃねえのか?あの幽霊は楽しそうだぞ」




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