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オカルトカルト  作者: 津蔵坂あけび
第零章
2/4

二、再会は奈落の底で


「あはははっ、なんや、その夢っ!」


 案の定、私の夢を雪は笑った。夢の中で死神が現れて唐突に死の宣告。こう書いただけでお分かりだろう。中二病の塊のような夢だ。そして、今日がその死ぬと言われた命日にあたるのだから、馬鹿らしいと思う気持ちと正夢だったら危ぶむ気持ちが同居して、ずっと落ち着かなかった。


でもそんな気持ちを汲み取って、笑い飛ばしてくれてたりするのだろうか。


「にしても金髪ツインテールの幼女が死神ってラノベの読みすぎやろ」

「それは見た本人が一番思ってる……」


「死神っつうたらなんかこう痩せこけた長身で目がぎょろぎょろした

 パンクロッカー風の出で立ちで、リンゴが大好きで……」

「おい、その死神のイメージどっから持ってきた……」


まあ雪も、オカルト研究会なんて訳の分からない部活をしているのだから中二病であることは変わらないのか。別段こんな馬鹿げた夢を見たからって恥ずかしがることなんてないのかもしれない。そもそも夢なんて馬鹿げているものじゃないか。


「なんか、ユッキーに話したら少し楽になったかな」

「え?なんのこと?」


「い、いや……あの夢がさ……」

「……瑠奈、まさか……」


「あの夢が正夢だったらとか、痛いこと言わないよね」

「い、いいいい、言うわけないでしょうが!今日がその命日だからって!

 あは!あはははは!」


 訂正、やっぱりこいつは、私のことを思って笑ってなんていなかった。ただ単に夢の内容が可笑しくて笑っていただけだった。でもどっちにしても、気にしないでいられるきっかけ程度にはなったか。なんかこう、どうでもいいことで気分が落ち込んだり、腹が立ったり、怖かったり、ホッとしたり。限りなく平和だなあ。安堵のため息を吐くと同時に、旧校舎の立てつけが悪くなってしまった窓の隙間から春風が入り込んできた。髪をさらりと撫でる。それとともにあの小憎たらしい、死神を自称する少女の声が蘇ってきた。


―もしお前が、この縁を夢と無下にしないなら―


……。なんであんなこと言ったんだろう。いや、夢に自分の深層心理が働いていたとしたなら、彼女の言葉は私の本心でもあるのか。でもそうするともともと彼女自体どこにもいないということになってしまうが。まるで、私があのガキにもう一度会いたがってるみたいじゃないか。


 天井に疑問をぶつけてみても、古ぼけた木目の目玉模様がこちらを傍観しているだけだ。自問自答に答えは出ずのまま。そのうちに雪もこちらに話しかけることに飽きたのか。再び現代訳日本書紀を読み始めた。


暇だなあ……。


 心の中で呟いた。振り子式の柱時計が時を刻む音と、雪が本のページをめくる音。それだけが聴覚世界に響く。傾いた西日がぽかぽかと左半身を照らし、左眼だけが嫌に眩しい。


 そして、眠い。うつらうつらと、うつつから夢の世界へと落ちて行こうかとしたときに、古ぼけた引き戸を叩く音がした。思わずふたりして肩をびくりと跳ねあがらせて飛び起きる。


「はっ、はいっ!」


「すまん、ちょっと入るぞ」


男の声だった。聞き覚えのある声。一言断りを入れた後ガラガラと引き戸が開かれる。現れたのは、同じクラスの一条俊樹いちじょう としきだった。少女漫画に出てきたら、必ずヒロインの相手役になりそうな王子様ネーム。それに名前負けしない涼し気な顔立ちをしている。ちょっとカッコいいけど。


きっと私には似合わないんだろうな……。


「一条君やん、どしたん?もしかして入部しに来てくれたんか!」


なんて二の足を踏んでるから、このデカパイ女に先手を越されるんだろうが。私の馬鹿。


「……いや、それはまずない。というかこれ部活なのか……」


よしあいつはドジを踏んだ。って私は何の勝負をしているつもりなんだ。一条君はここに何をしに来たのか。入部でもなければ、まだ高校生活も始まったばかりでろくに話していない私たちのところに、どうして彼はやって来たのだろう。


