第一羽目 1-1C 日常の旅人 中編
翌日。朝っぱらから明日の弁当どうしようとバリエーションに悩む瀬人は、なるべく手抜きが出来てそれなりに美味しくて手持ちの材料で作れる物ってないだろうか、と自分からハードルを上げていた。
校門を通り、下駄箱を過ぎ、何時ものように教室へ足を踏み入れた瀬人は、そこで漸く思い出す。
――まだ飼葉に何も言ってねえっ!? や、やばい、飼葉いる、絶対あの顔は誤解してたぞ!
朝から深刻そうな表情をする瀬人は、他のクラスメートと挨拶を交わし席につく。隣の席をちらりと見る。恐らく他のクラスに居るのだろう、机の隣に鞄がかけられているだけで他は何もない。
「桜山くん、おっす」
「オッス。って、久しぶりに聞いたな、それ」
「えへへ。気合注入?」
照れくさそうに微笑んだ枦谷は髪の毛をくるくるといじくる。ふんわりパーマが更にクルクルしていった。枦谷は瀬人に挨拶をすると、ちらりと昨日の転入生を見た。
「そうだ、桜山くん、宿題やった?」
「……分からなかったから、投げた」
「もう、意地張らないで友だちか家族に教えてもらおうよ。そっちのほうがプラスになるから、ねっ?」
「はは、そうだな。今度、頼んでみるよ」
――鈴のヤツには頼りたくないんだよな。勉強してる最中に莫迦な俺が頼みに行ったらそれこそ、当人の勉強が出来なくなるし、休日は友人と遊びに行ってるのにそれを邪魔したくないし、あの人はいつも仕事で家に居ないしな……そんな人の休日に勉強を、なんて申し訳ない。なるべくリラックスしてもらうよう、ってほうを優先してしまう。
やはり自分には補習室しかないな、と瀬人は思い直す。枦谷は瀬人から離れ、親しい女友達と話している。
「白崎さん、おっはよー!」
「ごきげんよう」
――お、お、御前かーッ!!!
瀬人は指を指してやりたい気持ちで、白崎と呼ばれた人物を注視する。何故か真犯人を見付けた気分になっていた。
170センチはあるだろうシャキッとした背丈に背筋。触りたくなるようなほど艶めいた長髪にカッティングされた宝石のような輝きを放つ菫色の瞳。すらりと伸びるカモシカのような足に色白の肌。これで憂いげな表情を作れば、深窓の令嬢の完成だ。
――ああ、よかった。って、え? 転入してきたの、昨日……どういうことだ!?
思わず枦谷をガン見した瀬人は、額に手を当て溜息を吐く。昨今の恋愛事情に着いて行く気もなかった瀬人は、気を落ち着かせるために教室を出て行った。
「お、飼葉。おはよう」
「……よう」
あっと露骨に顔色を変えた飼葉は、気まずそうに挨拶を交わしてくる。その分かり易さに申し訳なくなった瀬人は、廊下の端に連れ込むと掻い摘んで事情を説明した。
「……いや、そういうの、いいから……」
「え? どういう意味だよ」
「わかってる。おまえも好きだったんだよな。オレの負けだ。おめでとさん!」
――エエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!?
「いや、今の話……」
「そこまで隠そうとするなんて、ヒデェモンだぜ! 遠慮しなくたって、正直に話してくれていいんだからな」
――……ああ、なるほど。御前もかァァァァァアアアアアッ!!!
