02 彼女はひとり、僕は三十三人
「私の完全コピーはひとりもいないわ。知ってる限りではね」
彼女は何気ない調子でソーダアイスをかじりながら、驚愕の事実を口にした。
もう午前十時を回っていた。『起きたら駅前に集合』との言葉をきっちりと守って、僕が例のターミナル駅に着いたのが、午前七時。それから二時間半待って、徒歩二分のコンビニに行くみたいな恰好で彼女はやってきた。特に急ぐ素振りも見せずに。今度からは僕も寝坊しようと思う。
移動した先は、また公園だった。昨夜と同じく人はいない。近所の小学生なんかが遊びに来そうなものだけど、実はこの近くにはもうちょっと広くて新しい、人通りの多い安全な立地の公園があって、ほとんどはそっちの方に吸い込まれてしまうのだ。
そんな地域豆知識なんかはどうでもよくて、それよりも僕が驚いたのは。
「ひとりも? ほんとに?」
「うん。ほんとに」
「アイドルだから?」
「まあ、それもあるけどね」
平均して一時間前後。複製人格を作成するために必要な、元人格とのコミュニケーション時間だ。たったそれだけの時間の交流を、いくつか出回っている人格複製アプリで記録すれば、それで終わり。人格はデータ変換されて、『物理身体』の注文もすればもうひとりの”その人”の出来上がり。
防ぐ手立ては少ない。というよりも、防ぐという発想自体がすぐに立ち消えてしまった。技術発達初期のどさくさ紛れに数多くの複製人格が生み出され、しかもそれが完璧に『普通の人間』と同程度の知性を備えていたものだから、人権がどうとかいう問題になって、後はなし崩し。複製人格の誕生制限論争なんていうのは、すぐに複製人格の生活上の人権保障問題に切り替わって、今ではそれすらも随分見かけなくなって久しい。きっと、どこかでは続けられているんだろうけど。
ただし、アイドルを初めとした芸能人なんかは別だ。彼女たちは存在の独自性で売っているのだから。
例えば、本人が横にいるのに、ステージの上のアイドルを追いかけるファンがどのくらいいるのか、という話だ。複製人格だって当然元人格と同程度の独立した自己決定意志を持っているわけだから、ことはそう単純ではないけれど、しかし、大雑把に言えばそういう話だ。
だから彼女たちはできるだけ同一存在を増やさないようにしている、と耳にしたことはあったけれど。そのやり方までは。
「アイドルの複製ブロックなんて簡単よ。話さなければいいんだから」
僕の問いに、彼女は軽く答えた。
「ええ……? いやまあ、そりゃあそうだけどさ。実際そんなことできるの?」
「プライベートでは家族以外と話さない。仕事のときはメンバーと家族だけ。仕事の話は全部家族を代理人に立ててやればいいの。で、ステージで歌って踊ってすぐに隠れるように解散」
確かに、コミュニケーションによって人格が複製されるなら話さなければいいっていうのは、ごく単純な解決に思えるけれど。
「……それ、かなりつらくない?」
「芸能人なんて存在を切り売りしてるようなものでしょ。私には無理だったわ」
その返答で思い出した。この彼女はCITRUS のメンバーではないと言っていたことを。
「あれ、でもCITRUS の方の君と、ここにいる君で、少なくともどっちかは複製人格なんじゃあ……」
「そこが私の素晴らしいところよ」
えっへん、と言わんばかりに彼女は胸を張った。結構子供っぽい仕草ではあるんだけど、やけに似合っているようにも思えた。
「調整人格って言ったでしょ?」
「あ、うん。それなんなの?」
「人格複製プログラムにちょちょいと細工して、私の顔した私じゃないアイドル用の人格を作り出したわけよ」
「えっ」
人格複製プログラムに細工? 一気に目の前の女の子がアナーキーな人間に思えてきた。
都市伝説レベルの噂だ。人格を改造して自分に都合の良い人間を作り出す。ゼロベースから人格を作り出すのは難しいにしても、実在人物をベースにすれば、何とかできないこともないんじゃないかって。そんな、どこの誰が本気にしているかもわからないような噂。