「まあ、オカルトだっけ……、ちょっとその関係で困ったことがあるんだが」

「おおっ、まさか、この暇すぎて死にそうなオカルト研究会に

 ネタを持ってきてくれたんかっ!ああ~っ、ありがとうな~っ!」


 そう言って雪は、一条君の手を両手で握って上目遣いを彼に差し向けた。こいつあざといよ。なにさらりと目の前で男の手を握ってんだよ。激しく腹立つ。上目遣いなんて武器は私には到底使えない。ほらこうしていても同じ高さで目が合ってしまうもの。


……、あ……今、一条君と目が合った。


「まあ、ネタというかできれば解決してもらいたいんだけど」

「依頼ってこと?」


「え……でも、‘私ら’は別に除霊とかできるわけじゃないし」


思わず口走ってしまった‘私ら’という言葉に雪がにやりとほくそ笑んだ。そしてやっと一条君の手を解いて、今度はこちらに向かってがばりと抱き付いた。


「おおわっ!」

「ついに、瑠奈が自ら部員の自覚を持ったか~っ!」


「あ、あの……聞いてる?」


相も変わらずマイペースな雪は一条君を戸惑わせた。


「聞いとる聞いとる。負かしときいっ瑠奈がついてくれたら百人力や」


そして、私まで自分のペースに巻き込んでくる。


「霊も悪魔も祓うも憑りつかせるも、全部かかって来いやで!

 オカルト研究会にようこそっ!」

「いや、憑りつかすのはやめとこうよ」


 そのまま成り行きで話は進んでしまった。一条君はオカルトに関連する依頼と言っていたが、雪のペースに乗せられるがままことが進んだものの、どうすればいいのやら。こっちには除霊なんてできるのか、いやそもそも幽霊なんて、存在するのかどうかすら怪しいし、私は信じていないし。だからと言って、その正体を枯れ尾花だと言ってやることもできやしない。


「それで、依頼ってなんなんや?」


くそう、これでその依頼が解決できなかったら、雪のせいだ。ちゃっかり一条君を自分の隣に座らせているし。そんな当て馬なことしか考えていない私の前に、ケースに入ったDVDが突き出された。


「こいつはレンタル屋で借りたやつだ。

 リング0を見ようと思ってな」


リング0。井戸から出てくる貞子でおなじみの映画版『リング』シリーズの完結編として作られた映画。今となってはかなり古い作品だ。一条君はホラー映画とかが好きなのだろうか。だとしたらますます雪と気が合いそうだな。


「ほぇえ、一条君ホラー映画好きなんやー。

 あたしと一緒やなー!」


くそ、さっそく食いつきやがった。


「まあ、そんなに見るわけでもないけど……。

 このDVDが少しおかしいんだよ。見てくれよこの作品タイトル」



―RINGO―


……。な、なんだろう。すごく違和感がある……。


「あのさ、これってリング0なんだよね」

「ああ、そう思って借りた」


「でもリングって海外版以外は、カタカナで表記されていると思うで」

「ちょっと待って、というかこの‘0’の字ちょっと形違うくない?

 これ、‘ゼロ’というより‘オー’に見えるよ」


「ほな、これなんて読んだらええんや?‘リング・オー’か?」

「いや、‘リング・オー’っだったら、RINGとOの間が

 離れているはずだから。これは‘リンゴ’と読むのが正しいんだと思う」


「いや、‘リンゴ’ってなんだよ!

