初めてのオフ会
出張中、今日の予定を全て終え、時間ができた。
そんな理由で、冴島凱はビジネスホテルの一室でムーンヴェイルを起動していた。
出張中の息抜きがゲームというのも我ながら芸がないとは思うが、サーバー間戦争の中盤戦が佳境を迎えている以上、幹部として状況確認を怠るわけにもいかない。
三十代後半の男一人での夜の過ごし方としては、聊か味気ないと言えるだろう。しかし夜遊びの趣味は無く、一人酒の趣味も無かった。例え遠方への出張であろうとも、旨い店を探して入るよりコンビニで食料を調達し部屋でゆっくりスマホを眺めながら過ごす方を選ぶ。
画面を開くと、ギルドチャットに新着が積み上がっていた。
【イグニア】ギルド幹部チャット
sora 17:28
この後イン薄です~今日チロさんとオフ会だよ!!
sora 17:29
チロさんがお仕事で上京するって聞いて即お願いしました!!念願のオフ会!!!
たろたん 17:32
おおー! ええなあ!楽しんできてな!
ヴァンプ 17:32
了解~イベントは任せて
sora 17:33
たろとヴァンプさんも来よーよ!
ヴァンプ 17:34
今から? 俺、沖縄よ??
たろたん 17:35
今日は流石に無理やわ! 来月なら考えるで
sora 17:36
えーーん ガイは?確か近畿だよね、さすがに遠いか~
本名をカタカナにしただけのプレイヤー名を呼ばれて凱は少し手を止めた。普段であれば黙ってスルーするところだ。
にもかかわらず今日に限っては、妙に後ろめたい気分になった。よりによって今この瞬間、自分は都内のホテルにいる。
ギルド一の賑やかし、soraの地元は都内だ。実のところ、今回の出張の事を話すかどうかは少しだけ悩んだ。
だが、恐らくギルドで一番若い女性プレイヤーである彼女に声をかけるのは流石に気が引けた。余計な発言は下手をすると下心を疑われかねない。
既読だけつけてやり過ごすか、と思った。思ったのだが。
sora 17:45
ガイ既読してるじゃん無視しないで!!!!!
まるで遠隔監視されているかの如く、筒抜けだった。
凱は観念してメッセージを打ち込んだ。
ガイ29 17:47
今は都内にいる。出張で来た
sora 17:47
は????????
sora 17:47
なんで教えてくれないの!?!?!?
sora 17:48
来て今すぐ来て!!!!
ガイ29 17:49
二人でやる予定だったんだろう。後から割り込むのは迷惑じゃないか
sora 17:49
迷惑じゃないよ! チロさんもいいよね!?
chiro0303 17:50
ご迷惑でなければ、是非いらして下さい
sora 17:50
ほら!!! 来て絶対来て強制参加!!!!!
たろたん 17:51
ガイ兄完全に詰められてて草
ガイ29 17:52
…場所は?
sora 17:52
やった!!! 新橋のカフェ! DMで場所送る!!
たろたん 17:53
ガイ兄があっさり折れた
ヴァンプ 17:53
ワロス
送られてきた住所を地図アプリで確認して、凱はジャケットを手に取った。
後から割り込む形になるのは今も気が進まない。ただ、soraと共にいるchiro0303も了承しているならそれ以上断り続けるのも逆に失礼か。
チャットの文面からして良識的で物腰の柔らかい人物だという印象はある。
凱と同世代で、中々の激務についているようだ。性別は分からないが普段の言動からして、おそらく男だろう。であれば余計な気を遣う必要もない。
ホテルを出て、夕刻の人波に混じりながら凱は歩き出した。
新橋まで、電車で十数分。特段急ぐような話でもない――そう思っていたのは、次のメッセージが来るまでの話だった。
【イグニア】ギルド幹部チャット
sora 18:11
チロさんと合流しました!!!!!!!!!!!!!!
sora 18:11
ちょっとまって
sora 18:12
ちょっとまってください
sora 18:12
無理
sora 18:12
無理無理無理無理無理無理無理無理無理
sora 18:13
どうしよう
ヴァンプ 18:13
soraさんどしたの
たろたん 18:14
え、どした急に
sora 18:14
どうしよう
sora 18:15
どうしよう……
たろたん 18:15
だから何があったんや
ヴァンプ 18:16
え、何大丈夫?
sora 18:16
ガイ
sora 18:16
ガイ
sora 18:16
早く!!!!
