「お茶会じゃない、お茶会」
バリン、ガシャン、パリーン。
喧しい騒音が遠くから響く。
帰り道を探していたアリスは、思わず足を止めた。
「なんの音かしら、五月蝿いわね。」
気になって、音のする方へ歩き出した。
音に導かれるアリスを、暖かく甘い匂いの風が迎える。
異国の木なのだろう、見たこともない桃色の花びらが舞い散った。
「なんて素敵な風景なのかしら。」
歩みを止め。
しばらくの間、風景画の世界に溶け込んでいた。
道は、雪のように花びらが積もり、
アリスはゆっくりと桃色の道を歩く。
足の重みで花びらが沈む。
わざと大きく踏み込み、花びらを舞い散らせた。
ついには、ふかふかの地面に飛び込み。
桃色の世界に消えた。
――ゲラゲラ。
醜い笑い声が響いた。
幻想的な世界を壊され、アリスはあからさまに不機嫌な顔をする。
頭に付いた花びらを払いのけ、再び音のする方へ進んだ。
木と木の間に七色の旗がぶら下がっていた。
旗には汚い文字で、
「お茶会開催中? 主催者求む?」
と書かれていた。
アリスは旗を潜り抜けてお茶会に向かった。
グチャ。
アリスは何か得体のしれないものを踏んだ。
靴底がベタベタして、甘い匂いがした。
「まったくもう、最悪だわ。」
アリスは、近くの水溜まりで靴底を洗った。
靴を綺麗にすることに必死で気が付かなかったが、
水溜まりは濁っていた。
さらに、甘い香りや深みのある香りを放つ。
アリスは、匂いを深く嗅いだ。
「うーん、この匂い……紅茶だわ!」
「なんで、こんなに大量の紅茶が零れているの?」
そこで初めて、周りをよく見た。
食器だと思われるガラクタの破片が四方八方に飛散していた。
色鮮やかな食べ物も残念な姿で放置されていた。
アリスは破片を避けながら進む。
さきほどの風景画とは違い。
いかれた画家が描いた風景画そのものだった。
騒がしいお茶会?
そんな類のものではない。
盗賊が屋敷内を散らかし、
何かの事件が起きた後のようだった。
無駄に長い机に、一人の男と一匹の兎の後ろ姿が目に入った。
ついにアリスは、汚い笑い声の正体を見つけたのだ。
男は大きな緑色の山高帽を被り、兎は小汚い灰色の毛並みだった。
机の周りには、誰も座っていない椅子が無造作に並んでいた。
「そこにいるのは誰だ?」
山高帽の男は突然叫んだ。
気づかれたの?
アリスの体は震え上がった。
「俺しかいないだろ。」
兎がコップを手に持ち机に叩きつけて、大きな笑い声を上げた。
なんと下品な笑い方だろう。
アリスは注意したくなる気持ちを押し殺した。
男も笑い声を上げて、白色のお皿を兎に投げつけた。
皿は狙った獲物から見事にはずれて、バリーンと地面にぶつかり粉々に砕けた。
兎は腹を抱えて笑い。
椅子から崩れ落ちた。
そしてすぐに立ち上がり、行儀の悪いことに机に昇った。
食器をバタバタと落とし、兎は男に近寄る。
アリスは食器の割れる音に紛れて近づいた。
男は長い足を机へ投げ出していた。
兎の耳はうなだれていて無駄に長い。
毛並みは、間近で見ると想像以上に酷かった。
アリスの髪の毛も兎みたいな毛並みだったらと想像して、
無意識に髪を触っていた。
「帽子よ、答えな! 主催者はいつ来る?」
兎が男よりも、帽子に聞いていた。
男は何も答えない。
机の上にある甘そうな見た目の、よくわからない物を食べていた。
「声が小さい。腹から声を出せ!」
兎はコップに向かって話していた。
「腹なんて、ないか。」
兎は腹を抱えてゲラゲラと笑っていた。
男は、物の様に兎を手に取り紅茶を入れた。
兎の口に。
「それは、兎よ!」
アリスは思わず言葉を発した。
口を隠すがもう遅い。
兎がアリスの足元にいた。
「キャー、近寄らないで!」
アリスは叫び、その場所から退いた。
「綺麗な兎に会うのは、初めてか?」
兎がアリスの肩に昇り、耳に語り掛けていた。
速すぎて、肩に昇られたことさえ気付かなかった。
「ギャー」
アリスは叫び、跳んだ。
次の瞬間。
なぜか、椅子に座っていた。
戸惑ったアリスに「お嬢さん、申し訳ない。」と男が語り掛けた。
男の肌色は病気的に青白い。
山高帽の中央に白い三角形のギザギザ模様があった。
後ろ姿では気付かなかったが、正面にだけ模様がある。
アリスは、奇抜で変な帽子だと思った。
「これを呑んで気分を落ちつけてくれ。」
男はコップを手に取り紅茶を入れた。
コップの底は穴が開いていた。
紅茶は当然のように零れ落ちる。
待っていたかのように、兎が口を開けて飲む。