「そんなこと本当にできるの?」
「本人が作り出そうとすれば何とかね。他人が作ろうとするのは……、どうかな。私もあんまり詳しいわけじゃないから」
「でもそれさ、倫理的に結構マズくない?」
「人の複製がポンポン作られてる世の中で、よくもまあ倫理なんて言葉恥ずかしげもなく使えるものね」
怒られた。一瞬しょんぼりしたけれど、よく考えれば理不尽だと思い直した。僕は今まで一切、複製人格を作成したことがないのだし。
ムッとしたら頬を突かれた。なんだかやけに伊万里さんはニマニマしていて、これからずっとこういうことされるのかな、と思った。
「でもその調整人格? バレないの?」
「人間なんて思ったよりも人間のこといい加減に認識してるものよ。それに多少違和感覚えられても問題ないわ。人間は変わるものだし」
結構悲観的な人間観が返ってきた。それから彼女は僕の頬を突くのをやめて、今度はぐい、と頬を両手で引っ張った。それもやめてほしい。
「で、それから私はその調整人格を自分とすり替えて、家にも寄り着かずにふらふらしてるってわけ。不用意に人に近付かないから私から複製されることはないし、アイドルの方が複製されても、ベースが調整人格だから、私のコピーとは言えない。だから複製人格ゼロ。これが私の自己紹介、次は君の番ね」
「えうぇ、ふぁい」
いきなり話を振られて慌てた。
確かに今は伊万里さんの「まずはお互い自己紹介ね」との言葉が発端となっていたのだから、当然の流れなんだけど。
でも『調整人格にアイドルやらせてふらふらしてます』さんの後に自己紹介するのは、何だかハードルを上げられたような気もする。
「ふじふらふぁぎ、ひゅうろくさい」
「知ってる」
「ふぇううかはなしへよ」
「はい」
「もう……。辻倉凪の元人格は僕なんだけど、学校行ってる間に家に複製人格が来てて、外出してる間に学校に複製人格が行ってた。それでいる場所なくなっちゃったから放浪中って感じ」
「現代の若者の典型って感じね。ふうん、元人格なんだ。複製人格は何人くらいいるの?」
「えーっと……」
確認のために携帯を取り出して、『ID』で確認する。
「三十一」
「さん……?」
「あ、今三十二になった」
『ID』のホーム画面に表示された『辻倉凪』の文字。その横にある数字がひとつ増えた。複製が三十二、僕も合わせて全部で三十三人の”僕”。今の分は、一体誰が複製したのだろう。昨日遊んだ人たちだろうか。そのあたりのことまでは、まだ最新の”僕”の『ID』ログが更新されてないから、よくわからないけれど。
「まあ、ちょっと多いよね」
「多いなんてもんじゃないでしょ。何? 実は天才高校生で何かの作業に集団で従事させられてるわけ?」
「そういうわけじゃないんだけど……」
自分でも理由はよくわからないけれど、すぐに増やされる。実は僕の元の生活圏はここより少し離れた場所にあるのだけれど、すぐに増やされて、よく自分に会うようになるたびに移動を繰り返して、このあたりまで追いやられてきたのだ。慣れればそれなりに過ごせるんだろうけど、自分の知らないところで高速で人間関係が形成されていくのは、なんだかんだ忙しないし、色々手間がかかる。
そんなことを僕が伝えると、彼女は呆れたように笑って言った。
「……アイドルデビューの口、紹介してあげようか?」
結構です。
*
「で、これからのことなんだけどね」
「口にソースついてるよ」
ぐう、と彼女のお腹が鳴ったので、公園から移動した。彼女の行きつけらしい洋食店。僕はハンバーグを食べていて、彼女はミートスパゲッティを食べていた。
彼女は僕の指摘に、おっと、とテーブル端のナプキンを手に取って口を拭いた。そして、何事もなかったような澄ました顔で続ける。
「で、これからのことなんだけど」
「うん」
「私とあなたは世界の秘密を探るわ」
「…………」
「何その顔」
