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01 人生は死に方で決まる

 『人生は死に方で決まる』、と。



 かつての友達は小学生のくせしてそんな悟ったようなことを言って笑っていたけれど、僕は今でもこの考えが好きだったりする。だって、『人生は生き方で決まる』なんてことが通ってしまったら、それは確かにごくごく当然のことなんだけれど、ひどく息苦しい感じがするじゃないか。


 『人生は生き方で決まる』。それでもしも最高の人生を目指そうとするなら、一瞬だって気が抜けなくなってしまう。一分一秒たりとも無駄にせず、どこまでも遠くを目指して努力を続けなければ、なんて極端な考えが起こってしまう。実際、僕の兄なんかは多分にそういうところのある人で、常に気を張っているような難しい顔をしていた。きっとあれはあれで本人としては慣れたものなんだろうけど、僕にはちょっと向いてそうにもない。


 だから僕は『人生は死に方で決まる』という言葉が好きだ。終わり良ければ総て良し、なんて投げやりな楽観だとも思うけれど、最後の最後の一瞬だけなら、何とか頑張れそうだって思うから。


 けれどその言葉を聞いてから五年が経って、随分その意味は複雑になってしまった。


 『人生』とは何だろう。”僕”が何人いるかもわからない今の世の中で。


 『死』とは何だろう。僕以外の”僕”がひょっとすれば永遠に残り続けるかもしれない今の世の中で。


 僕はどこまで”僕”の死に方と、その人生を決められるのだろう。


 きっと、そんなこと考えていても、幸せになんかなれないんだろうけど。



*



「おーい、行かねえの?」


 と、声をかけられて我に返った。振り向くと、すっかり夜めいてきた暗い駅前の人だかりの中で、近くの高校の制服を着た”今日が初対面の友達”が数人いて、僕の動くのを待っていた。ちょっとぼうっとしていたみたいだ。

 何の話をしていたんだっけ、と記憶を形作ろうとしてみるけれど、その前に僕に声をかけた、色の黒いスポーツマンっぽい男の子が、親指を立てて『行こうぜ』のジェスチャーをしながら補足してくれる。


「カラオケ」


 僕はちょっと考えて、気乗りしなかったので首を横に振った。愛想笑いも付け加えておく。


「お腹減ったから帰るよ。また会ったら誘って」

「おー、そっか。じゃ、またな」


 そう言って手を振って別れた。

 『またな』。彼はそう言ったけれど、僕が彼らに再び会う日は来るのだろうか。”この僕”が会うことは、あんまり望みがないんじゃないかって。そう思ったりもする。


 ひとりになって、確かにお腹がすいたような気がしてきた。太陽はついさっき沈んだばかりだけれど、今は七月だ。十九時近くにもなると蝉の鳴く声も薄れてきて、さすがに昼ご飯から結構な時間が経っている。けれど何を食べるか決めていなかったから、とりあえず近くのベンチに腰を下ろした。

 駅の方を向いて座ると、ひっきりなしに人が出入り口に吸い込まれたり、吐き出されたりしているのがわかる。東京はやっぱりいっぱい人がいるよなあ、なんて感想を持っていたのは五年前、ちょっと大目に見ても四年前くらいまでのことで、今は毎回疑問が湧く。


 少なく見積もっても、五年前から今に至るまでに、世界の人口は三倍くらいになっているはずなのに、あの頃と変わらないのはなぜだろうって。


 僕は父が最低でも六人、母が七人いる。

 別に家庭環境がどうとか、そういう原因によるものじゃない。というよりも、今ではこのくらいがスタンダードだ。”同一人物の父母”が、”複数人いる”というのは。随分変な言葉になってしまうけれど、そういう状態なのだ。