 まったく別のものになってんじゃねえかっ!」


まさか、依頼とはこの変なパチもん映画に関するクレームかなんかなのだろうか。だとしたら私たちはとんだお門違いなんだけど。


「それで、レンタル屋にこのDVDのことを問い合わせてみたんだが

 向こうの在庫登録にもないらしくって」


「え……。でもレジ通して借りたんやないんか?」

「それがレシートを改めて見たら、このDVDだけ借りた

 記録がついていないんだ」

「なんかそれ……気持ち悪いね……」


「そうだろ。それで向こうも気味悪がって、

 そちらで処分してくださいって言われて……」


うわあ、レンタル屋処理してくれなかったんだ。

というかレンタル屋、逃げただけだろ。


「ごみ箱に捨てたはずなのに、気が付いたら部屋の机の上に置いてあるわ。

 コンビニのゴミ箱にツッコんだら、なぜかポストに舞い戻って来るし。

 腹が立ってポストにツッコんだら、今度は新聞受けに戻って来て……」


「ついに、発狂してベランダから思いきりぶん投げたら

 ブーメランの用量で戻って来て俺の顔面にぶち当たったんだ」

「なんでだよ」


これがそのときの痣だと前髪をかき上げる一条君。とにもかくにもツッコミどころは多々あるが、このDVDがどれだけ手放そうとしても、つきまとってくるというのだから気持ち悪いと。


「つまりは、このDVDをなんとかしてほしいと」

「そういうこと……」


何とかしてほしい。そうは言われても、こっちは霊を祓うもお任せなんて、飛んだ出まかせでしかない。力になりたい気持ちはあっても、その方法が分からない。かと言って、おいそれと断るのも気が引ける。黙りこくってるところに、雪はあることを提案した。


「まあ、とりあえずこのDVD見てみーへんか?」


え……。何を言ってるの……?


「いや、これ呪いのDVDかも知れないんだよっ」

「瑠奈はこういうの否定するタイプやろ?

 それともなんや?怖いんか~?」

「ち、ちちち、ちがうわよっ!」


「一条君もDVDの中身は見たことないんやろ?」

「ああ、気味悪くなって、見る気が失せた」

「そんなら、ここは一度、恐怖に向き合ってみるというのも大事やろ。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花。人にありもしないもんを見せてるんは

 その人が感じる恐怖……」

「あんた幽霊を信じてるのか信じていないのかどっちなのよ」


(うるさい。こっちも苦し紛れで意見だしとんねん。

 ここは話しを合わせといてーや)

(結局、そういう話なのかよっ!)


 耳打ちを耳打ちで返す。結局は行き詰ってどうしようもなくなったのを、無理やりにでも間を持たせたかっただけじゃないか。そう思いつつも言い返せない私は、雪に流されるがまま、結局視聴覚室で例のDVDを三人で鑑賞することになった。


「ようし、これで再生やな」

「ほ、本当に大丈夫なのか」

「なんや~、男のくせに怖いんか~?」

「お前は、投げたDVDがブーメランのように帰って来る

 怖さを知ってて言ってるのか」


 多分そんな恐怖は知ることがないと思う。DVDを再生すると液晶のモニターが、今となっては珍しくなった砂嵐のノイズを走らせた。ブラウン管には似つかわしいものだが、それが液晶モニターに映っているとなると違和感を覚えてしまう。


ザザザ……、ザザザ……。


 スピーカーからもノイズが漏れている。ときどきぶつりぶつりと不規則なタイミングで砂嵐が途切れ、サンドペーパーの目のような画面にほころびが走って、一瞬だけ映像が見える。それに合わせて声がノイズの隙間を縫って聞こえてくる。笑っている。笑っている女の人の声。細い含み笑いのようで、冷たい質感が感じられる。そして映像にもやがて女の影が見え始めた。聴覚がいよいよ、女が発する言葉を少しずつ捉え始める。


―うれ……しい……―


そう言って女は画面の中で笑っていた。砂嵐が女に吹き付けて輪郭をぼんやりと映し出している。長い髪をたおやかに伸ばしている。髪がさらりと揺れて一瞬だけ、女の口元が見えた。引き裂かれんばかりにつり上がっていた。画面は白黒のノイズから真っ赤に染まった。冷たい笑い声が狭い洞窟の中を何度も反響するようにスピーカーから聞こえはじめる。