ガイ29 18:16
今向かってる。何があった
sora 18:17
早く来て!!!!!!!!
チャットが途切れた。
凱はスマートフォンをポケットに収め、眉をひそめた。
soraが騒ぐのはいつものことだ。ただ今回は、具体的な理由が何一つ書かれていない。トラブルに巻き込まれたのか、体調が急変したのか、それとも別の何かか。いずれにしても、確認できない以上は急ぐしかなかった。
soraは年若い女性だ。
その彼女が、満更知らぬ相手とは言わないが、chiro0303という初対面の相手と会っている。聊か物騒な想像も浮かばないでもない。
足が自然と速まった。
改札を抜け、地図のピンを頼りに路地を折れると、いかにも女性受けしそうなガラス張りのこぢんまりとしたカフェが見えてきた。夕方の柔らかな照明が、窓越しに温かく滲んでいる。
扉を押し開けながら、凱はさりげなく店内を見渡した。少なくとも明らかな騒ぎやトラブルの気配はない。
奥のテーブルで、弾かれたようにこちらに向き直って盛大に手を振っているのがsoraだ。リアルで会ったのは初めてだがzoomのビデオチャットの経験はあり、ある程度容姿で判別できる。
明るく活発そうな、若い女性――チャットのテンションがそのまま人間になったような、想像通りの姿だ。
取り急ぎ無事は確認できた。
安堵しながら向かいの人物へ視線を移した瞬間、凱は一瞬息と足を止めた。
soraに向かい合うように座っていたのは、栗色の柔らかく波打つ長い髪を持った、穏やかな眼差しの女性だった。
chiro0303が女性だった。それが最初の驚きで、次の瞬間にはもう別のことに気づいていた。
翳りを帯びた、静かな雰囲気だった。派手な造作があるわけでも、華やかな装いをしているわけでもない。ただ、全てが整っている。
凱は何故か彼女から目が離せなかった。ちょうどこちらに気づいたのか、視線が合った。小さな会釈、その所作がひどく落ち着いている。
弾けるような若さは感じない。だが、落ち着いた存在感は周囲の空気を柔らかいものにしている。
soraが太陽のような天真爛漫さを持つに対し、、彼女は静謐な月のような佳人だった。
soraが「どうしよう」を連打した理由が、ようやく分かった気がした。
「ガイ! やっと来た! 遅い!」
soraの声が店内に響いて、凱は我に返り、足を動かした。
「……これでも急いできたんだぞ」
「そんなんじゃなくて! ――まあいいや、来てくれたから許す。ガイ、チロさんだよ」
凱とsoraのやり取りを静かに見守っていた向かい側の女性が、静かに口を開いた。容姿から推測できる通りの、高すぎず低すぎない、耳を擽る様な柔らかで静謐な声だった。
「はじめまして、chiro0303です。ガイさん、ですね。急に来て頂いて、ありがとうございます」
ゲームの外で聞く、その名前。ガイも、チャットで彼女に呼びかける際にチロさん、と気軽に呼んでいたはずだ。なのに、何故か今奇妙な緊張感を帯びている。
なんということもない挨拶のはずが、なぜか一拍、間が空いた。
「……いや」
凱は椅子を引きながら、努めて平静に返した。
「割り込んだのはこちらだ」
soraの隣の椅子を引いて腰を落ち着けてから、凱はまず飲み物を頼んだ。
ホットコーヒー。特に深い理由はない。ただ、何かに意識を向けていないと、また向かい側に目がいく気がした。
初対面の相手を、それも女性をジロジロと眺めるのは幾らなんでも体裁が悪い。
「ガイって東京出張多いの? 地元近畿だったよね」
そんな凱の動揺など知らぬ顔のsoraが、隣から身を乗り出してくる。
「いや、そんなには」
「じゃあ今日は珍しいんだ。チロさんの上京と被ったのってもしかして運命じゃない?」
「偶然だ」
「ちぇー」
つまらなそうに口を尖らせてから、soraはすぐにチロの方へ向き直った。
「チロさん、うちに来たのっていつ頃だっけ?」
「そうですね……二年くらい前だったと思います。サーバー開設してから暫くは良く分かっていなくて何処のギルドにも所属してませんでしたから。一人でいたら、たろさんが誘って下さって」