 『Bot』と。ほんの最初の頃だけはそう呼ばれていた。すぐにその言葉は混沌の中にかき消えてしまったけれど。

 人工知能の作成による特定人格の保存。思考パターン、あるいは知性そのものの複製。初めは未熟だったはずのその技術が、気付けば本人との区別がほとんど(僕のような一般人について言えば、全く)不能なほど高度のものになっていた理由も、爆発的に拡散した理由も、単なるコンピュータの上で働いていたはずのそれがいつの間にか肉体を得ていた理由も、きっと広い世界のうちで誰かは知ってるんだろうけど、僕は知らない。だってその急増した人類(初めの頃はこう言っていいのかわからなかったけれど、最近はもっぱらこういうまとめ方だ)が引き起こしているはずの人口過密が、どんな風に克服されているかも知らないのだから。


 誰かが知っていることなら、わざわざ自分が知る必要もない。現代社会に生きる人間としての基本スタンスだ。テレビの仕組みを知っている人だってほとんどいない。大事なことは、その情報がもたらすものと自分との関係だ。そんなことを、駅前の大型ビジョンを見上げながら考えていた。


 少しキンキンした音楽と共に踊る六人の女の子。最近流行のアイドルだ。宵闇を照らす駅ビルの光とビジョンの光は強烈で、同時にどこか奇妙な光色を放っていて、不安な気持ちが少し湧き上がってくる。


 彼女たちを見ていたら、ふとドーナツが食べたくなった。何でだろう、と考えていたら、その六人のうちのひとりがちょうど輪っかをつくるような髪型をしていて、どうもそれがドーナツのイメージを僕に想起させたのだということに気が付いた。我ながら単純だな、とひとりでくすくす笑ってしまう。


「ねえ」


 と、話しかけられたのはそのときだった。隣に座っていた、年の頃は僕と同じだろう、高校生くらいの女の子。


「なんで笑ってるの?」


 尋ねられて、まずは記憶を探った。知り合いだったかどうか。肩のくらいまでの黒髪で、ちょっと中性的な感じの女の子。僕の脳が出した答えは『いいえ』。だから次はポケットの中からスマホを取り出して――。


「ちょっと」


 その手首をつかまれた。ポケットに入れたまま、手を動かせなくなってしまう。僕の手をつかんだ少女は、何でもない調子で言った。


「人が話しかけてるのに、まず携帯を取り出そうとするってどうなの?」


 随分古めかしいことを言う子だな、と思った。僕は少し面食らって彼女を見る。

 知らない人に声をかけられたら、とりあえずスマホを取り出す。そんなに珍しくもない、というか限りなく一般的な行動のはずだ。


 生活管理アプリ『Life ID』。あるいは略して単に『ID』。”自分”の行動記録をその他の”自分”と共有管理するためのアプリ。専らその用途は交友関係の記録に比重が置かれていて、見知らぬ”自分”がいつどこでどんな人と接触したのかを『ID』を使えば即座に知ることができる。ただし、当然ながら、『ID』を使用している"自分たち"の記録に限って、という注釈が必要になってしまうが。

 それでも『ID』の使用はごく一般的だ。思考パターンが同一である以上、”自分”のうちひとりでも使用していればほとんどの”自分”がかなりの確かさで使用するわけだし、利便性はとても高い。知らない人に話しかけられたとき、まずは『ID』を使用して他の”自分”の知人友人であるかを確認するのはごく普通のことだ。実際、さっきまで一緒にいた”初対面の友人たち”は、別の”僕”の友人であり、『ID』の使用でそれが判明した。


 戸惑いながら、僕は尋ねる。


「ええっと、”僕”の知り合いの人ですか?」

「初対面で知り合いも何もないでしょ」

「いや、そりゃあ僕とあなたはそうかもしれないですけど……。他の”僕”と」

「君は君でしょ。ひとりしかいないじゃない」


 うわあ、と思った。

 たまにいるんだ、こういう人が。個人のアイデンティティがどうとか言って、妙なこだわりを持って喋る人。

 僕だって、それなりにはアイデンティティとかそういうことについて考えているけれど、別にそれを前面に押し出して誰かとコミュニケーションしようと思ったりはしない。特定人物と仲を深めるのが難しくなった今の時代、重視されるのは『ID』に記載された関係性の欄と、インスタントなコミュニケーション技術だ。そしてそれは基本的には共通した現実認識の下で、当たり障りのない範囲で行われる。思想に関する議論がしたいなら、大学でもセミナーでも、『思想の議論がしたい人』が集まるところでやればいいと思う。すれ違いざまに突然そんなことを言われても、反応に困るだけだ。