―やっと、会えたね―



―嬉しい……、とてもとても嬉しい……―



ゆらり。ゆらりと長い髪の女が画面に向かって近づいて来る。ノイズが晴れて、画面の中では、雑草の生い茂る古井戸が、長い前髪をだらりと垂らした女の背後にあった。そして、その光景は全てが血のように真っ赤に塗りつぶされていた。


女は手を伸ばす。こちらに向かって。


赤く染まった画面の中でも、死人の青白い色をはっきりと思わせる冷たい手は、モニターを突き破ろうとするかのように伸びてきた。これはまさか、まさか本当にその青白い手はこちらに向かって伸びてきているのか。いいや、それは幻覚だ。必死に自分に言い聞かせようとしたときに、自分でぶんぶんと横に振ったはずの首が微動だにしていないことに気づく。


動けない。私は動けない。


金縛りにあってしまった。その事実を受けいれるとともに背中をだらりと嫌な汗が伝うのを感じる。そんな不甲斐ない私の視界の中、女の青白い右手はチョキの格好になって、右の目にあてがわれ、裏ピースをこちらに向けた。死人に似合わない爛々とした目でにっこりと笑ったのだった。


「ちーっす!あたし、黒沼貞子でーっす!」



……。……。


「……え、今なんて言った?」

「え~もう一回自己紹介させるの~?あたしは黒沼貞子よ。

 ほらー、井戸から出て来て、さらにテレビから

 這いずり出てくるのでおなじみの……」

「お前みたいな軽い貞子がいるかぁあっ!」


 思わせぶりな登場をしておいてこれだから、さっきまで怯えていた自分が馬鹿みたいじゃないか。すっかり調子を狂わされてしまった私。大きくため息をつくタイミングが一条君とシンクロした。思わず見合ってしまう。すると貞子は画面の中でふくれっ面をしていた。


「もうっ!せっかく会えたのに……、なによそ見してんのよ!」


まるで三人のうちだれかと面識があるような話し方。ここで気づいてしまった。貞子はよそ見しないでと。この映像を見ているのは、私と雪と一条君。女がふたりと男がひとり。よそ見しないで。この貞子という幽霊はひょっとして。


「あっ……」


 そこで雪が何かに気づいたようだった。一瞬同じことを勘付いたと思ったのだが、雪の着眼点は全く違っていた。雪は貞子の方ではなく、古井戸を指さしたのだ。


「この蔦の絡み付き方……、旧校舎裏の古井戸と一緒や」


着眼点こそ違うものの、それは明らかにこの幽霊もとい、DVDの謎に迫る手がかりのように思えた。正直私の勘付いたところはあまり役に立たないかもしれない。


あれ、でもおかしくないか?


「ちょっと待って。なんで私たちDVDの映像と会話できてるの?」


「それは、あたしがこのDVDに憑りついた幽霊だからでーす!」

「つまり、それが呪いのDVDの正体ってわけやな」

「……で、なんでそれが俺のところに?」


「さ~あ、なんででしょうねー?ねえねえ貞子ね

 わざわざVHSからDVDに乗り換えたんだよ!時代に合わせて!

 あたし頑張ったでしょ~!」


あかん。この幽霊のミーハー具合にはついていけん。


「はぐらかすなよ。お前のせいでこっちは迷惑してんだよ。

 ‘リング0’借りたら‘リンゴ’なんてふざけた名前のDVDで、

 お前なんて言うふざけた幽霊が出てくるしさ」

「ちょっと一条君っ」

「なんだよっ……」


 たしかに、迷惑してるというのは本心だと思うし。こんなよく分からない幽霊なんかにつきまとわれたら拒絶したい気持ちだって分かる。それでも、たとえ死人でも、ひとりの女の子の気持ちくらいは分かって欲しかった。


「あの……貞子さんの気持ちも考えてあげて」

「いや、あれ幽霊だからさ……」


「そ、それはそうなんだけど……」


 でも考えてみれば、なんで私は幽霊と話している自分を受け入れてしまっているのだろうか。私はそんなもの信じないはずだったのに。あまりにも信じられないことが目の前で起こっているから、それを本能的に認めてしまったのか。それとも昨日のあの夢のせいなのか。あれ、そんな私が今や死人に感情移入してしまっているって、もしや……。