「あ~! チロさん誘ったの、たろだったか~」
「ええ。ガイさんにも、最初のギルド対決で何度も助けていただいて」
凱は思いがけず話を振られ、運ばれてきていたコーヒーカップから視線を上げた。
ムーンヴェイルはPVPを主なコンテンツとするゲームだ。確かに初期の頃の彼女は、それを恐れて逃げ惑っていたような気がする。
とはいえサーバー内では中堅ギルドであるイグニアのメンバーは、初期には多かれ少なかれPVPを恐れる風潮があった。楽しんで殴り込みに行っていたのは凱を始めとしたトップ戦力の数人だけだ。
「……ああ、あの頃か。東のギルドとの挟み撃ちはかなり厳しかった。あの時の救援は助かったな」
「いえ、私は指示通りに動いただけで。判断は全部ガイさんでしたから」
「そんなことはない」
「そんなことありますよ」
ふわりと微笑まれて、凱は視線をカップに戻した。
穏やかな話し方だった。速くも遅くもなく、言葉を丁寧に選ぶような間がある。チャットで感じていた印象そのままの、落ち着いた受け答え。それで素なのだろう。
ただ、なぜか、その落ち着いた受け答えにそわそわと落ち着かない気分にさせられる。
決して不快な感情ではない。だが、理解できていない。
「ガイさんは、お仕事はどちらのご関係ですか?」
「消防だ。今日は研修で来ていた」
「まあ」
チロは少し目を瞬かせた。小首を傾げると、さらりと艶のある髪が流れる。
「道理で、深夜もお仕事を……それは、大変で大切なお仕事ですね」
「もう慣れたさ」
「そういうものなんですね」
否定も過剰な感嘆もなく、ただ静かに受け取る。その相槌の置き方が、妙に心地よかった。
凱が自分でも気づかないうちに彼女の会話のペースを合わせ始めたあたりで、チロが立ち上がった。
「少し失礼しますね。お化粧室に行ってきます」
「あ、一番奥の左ね!」
「ありがとうございます」
足音も立てずに、彼女は席を離れていった。
何とはなしに見送ったその背中が視界から消えてほぼ同時に。
「ねえガイ」
声のトーンが変わっている。
見れば、soraがテーブルに肘をついて、にまにましながらこちらを見ていた。
考えてみれば、口から生まれてきたとしか思えないほど口数の多いsoraが、黙ってガイとチロのやり取りを眺めている――それは不穏な兆候である。
「……なんだ」
「動揺してたじゃん」
「してない」
「してたよ! 来た瞬間、固まってたじゃん」
「人違いじゃないか確認してた」
「嘘つかないでよ」
soraはにまにまという笑みを深めた。完全に面白い玩具を見つけた顔だ。
玩具で遊ぶのは結構だが、人で遊ぶのは止めてほしい。
「ガイってさ、品の良い人が好みなんでしょ。自分で言ってたじゃん、前に」
凱は何も言わなかった。否、言えなかった。
確かにかなり前、幹部チャットでイグニアギルド長のたろたんに全員好みの異性または同性のタイプを吐け、と強いられたのだ。あの時のたろたんには恐らく酒が入っていた。
そこで同性も挙げる事で多様性への配慮はするのに、何故プライバシーへの配慮は無いのだと思わず顔を覆った記憶がある。
そういった話題が苦手な部類である凱も、しつこくギルド長命令を振りかざされてしまえば逃げ回るのも面倒だった。
大人しく答えた結果が、数年経った今此処で牙を向いてきた。
「チロさんってさ」
soraは続ける。
「めちゃくちゃ品良くない? 話し方も、所作も、なんかもう全体的に。私でもドキッとしたもん」
「ギルドの仲間だ」
「それはそうだけど!」
「それだけだ」
「じゃあなんでコーヒーカップばっかり見てたの」
凱は少し黙った。その答えを導き出すのは、躊躇う。
「……熱かった」
「どう考えても嘘だし」
soraが声を抑えて笑う。凱はそれを一瞥してから、静かに口を開いた。
「騒ぐな。戻ってくる」
「は~い」
全く反省していない返事だった。ただ、sora自身もそのあたりの空気は読むらしく、チロの足音が近づいてくる頃には、けろりとした顔で自分のカップに口をつけていた。
「お待たせしました」
