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ハッピネス

作者: よしき



静かな朝だった。

まだ人もまばらな駅の構内、片隅のベンチに座っている。

隣の彼女はうつらうつらと眠たげな顔を傾ける。

そっと髪に触れる。柔らかな感触。

「自分を見失わない。でもあなた好みになりたい。」

そう言って伸ばし始めて2年になるだろうか。時々髪の長さが気に食わないらしく、伸ばしては切っての繰り返し。

「お前が良いと思う長さで良いんじゃない?」

と言えば、

「それが私の望みなの。」

と返ってくる。

お前がお前である限り、そんな事はどうでもいいのに、それじゃダメだと言う。それを口にすれば、女心がわかんない奴、と言われるんだろう。

煙草を求めてポケットを漁るがどこにも見当たらない。ふと彼女の座っている場所に俺のジャケットが挟まれているのに気が付く。寝起きの悪い彼女を起こす勇気など俺にはない。それにたとえ煙草を手に入れてもつぶれて吸えたもんじゃないだろう。

大きなため息をつく。

がくんと体勢を崩した彼女が俺の腕にしがみつく。慌てて彼女を支えると、眠たげな目で俺を見つめた。幸せの笑顔。頭を撫でてやると、そのままの体勢で目を閉じ、眠りに落ちていく。体の力が抜け、俺はそれを支えてやりながら空を見上げた。

昨日とはうってかわった突き抜けるような青い空。

みんな、あのままでいられたらいいのに。

ため息は空気に溶けていった。


子供の頃に、近所に住む年上のお兄さんが抱えていたのを見たのが最初だった。買ったばかりのぴかぴかのエレキギター。たどたどしい手つきでそれをつまびく彼がどんなにかっこよくみえたか。その姿は何年もして思い出すことになる。高校生の頃、やっと自分のギターを買うことが出来た。アルペジオ、ストローク、チョーキング。夢中だった。やっと自分の夢を手に入れた気がした。アンプから流れる音はいつかひとり立ちして、自分の歌を歌うことを覚えた。仲間が集まりセッションが始まる。

それはいつかのライブへの憧れへと変っていく。

熱狂。叫び。ハーモニー。情熱。

汗。歓声。スポットライト。感動。

誰かが言った。

「ステージの上には全てがある。」

笑顔も、涙も、人生そのものすら、そこにはあった。

ロックが俺の生きている証。それを証明するために、昨日もステージに立った。

しかし仲間の発した言葉が全てを壊していく。

「就職」

「進学」

「解散」

すべて、ぶちこわしだ。





なぁんにも、なくなっちまった…。


しんじていたこともぶっこわれちまった。


からから、からまわり。


つまんねぇなぁ。






歌っていれば幸せだったのに、何もかも失って気が付く。

大人になるってなんだよ。

将来をいま決めなきゃなんねぇのかよ。

自分自身を証明できないまま大人になれんのかよ。

なぁ、おまえら。

なんとか言えよ。

なぁ。

なぁ!





「嗚呼!もう、なんもかも、ぶっこわれちまえ。」

自分の情けない声に腹が立つ。

今度は腹のそこから声を出す。

「全部空にとけちまえ!」

周りの電車待ちをする人の目なんか気にならなかった。

言葉に出来ない俺のロック。












例えばいつか、なんて考えもしなかった。

歌えなくなる自分。

彼女との別れ。

存在意義の喪失。

歳を重ねても俺は歌えるのだろうか。

老いた体と声で歌う自分。








なぁ、覚えているかい?あの幸せだった頃を


  ねぇ、聞いているかい?俺の歌をまだ


 さよならも言わず、このままいられたら良かったのかい?


  お前が幸せなら別に、俺の事はどうでもいいけど


 なぁ、覚えているかい?まだ二人が幸せだった事を


  あぁ、聞こえているかい?あのままの俺の声が?












電車が風とともにホームに滑り込む。

流れていく人々。

操られるような、同じ流れ。

「自分は違う」

口に出しても、皆同じに見えてしまう。

くだらない、毎日。

そして、電車は風とともに去っていく。

くだらない大人にはなりたくない。

強制されたくない。

「こんなの我慢できないんだよ!」





その俺の声に彼女が目を覚ます。

眠たげな眼差しは俺だけを見つめる。

「ね、うたって。あなたの歌。」

寝起きにこいつがこんな事を言うのを始めて聞いた。

「まだ。眠ってろよ。眠いんだろ?」

髪を撫でてやると、ふるふると首を振る。

「歌って。あなたの歌う声が聞きたい。」

でも今の俺には歌いたい歌が見つからない。

俺は何を歌いたいんだろう…。

歌えないよ。

今の俺に何が歌えるっていうんだよ…。

ふいに彼女が立ち上がる。

空に深呼吸して、声を吐き出した。




幸せなんて・心に一つあればいいさ


   てをつなぎ・日の当たる道を歩いていこう


 生きていく事は・星が巡り行くように


   終わらない・夢を信じていこう




大きな声に誰もが振り向く。

俺が作った、彼女の為の歌。

そんな事内緒にしていたのに、彼女はその歌を歌う。

「私が一番好きな歌。」

無邪気な笑顔。お前の歌うヘタな歌。

「おんち。」

軽く頭をこずくと、お返しの肘鉄が飛んでくる。

二人していつものように笑い会って、抱き合った。

優しく。

強く。

抱き合った。

俺の信じられるもの。

ちゃんと離さないように。

いま、何となく見えた気がする。

一人で歌い続けられない。

いつもこいつと歌って生きていきたい。

いつまでも、歳をとっても。

二人で仲良く歌い続けられたら俺は…。

俺は歌うことを止めないよ。

彼女がいてくれたら…。

だから、ハッピネス、ひとつあればいいさ。








<終>







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― 新着の感想 ―
[一言] 今、側に大切なもの、手放したくないものがあったら、それはすごく嬉しいことで、幸せなことで、すばらしいことなのかもしれません。作品を読んで思いました。 でも人はその上を目指す。目指して、挫折し…
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