不気味な館
地図では、隣町まで距離は短かった。それなのに、もう三日は経っていた。
その間、姫とはまだ一切会話ができていない。こちらから話そうともしないので、尚更だ。
基本サギス達が前を歩き、僕達が後ろを歩く。それだけで、特に危険なことはなかった。
気がかりなんて、途中で通った森で見た青い光だけだ。
青い光は、成仏できなかった魂。この世に留まると、青い光だけの存在になるらしい。生前の記憶はなく、意識もなく、痛みもなく、知力もない。
魔術師と呼ばれる人は、その魂を魔法の源に変えることができる。使用された魂は消滅する。
残酷な話だ、元は同じ人間なのに。
さっきのあれは確実に死者のものだろう。
そうなると、この辺で争いでも起きたのかな。一つしかなかったから、小規模ではあったんだろうけど。
争いっていうか、暗殺かもね。あそこ、暗かったしね。
「よし、早速宿を探すか」
ボーッと考えている間に着いた。サギスの声で、僕の意識は現実へと引き戻される。
町は前よりも小さい。
落ち着いた感じのする町だ。人が多く集まる道もないし、派手な客の呼び込みもない。
店自体が、あまりないみたいだ。
静かだ。
「宿よりも先に、ご飯食べない? あたしもう限界なの」
ぶっきらぼうに、姫……もといサナが言う。
ここまで来るまでに何度か注意されて、やっと覚えた。
会話というまででもない、言葉の掛け合いならあった。嫌がらせはまだない。
「宿で食ったほうが楽だろ? 金もあまり使わないし」
「早く食べたいのよ。この数日間はろくに食べられなかったじゃない」
横耳で聞きながら、僕は周りを見回す。
昼食前のこの時間帯にしては、よく考えると人がいるのか疑問なほどの異様な静けさ。
不気味と、奇妙が合わさったような、不思議な雰囲気。
「先に見つけたほうに入ろう。それでいいだろ」
「宿でも先に食べさせてよね」
「はいはい、分かったよ」
こんなふうにちょくちょく会話する二人だけど、僕とユニは無言で歩き続けている。別に喧嘩しているわけじゃない。ただ互いがボーッとしているだけであって。
話すことがあったらそりゃあ話すけど、あんまりないんだよなぁ。
「……レイト」
僕の横を歩くユニが、気の抜けた目で僕を見て
「うん? どしたの?」
「お腹空いた……」
なんだか申し訳なさそうに言う。ああ、みんな同じなんだね。
荷物の食べ物も食べたらダメだから、店を見つけるまでどうしようもない。
「もう少しだけ我慢だよ。もしかして、もう歩けない?」
首を横に振る。その後に何か言おうと口を開いて、結局僕から目を反らすように俯く。
「どうしたの? 言ってくれないと分からないよ」
「な、なんでもないよ?」
僕を見上げて、誤魔化すように嗤うユニ。その瞳は、確かに不安そうに揺れていた。
*
荷物に着いたところで、別々の部屋で休憩になった。
大きな荷物を隣の部屋に置き、僕とユニしかいない二人部屋で寝転ぶ。
いまひとつの昼食もとって満腹感に浸っていると、眠気が増してきた。
このまま一眠りしようかどうか悩む。サギスは情報を集めてくるとか言ってたことを思い出す。
なんだか悪いことをしている気持ちになる。
僕だけがここでのんびりするのも、おかしいか。館の下見にでも行こうかな。
さっさと済ませたい用事もあるし、ついでに、今の内に片付けてしまおう。
部屋の鍵だけをズボンのポケットに入れて、ユニに出かけてくるとだけ言う。
目的地を伝えると、なんだか慌てて、一緒に行くと言い出した。
軽く見るだけなら大丈夫なはず。危険そうなら帰ればいい。
「魔力が集中している場所、分かる?」
そう尋ねると、早速魔力の探知を始めてくれた。
近くの魔力なら僕でも拾えるんだけど、高範囲なら僕よりこの子のほうが向いている。
こういう補助的な魔法が強みだ。攻撃補助、回復、耐性補助など、補助魔法の基本は何でも使える。
攻撃も出来るけど、それは僕の役目。
「……ここから一時の方角に、ちょっと離れたところ。人はいないよ。魂は、二十くらい」
「ありがとう」
相変わらず正確に教えてくれる。
死んでいる人が多いのか、魂が館に呼び寄せられているのか、いくつかの不安はある。
あるけど、こればかりは行ってみなければ分からない。
館への道は短かった。途中は、フラフラと歩く数人いただけ。
不安は増大したけど、何の障害もなく館に到着。よくホラーに出てくるような、古びた洋館だ。
大きさからして二階建てだろう。縦に短く、横に長い建物だ。