向かいに座り直したチロが、二人を交互に見て小さく首を傾げた。
「……何かありましたか?」
「何もないよ!」
即答したのはsoraだった。凱は黙ってコーヒーを一口飲んだ。
熱さは、もうとっくに引いていた。
けれど、どこか別のところに、確かに新しい熱が灯っていた。
カフェを出たのは、日がすっかり落ちた頃だった。
「せっかくだし飲みに行こーよ!」
「ええ、私は構いませんよ」
「まあ、いいが」
soraの提案に、チロが頷き、凱も続いた。満場一致とは言い難いが、結果として三人は連れ立って新橋の路地を歩いていた。
soraの選んだ店は、駅から少し入ったところにある雰囲気の良い小さな居酒屋だった。カウンターと小上がりだけの、小さな造りの店だ。若い女性であるsoraが選んだにしては随分落ち着いた雰囲気である。
「ここ前に来た時においしかったんだ」
「よく知ってるな」
「オフ会の下見って大事じゃん?」
どうやら事前に調べてきていたらしい。凱はそれを聞いて素直に感心した。浮かれているように見えて、こういうところは抜かりない。
小上がりに落ち着いて、それぞれ最初の注文をした。
凱は瓶ビール。チロは、メニューをさらりと眺めてから日本酒を頼んだ。迷う素振りは無い。頼み慣れているのだろう。
正直に言えば、少々意外に思った。度数の低い、甘そうな酒を好みそうな印象を受けていたからだ。
しかし考えてみれば、プレイヤーが写真やコメントなどを自由に記述できるタイムライン機能ではワインや日本酒、度数が高いタイプのアルコールの登場頻度がそれなりにあった。そういうところも凱が彼女を男性プレイヤーだと思っていた理由の一つだ。
「初手から日本酒……チロさんって、結構イケる口の人?」
「どうでしょう? 普通だと思いますが……」
「お酒強い人って大体そう言うよね」
笑いながらsoraはカシスオレンジを頼んだ。
彼女が下戸である事は、イグニアのメンバーなら大体知っている。
「私これ大好き!」
soraはにこにこしていた。
それからしばらく、話題はゲームのことだった。
「そういえばチロさん、先月のギルド戦であの位置取りどうやったの? 私どうしても再現できなくて」
一月に一度のギルド戦は、同じサーバーにあるギルド同士がしのぎを削り合う。
ムーンヴェイルは本来はサーバー間での戦闘がメインであるので、仲間同士である同サーバー内での戦いは、あくまでお祭り騒ぎだ。
チロは先陣を切って敵陣に突撃するタイプではないが、ここぞというときに抑えて欲しい場所を確実に抑えてくれる、サポート寄りの動きを得意としている。それでいて戦力的にも高い方だ。
「ああ、あれは……ガイさんが前の戦争で使っていた陣形を参考にしたんです。少し応用しただけで」
「俺の?」
「ええ。ガイさんの動き、ずっと参考にさせてもらっていたので」
凱はsoraの酌を断り、手酌で注いだビールグラスを傾けながら少し意外に思った。余り、その手の参考になるような行動をしていた記憶がない。ガイの戦法は基本的にサーバー内でもトップ層である戦力を活かしたパワープレイだ。
仲間内では脳筋プレイ、と呼ばれている。異論は無い。
「参考にするほどのものじゃないが」
「そんなことはないですよ。お強いですし」
そんなふうに言われると、凱は何と返せばいいか分からなくなった。チロが静かに微笑んでいる。
「特に撤退の判断が、いつも的確で。私、判断が遅いのが課題なので……見ていて勉強になるんです」
「チロさんって真面目ね~」
soraが口を挟む。
「ゲームでも研究するんだ」
「楽しいので、気づいたらそうなってるだけですよ」
「だから強いんだ。私、中々強くならないからさー」
クリームチーズの醤油麹漬けをクラッカーに載せ、口元に運びながらsoraが零す。
soraの戦力が伸び悩んでいるのは、彼女が無課金のプレイヤーだからだ。ムーンヴェイルは課金要素がかなり強い。無課金でも楽しめなくはないだろうが、どうしても戦力的には劣る。
所謂高戦力と呼ばれるプレイヤーは、月に万単位、場合によっては十万単位の出費を厭わない重課金者達だ。独身貴族を謳歌している凱もその一人である。