うさんくさいこと言い出したなあ、って顔です。僕は胡乱な目で彼女を見た。
「世界の秘密って何さ」
「それをこれから探すって話でしょ」
「ノープランってことでしょ」
「言葉選びのセンスがないのね。もっと素敵な言い回しはできないの?」
「たとえば?」
「『無明の闇をさまよい、数多ある星の中から本当に光るたったひとつを見つけるってこと? とってもワクワクするね!』とか」
この子もあんまりセンスないな、と思った。本人としてもあんまり納得のいく出来ではなかったらしく、難しい顔をしながらスパゲッティを食べている。彼女は食べるのが早くて(その分口のまわりもよく汚れて)、僕よりずっと先にその皿を空にしてしまう。それからカウンターの方に向かって声を上げた。
「おかわり!」
「うちにそんなシステムはなーいー」
ちょっとけだるげな声が返ってきて、それからカウンターの方から、大皿を持った女の子がやって来た。そして何の迷いもなく、それを僕らのテーブルに置く。
「あー、どっこらしょ。疲れた」
そして当然のように伊万里さんの横の椅子に腰かけた。
見知らぬ人物との突然の同席に、なんで?と視線で問いかけてみると、その子はへらっと笑って。
「サボりサボり。疲れたかんね」
「これ、私の数少ない友達ね。二瀬千都」
はあ、と頷く。よろしくーと二瀬さんに手を振られたので、どうも、と頭を下げておく。伊万里さんは新たに来た大皿――、ポテトチップスやサラダ、パイやオムレツなんかが秩序なく乗っている――、をパクパクついばみながら言う。
「私の友達だから大概のことは許してくれるけど、あんまりやる気ないからそれだけ注意ね」
注意って言われてもなあ、と。そんなことを考えていると、今度は伊万里さんは僕の紹介に映る。
「で、こっちは辻倉凪。素直で温厚で押しに滅法弱い。複製人格を三十人も作られる超便利少年」
「便利って……」
「辻倉くんも変なのに目をつけられて大変だねえ」
二瀬さんの言葉の内容は同情的だったけれど、反面その口調はどこか面白がっているような感じもした。なんとなく、心が広そうな人だなあと思った。
「まあ景もさ、悪いやつじゃ……、いや、悪いやつかもしれないけど。一緒にいれば面白いしさ。迷惑被ることもまあ……、結構あるかもね。はは、頑張って」
最初の頃は伊万里さんのフォローをしていたようだったけれど、後半は完全に投げっぱなしだった。やっぱり伊万里さんって変わった人だよな、と思っていたけれど、友達からもそういう風に思われてるんだ、と認識を固くした。結構変わった人と交流する機会は多いけれど、久しぶりに濃い感じの人に当たったな、と。
「あ、これサービスだから食べていいよ。半分くらいは自分の賄い用に作ったやつだから」
そう言って二瀬さんは大皿を少し僕の方に押し出した。伊万里さんが引き戻した。不平の気持ちを込めてじっと伊万里さんを見つめたけれど、完全なる無表情で返され、その顔からはいかなる感情も読み取れなかった。こわい。
恐る恐る手を伸ばす。伊万里さんにひっぱたかれるかと思ったけど、特にそんなこともなく皿から食べ物を取ることができた。ポテトチップス。綺麗に焼き色のついたそれを口に含んで。
「美味しい」
「お、ほんと? それあたしが作ったやつなんだよね。ていうかこの大皿全部基本的には」
「すごいよこれ」
もう一枚、もう一枚、と手を伸ばし続けていたら、とうとう伊万里さんに手をつかまれた。じっと見つめてみたら鼻で笑われた。僕の視線には力がない。
「食べすぎ」
「そんなに気に入った?」
二瀬さんの問いに僕は声もなくコクコク頷いた。
美味しいって言葉じゃ足りないくらい。味覚刺激の新たな扉を開かれたような感覚がする。
「すごいよ。これだけでもやっていけちゃうんじゃない?」
「……さんきゅ」
僕の言葉に、にっ、ととても綺麗に笑った二瀬さんは、なぜかどこか寂しげで、僕は首を傾げた。すかさず伊万里さんが口を開く。いや、さっきから食べ続けていて口はひっきりなしに開いていたんだけど、言葉を発するという意味で。