「人の話を聞けッ!! ショックで自己完結したいのは分かるが、そこは謝るが、とにかく自分の世界に入って終わらせんなっ!! 俺は無実だ!」
その後、瀬人はもう一度同じ説明を繰り返し、飼葉は「ウソだろ」と何度も否定してくるのを宥め、瀬人が二度と恋愛事には関わらないと固い決意を決めていると、飼葉はすっとんきょうな声を上げた。
「て、ことは……はあああああああああっ!? お、おまっ! 本気で聞いたのか!? 何してんだよターコッ!!」
「頼んで来たのは御前だろう」
胸倉を掴んでくる飼葉の手をばっと振り払った瀬人は、マイペースに襟元を直す。
「アレは場のノリってか、ジョーダンだよジョーダン! それ以外になにがあるってんだよ! 大体、そんなの女子みてえじゃん!」
「何時までもうじうじ恋心を秘めているよりかは、マシだと思うが」
瀬人の冷め切った言葉に飼葉は両肩を大きく落とす。何でもいいからさっさと決着を着けてほしいと思う瀬人に容赦の二文字はなかった。
「友人を頼ろうとなかろうと、意中の相手に近付く為の行動を起こしているんだから、何もしないよりはマシだ。
まあ、告白する時に大勢の女子を連れてくるのは理解出来ないが……」
「……ったよ」
「ん? 何か今言ったか?」
「分かったよってたんだよっ!! だったら男らしく告白してやらァッ!!」
――いっ、いいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!?
瀬人はぱくぱくと開口と閉口を繰り返す。飼葉の叫びに、告白との言葉を聞き付けた女子の目がキラリと光った。瀬人は廊下で姦しく話す女子の視線に愛想笑いのようなものを浮かべ、飼葉を教室内に引き込む。
――個人的には白黒ついた方がスッキリしていいんだが、此奴フラれたら絶対深夜にイキナリ電話かけてきて泣きついてくるタイプなんだよ。で、朝まで慰めるなんてことに……てめえは何処の恋愛体質系女子だ! ……ま、まあまだ起こった訳じゃないしな、うん。だがなんとしてでもここで止める!
今すぐ電話を切りたいのに、ふんぎりがつかなくて最後まで付き合ってしまう自分の悲しい姿まで想像出来た瀬人は、飼葉を必死に止めようとしたが、飼葉はムキになるばかり。
自分の悪手を後悔しようと、もう遅い。瀬人は飼葉がどうか他の人に泣きついてくれますように、と心の中で祈るのだった。
放課後。瀬人は補習室で補習を受けていた。幾ら教師に教えてもらっていても、自分の教えて欲しいところと教師の教えているところが噛み合わなければ、意味がない。
何度目かの「それは分かってるんだが、そこじゃなくて……」を繰り返す事に疲れ果てた瀬人は、がっくりと肩を落とす。
「すみません。ありがとうございました」
時計を見ると、もう部活の殆どは終わっている頃合いだった。今から家に帰れば、夕食までに小休止はとれる。
「俺って説明するのヘタなんだろうか……」
「おつかれさま、桜山君」
「あ、ああ。吉倉もお疲れ。いつも居るのか?」
「家に帰ってもすることないし、勉強の方が楽しいから」
瀬人は唖然とする。吉倉文。彼女は生徒会の書記係で、放課後は生徒会室か補習室か図書室かの何処かに居る事が多い。
彼女のそういったところは知っていたものの、何度聞いても瀬人は同じ反応をしてしまう。
「すごいな」
「みんなみたいにやりたいことがないだけよ」
「やりたいことはみんなやれる。だけど、やりたくないことや興味のないことをやれるのは、凄いと思うな」
「……桜山君ってけっこう真面目なのね」
「なんかそれ、昨日も言われたような……」
複雑な表情の瀬人に「ごめんなさい」と倉吉は真顔で謝る。瀬人は「気にしてない」とだけ答えると、話題を替えた。