「残さず飲んでくださるとは、よほどこの味が気に入りましたか?」
男は感想も聞かないで席へ戻った。
アリスは怒りで拳が震えるのを必死で抑えた。
「美味しかったですって、飲んでないわよ!」
「そもそも、コップに触れすらしていないのに、どうやって飲むの?」
「しかも、穴の空いたコップなんて、礼儀の一つも知らないのね!」
アリスは早口で怒りを吐き出した。
「そう怒らずにこれを食べな」
兎はアリスに食べ物を差し出した。
「うん。うまい!」
差し出された物を兎が食べた。
「どうだ、うまいから食べてみろよ。」
兎は何も持っていない。
ただ、手を差し出した。
「あなたが食べたんだから、食べ物なんてないわ!」
アリスは兎を蹴り飛ばした。
兎は何回か跳ねて椅子に座っていた。
「俺、なんでここにいるんだ?」
兎は蹴られたことを覚えていないような口ぶりだった。
「無礼を許してくれ、こいつは三月兎だ。」
男は兎を憐れむように見つめ、指をさした。
指をさされた兎は舌を出した。
「私はマッド。」
「しがない帽子の仕立て屋だ。」
男はお辞儀をした。
「そして、ハッターだ。」
帽子を指さして付け加えた。
「マッド・ハッター……俺は、どうしてここにいるんだ?」
三月兎はナプキンを口にくわえたまま、震える声で聞いた。
マッド・ハッターは兎を無視して、アリスに聞いた。
「お嬢さんのお名前は?」
「アリスよ。よろしくね!」
アリスは軽く会釈した。
「アリ……アリスと言ったか?」
三月兎が大声で叫ぶ。
すかさずにアリスは、
「そうよ、アリスよ…」
兎がアリスの声を遮って、
「アリスと言ったぞ。この小娘。まさか、あのアリスなのか?」
「聞いたよなあ?マッド・ハッター。」
兎の瞳孔は開き充血していた。
「黙れ。」
マッド・ハッターが冷たく言う。
「アリス、君の白く綺麗な髪飾りが似合っているよ。」
男の声は優しかった。
「あ、ありがとう。」
アリスは感謝を述べた。
「白?」
銀の食器に映った髪飾りを見た。
薔薇の花は赤色だった。
アリスは不思議に思い、首をかしげた。
その時。
「その、女は、アリスと言ったぁ~」
兎の喉が張り裂けるように叫ぶ。
あまりの怒鳴り声に、アリスは耳を閉じた。
バギィィィーン。
突然、地鳴りのような轟音が鼓膜を狂わす。
同時に、目の前の机が粉砕した。
木の破片が飛び散る。
アリスは呆気にとられて固まった。
何が起きたのか理解できない。
机の大部分が消えていた。
よく見ると、巨大な歯形が付いていた。
「ごめんよ、ハッター、怒らす気はなかったんだ。」
兎が見た目通り、みすぼらしい態度で謝った。
「ただ、ほら、このお嬢さんがアリスかなあ~と思ってさ。」
兎は恐る恐る言った。
マッド・ハッターは、ゆっくりとお茶を飲んだ。
「ゴクリ。」
アリスは唾を飲み込んだ。
「そ、その……、帰り道を探していて、さ、先を急ぐ必要があったんだわ。」
額に汗を浮かべてアリスは細々と声を出した。
「そうですか、とても残念です。」
男は悲しい表情を浮かべた。
「もちろん、行ってもよろしいですよ。」
「ただ、迷い込んだ道は、どんな道ですか?」
「我々が知っているかもしれません。」
男の声は優しく穏やかだった。
「ここは、お茶会だ!ゆっくり騒ごう!」
兎から元気な声がする。
アリスは一時の静寂が恋しくなった。
ご機嫌な様子の兎を見てさらに気分が落ち込む。
思わず、俯いた。
気付けば、アリスの手にはティーカップが握られていた。
しかも、紅茶まで注がれている。
紅茶から湯気が立ち、甘い香りが漂う。
促されるように、アリスもゆっくりと紅茶を飲んだ。
少しだけ、気持ちが楽になった。
アリスはマッド・ハッターに聞いた。
「どんな道か、わからないの。帰れる道を知りませんか?」
「帰れる道は知りませんが、行く道は知っていますよ。」
帽子屋が帽子をいじりながら答えた。
「いえ、帰り道を探しているの!知らないですか?」
アリスはもう一度聞いてみた。
男は首を横に振った。
「美味しい紅茶をありがとう。それでは、さようなら。」
アリスはお辞儀をして、椅子から降りた。
「アリスが、アリスが…」
また、兎が興奮して耳をピーンと立てて叫ぶ。
「何回も言いましたが、アリスよ!三月兎さんも紅茶を飲んで!」
「さようなら。」
アリスは平静を装い、その場から逃げようとした。
兎がまた、
「アリスが…」
首が飛んだ。
…兎の。
理解が追いつかない。
何が起きたの?