「私は、soraさんには到底敵わないなと思うことが多いですけれど」
「え! そう?」
「同盟間の取りまとめとか、他ギルドへの声の掛け方とか。ああいった所は真似できないです。私は知らない方にメッセージを送るのは緊張して、文面を考えすぎてしまって」
戦力的にはギルド内でもそれ程高くないsoraが幹部の一員であるのは、彼女の顔が異様に広い事も理由の一つだ。
サーバー内の別ギルドどころか別のサーバーにすら仲の良いプレイヤーがいる。彼女がいるかいないかでは、ギルド間での交渉のスムーズさが段違いだ。
また、ギルドチャットの賑やかしとして雰囲気づくりにも重要な立ち位置を占めている。
「やだ、チロさんに褒められた……!」
soraが顔を輝かせた。まるで褒められて喜ぶ子犬のようだ。
「もっと言っていいんですよ!?」
「soraさんは面白い人ですね」
「チロさん大好き!!」
ゲームの話から始まって、気づけばそれぞれの攻略の癖や、ギルド戦でのひやりとした瞬間の話になり、笑いが交じるようになっていた。画面の向こうで長く言葉を交わしてきた相手が、今こうして目の前にいる。それが、どこかまだ少し不思議な感じがした。
会話が弾むにつれて、グラスの減りも自然と速くなった。
凱が二本目のビールに手をつけた頃、チロは静かに二合目の冷酒を空けていた。飲む様子にも乱れがない。量が入っている気配はあるのに、所作は最初から変わらなかった。
対してsoraは、カシスオレンジを二杯飲んだあたりから、耳の先がじわじわと赤くなり始めていた。
「なんか、みんなのこともっと知りたくなってきた!」
「さっきから話してるだろ」
「でも全然まだ足りない! ガイって普段仕事とゲーム以外で何してるの?」
「スポーツとか、体を動かすことが多いな」
趣味で参加しているスポーツチームが今三つ。
その試合や大会でゲームにログインできずにいることは、まあまあある。
「絶対そう!! 絶対そうだと思ってた!! チロさんは?」
「私は……普段は読書や、料理とか。家の中にいることが多いですね」
「わかる~! インドアだ!! 私もそっちより!」
「嘘だろ」
「soraさんはアウトドアなイメージでした」
soraのタイムラインは賑やかだ。飲み会にバーベキューにと、分かりやすく若い。
「ゲームで話してるとそう思われるんだよね。でも家も好きだし、家の方が好き。……あ、でもチロさんは一人旅とかしてたよね。私は一人でカフェもちょっとやだから、格好いいなって」
「え、一人旅するんですか」
凱は少し意外に思って口を挟んだ。チロがsoraに微笑んでから、凱を見る。
「ええ。気が向いた時に。誘う相手もいないので」
さらりと言った。笑みは穏やかで、翳りがあるのかないのか判断がつかなかった。凱は何か返しかけて、やめた。
「ガイは一人旅しなさそうだよね」
「しないな」
soraの言葉に凱は頷いて同意した。確かにしない。それは一人で何処かへ行くことが苦手という訳では無く、自分で行き先を探し、手配する事が単純に面倒なのだ。
「なんか、一人でぶらぶらするイメージないよね。誰かが行くなら着いてくけどみたいな。チロさんとは真逆だ」
それからsoraがまた何か言いかけて、少し呂律が怪しくなってきている事に凱は気づいた。耳だけでなく、頬まで赤い。
「sora、飲みすぎじゃないか。弱いんだろ?」
「全然大丈夫!! まだいける!」
「どう見ても大丈夫じゃない顔色だぞ」
「失礼しちゃう! ……ねえチロさんはまだ飲むよね?」
「ええ、もう少しいただこうかと思っていました」
「ですよね!!チロさんがいてくれてよかった!!」
チロが淡く微笑んで小首を傾げた。その声音は変わらず穏やかで、柔らかい。
「あまり急がなくていいんですよ、soraさん。ゆっくり、自分のペースで。ね?」
柔らかい言葉は酒の進みの事でもあり、それ以外の――人生の先達から後進に向けての、人生を進む速さに対してのようでもあった。
「……ガイ、なんか考えてる顔してる」