「千都は複製人格でそのへんがコンプレックスになってるから、あんまり未来がどうとか触れないようにね」
「こらこらこらこら」
そして二瀬さんが伊万里さんの耳を引っ張った。
「なに」
「何じゃないでしょ。何、じゃ。なんでコンプレックスがどうとか言いながらあんたが先にそのへん踏み荒らすかな」
「コラテラルダメージよ」
「だからなんでそういう無神経を……」
それからだいたい五回くらい言葉がふたりの間で往復して、二瀬さんが「まあいっか」の言葉と共に折れた。苦笑いしていた。もしかして僕もこんな感じの目にこれから遭わされていくのだろうか。
「まあこんな感じのやつだからさ。辻倉くんも適当に相手してやってよ」
「いつでもどこでも真剣に相手してね」
一瞬で板挟みだ。二瀬さんは苦笑していたし、僕も苦笑していた。なぜか伊万里さんは急にアイドルっぽい顔でにっこり笑っていた。圧があった。
僕は頷いて応える。
「まあ、とりあえずしばらくは付き合うよ。昨日そう言ったわけだしね」
「しばらくは?」
「うん。まあ伊万里さんが飽きるか、僕の複製でも作るまで。まあその場合は複製の方の”僕”が付き合い続け、」
「つまんないこと言わないでよ」
ぴしゃり、と発言を遮られた。伊万里さんは僕をじっと見た。僕と違って目力が強いから、ちょっと怯んでしまう。
「私が関係を築いてるのは目の前にいる君でしょ。それ以外の誰でもないわ」
その言葉、小学生くらいの頃に聞いたなあ、と思った。
あなたの代わりなんていない、あなたはかけがえのない、って言葉。今ではすっかり聞かなくなった言葉。
関係を築く、なんて言うけれど、複製を取ってしまえばそこにいるのはこれまでの僕と同一の、関係だって引き継いだ”僕”なんだ。たとえ今は唯一だって、複製を取ってしまえばそれで終わるだけの話。代替可能性は常に残っているんだ。
だいたい、もう三十人も代わりが作られてる人間に、そんなこと言われてもなあ、って。そう思ったけれど。
「……うん、わかった。もうそういうことは言わないよ」
「うん、よろしい」
このへんはとりあえず触らないことにした。意見の相反するところは、何となく流してうやむやなままにしておくのがいい。いつも通りのやり方だ。もしも伊万里さんが本当に僕の複製も作成せずに関係を展開するつもりなら、ここで無駄に事を荒げることもないし、もしも僕の予想通り伊万里さんが僕の複製を作成したとしたら――。
そのときは、いつもみたいに、『やっぱりね』って。
たったそれだけで終わることなんだから。
「でも、本当に何をするわけ? そのあたりのことがふわっとしすぎてると、ただ遊んでるだけで終わっちゃうと思うんだけど」
「それを考えるのが君の役目でしょ」
「初耳だよ」
「私も初めて言ったわね」
なんだこの人。
ちら、と二瀬さんに視線を送ると、彼女は諦めたようにゆっくりと首を横に振った。
「あたしは知らん。一応言っておくけどあたしは景のそれには付き合わないからね。家の仕事あるし、ていうかそもそも世界の秘密とか全然興味ないし」
「あ、そうなんだ」
家の仕事。じゃあたぶんこの洋食店が二瀬さんの家なんだろうな、と予想した。僕らと同じ高校生くらいで調理もやってるわけだし。
それから伊万里さんに視線を向け直した。すでに伊万里さんは食べる手を止めていた。大皿を見た。もう何も残っていなかった。
「ねえ、それほとんど全部ひとりで食べちゃったんじゃ」
「そんなことよりも世界の秘密の話よね」
「ねえってば」
「育ち盛りなの」
知らないよ。ていうか同い年だし伊万里さんが育ち盛りなら僕だってそうだよ。
「もっと本質的な話をしましょうよ」
伊万里さんは豪快に話を逸らした。二瀬さんが少し寂しげな目で空になった大皿を見て、それからカウンターの方に戻って行った。さすがにほとんど何も食べていないし、当然の行動だろう。