これは死亡フラグというものではないだろうか。


気付いてしまったとき、また嫌な汗がだらりと背中を這った。いかんいかん。このまま死人の思いを辿っていたら、自分も死人に飲まれてしまう。あんな最悪でトンチンカンな夢を正夢にしてたまるものか。


「そ、そうよね!やっぱり、幽霊が一条君のこと好きだなんて

 思い違いだよねっ!」

「えっ……」


しまった。つい、勢いに任せて言ってしまった。横目でちらりとモニターの中の貞子の顔を見やる。彼女は肩を震わせて、涙ぐんでいた。


「もうっ、言わないでよ!この馬鹿ーーっ!!」


そして映像はぷつりと途切れてしまった。雪が何回か再生ボタンを押してはみるものの、うんともすんとも言わなくなってしまった。


「ちょっともう瑠奈ー、貞子怒ってもうたやん」

「うっ……」


決定打を打ってしまったのは私なので、言い逃れなどできやしない。少し責任を感じてしまった。彼女の感情に気づいていたのなら、それとなく伝えるべきだったのに。焦った私はすべてを晒してしまった。


「……謝るよ。私……、貞子さんに」


そう口が動いてしまった。


「ほうー……、昨日まで幽霊なんて信じなかった瑠奈が

 幽霊に謝りに行くかー、こりゃあ死亡フラグびんびんやなぁあ」

「うるさいわねっ!」


くそ。こいつ、私のいまの心中を的確に言い当ててきおった。


『あのさ、あたしって死ぬの?』

『ああ、死ぬけど何か?ちなみに明日な』


死ぬか。死んだりなんかするものか。だって、私はまだ彼氏もできたことないし。デートもしたことないし。手をつないだこともないし。キスとか全然だし。告白されたいし。告白したいし。私だって、青春を謳歌してリア充になりたいし!まだまだ全然人生楽しめてなんかいないもんっ!あれ……、なんだか自分を奮い立たせているつもりが悲しくなってきた。


「今日は瑠奈がノリノリで楽しいわー。ま、あたしもあの幽霊のこと

 知りとうなったし、それに恋する乙女には味方したいもんやろ?」


何故かは知らない。雪が楽しいって言ってくれたとき、ちょっとだけ私も楽しいって感じた。だから自然と口が動いたんだと思う。


「じゃあ、決まりね。旧校舎裏の古井戸に行きましょ」




 謝りに行く。旧校舎裏の古井戸の幽霊に。これほど奇妙な事案があるだろうか。夕暮れの終わり。茜色が夜を連れてくる藍色に負け始めたころ。春の始めの温かさが熱をゆっくりと失って、なけなしの冬の寒さが肌を襲う。少しいかり肩になりながら、古井戸にたどり着いた。逢魔が時という時刻も相まってか、雑草が生い茂る中にたたずむツタが絡みついた古井戸はどこか不気味だった。そして、その井戸を囲うようにして置いてあった、赤黒く錆びついた飼育ケージも。


「ここは昔、飼育委員が飼っとったウサギ小屋があってんよなー」


「雪は旧校舎のこと詳しいんだな」

「せやで!伊達に無断で使用しているわけとちゃうんや!」

「ユッキー、それ胸張るところじゃない」


「というか、お前なんでリンゴなんて持ってるんだ?」

「いや、あのDVDの名前リンゴだったから、あの幽霊さん

 もしかしたら好きなのかなーって思って……」


自分でも思う。今日の私はおかしい。昔から幽霊だとか非科学的なものは信じない。信じないと決めていた質なのに。その幽霊の存在を認識してしまっているどころか会話もして、今はその幽霊に話があるとリンゴを携えて幽霊の住まう古井戸にやってきている。でもなぜだろう。少しだけ楽しい。