「そういえば、1年の頃も同じクラスだったのに話したこと、なかったな」
「そうね」
「……吉倉の家ってどこだ?」
聞けば、反対方向だ。だが、倉吉は駅の方に用があるのだと言う。話している間に2人は下駄箱に辿り着いた。
「駅までの道に駄菓子屋さんがあるの。そこのおばあちゃんと約束してるのよ」
「駄菓子屋!? そんなところあるのか?」
「さ、桜山君?」
瀬人の勢いに驚いたように、彼女は眼鏡のテンプルを無意識に掴んで上げる。隙のある彼女の表情は、ギャップがあって瀬人には面白く感じた。
ゆるく編まれた三つ編みが彼女の動きに合わせて揺れる。三つ編みのおさげは見かけるが、倉吉の三つ編みは一本だ。
赤い楕円形の眼鏡をかけている倉吉の唇は、噛み付きたくなるような肉感がある。
そういえば、と瀬人は倉吉の前髪に視線を遣る。何時もは目立たないピンなのに、たまに前髪を留めるピンが幼い物の時がある。今日もそうだった。
デフォルメされた子猫の顔があるピンだ。瀬人はこのピンか黒いピンしか見た事がないので、瀬人のよろしくない頭でも思い出せたらしい。
「俺、駄菓子屋って行ったことないんだ。一度、行ってみたくて」
瀬人は眸をきらきらと輝かせている。子供のようにわくわくした顔を見て、倉吉は困惑したように「見ても面白いものなんてないわよ?」と念押ししてくる。
「ああ。いっぺん、スーパーで売ってる以外の駄菓子を買ってみたかったんだ。
ほら、スーパーの駄菓子って種類少ないだろ? 俺の家の近くのスーパーは、生鮮食品を押し出しているから余計、菓子類は期待できなくて……」
興奮してマシンガントークをする瀬人の話を倉吉はうんうん、と頷きながら聞いている。
「あ、悪い。話し過ぎた」
熱くなって話し出した自分を恥じるように、瀬人はかるく伏せて頭を掻いた。
倉吉が首を左右にふる。三つ編みの先っぽがぴょんぴょんと首の動きに合わせて跳ねた。
「駄菓子屋って今じゃあすっかり見なくなったものね」
「ああ。だからかな、憧れがあったんだ」
「そんな大層なものじゃないよ。古いものがあるだけ」
「約束ってなんだ?」
「……ああ、約束っていうのは、月に一度、会いに行くって約束。
昔はたくさんの子供が来てたけど、今はめっきり来なくなったから、さびしいっておばあちゃんが言っててね。
あたしはそのとき、まだ小学生だったんだけど、なんとかしてあげたくって自分から言い出したの」
「それから守り続けてるのか? 凄いな、俺なら三日で忘れる」
「三日坊主じゃないんだから、覚えときなさいよ。まあ、あたしもそうだった。子供だったからね、すぐに自分の言った事も忘れてそれきり。
塾とか小学受験とか色々揉めてたから、あたしがまたあそこの駄菓子屋に行ったのは、中学に入ってからだったの」
「それじゃあ、そのときから?」
「うん。そのとき、おばあちゃんがにっこり笑ってくれてね、それで、『ひさしぶり』ってあたしのこと覚えてくれてたんだ……もう歳なのにね。
だから、なんだか悪い事しちゃった気分になって、以来通ってるの」
「そうなのか……」
「でも一番の理由は、おばあちゃんが嬉しそうに笑ってくれるから、かな」
御婆さんの事を語る倉吉の表情は、学校に居る時よりもずっと、ずっと、楽しそうで輝いていた。
嬉しそうに笑ってくれる、と言っている本人が嬉しそうに笑うものだから、瀬人もつい微笑んでしまう。
「あやちゃん、よくきたねえ。おばあちゃん、いつあやちゃんがくるかって、ソワソワしてたら、駐在さんに言い当てられたよ」
「ふふ、おばあちゃんはホント分かり易いんだから」
「おや、そこのひとはあやちゃんのコレかい?」
「チガいますよーだ。この人は桜山君。彼、一回も駄菓子屋に行った事がないらしいから、あたしが案内したの。お客さんになってくれるって言うしね?