「たとえば、人格複製技術の発達のプロセスとか。肉体複製の技術との関連とか。それからそうね……、どうやって増えすぎてるはずの人口をこの国、この世界に収容してるのか。どう? 気にならない?」
「うーん、気になるっていうか」
僕はちょっと考えながら言う。
「それってさ、僕たちにわかることなの?」
「わからなかったら調べればいいでしょ」
「まあそうなんだけどさ。そういうことじゃなくて……。複製技術とかそういうのさ、僕たちが調べて納得できるものなのかな、って」
「……? どういう意味?」
「たとえばさ、複製技術のマニュアルを発見したとするでしょ? それを読み解くのには大学でなんちゃら博士号を取らなくちゃいけないような最先端の前提知識が必要で……、ってなったときにさ。えーっと、納得、は、まあできると思うんだけど。ただ……」
「もうそのときそれは、私たちの求める世界の秘密じゃなくなってるんじゃないか、ってこと?」
「あ、うん。そう、それ」
ちょうど言いたいことをばっちり言い当てられたので頷くと、彼女も思案するように腕を組んで、うーんと首を傾げて目を瞑る。
「確かに……。単に専門知識によって不可抗力的にシステムが暗号化されてるだけで、単なる公開情報として扱われてる可能性もあるってことね……。確かにそれが世界の秘密かと言われれば……」
うーん、ともう一度伊万里さんは唸った。それから手元のオレンジジュースをずごごーっと、氷まで吸い込んでしまいそうな勢いで飲み切って。
「ま、とりあえずやってみましょうか。どうせ時間はたっぷりあるわけだし」
と、気楽な調子で言った。
まあ、確かにその通りだ。僕もそうだし、伊万里さんも学校に行ってるわけではなさそうだし。働いたりしなくても、子供なら児童館に行けばお金はもらえるし(この仕組みもよくわからない。成人すればもらうところが役所なんかに変わったりするみたいだけど、一体誰がその働かない人たちのお金を工面しているのか。ぼんやりとした僕の予想では、働くのが好きな人たちの複製がたくさん作られて、その人たちが社会を上手いこと回してるんじゃないかと思っている)。とにかく時間はいくらでもあるのだ。
「ま、とりあえず専門知識薄くても大丈夫そうな、人口収容の秘密を気持ち優先するくらいで探っていきましょうか」
そう言って伊万里さんは空になったグラスを片手に、カウンターの方に向かって「おかわりー」と声を上げた。「うちではそういうサービスはやってませーん」と、二瀬さんの声が返って来て、オレンジジュースの代わりに給水器を持ってテーブルまでやって来た。
えー、と不満を呟く伊万里さんを、二瀬さんは、文句言うんじゃありません、と窘めて。そこで、ふと思った。
「ねえ、そういえば聞きそびれてたんだけどさ」
「何、ここの支払い? サービスだから気にしなくても大丈夫よ」
「んなわけあるかい」
二瀬さんが突っ込みながら、水を注いだグラスをテーブルに置いた。ちなみにお金は朝出るときに児童館でもらってきたから問題ない。
「なんで伊万里さんは道連れ探してたの? これってひとりでもできない?」
ちょっと不思議だった。今の時代、突然声をかけて突然関係を築いて……、なんてのはごく普通の行動だけど、伊万里さんはそういうタイプには見えなかったから。むしろ時代の流れに真っ向から逆らうタイプっていうか。
そう思って尋ねると、二瀬さんが笑って、横目で伊万里さんを見た。そして、伊万里さんの代わりに答えて曰く。
「この子、これでも寂しがり屋なんだよ」
はあ、ととりあえず頷いた。そういう風には見えないけれど。何も付け加えない伊万里さんの顔からは何も読み取れなかったし、どこまで本当なんだろうか。
僕はこの表情の意味が読み取れるようになるまで、伊万里さんとの関係を継続できるだろうか、なんて。そんなことを考えながら僕もアイスティーを飲み干して。
このときはまさか、世界の秘密に一歩も近付かないままに、半年も伊万里さんと交友関係を継続するとは思っていなかった。