アリスは声を上げることもできない。
ドスン。
首が落ちるのを傍観していた。
「あまりにも、三月兎が騒がしいので、つい手が出てしまいました。」
「申し訳ない。」
男は帽子を取り、深くお辞儀をした。
鮮やかな橙色の髪の毛が垂れる。
いつ立ち上がったのか?
兎に何をしたの?
アリスは何一つ理解できなかった。
「落ち着いてください。何も心配いりませんから。」
いつの間にか、マッド・ハッターは兎のいた席に座っていた。
「高く飛んだ!吹っ飛んだ~。」
地面の上から、兎の声が聞こえてきた。
「五月兎よ、大丈夫か?」
切り落とされた首が何事もないように話す。
兎の胴体が眼鏡を探すように地面をまさぐる。
「こっちだ。こっち!」
兎の首が、兎の胴体に呼びかけている。
突然、胴体が苦しそうにバタバタもがき苦しんだ。
「いいか。よーく聞くんだ。」
「慌てるな、とにかく息を吸うんだ。息を。」
兎が今までと違い、冷静な口調で言う。
「大丈夫です。頭は三月兎、胴体は五月兎です。」
帽子屋が、真っ青な顔のアリスを励ます。
「ちなみに、四月兎は毛並みが美しかったので、帽子になりました。」
「残念ですが、いまは、手元にありません。」
「申し訳ない。」
男は少し、にやつき答えた。
それを聞いたアリスは、理解するのをやめた。
「そ、それは残念ですこと。」
「兎さんも平気そうですね。」
アリスは、自然と敬語で語っていた。
「そろそろ、お暇させてもらいますわ。」
アリスはぎこちないお辞儀をして、ゆっくりとその場を退出した。
「お嬢さんお待ちなさい!お腹が空きました。」
マッド・ハッターの興奮した声が聞こえてくる。
「ケーキなど召し上がってください。」
「マッド・ハッターさんのお入れになった、紅茶とても美味しかったです。」
アリスは、振り返らないで答えた。
「私、マッドの腹は満たされました。」
「しかし、ハッターの腹は満たされていません。」
後ろにいた、死人の様な白い男が、いつの間にか目の前にいた。
帽子屋の帽子が巨大に膨れ上がり、白色のギザギザの模様が開いた。
中から、赤い巨大な舌が現れた。
帽子は獲物を眺めるように、舌なめずりをして涎を垂らした。
帽子の模様は鋭利な歯だった。
歯には、木の板が挟まっている。
アリスは理解した。
今から食べられることを。
音が置いていかれるほど、一瞬だった。
痛みはない。
アリスの体が消え。
内臓も骨もなくなり、
血をとどめている器も無い。
ドバ、ドバ。
滝の様に血が流れ出た。
アリスは体を食われていた。
気が付いた時には、頭も食われていた。
ミシリ、ミシリ。
骨を砕く音が響く。
「ぺっ。」
帽子は何かを吐き出す。
それは、アリスが身に着けていた綺麗な薔薇の髪留めだった。
赤い薔薇の花は、アリスの血が抜かれたように白色に変わっていた。
「行く道は知っていますよ。アリス。」
男は帽子を頭に戻し、髪留めにささやく。
バリン。
髪留めが踏みつぶされ、壊れる音が響いた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本作は、連載中の『不死の国のアリス』に登場する「お茶会」のエピソードを、一話で完結する短編として再構成した作品です。
連載をご存じない方にも楽しんでいただけるよう、内容や構成を見直し、「夏のホラー2026」のテーマである「音」を意識して再編集しました。
もし本作を気に入っていただけましたら、『不死の国のアリス』も読んでいただけると嬉しいです。