赤い顔のsoraがじっとこちらを見ていた。
「別に」
「絶対なんか考えてる」
「考えてない」
「チロさんのこと考えてた?」
「……絡み酒か? 止めろ」
「絡んでないもん!! 本当の事言っただけ!!」
チロがくすりと笑った。
本当に小さく、けれど確かに笑った声が聞こえて、凱は気まずさのようなものに視線を逃がしながらビールを飲み干した。
soraが本格的に限界を迎えたのは、三杯目のカシスオレンジに手をつけてしばらく経った頃だった。
「なんか、……ちょっと、くるくるしてきた」
「くるくる」
「頭が、こう……」
「飲みすぎだって言っただろ」
凱が呆れ半分で言うと、soraはテーブルに突っ伏した。
「でも美味しかったから……」
消え入りそうな声での返事に、反省の色が全くない。
彼女が下戸であることは、ギルドの仲間なら誰でも知っている。飲み会の度に大量の誤字と異様なテンションでチャットを賑やかすsoraは、仲間でなければ荒らしかと思う程だ。
チロがそっとsoraの背中に手を添え、撫でながら優しく声を掛けている。
「ご気分が悪くはないですか」
「大丈夫……眠いだけ……」
凱とチロは顔を見合わせた。相談した結論として、タクシーを呼ぶことになった。
凱がアプリで手配した。店を出て、到着した車に合図を送る。
同性のチロがsoraに肩を貸しながら乗せれば、soraがふわふわとした声で運転手に住所を伝えた。
礼儀として凱はドアから数歩離れ、住所が聞こえない位置まで下がった。知らぬ仲では無いとはいえ、詳細な住所を男に知られるのは避けたいだろう。
後願うべくは、soraが伝えた住所が正しく彼女の自宅のものである事だけだ。
「ガイ……」
ドアを閉める直前、赤い顔にとろりとした目付きのsoraが振り返った。
「楽しかった」
「ああ」
「また、やろうね。あと、私がいない間に楽しい事したらダメだよ」
楽しい事とは何だ。
そして、誰と、何をすることを楽しいと言っているのだろうか。
「水飲んで寝ろ」
「チロさんもまた来てね……絶対ね……」
「ええ。soraさんも、気をつけて帰ってください」
チロが柔らかく言うと、soraはようやく満足したように頷いて、シートに沈んでいった。ドアを閉まると、タクシーはゆっくり走り出して、夜の車道に消えていった。
少しの間無言で、二人並んで見送った。
「賑やかだったな」
凱が先に口を開くと、チロは静かに首を縦に振った。
「そうですね」
それから、ふと小さく笑った。
「可愛らしいお嬢さんでしたね、ソラさんって」
声に、温かみがあった。呆れでも苦笑でもなく、心底そう思っているような言い方だった。
「……まあ、ああ見えてしっかりしてる所もあるんだが」
「ええ、分かります。だからこそ、ああいうところが余計に可愛らしくて」
凱は少し考えてから、同意するように短く頷いた。異論はなかった。
「さて、どうしましょうね」
チロが夜の路地に目をやりながら言った。飲み始めが早かったから、まだ大した時間ではない。
「まだ飲むか?」
「ええ、せっかくですし」
「ワインバーが、近くにあったはず。さっき通った時に見つけた」
「まあ」
チロが少し目を輝かせた。
凱が見つけた店は、二つ前の路地の角を曲がったところにある落ち着いた一軒だった。カウンターに数席と、奥に小さなテーブルが二卓だけ。照明が低く、静かな音楽がかかっていた。
凱はワインは門外漢だ。
案内されたカウンターに並んで腰を落ち着け、チロに向ってメニューを差し出し、任せる。彼女はゆっくりと眺めた。
「ガイさんは何かお好みはありますか」
「甘くなければ何でも。ワインには詳しくない」
「では、お任せいただいてもいいですか」
「ああ。頼む」
チロが店員に何か告げる。凱には名称までは聞き取れなかったが、すぐに運ばれてきたグラスの色は深い赤で、一口飲むと思っていたより柔らかかった。微かなベリー系の香りが鼻腔をくすぐり、心地よい余韻だけを残していく。
「美味いな」
「よかった。重すぎないものにしました」
しばらく、穏やかな沈黙があった。
