40 新たな問題 2
ノエリアが一通り話終わると、皇太后がため息をついた。
人が説明するのを聞いて心の中でいくらか整理がついたのだろう、その表情は常の冷静なものに戻っていた。
「そのような経緯で、レゼクはミクローシュ侯爵を護衛するための騎士を送りたいようなのです。ただ、こちらが行動したとわかれば、暗殺のための人員を増やす恐れがあります」
うなずける話だ。
そのため、ある程度の人数を派遣したいレゼクが、ある提案をしてきていた。
「だから分散して派遣します。敵方の監視も分散されるので、こちらも動きやすくなるでしょう。そのうちの一番目立つだろうレゼクは、視察へ行くという形で出ます。リリ、あなたにはレゼクに付き添ってほしいのです」
(聖女の力が必要かもしれない、と思ったのね)
元々、そういう方向の協力をする予定だった。
だから私は承諾を告げて一礼する。
「皇太后陛下、承りました……っくしゅん」
格好をつけたのに、最後にくしゃみをしてしまう。
慌てて皇太后の方から顔をそらして手で覆ったけれど。
皇太后はようやく微笑んで、告げた。
「風邪を引いたかしら? 体調は?」
「あ、大丈夫です。熱もありませんので」
ちょっとくしゃみが多いなと朝から思っていたのだけど、熱さえなければ大丈夫だろう。
「では、レゼクの伯父を頼みますよ、リリ」
皇太后に頼まれて、私はもう一度深く礼をした。
「はい」
※※※
というわけで、出発は夜になるらしい。
その前に、私は帝宮の薬師の元へ向かった。
軽い風邪だろうけど、帝宮を離れるのなら色々な薬は持って行きたいし。
「にしても、なんだか妙に鼻が……。これ、薬で止まるかな?」
この世界の薬、生薬みたいな物ばかりなんだけど、たまに恐ろしく効果があったりすることもある。
高価だから、庶民がさくっと買って使えるようなものではないんだけどね。
独り言をつぶやきながら、壁のない柱だけの回廊を通っていると、途中で身震いが出て来る。
夏も近い時期なのに、なんだか寒いな。
「やっぱり風邪かもしれない……」
でも風邪をひくのは久しぶりだった。
妙に足下がふらつくのもなんだか可笑しい。
思わず笑いそうになって、不気味だろうと気付いて自重する。
風邪ってこんな感じだったっけ? と思いながら、薬師の居る棟へたどりつく。
薬師とはいえ貴族ではないので、住まいは帝宮の端にある。
たぶん、薬の材料を干したり貯蔵するスペースの問題もあるんだろうね。
ぼんやりしながら歩いていると、建物の中から回廊へ出てきた人とぶつかりそうになった。
「あ、すみま……」
「君か」
あまり会いたくない相手だった。
さらりと揺れる黒髪の少年。ウルスラ妃の弟、カールだ。
カールは意地悪そうな笑みを浮かべてたずねてくる。
「しばらくぶりだけれど……もしかして出発の準備かな?」
(もう知ってるの? どういうこと!?)
一体誰に聞いたのか。
が、それを正直に聞いてはいけない。妙なことを言われそうだと思った。だから黙っていた。
「その様子だと、全然わからないみたいだね」
お見通しだった。
つい、むっとしてしまいそうになる。
だめだめ。
表情だけは変えないように……。
(いや、それより鼻が)
人前でかむのははしたないだろう。
けど、壁のない回廊だからか、寒気に鼻水がでてくる。
どうしようという気持ちと同じだけ、鼻をすすりたい……という欲求が強くなっていく。
「皇帝陛下を操ったなら、誰かを操れると思わないかい? 僕が聞けば誰であれ秘密を話してしまうんだよ」
カールはそんなことなど露知らず、囁く。
「どうかな。誰から聞いたか知りたくないかい? その人からよく聞くんだけど、君達もその人物に渡す情報を絞ったら、こちらの裏をかきやすいだろう? だけど……代わりに君が、僕の力が効きにくい理由が知りたいな」
私は近づいた彼の顔ではなく、カールの袖を凝視してしまう。
その袖で鼻をかんでやりたい。
(嫌われたくないから、はしたないと思うのであって……。別に嫌われてもいい人なら、問題ないのでは?)
危険な思いつきだ。
でもカールの袖を見ていると、強烈な誘惑を感じ始めた。
(いやでも、そんなことをしたら皇太后様の名誉が……。でもカールしかいないし。カールがそんなこと言ったからって、誰もが信じるわけでもないだろうし)
理性とのはざまで必死に耐える表情が、深刻な表情に見えたのだろう。
「騎士の力を持っていないみたいだし、何かあるんだろう? いっそ僕の側についてくれたら、君がなんの不安もなくいられるようにしてあげよう」
取引をもちかけてきたが、熱で頭の回転が歪んでいる私は、恐ろしいとかよりも先に、鼻をかむことしか考えられなくなっていた。
「そのことに悩んでいたんじゃありません」
「じゃあ何?」
「……あなたの袖で、思い切り鼻をかんでやりたいなと」
耐えきれずに鼻をすすると、カールが真っ青な顔で一歩離れる。
むしろ私は一歩彼に詰め寄った。
たぶん目が座っていたんじゃないかと思う。
だから本気だとわかったのか、カールが焦ったように言う。
「お前、風邪をひいてるのか!?」
「だから袖貸して下さい」
淡々と要求して袖をつかもうとしたら、カールは「ひっ」と悲鳴を上げて更に飛び退る。
そのまま「なんて女だ!」と言い逃げていった。
その姿を見つつ、なんだカールを避けたいなら風邪をひいていればいいのか、という結論に至る。鼻水が恐ろしいとは軟弱な、と。
このまま追いかけて、カールと接触しやすい皇太后側の人を聞き出そうかと思ったが、くらりとめまいがした。
だめだ、とにかく具合がよくない。
まずは薬を貰おう。
建物の中に入って、私はそう考える。
薬で体調も良くなったら、良い案が浮かぶはず。
「ああ、そういえば旅の準備……」
「無理はしなくていい」
独り言のつもりだったけど、返事があってびっくりする。
顔を上げると、そこにレゼクがいた。
「あれ。殿下も風邪ですか? この風邪、まず鼻からみたいなんでお気をつけください」
「そこは案じなくていい。まぁしかし、俺が出るまでもなかったな」
無表情のまま、レゼクは私にハンカチをくれた。
「殿下は良い人ですね……」
カールみたいに逃げずに、ハンカチをくれるだなんて。
思わず感想を述べ、有り難く受け取ったハンカチで鼻を押さえる。
「それは返さなくていいからな」
尋ねる前に言われてしまった。そしてレゼクは続ける。
「皇太后から同行の話は聞いたと思うが……。さっきも言ったが、無理はしなくていい。死なせたいわけではないんだ」
レゼクの言葉に、ちょっと考えはする。
この世界の薬は前世の物とは比べ物にならないほど、弱い効果の物が多い。
だから病気になることを恐れる人は多いのだ。
正直、私も風邪をこじらせたいわけじゃないけど。
「大丈夫です。熱はないんで」
そもそも、こういう時のために侍女になるって契約したわけだから。




