16 とんでもない事故発生
訓練後、私はよろよろとしながら自分の部屋へ戻ろうとしていた。
昨日は訓練も軽かったので、騎士の詰め所に居座ったりしていたのだけど、さすがに疲れた。
あと、今日の午後は皇太后や侍女もいるし、私達側の来客が来るので騎士達も廊下を警護して人を入れないようにすると聞いている。
ゆっくり休めるだろう。
「おい、大丈夫か?」
トールが気遣ってくれるが、私はやさぐれていたので、
「……変態」
と一言返したのみで、彼を振り返りはしなかった。
あんな変態な手で負けるのは悔しかったが、トールがそうした理由はわかっている。
手加減、しているのだ。
私は相手が重傷を負わない程度にではあるが、足を蹴飛ばしたりしている。
けれど、トール達は足癖が悪いとこちらをけなしても、決して同じ手を使ったりしない。
おそらく騎士の訓練が主ではなく、侍女の仕事が主である私が、青あざだらけになったり、うっかり怪我をさせないように気を遣ってくれているのだ。
確かに、腕を出すようなドレスを着たあげく、腕がアザだらけになっていたら目もあてられなくなるし……。
でも足ぐらいなら、人目にさらすわけもないから、多少怪我をしたってかまわないと思っているんだけど。
背後からトールのため息が聞こえてくる。
「あのな……」
トールが私の肩に手を置く。
私よりも大きな、剣を握りやすそうな手。
私が簡単に押し負けてしまう力を持っている手だ。
正直悔しい。自分もこういった手があれば、と考えてしまう。
「お前がいじけてる理由はわかるし、一緒にやるなら俺達もそれくらいの気持ちでいてくれた方がいいんだけどさ」
一応、トールは私の悔しさを分かってくれてはいるらしい。
「訓練積むのもいいが、女であることで落ち込むなよ」
「それこそもし実戦になったら、男女差うんぬん言えないじゃないですか」
「いやまぁ……」
トールは困り果てた様子で眉の端を下げる。
「とりあえずな、劣等感を抱く必要はないんだよ」
「そうはいっても、腕力差があるのはかなりのハンデです。実際それで貴方に押し負けましたし」
やっぱり腕力鍛えるとこからなんとかしなくてはならないだろうか。
そう呟いた私に、そうじゃないとトールは言った。
「どうせなら女であることを利用する方法を考えた方がいい」
首をかしげた私に、トールがもう一方の肩にも手をかけて自分の方へ私を向き直らせた。
先程までの意地悪そうな笑みがなりを潜め、トールは予想以上に真剣な顔をしている。
いいか、とトールは話を続ける。
「お前は腕力も足りない、背丈も足りない。だったらその分を補うために、女であることを利用して油断させればいい」
「利用って……」
トールが真剣に教えてくれているのはわかる。
実際、私が多少腕力を鍛えたところで、トールやグンナーに勝てるほどにはなれないだろう。
しかし女性らしさを求められたところで、どう使えというのか。
さっぱりだ。
普段ならまだしも、戦闘中にどうやってそんなことを心がければいいのやら。
「例えば、どんな感じにすればいいんでしょう」
わからないから尋ねると、トールはあっけにとられたような表情になった。
「や、素直に聞いてくれるのはいいんだがな、やっぱりそれは自分で考えた方がいいような気がするぞ……?」
「そうは言っても、よくわからないんですが……。トールはいろいろ知ってるんですよね?」
知らなかったら、そんなことを教えてくれるわけもない。ディックみたいに負けた私を指さしてゲラゲラ笑うだけでおしまいにしていただろう。
しかし再度お願いすると、なぜかトールは顔を横に逸らす。眉間に皺まで寄っている。
「いや……それはあまり男に聞かない方がいいだろ」
「他の侍女達に聞いた方がわかるんですか?」
「いや、まだ同僚に聞いた方がいい。そうするべきだ。っていうか、他の男にはこんなこと聞くなよ? いいな?」
妙に念を押して、トールは急に立ち去った。
「そんな変な事聞いちゃったかな……」
トールの行動はわけがわからないが、まずはこっそり戻らないと。
貴族の女が剣を振り回すのは奇異なことなのだから、人目につくわけにはいかない。
できるだけこっそり帝宮内を移動しているうちに、ようやく皇太后の棟に近づく。
ほっと息をついたところで、耳にかすかな悲鳴が聞こえた気がして足を止める。
振り返った私の目に飛び込んできたのは、深紅のドレスの裾をからげて、泣きながら走ってくる一人の女性だ。
緩く巻いた黒髪も艶やかで、深紅のドレスの豪奢さに負けない綺麗な人だった。
すぐに彼女は背後から追ってきた二人の男に捕まりそうになる。
彼らは貴族の誰かの従者だろうか。きちんとした上着を身につけているが、楽しげに女性を追い回している姿は、悪漢と変わりない。
彼女が私に気づいて、手を伸ばす。
切れ長の美しい目と、視線が合う。
私は気付けば彼女に向かって駆けだしていた。
女性の腕を掴んで自分の背後に庇いながら、間近に迫った男の腹を警告もなく蹴りつける。
「このやろ……!」
呻き倒れる相方を見て、残りの一人が殴りかかってきた。
野郎じゃないんだけど、と思いながら男の拳をかわした。そのまま男の腹を殴りつける。
二人目も体をくの字におるようにして、その場に膝をついた。
素手の喧嘩は苦手だったが、上手く攻撃が急所に入ったようだ。
しかし手の指が痛い。相手の服のボタンがもろ当たった。それでも血が飛び散るような状況は避けたいので仕方ない。
「こっちへ!」
呆然とする女性の手を引いて、私はその場を離れた。
一番安全そうな場所……と思った彼女は、さきほどまでいた訓練場の近くで足を止める。
この辺りは騎士が多いので、何かあっても応援を呼ぶこともできるし、貴族も目立ちたくないなら近づかないはず。
建物から出て近くの木陰へやってきたところで、私は足を止めた。
女性は逃げ続けたせいで息を切らしていたけれど、大輪の薔薇のような笑顔を見せてくれる。
「有り難うございます、騎士様……」
走ったせいか、頬も上気して薄赤い。
「いえ、女性が困っていれば助けるのが騎士の勤めですから」
服装から私のことを騎士だと勘違いしているみたいだ。
髪を結い上げて、帽子で隠しているおかげだろうか?
それでも顔が見えているのに……と思うけど、まぁ、それほど美人でもないし、少年ぐらいに見えても仕方ないのかもしれない。
それに誤解をそのままにしておく方がいい。
これきり会わないかもしれないし、自分のことを説明するわけにもいかないので。
それにしても綺麗な人だと思いつつ、私は彼女から手を離そうとした。
が、手首を掴んでいたはずの私の手が、彼女のもう一方の手にがっちりと掴まれてしまっている。
――なんで?
「えと、そちらから庭園を回っていけば、先程の者達と会わずに帝宮の外へ出られると思います」
少々冷たいようだが、私もあまり人に見られたくないし、ここでお別れしたい。
それとなく手をはずさせようとすると、彼女はなぜか残念そうな表情で手の力を緩めてくれる。
「もし……騎士様よろしければ、後ほど御礼をしたいのでお名前を」
名前はもっとマズイ。
そんなのを知られたら、名指しで騎士の真似事を始めた侍女として、貴族の間で噂が広まってしまう。
それは皇子の恋人という噂よりも、もっと悪い。
慌てた私は、偽名を言っておくことすら思いつかず、
「あ、いや、ちょっと用事がありますので!」
と言って、その場を走り去ってしまった。