吉倉は瀬人を見てニッコリと笑った。瀬人は苦笑しながら彼女に挨拶をする。
「初めてまして、こんにちは。桜山瀬人です。吉倉さんとは同級生のよしみで」
「あら、桜山君ってあたしの事、吉倉さんって呼ぶのね」
「吉倉、御前な……あっ」
「あはは! 見てよ、彼、ほんと引っ掛かりやすいの。普段は自分が飼葉君で遊んでるのにね~?」
「しょ、正直者なんだよ。それにわざとだし」
「ダサい言い分ね。ねえ、おばあちゃん。こういう人どう思う?」
「ふたりとも、仲がいいんだねえ。あれかい、ちゅっちゅしてるのかい?」
「……いや、だからね、おばあちゃん。あたしたち、そういう関係じゃないのよ」
「おや、そうかい。隠したってムダだよ」
「おばあちゃん、人の話聞いてよ……」
吉倉は困ったように笑って「ごめんなさい、おばあちゃん歳だから」と声を潜めて瀬人に謝る。
「あたしゃあ、まだまだ現役だよぉ、あやちゃん」
「きゃっ!? き、きこえてたの?」
「ばーっちりねぇ~。おばあちゃんの地獄耳は、地平線の彼方まで広がってるんだから」
「あはは、それは凄いね……」
「ええ、ええ、おふたりが満更でもないってコトもよぉおくわかってるんだよぉ」
「ずいぶんと、その、若いな」
クラスの女子の『そんなコト言って~』『ホントはスキなんでしょー?』と言うゴリ押しを思い出した瀬人は、苦々しく笑う。
何時だったか、勘違いした女子の情報網により勘違いされ、好きでも嫌いでもなく告白してもいないのにフラれた苦い過去がある。瀬人は地味に運が悪い。
「ええ、ごめんなさいね、人の話聞かないひとで……」
確かに歳だな、と瀬人は内心失礼な事を思いつつも適当なお菓子を取る事で、ギラリと光る眼でこちらをちら見するおばあちゃんの視線と吉倉の話の返答を回避した。
駄菓子屋の中を見渡してみると、瀬人のイメージしていた世界がそこにはあった。スーパーやコンビニの清潔さを表す白い床や壁とは百八十度違う。
古びた香りとお手頃サイズなお菓子や玩具の数々。ゴチャゴチャした品物の前にある手書きの値札には、手を伸ばしやすい値段が書かれてある。
「これ、スーパーにもあるヤツだ」
「桜山君、ここ駄菓子屋。あと、逆だからそれ」
「す、すみません……」
「ええね、ええね。すーぱーにないモン、いっぱいあるでしょ? 好きに見てっていいからね」
顔の皺が緩慢に動く。深い皺の刻まれた顔には、それだけで瀬人達にはない愛嬌があった。
ニッコリと温かに笑うその笑顔は、瀬人が欲しかったモノを持っている。
――そういえば、絶縁、なんだよな。俺……捨てられたんだったか。
他人事のように思う瀬人は、鈴が食べたそうな物を探していく。吉倉はそんなお客さんを慈愛の眼差しで見ていた。
吉倉は軽く首をふり、駄菓子屋の老婆と雑談を交わしていると、不意に彼は何をしているんだろうと気になり、店内へ目を送る。
すると、瀬人が紙風船やベーゴマ、メンコなどの見本を手に載せてきらきらとした目で見つめていたので、思わず吹き出した。
「?」
「なっ、なんでもないからっ……!」
――紙風船やベーゴマぐらいであの反応っ……! ほ、ほんとにオモチャとかそういうのとは無縁な生活してたのかしらね?