 調子を合わせてやり過ごそう。それからドーナツを買って、どこか適当なところに帰ろうと、そう思って僕はまた口を開いた。


「あ、じゃあ全然知らない方なんですね」

「さっきからそう言ってるじゃない」

「あはは、すみません」

「それよ」


 ぴっ、と顔を指さされた。少し笑顔がこわばった。ちょっと行儀が悪い人だな、と思った。慣れっこだけど。


「何が楽しくてそんな風に笑うの? 今日日、子犬だってもうちょっと憂鬱な顔してるわ」

「そんなこと言われても……」

「悩みとかないの? 不安は? 嫌なことは?」


 そんなのあるに決まってるじゃん。

 昔からこういうことをよく言われる。さすがにここまで面と向かってきっぱり言われたことはないけれど、『いつも幸せそうだね』とか、『悩みがなさそうでうらやましい』とか。ないわけないでしょ。顔に出ないだけなの。

 大抵のそういうのは褒め言葉として言われてきたけど、こんな風に文句をつけられたのは初めてだ。ちょっとムッとしながら反論を考えると、いきなり頬をつつかれた。


「それって怒った顔なの?」


 すっごい無防備、とつんつん突かれる。怒るとかそれ以前にちょっと引いた。距離の詰め方がおかしくないだろうかこの人。

 馴れ馴れしい初対面の人と遭遇するのは、別にそこまで珍しいことじゃない。別の”僕”と親しかったりすれば、その距離感で関係を繋ごうとする人もいるから。でもこの人の言うことを信じるなら、僕とこの人は完全に初対面なわけで。


 逃げようと思った。だから立ち上がった。未だに握られていた手首を引っ張られて、もう一度座らされた。


「…………何なんですか」

「だから、なんで笑ってるのかって」


 笑うくらい人の自由でしょ、と思いながらも、さっさと話を切り上げたくて、大型ビジョンを指さした。


「あの髪型、ドーナツみたいで美味しそうだな、と、おも、って……?」


 そこで、ようやく僕は気が付いた。

 隣に座る彼女の顔と、大型ビジョンに映る六人のアイドルのうちのひとりの顔。それがほとんど一致していて――。

 隣に座っている方が、人混みの中で、声を上げて笑った。


「ドーナツって……。君、ほんとに……」



 あはは、と無邪気に笑う彼女は、ターミナル駅の目の前、映像の中で歌って踊る”彼女”だった。



*



「へえー。こんな場所があるのね」


 昔から押しに弱い。頑固な兄や、奔放な友人を持っていたせい、と責任転嫁することもできそうだけど、大人しく生来の性分として受け入れようと思っている。


 夜の公園だった。

 ターミナル駅から離れることになって、ドーナツを買って、なぜかふたりで食べることになって、彼女のリクエストで、僕が案内した場所。

 人が増えているはずの東京でも、未だに人がいない場所っていうのは存在している。繁華街の近くだって、ちょっと奥に進んでいけば、案外と静かな場所があるものだ。


「何でもいいけどさ、君は僕に何の用があるのかな?」


 どこか緑がかった街灯の明かりの下で、僕もくだけた口調で話しかけた。あっちが敬語を使っていないのに、僕が使う理由がない。


 売り出し中のアイドル『CITRUS』。メンバーの頭文字から取ったらしいそのグループ名の、『I』に当たる子。伊万里(いまり )(けい)。詳しくない人でも、グループ名なら知ってるってくらいには有名人だ。僕は詳しくない人で、グループ名しか知らなかったから、さっき隙を見て携帯で彼女の名前を調べた。


