22 ノエリアのドレス
今回ノエリア視点です
そのドレスは、一年と少し前にノエリアの父デジェー侯爵が作らせた物だった。
リンデル産の、美しい染めの絹が入ったとはしゃいだデジェー侯爵は、笑顔でノエリアに言った。
「これで婚約発表にも使えるドレスを作ろう! レゼク皇子殿下の隣に立っても映えるドレスにな!」
ノエリアはその言葉に、あいまいに微笑んだ。
なにせ当時のデジェー侯爵は、本当にそれを信じていた。
でもノエリアの方は、レゼクにそんな気がないのはわかっていた。
(真実を知ったら、お父様だって無理だとわかるでしょうけど……)
まだ幼さが残る頃から、ノエリアは皇太后の侍女として離宮に上がった。
傍からすると、皇太后が側で面倒を見ている前皇妃の子、皇子レゼクの婚約者候補になったと思っただろう。
親でさえそう思う状況だった。
だけどノエリアは、フェイクではない限り、皇子との婚約なんてありえないと知っていた。
最初から、レゼクに釘を刺されているのだ。
『俺は君の親が望むような関係を、誰かと結ぶ気はない。もし立場上結婚してみせるとしても、亡くなったら親兄弟が悲しむこともなく、本人も死ぬ覚悟がある人間だけだ』
十代になったばかりのノエリアには、とても衝撃的な言葉だった。
周囲に『婚約』のことを含んだ話ばかりをされて、少し期待を感じていたノエリアが、激しくショックを受けたのも仕方ないと思う。
だからノエリアは、レゼクが苦手になった。
こればかりは心理的なものなので仕方ない。
でも、理由を誰かに話せるわけではなかった。
皇太后以外には。
『デジェー侯爵には期待させてしまったし、申し訳ないと思っているわ、ノエリア』
皇太后はレゼクがそう発言したのを知って、謝罪してくれた。
『あなたも、きっとわけがわからなかったでしょう。でも必要以上に巻き込まないためなのよ。我が皇家に輿入れして、普通の令嬢が幸せになれはしない。私も、私の母もまた、皇家の執念の犠牲になってきた』
沈鬱な表情で紡がれた言葉の意味を、当時のノエリアはぼんやりと推測した。
皇帝の妻となれば、陰謀などに巻き込まれるからだろう、と。
レゼクも、皇帝の後妻とレゼクの関係や、皇帝の無関心さから命を狙われることも多い。
そんな、状況からノエリア達仲間を遠ざけるため、拒絶したのでは? と。
(だから、本当は優しい人なのかもしれない、と思った)
そのせいで、内心ではきっぱりと諦められずにいたのだろう。
婚約者候補のように名前を挙げられた時。
レゼクが必要に迫られて、舞踏会に出る時に同伴した時。
ほんの少しずつ、彼を許し、心惹かれるようになった瞬間もあった。
でも、無理だと理解したのはいつだったか。
レゼクが任された土地に、とある一族の老いた貴族がいることを知った彼の行動を、目撃してしまった時だろうか。
皇太后とともに、一度だけその領地へ向かった。
一緒に連れて行ってくれただけなら、ノエリアは期待しなかった。
その時すでにルドヴィカも侍女になっていて、一緒だったから。
ただ、皇太后に領地を見せたかっただけなんだろう。
そんな風に思っていたのに。
『向かいたい場所がある。一人で行くには理由を作るのが面倒だ。口が堅い君なら行った先でのことも伏せておけるだろう。一緒に来い』
命じられて、二人だけで馬車に乗った。
伴うのは御者と、騎士が二人。
でも馬車の中にいるのは、自分とレゼク二人だけ……。
(どうして、私とだけ出かけようと思ったのだろう。口外してほしくない、秘密の場所に私を連れて行っていいと思ったのはどうして?)
ノエリアはつい、その状況に期待してしまった。
けれどレゼクは馬車の中では、一言も口をきかなかった。
そうして到着したのは、古い館。
始まったのは、惨劇だった。
中に誰がいるか確認させた後、レゼクは一人でその館に入って行った。
その後、絶叫が聞こえた気がした。
逃げ出して来るのは、使用人ばかり。
やがて出て来た後、レゼクは館に火をつけさせる。
『火を放て』
一緒にいた騎士達は、それを知っていたらしい。
すぐに油を撒き、木造の林の中にぽつんと建つ館を燃やした。
ノエリアは絶句したまま、馬車の中からその様子を見つめていた。
ここの主は一体どうなったのか。
どうして、自分をこんなところへ連れて来たのか。
なぜ見せようと思ったのか。
ノエリアは震える手で扉を開け、馬車から出た。
レゼクはまだ館の前にいた。
彼の前に、馬車からではよく見えなかったが、一人の老人がいた。
着の身着のままのその老人は、肉付きも良くてまだ足腰はしっかりしているようだ。
だがその肩からは血を流し、震えながらしゃがみ込んでレゼクを見上げていた。
『なぜ、なぜこんな……こんな老いぼれにどうして……』
泣きながら訴える老人に、レゼクは言う。
『俺はある人のため、その人を傷つけた者達に報復をしたいとずっと思って来た』
語るレゼクの表情は、凪いだように静かだった。
とても、家を焼かせた直後とは思えないほどに。
『その人物はお前によって追われ、怪我をしているというのに、冬の今にも雪が降り出しそうな山へと逃れるしかなかった』
一体誰のことを話しているんだろう。
ノエリアにはわからない。
『彼女をヴァールが受け入れなければ、永遠に聖女の血族は失われていただろう。だというのに、その後もお前は皇帝に従い、聖女達に対抗しようと騎士や、他に聖者がいないかと探し回っていたと聞いた』
(聖女?)