吉倉が何故こちらを見て笑っているか分からなかったが、小さい頃の記憶の大半を失っている瀬人からすれば見る物どれもが新鮮で眩しい。
「これ、なんだ?」
「どれどれ? あ~、残念ね。これは外れよ」
「ほう、外れなのか……」
出てきたガムが外れと聞いて、瀬人はもう1回しようかどうか、コイン投入口とガムをちらちらと見比べて考えている。吉倉はくすくすと笑っていた。
「10円ぐらいいじゃない」
「いや、俺運がないから……そうだ、吉倉引いてみてくれないか」
「レバー動かすだけでしょ?」
「金は渡すからさ、ほら。そしたら、当たるかもしれない」
「あんまり期待しないでよ?」
吉倉は試しに自分がやってみる。すると、先程とは違う色のガムが出てきた。
「これは……おばあちゃん、これってどうなの?」
「アタリだねぇ、もう1個オマケだよ」
「……ガムがもう1個?」
吉倉は苦笑するが、瀬人は嬉しそうに「吉倉、凄いな。当たったぞ」とはしゃいでいる。
「ガム1個くらいで、どうしたのよ?」
「俺は、この手の物に当たったことが今まで1度もない」
「アイスも?」
「アイスもチョコも他の菓子もだ。あとお年玉や商店街のもな。ここまで外れるのは凄いと言われたことさえある」
「そう。よかったわね、桜山君」
「いや、これは吉倉が引き当てたものだ。吉倉が貰ってくれ」
「いらないわよ、ガムでしょ?」
「……じゃあ、貰う」
「……やっぱり、もらってもいい? 桜山君が嬉しそうにしてるの見てたら、あたしもなんとなく」
「ああ、どうぞ」
――何だか今の桜山君は、クラスの男子よりも数段、子供っぽく見えるわね。意外と根はそうなのかしら?
「なあなあ、吉倉。これってなんだ?」
「ん? ああ、それはね……」
好奇心旺盛に尋ねる瀬人に、吉倉はふんわりと苦笑しつつも付き合ってあげるのだった。
「桜山君、あたしそろそろ帰らないといけないから」
「悪い、引き止めて」
「おや、もう行くのかい。そこのぼっちゃんにまだまだ説明したかったんだけどねぇ」
本当に何も知らない瀬人に駄菓子屋の店主はそう表した。吉倉も「ほんとねぇ」とちいさく笑っている。
「ありがとうございました」
「またくるからね、おばあちゃん」
2人はまた歩き出す。吉倉は駄菓子屋に居たときの瀬人の様子を思い出し、クスクスと楽しそうに笑っているが、隣の瀬人は気まずそうだ。
「桜山君ってお金持ちか何かのひと?」
「そういうんじゃないんだ。ただ、祭りはあまり行ったことがなくてさ」
――中学以前に駄菓子屋にも祭りにも行った記憶はない。玩具を買ってもらった記憶もない。だから、子供向けのお菓子や玩具を見るとたまに欲しくなってしまうのは、記憶は失くしても懐かしいと思っているのか、それとも本当にそういうことがなかっただけなのか、いまいち理由が掴めない。
「そうなんだ。もったいないね。あたしは縁日が大好きよ。縁のある日って書く字も好きだし、楽しそうな雰囲気じゃない?
ああいうところで食べるものって、いつもより美味しく感じるのよね」
「目で見て、肌で感じて、匂いを嗅いで、そうやって食べるものは格段に美味しいんだよな。
いつか、わたあめやりんごアメも食べてみたい。俺が行ったときはそういうのがなかったんだ」
「ええっ!? お祭りの定番じゃない! 一体何食べたのよ?」
「売ってたのは、アイスに冷やしたラムネやペットボトルのお茶にジュース、かき氷もあった。
他にも焼きトウモロコシやたこやき、やきそば、あとは何だったかな……ああ、飼葉たちが踊りの時バカやって周りから迷惑がられてたっけ」
「あの人たちらしいわね。自分達だけが楽しんでる。そういうの嫌だわ」