庭の芝生は、紫色に変色してしまっている。
実験でもしているのかな。例えば魂を使った、新しい魔法の開発とか。
「……入るよ」
若干及び腰になっているユニの手を引きながら扉を押すと、古びた音を立てて開いた。
中は、予想通りだった。
部屋の中央にある螺旋階段はところどころ壊れ落ちている。壁は向こうの部屋が見えるほどに崩れ、何か赤いものがこびりついている。
血? 斧で殴りかかってきたりするのかな。
部屋の明かりは、いつ崩れてもおかしくない天上から差し込む光のみ。
「敵の気配はなし、と」
中に入って行くと、バタン、と後ろから大きな音が聞こえた。
それが怖かったんだろう。小さい叫び声が、横から聞こえた。
扉が閉められたか。
「心臓に悪いね。危ないかもしれないから、僕から離れないでね」
何度も頷くユニ。顔を見てれば分かるけど、本当にこういうの苦手なんだね。
一人で来れば良かったな。今更ながらそう思う。
遅いんだよなぁ。
「行くよ」
まだ怖いだろうけど、ずっとここにいるほうが危ない。
まず、まだ壁があまり崩れていない部屋から行く。特に何もない。ただの空き部屋だ。
次に、崩れかけていた部屋。外からでも、本棚がたくさんあることが分かる。
図書室みたいなところかな。ここになかったら帰ろう。
本当にすぐに帰りそうだな。でも、僕の目的も本だ。
ここにある可能性は高い。
暗闇でよく見えないので、両手を添えて、魔力の球を作り上げる。これだけで、外と同じくらい明るくなった。
見えなかったものも、見えるようになる。
まず、床が見えないほどの大量の本。置いた、というより投げ捨てられた、というほうがしっくりくる。
拾い上げて、パラパラとページを捲る。グシャグシャになったり、破れていたりして読めない。
次に目立つのは、大きなテーブル。真ん中には、開かれたままの本が一冊だけ。
本の上を歩いて、開かれたままのそれに触れる。
ザワザワとした手触りで、ところどころ破けてしまっているところもある。
だが、文章の肝心なところだけは、破けていなかった。
表紙を見ると『禁止魔法・黒魔法編』と書かれている。怪しさしか感じないな。
開かれているページには、ミラー、という魔法の説明だけがあった。これは僕も知っている。自分の何かを、相手にも感じさせる魔法。
それはダメージだけじゃなく、精神的なものも可能だったはずだ。
ただ、感じさせるものによって、使い方が変わる。同じような感覚でミラーを使っても、同じ効果のものしかできない。
難しい魔法だ。黒魔法ってことは、禁止魔法なんだろう。
他のページも、ペラペラと捲る。
見たことのないものや、異質なものばかりだった。
この魔法を禁止した人しか知らないんだから、当たり前だけど。
権力者は得体の知れないものを、怖がって触れようとしない。どんな魔法か知っていても、対応は変わらない。
禁止されている魔法は、全てが危険ってわけじゃない。
普通に、強いものだってある。
「これ、貰っとこ」
ちょっと知らない魔法があった。使ってみたい。
黒魔法書と手に持ち、視線を上げる。
部屋は、本の置いてあった机以外、すべてのものが消えていた。
「おや、その本がお気に入りかい?」
「ん?」
そして、どこからともなく聞こえてくる声。低く、生気を感じられない声。多分、男だろう。
ユニの手が、震える。
「安心していいよ。その本の持ち主はもうここにはいないんだ。これからは君がその本の持ち主さ。
ただね……一つだけ、僕からアドバイスをあげよう。その本を離さないほうがいい。これは警告だ」
長々と続けられる言葉に、若干の嫌気が差してくる。
話の内容の不安要素を連れていくわけにもいかないので、手に持っていた本を離す。
「で、何してくるの?」
静まり返った部屋で、コトン、と響く音。一瞬、空気が止まる。僕のしたことが意外だったのか、相手側からの声が聞こえない。
「それは挑発と受け取っていいんだね?」
しばらく経った後に、ようやく声が聞こえた。
「遅いよ。やるんならさっさと始めよう」
ユニに、僕から離れておいてもらう。近くにいたら巻き込まれるかもしれない。
「後悔するといい」
男の口調が変わる。
煽っといてなんだけど、さっさと帰りたいんだよね、僕。
でも、これは隙を見て逃げるしかないんだろうな。いや、気絶のほうが早いかな。
グダグダと考えながら、僕は身を屈める。
頭の上の空気を、何かが薙ぐ。
「やってから考えればいいな」
さっき見た魔法を試してみるか。