 彼女は何も聞かずにさっさと自分の好みらしいドーナツを箱から取り出して確保しながら言う。


「それより、君の名前をまだ聞いてないんだけど」

「……辻倉(つじくら)(なぎ)

「ふうん、名は体を表すって感じね」


 どういう意味だろう。名前自体は気に入ってるんだけど、そういう言い回しをされると裏があるようにも感じる。


「で、君は何の用があるの」

「ううん、あると言えばあるし、ないと言えばない、かな」


 彼女はドーナツを頬張りながら言う。それは僕が食べたくて買ったやつなんだけど。ドーナツ屋からこの場所に移動するまで大体十分弱。心変わりにしても早過ぎないか。


「それってどういう意味?」

「君次第、もしくは私次第ってことなんだけど……。ねえ、これ君が買ったやつなんだけど、私が食べていいの?」

「そりゃあ、自分で食べたいんだから買ったんだけどさ、口つけちゃったなら仕方ないでしょ。ていうかわかってるなら奪って食べないでよ」

「ふうん」


 そう言って彼女は僕を見つめた。観察するような目つきで、不躾にじろじろと。居心地が悪くなって目を逸らす。

 それから彼女は、口にくわえたドーナツを、両手で持って、口をつけてない方とつけた方の半分に分けた。そして口をつけてない方をはい、と僕に差し出して。


「あーん」


 僕は差し出されたそれを見て、とりあえず手で受け取ろうとして、けれどさっとそれを取り上げられた。彼女は今度は僕の口の近くまでその半分のドーナツを運んで来て。


「あーーーん」

「……ねえ、これやらなくちゃダメかな?」

「ダメ」

「………………あーん」


 諦めて口で受け取った。こういう手合いを相手に強情を張れるような性格をしていないのは、自分でよくわかっているのだ。ドーナツは美味しかった。

 彼女は、もぐもぐと咀嚼する僕を見ながら頷いている。


「素直だし、押しに弱いし、穏やかそうだし、この子でいいかな……」


 ぼそり、と彼女が呟くのが聞こえた。ひとりごとなら、せめてもうちょっと人には聞こえないように努力してほしい。

 けれど彼女が何を考えているのかはわからなくて、もう一度何の用件が聞こうかと思ったけれど、三回目はさすがにしつこいような気もしたし、この手のマイペースな人に質問が意味ある行為とも思えなかったので、とにかく相手が話し出すのを待った。


「ねえ、君。とりあえずさ、私の友達になってみない?」


 その申し出は驚こうと思えば驚けるし、そうじゃなければ別に、という微妙なラインだった。

 交友関係形成の申し出は別に街中を歩けば珍しいことじゃない。誰もが学校に行ってたり働いてたりするわけじゃないし、そういう手段で知人を増やしていくものだから。だけどその申し出がアイドルから、というのはなかなかない。それは絶対的な存在の希少さから来る驚きじゃなく、職業柄の問題としてだけれど。


「まあ、それくらいならいいけど……」

「言っておくけど、それくらい、なんて軽いものじゃないからね。私の言う『友達』っていうのは、君が想像するよりずっと深い関係になるの。最終的にはね」


 なんだかちょっと誇らしげに言う彼女に、僕は、はあ、と頷いた。まあちゃんと交友が続けば深い関係になることもあるんじゃないだろうか。今の時代には、その交友を重ねるってこと自体がいまいち難しいことになっているようにも思えるけれど。


「とりあえずしばらくは起きてる間ずっと一緒にいるわ。どこで寝泊まりしてるの? 児童館? ホテル? それとも実家? どこでもいいけど、起きたら駅前に集合ね。眠くなったら解散。それで友情を深めて、上手く行ったら次のステージよ」