都会の喧噪から切り離されたような静けさの中で、凱は今日の時間を頭の中で振り返っていた。soraの呼び出しに半ば強引に引っ張り出されて、想定外のことが重なって、気づけばこうして現実では初対面の女性と見知らぬワインバーのカウンターにいる。
悪くはなかった。
「今日、来て良かった」
気づいたら口に出していた。ゆっくりとワインを口にするチロがこちらを向く。
傾けられたグラスの細いステムを、彼女のしなやかな指先が包み込んでいる。凱は、その白く頼りなげな指先から何故か目が離せなくなっている自分に気付いた。
「あら、珍しい」
「そうか?」
「チャットで、そういうことを仰るイメージがなかったので」
「……そうかもしれない」
チロはグラスを持ったまま、少し考えるような間を置いて微笑んだ。
「私も」
「ん」
「来て、よかったです。誘ってくれたsoraさんに感謝ですね。ガイさんも、今日はありがとうございました」
礼を言われるようなことをした覚えがなかったが、凱は特に否定しなかった。
ただ、小さく頷いた。
この静かで居心地の良い夜は、まだもう少し続きそうだった。
オフ会から数日が経った。
日常は何も変わっていない。仕事があって、趣味があって、その合間にゲームがある。ギルド戦争の戦況も動いていた。
補給路の再編について幹部間で意見を擦り合わせる必要があり、凱は幹部チャットを開いた。
新着を流し読みしていると、チロの名前があった。
【イグニア】ギルド幹部チャット
chiro0303 09:14
昨夜の防衛、皆さんお疲れ様でした。東側の壁、少し薄くなっているのが気になっています
それだけだった。それだけなのに、凱の頭の中で声が再生された。
穏やかで言葉を選ぶような間がある、あの声。柔らかく、高すぎず低すぎない。決して押しつけがましくは聞こえない女性的な声だ。
おかしい。
チャットメッセージに声がついているわけがない。ゲームにそんな機能はないし、オフ会でのやり取りを合わせたところで、会話らしい会話は数時間分しかない。それなのに、文字を見た瞬間に音として再生されるのは、どういう仕組みなのか。
凱は返信を打った。
ガイ29 09:21
確認した。今夜の戦況次第で配置を変える
chiro0303 09:23
ありがとうございます。お任せします
また頭の中で声がした。
凱は眉をひそめて、スマートフォンを伏せた。
落ち着かない。なぜ落ち着かないのか、その理由を言語化しようとすると、うまく形にならないまま霧散する。
ただ、チャットを開くたびに彼女の名前を探してしまっていることには、薄々気づいていた。気づいていて、特に意味はないと結論づけていた。
ギルドの仲間だ。幹部同士、チャットを確認するのは当然のことだ。
そういうことにしておいた。
イグニア内で、グループチャットが作成されたのは、sora達のオフ会の翌日のことだった。
メンバーはたろたん、ヴァンプ、sora。招待者はsoraだった。
【緊急DMグループ】
sora 22:03
緊急でグループ作りました
ヴァンプ 22:04
なんやなんや
たろたん 22:04
どしたソラさん
sora 22:05
報告があります
sora 22:05
昨日私、チロさんとオフ会したじゃん?
sora 22:05
で、そこに通り掛かりのガイも呼んだんだけど
ヴァンプ 22:06
呼んどったねえ
たろたん 22:06
それ幹部チャットで見とったで
sora 22:06
あのガイが
sora 22:07
来た瞬間チロさん見て、目ぇまん丸にして固まったんよ
sora 22:07
あの鉄面皮が! あのミスター不愛想が!! くっそ美人なチロさんを前にして!!!
ヴァンプ 22:07
はーん???
たろたん 22:07
え
sora 22:08
一瞬だったんですけど私バッチリ見てたんで
sora 22:08
あとカフェでチロさんと話してる間ずっとコーヒーカップ見てて
sora 22:08
動揺を隠してる感じが手に取るようにわかりました。ええ。
ヴァンプ 22:09
ガイくんが!? あのガイくんが!?