「集団でいると気が大きくなって騒いでしまうのは、どんな人間にもあることだからな。注意してくれる大人がいるとありがたい。まあ、見たことないんだが」
「桜山君が自分で注意しなさいよ。優柔不断じゃない?」
「ああ、そうだと思う。人に頼ってたらダメだよな」
――……言えないんだよな。楽しそうにしてる本人たちが、注意した瞬間、一斉にみんな空気読めよって冷たい顔で見てくるのが、どうも苦手だ。分かってることだが、俺って弱いな。
熱に浮かれて騒ぐ彼らの表情。止めた時のふと熱が冷めた直後の無言の眼差しと表情。
5,6人の友人達が揃ったようにつまらなそうな顔や能面な顔でこちらを見てくるのだ。
それはほんの数秒の事だが、瀬人はそこらの怪談噺よりもその一瞬に怖さを感じる。
「仲間はずれにされたくないからって周りに合わせて黙ってるより、自分の思った事を言うべきよ。
迷惑を被るのは自分達じゃなくて、周りの人達なんだから」
「ああ」
「……あたし、そんなに間違った事言ってる?」
気のない返事をする瀬人に吉倉は不満そうな表情で瀬人を見上げ、見つめてくる。
瀬人は黙って首を左右にふった。吉倉も黙る。微妙な沈黙が辺りに流れた。
「……吉倉って、わたあめやりんごあめって食べたことあるのか?」
「え、ええ。もちろんよ」
吉倉は若干上擦った声で答える。瀬人は「どんな味がするんだろうな。ああいうのって海外にもあるのかな?」と精一杯味を想像しながら話す。
「わたあめはふわふわして、甘いの。って、見たら分かる話よね。うまく説明できないわ、ごめんね。
りんごあめは林檎によって味が違ったりするのよ。水飴でコーティングされたものだから、外側は甘いわ。中は普通の林檎だけど、水飴と一緒に食べられたら甘酸っぱくて美味しいかも?
あんまり大きいもの買うと、たべきれなくてね。子供のころは食べても食べても減らない感じがして、半べそかきながら食べてたのよ。しかも、口の周りがべたべたになるからお父さんには笑われたわ」
「見掛けたときは、小さいの買うよ」
瀬人が真顔で言い出すので、吉倉はふっと可笑しそうに吹き出す。瀬人は自分の鳥頭に硬く誓った。
ただし、会話を覚えていても誓いそのものは翌日には忘れている事だろう。
「作り方がシンプルだから、きっと他の果物でも美味しいと思うわ。食べやすい大きさの果物で作ってみたら、たのしいかもね」
「あんまり美味しくないのか」
「あたしはあんまりね」
「昔の物だからか? 水あめをかけて食べられるようにしていただとか? 作り方がシンプルだから、海外にも昔からありそうだな」
「すっぱい林檎を食べやすくするために、あるいは腐りそうな林檎を食べられるようにするため、なんてのはどうかしら?」
「おお、それっぽいな。なんだか、昔っぽい」
「失礼よ。でも、実際のところどうなのかしらね。ネットで調べれば出てくるんでしょうけど、わざわざ調べるのもね」
「ああ、粋じゃないな。屋台の風物詩、風情はそれで十分だ」
「そうだ、あたしが昔行ってたお祭り、今もやってるでしょうし、日にちと場所を教えてあげましょうか? そこなら林檎飴も売ってるわよ」
「小さいのはあるのか?」
「うーん、どうかしらね」
「……やっぱり、わたあめだけたべるよ」
「試してみなさいよ、一度食べてみないと何も分からないんだから。ねー?」
「……たべてみる」
「うんうん、何事も挑戦あるのみよ。大きくてもがんばって完食してね」
「手作りって言うのもアリだよな」
「お祭りの時に食べるからいいんじゃないの」
「吉倉、俺で遊んでないか?」
「うふふ、どうでしょう? 桜山君がそう思うなら、そうなのかもね」
「そこまで言うなら、吉倉も食べるよな?」