「次のステージ?」

「それはまだ秘密」


 悪戯好きの子供みたいな顔をして、唇に人差し指を当てた彼女に、これは答えてもらえそうにもないな、と質問を変えることにした。


「なんで僕?」

「私は性格が悪いの」


 彼女は胸を張るような勢いで、きっぱりと言い切った。全然そのことを悪いとは思っていなそうだった。


「無神経だし気は利かないし、自分勝手だし待ち合わせの時間には平気で遅れるし……。だから、大概のことは笑って許してくれそうで、洒落にならないことになっても土下座すれば押し通せそうな人としか友達になれそうにもないの」


 これ文脈的に、僕が『土下座すれば何でも押し通せそうな人』として認識されてるんだろうな。たぶんそんなに間違った認識でもないんだけど、認めるのは何か癪だ。


「……そんなこともないんじゃない? CITRUS のメンバーなんでしょ? 人気アイドルなんかやれてる時点でそういうコミュニケーション能力十分だと思うけど」

「あれは私じゃないもの」

「あ、そうなんだ。でもほら、違うって言っても人格は同じわけだからさ……」

「だから私じゃないんだって。あれは調整コピーだから」

「え?」

「あ」


 しまった、と彼女は口を両手で押さえた。それからゆっくりと物々しく口を開く。


「悪いけど、ゆっくり仲を深める段階は通り過ぎたわ」

「ええ……? 今のは君が勝手に……」

「私は自分勝手なの」


 そう言われてしまっては、僕から言えることはない。たぶん何か言った方がいいんだろうけど、言えるような人間ならまずこの状況にまで持ち込まれない。

 彼女は袋をがさがさと鳴らしながら、もう一個ドーナツを取り出した。今度は、僕が選んだやつじゃなくて、彼女が選んだやつ。彼女はそれをまた半分に割って、僕の目の前に突きだした。


「選んで」


 彼女は真剣な顔で僕を見つめた。だから、僕も見つめ返した。


「これを食べずにどこかで退屈な人生を送るか、これを食べて私と生きる意味を見つけるか。選んで」


 その言葉に、僕はヨモツヘグイみたいだ、と思った。黄泉の国で食べ物を口にしてしまったら、もう二度と現世に戻ることができないように、このドーナツを食べたら戻れないと、そう言われてるみたいで。

 そして同時に、かつての友人の言葉を思い出した。


 『人生は死に方で決まる』と。


 もしもこのドーナツを食べて二度と帰れなくなるとすれば、それはまるで本当にこの瞬間に、あったはずの僕の未来が死んでしまうということで。

 それって、つまり。


「……ひとつ聞いていい?」

「ひとつだけならね」

「それ、楽しい?」


 生きる意味を見つける、なんて。そんなふわっとしたことを言われただけで、何かを捨て去る覚悟ができるほど、僕は無謀な性格をしていない。けれどその言葉にどこか惹かれるものがあるのも事実だった。


 無数に存在する自分。その中のひとりでしかない僕。そして”僕”の総体ですらも、地球に存在する数多くの生き物のひとつでしかなくて――。

 きっとそれは誰もが抱える悩みで、だから僕も同じように。


 僕の問いかけに、彼女は難しい顔をして。


「……楽しいかは、私もまだわからないけど」


 けれど、それから彼女はきっぱりと言い切った。


「絶対、何もせずに死ぬよりは良い」

「……そ」


 だから、僕も迷いなく。


「いただきます」


 と、彼女の手に持つドーナツを、口にした。


 もしも本当に。

 『人生は死に方で決まる』のだとしたら。

 この瞬間の――、今、このときの、初めての僕の死はきっと――。


「ごちそうさまでした」


 これからの人生を――。


 僕は笑った。

 小さな公園の、街灯の下で。夏の夜の熱の中で。

 にっこり笑って彼女を見て。そうすれば彼女も笑い返して。


「別に、口で受け取れとは言ってないんだけど」

「………………」



 くすくす笑う彼女をよそに。

 早まったかもしれないな、なんて。耳まで赤く染めるような熱を顔に感じながら、僕はちょっとだけ後悔していた。

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