私は真っ赤なリンゴを掲げて、古井戸の底の暗闇に向かって叫んだ。


「貞子さぁーん、いますかー!リンゴ持って来たんですけどーっ!」


しかし、古井戸の中から返事は返ってこない。なんだか拍子抜けだ。雪はあの映像に映ったのは、この旧校舎裏の古井戸で間違いないだなんて言っていたけれど、単なる勘違いじゃないのか。そもそもあのDVDと、この古井戸になんの所縁があるのか。冷静に考えてみればおかしな話。


「ねえ、ユッキー?本当にあれ、この古井戸だったの?」


「そのはずやで。ツタの絡み付き方が一緒やもん」

「それで分かるお前もすごいと思うけどな」


「だって全然、返事なんてないんだよ」


すっかり熱が冷めて古井戸に腰かけて脚をぷらぷらと揺らしてみる。なんだろう。いつもみたいに勝手に間借りした部室でだべったりするだけの部活動が、幽霊の登場で一気に非日常に巻き込まれたみたいだったのに。結局またそんなことは私が喰らわされた豆鉄砲に過ぎないのか。よく分からない落胆にため息をついて、お土産に持ってきた真っ赤なリンゴを眺めた。鼻先を甘い香りが撫でた。もう少し嗅いでいたくてすうっと深呼吸をする。


そのとき、背後からぞわりと冷たい何かが。井戸の底から吹きあがってくるのを感じた。ま、まさか……。そう思って背中を捻って、古井戸の中を覗き込んだときに、私の正面、井戸の外側の方からあの貞子の声がした。


「あー、さっきのーっ!」

「えええっ!」


 訳が分らなかった。なんで、なんであの冷たい気配は井戸の中から確かにしたのに。それとはまったく真反対から彼女の声がしたのか。あまりにもの動揺に私はバランスを崩し、冷たく暗い井戸の底へと吸い込まれてしまった。


う、うそ……。


「瑠奈ぁああっ!」

「おいっ!瑠奈っ!」


たった一瞬で重力の成すがまま、遠く離れて行った井戸を覗き込むふたり。私は世界の深淵へと落ちていくように深く深く沈んだ。そこに叩きつけられた感触も痛みも感じない。ただ感じるのは暗い。冷たい。それだけ。


私はもしかして死んでしまったのだろうか。

井戸から落ちて、死んでしまったのかな。


 ああ。あれだけ死亡フラグを否定しておきながら、やっぱり死んじゃうんだ。昨日の夢は本当だった。私は今日死ぬ運命だったんだ。認めたくないけれど、認めるしかないよね。もうほら皆がいた世界があんなに遠くに感じてしまう。もうほら、今自分がいる世界は途方もなく冷たい真っ暗闇だ。


雪、もうちょっとだけ一緒に馬鹿やりたかったな。一条君、もうちょっとだけ話したかったな。もっといろんな友達欲しかったな。親孝行もしたかったし。ああ、つまんないな。もっと、もっと生きたかったなあ。でももう、それも皆届かないんだ。もうずっと、届かない。


「おい、ブスが泣くと余計ブスだぞ」


 とそこで聞き覚えのある小憎たらしい声がした。暗闇の中なら目は効かないはずなのに、あの夢の中で見た少女が、あおむけに横たわる私の顔を覗き込んでいた。なんだこれは。また、私はあの訳の分からない夢を見ているのか。いや、もう私は死んだのだから、これは死後の世界なのか。


「わ……私、死んじゃった……のかな……」

「確かに私は死神だ。死んだ人の魂を冥界に連れていく。

 でもお前もそんなのつまんないって思ってんだろ?」


にっこりと屈託のない笑みを浮かべる少女。あのときに見たのと同じ。死神には似合わない、まるで泥だらけになって遊んでいる子供のような無邪気な笑顔。そんな顔をされたら本心が曝け出されてしまうじゃないか。


「ああっ!やだよ!こんなのやだよ!

 ここで死にたくなんかないっ!みんながいるところに帰らせてっ!」


「決まりだ。ぶっ生き返すぞっ!」


死神はもう一度笑った。



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