そこでノエリアが思い出したのは、もう六十数年前の伝説のように語られた話の一端。
ランヴェール帝国が捕らえようとした聖女が、逃げて山を越えてヴァール王国へ逃れ、それから帝国へ復讐したという話。
(まさか、そんな昔のことをなぜ皇子殿下が? その後も聖女を探していたってどういうこと?)
ランヴェール帝国が、周辺諸国を侵略しようとしていたのは昔の話だと思っていた。
でもそれからも、奇跡の一手を求めるように、聖女を探していたとしたら……。
(我が国は、皇帝は、まだあきらめていないのだろうか)
とんでもない話を聞いたと思った。
同時に、ひっかかる。
(皇子殿下は、昔のことを見てきたように言うのね)
レゼクは目の前の老人に剣を突き付けた。
『今ここで死ぬか、今までに探した場所を吐いて解放されることを望むか。どちらかを選べ』
酷薄ともいえる口調での要求に、老人は叫ぶように言った。
『も、もう十年ほどは探しておりません! 息子の代以降は知らず、前皇帝陛下から命じられたのは私のみでございます!』
そして語った地名。
調べた書類は前皇帝に渡した後、手元には残していないこと。
全て秘密裏に行い、実行者は口封じされたことも話した。
『最後に見つけたのは、皇帝陛下の父にあたる騎士のみでございます』
(え?)
誰を見つけたと?
皇帝の父は、前皇帝ではないのか?
でも、ノエリアは前皇帝の顔をよく覚えていない。自分が幼い頃に急逝したと聞いている。
だから今の皇帝が、その前の皇帝に顔が似ているかどうかも知らないのだけど。
(疑問になんて思わなかった。それに誰も、顔立ちの話なんて噂でも聞いたことがない)
だから、今聞いたのは何かの間違い。
自分の耳が、合間の燃え上がる音が重なって、おかしなことを聞いたせいだと。
そんな風に信じ込もうとしていた。
一方のレゼクは……。
『ならばいい』
聞きたいことを聞いたと思ったのか、無造作に目の前の老人を斬り捨てた。
突然のことが重なって、ノエリアはもう息をするのも忘れそうになっていた。
どうやって馬車に戻ったのかもわからず、気づけば再び馬車の中でレゼクと向かい合っていた。
すでに燃える館からは遠ざかり、煙の匂いもしない。
我に返ったところで、ようやくノエリアはレゼクに尋ねた。
『どうして、私をお連れになったのですか』
何より一番、それが聞きたかった。
そしてレゼクの返答は、簡潔なものだった。
『これからも皇太后の側にいるなら、『あれ』に関してのことを見聞きすることもあるだろう。皇太后以外から聞かされた時に、妙な行動をしないよう予備知識を持たせるにはちょうど良い機会だった』
皇太后に信頼されているなら、皇族の秘密を知ることもあるだろうと。
他の人間が何かを言った時に動揺していては、皇太后を補佐することが難しい場面も出るだろうことを、考えて……だったらしい。
やはり、ノエリアを特別に連れ出した理由は、甘い理由ではなかったようだ。
『あと、お前の父を抑えておけ。上手く言いつくろって、余計な世話を焼こうとするのを止めさせておいてもらいたい』
そしてわざわざ凄惨な状況を目撃させた理由。
おそらくノエリアの父が、何度も婚約の話を持ち掛けていたのだろう。
それを止めさせろと、レゼクは言っているのだ。
踏み込むと危うい人間に、婚約話などをもちかけているということ。
なにより、あれを見せて怖気づかせれば、ノエリアも一切そういう気がなくなると考えたのだろう。
『……かしこまり、ました』
答えながら、みじめな気持ちが湧き上がった。
一番きつかったのは、ノエリアのほのかな思いをレゼクは感じ取っていて、だからこそ二度とそんな気にならないような手段をとったのだ、ということだ。
その後、帝都の侯爵家へ一時帰省した時に、出来上がったドレスを見て……ノエリアは皇太后からやんわりとデジェー侯爵に釘を刺してもらうことにした。
自分から言えば、きっと不自然になる。
(初恋が燃やされたような気分になって、酷い表情をしてしまいかねない)
そうして皇太后に頼み込んで、正式な婚約をと盛り上がる父デジェー侯爵には、あきらめてもらった。
その後、ドレスはせっかく作ったのだから、パーティーで着るようにと言われたが……。
とてもそんな気になれないまま、帝宮に置いていたのだ。
月日が経って、以前よりはドレスに思い入れはない。
だからそう。
(リリに着てもらって、自分の物ではなくしてしまった方が、すっきりするわ)
リリに、このドレスをあげてしまおう。
当時の物思いも、割り切れない感情の残滓も、全部無くせる。
そう考えながら、ノエリアは衣装部屋の扉を閉めたのだった。