「ええ? あたしは関係ないわよ」
「いいや、人に勧めるんだから、食べないと駄目だろう。まさか、吉倉、マズイものを人に勧めるなんて非常識なことはしてないよな?」
「うっ、なによ桜山君、急にいじわるになって……」
「じゃ、俺がりんごアメ作ったら食べてくれよ。旨いの作って、吉倉のりんごアメイメージを払拭してやる」
「いいわよ~。おいしいもの、待ってるからね」
「ああ、あの見た目で美味くないのは詐欺だからな、絶対に美味いものにしてみせる」
ゴゴゴゴっと瀬人の闘志が燃え上がる。強く決意する瀬人を見て、吉倉は面白い人だなとばかりに微笑んだ。
「……あの、桜山君。道、逆方向じゃないの?」
「……あっ! 話してるうちにすっかり忘れてた……」
「本当にボーっとしてたのね。飼葉君にかんちょされたり、ひざかっくんされても知らないわよ?」
「1年のころはよく背後から忍び寄ってきた飼葉がやり逃げしてたな。教室に帰ってきたところを顔面目掛けて飼葉の筆記用具投げてやったのは今だと良い思い出だ」
『飼葉、覚悟ォォオオオー!!』
『げぶっ!? イッテェ、何すんだてめえー!』
「全然よくないわね、それ。絶対痛いじゃないの」
「慣れてくると、反射的にガードしてきてな。向こうもこっちのカオに投げ飛ばしてくるんだ。いかに死角から正確に投げ当てるかが目下の課題だった」
「普通にやり返しなさいよ。方法は他にもあるじゃない」
「最初はわざわざ手が汚そうな男に触りたくなかったからなんだが、なんでか分からないが、意地になってた」
「ふふ、そういうのよくあるわよね」
「今じゃ気にせずバックドロップだがな」
「えっ!?」
「もちろん冗談だ」
「なあんだ……って、だから、あたし帰らないと。立ち止まってたらいけないのよ」
「ああ、悪い……って、このやりとり2回目だな」
「3回目はいらないわよね」
「ああ、また学校でな、それじゃ」
「……あっ、と……桜山君! あの……その、これ、言わなくてもいいって分かってるんだけど……」
――え? 俺、なんか変なことしたか? それとも顔に実は昼寝したときについた痕がまだ残ってるとかか!?
こほん、と吉倉は咳をして、斜め右下にやっていた視線を持ち上げ、瀬人の顔を見上げ、見つめる。瀬人にまで緊張が伝染し、瀬人は直立不動のポーズをとってしまう。
「……ありがとね。おばあちゃんの駄菓子屋、ほめてもらったみたいで、ほんとうはうれしかった」
はにかんだ倉吉は、てれくさいねと呟いて微笑むと、仄かに赤い頬を隠すように背中を向け、「それじゃあ、また学校で」とタタッと小走りで走り去って行く。
ローファーがアスファルトを弾く足音を耳にしながら、瀬人も駅へ向かう。大して親交のなかったクラスメートの知らない一面を垣間見たような、そんな思いだった。
しかし、そんなちょっと楽しげな気分も、駅に着いた瞬間、瓦解する。何故なら、そこには部活帰りの飼葉が居て、彼は不本意に目立つ髪と目の色をしている瀬人を目敏く見つけてしまったからだ。
「ぜどぉぉぉおおおおおっ!! ばなじをぎいでぐれぇぇええええっ!!」
「……わかった」
――だから、離れろ。
周囲の通行人たちは無関心に通り過ぎていく。それが救いと言えば救いだった瀬人は、タックルしてきた飼葉の襟首を掴んで引き剥がす。顔だけでなく身も猿のように軽い飼葉だと、まだタックルも耐えられた。
「う゛お゛お゛お゛ん゛っ!!!」
「……そもそも、なんでもうすでに泣いてるんだ……」
瀬人は飼葉に背中から抱きつかれ、疲れ切った顔色でしぶしぶ頷いた。じんわりと濡れていくセーターの感触が気持ち悪いので、瀬人は飼葉の頭を離す事に命一杯の気力と体力を消費する。