たろたん 22:09
ちょっと待って情報が多い
sora 22:10
チロさんがお手洗い行った隙に「動揺してたじゃん」って言ったら「してない」って即否定したんですよ
sora 22:10
してない人は即否定しないと思うんだよね……まず何に? って聞くはず
ヴァンプ 22:11
せやな
たろたん 22:11
まあそれはそう
sora 22:12
しかもガイって品のいい人が好みじゃないですか
sora 22:12
チロさんってめちゃくちゃそんな感じ
ヴァンプ 22:13
チロさんの顔知らんけど文面からして確かに品あるよな
男だと思ってたけど
たろたん 22:13
言われてみたらそうやな
ソラさんの真逆
sora 22:13
品があって綺麗で落ち着いてて声もいいんですよ
@たろたん 表出ろや
sora 22:14
ガイの好みを全部満たしてるんですよ、フルコンプリート
ヴァンプ 22:14
それはアカンやつや(歓喜)
たろたん 22:15
あのガイ兄に春が……!?
sora 22:15
居酒屋でも私がチロさんのこと話題にするたびにちょっとよそよそしくなるし
sora 22:16
しかも二人でワインバーで二次会したらしいんですけど。私は先帰っちゃったけど
ヴァンプ 22:16
二次会!?
たろたん 22:16
え二人で!?
sora 22:17
二人で
sora 22:17
どうですか
普段のガイなら絶対、初対面の女の人と二人きりなんて避けると思うんだけど
ヴァンプ 22:18
どうですかじゃないやろ!!! ガイくんやるやん!!!
たろたん 22:18
ガイ兄から誘ったん?
sora 22:19
チロさんに聞いたら店はガイが見つけてたらしいです
ヴァンプ 22:19
見つけてた!?!? 事前に!? あのめんどくさがりマンが!?
たろたん 22:20
それ完全に気ぃあるやつやん
sora 22:20
無意識だと思うけどね。本人に自覚なさそうだし
ヴァンプ 22:21
ガイくん隅に置けんなあ!!!
sora 22:21
というわけで見守りが必要だと判断しました
sora 22:22
グループ名は「ガイチロを見守る会」にしました
ヴァンプ 22:22
ネーミングセンスよ
たろたん 22:23
ガイ兄が知ったら怒るぞ絶対
sora 22:23
知らせないもん
ヴァンプ 22:24
せやな
たろたん 22:24
せやな
~それから数日後~
sora 14:17
報告です
ヴァンプ 14:18
きたきた
たろたん 14:18
どしたどした
sora 14:19
さっき幹部チャットでチロさんが補給の話してたけど
sora 14:19
ガイの返信が普段より少し早かったです
ヴァンプ 14:20
見てたん!?
sora 14:20
見守る会なので
たろたん 14:21
仕事は?
sora 14:21
仕事中じゃないです
sora 14:22
しかもチロさんへの返信だけ若干文字数多くない?
ヴァンプ 14:22
確かに見たら多い気がする。基本完結だしなガイくん
たろたん 14:23
あー……言われてみたら
sora 14:23
でしょ
sora 14:24
本人は絶対気づいてないと思うけど
ヴァンプ 14:25
ガイくんほんまに自覚ないんかな
sora 14:25
ないと思う
sora 14:26
自覚あったらもっと隠すのが上手くなると思うから
たろたん 14:26
確かになあ
ヴァンプ 14:27
愛でたいなあ
sora 14:27
わかります
たろたん 14:27
わかる
ヴァンプ 14:28
チロさんはどうなんやろな
旦那とか彼氏持ちじゃないんよね?
sora 14:29
そっちはまだ分からないんだよね
@ヴァンプ それはなさそう
sora 14:29
ただチロさんってなんか……色々抱えてそうじゃないですか
たろたん 14:30
まあ、そうやな
sora 14:30
簡単にはいかない気がしてます
sora 14:31
だから見守りが必要なんです
ヴァンプ 14:31
なるほどなあ
ヴァンプ 14:32
ガイくんには幸せになってほしいからな
たろたん 14:32
ほんまそれ
sora 14:33
ですよね
sora 14:33
というわけで引き続き見守りましょう
ヴァンプ 14:34
了解
たろたん 14:34
了解や
sora 14:34
ガイが自覚するまで気長に待つ
同じ頃、話題の本人は、仮眠室のベッドに横になりながらスマートフォンを眺めていた。
ギルドチャットに、chiro0303の名前はなかった。
ない、と確認して、画面を閉じた。
――なぜ確認したのか、自分でもよく分からないまま