その時からもう、嫌な予感が頭の中でチカチカと警報のように点滅していた。
結局のところ、瀬人は終わらない話を語るうちに家まで来てしまった飼葉に夕食を振る舞った。わざわざスーパーへ赴き、飼葉の好きな物を使って料理した一品を付け加えた自分が憎い。
瀬人は増えた洗い物にウンザリしつつ、今は食後の洗い物をしている場面だ。
それでもまあ、美味しそうに食べてくれる姿を見たらなんとなーく心を入れ替えてしまうのが瀬人である。
――やっぱり、自分の料理を旨いって言ってくれるのはうれしいよな。ああ、俺は間違っちゃいない。
「オレがウザイって女子みんなから言われる中、一人だけオモシロイって言ってくれたのがハセタニだったんす~」
「うんうん、本人にとっては何気ないことでもこっちにはとっても嬉しかったことってあるよね」
小学校からの悲喜交々とした片想いストーリーを乗車中と帰宅中に散々聞かされた瀬人は、一つ屋根の下同居している義理の姉の鈴にバトンタッチした。
別に洗い物を後回しにし、一息ついてテレビを見てもいいのだが、リビングに居付く飼葉の悲哀がこもったラブストーリーをBGMにするのはげんなりする。
「気休めかもしれないが、これを飲んで温かくして寝ろ。鈴だっていつまでも飼葉に構ってられないだろう」
「オレ、鈴さんのカノジョになるぅー!!」
「寝言は寝て言え。後、慰めてもらうふりして下心丸出して抱きついてんじゃねえよ」
瀬人は素面で酔っぱらう飼葉の脇腹に蹴りを入れつつ、ホットミルクをテーブルに置く。それから、鈴と飼葉を引き剥がした。
「んなことねぇーって!」
「後そいつは俺の巨乳だ」
言った直後、鈴からべしんと頭を叩かれた。慣れた様子の瀬人は「それは冗談として、寝る部屋案内するからそれ飲んだら声かけろ」と言って、台所に戻る。
「……くぅ~っ! 瀬人の奴、うらやますぃー! こんなオネーサンがいるだなんてぇぇえー!!」
「はいはい、ありがとさん。せっかく瀬人が用意してくれたんだし、コレでも飲んで寝ようか」
「ホットミルクって……何の皮肉だよ?」
「単純に寝付きの良い飲み物を知らなかったからだと思うけど……キライ?」
「いーえっ! 大好きっす、ミルク!」
「そっか、それじゃあおれはもう行くから、それじゃあね」
鈴は濡れ鴉羽色の長髪とたぷんたぷんの胸と引き締まった尻を揺らしながら、去っていく。
スウェットから窺える身体の肉付きは肉感的な外国人モデルのダイナマイト体型と対比しても相違ない。
「ヘタなグラビアやクラスのおっぱいよりも抜けるぜ……」
「本当にやったら踏み潰すぞ」
「……ナニヲ?」
「さあ、ナニをだろうな」
「お、おまえだってぬいてんだろ~?」
「俺はそこまで暇じゃない。食事に弁当に掃除に洗濯にとやることは幾らでもある」
瀬人は心からの溜息を吐き出し、どうせ言っても分かりっこないだろうと思いつつ、弁明をする。
思った通り、飼葉はうさんくさそうに顔をしかめて瀬人を見上げた。
「うっそくせ~」
「何なら、手伝ってくれてもいいんだぞ?」
ゴゴゴゴゴと凄まじい憤怒のオーラが背後から見えたので、飼葉はホットミルクを一気飲みし「ごちそーさん!」と一気に部屋を出て逃げて行った。
「おい待て! 御前部屋が何処か分かってんのか!?」
ドタドタと階段を駆け下りて行く足音が家中に響く。続いて、ひーひー言いながらオーバーリアクションをとる飼葉の声が聞こえた。
部屋に戻った鈴は「にぎやかだねぇ」と微笑ましそうな表情で部屋の扉へ目を遣る。それから、表情を真剣なものに切り替えると自主勉強に取り組んだ。
そして、今日もまたいつもの安穏とした一日が終わるのである。
此処まで読んで下さり、ありがとうございました!