影の違和感
石畳を抜けると、光の粒がまだ空気の中に残っていた。
通りはいつも通りの京都。
けれど、人の声が少し遠く感じる。
自転車のベルの音も、犬の鳴き声も、どこかガラス越しに聞いているようだった。
唯は歩きながら、胸のポケットに触れる。
お守りが、ほんのり温かい。指先に甘い香りが滲んだ。
そのとき、視界の端で、何かが揺れた。
人波の中、ひとりの女性の足もと。
影が、二つあった。
ひとつは本人の。もうひとつは、少し遅れて動いた。
唯は立ち止まり、目を凝らす。
けれど次の瞬間には、
影も、女性も、群れに溶けて消えていた。
「……なに、いまの……?」
つぶやいても返事はなく、再び歩き出す。
細い通りを出て、信号のない横断歩道。
顔を上げた時、自分の目を疑った。
街の色が少し薄い。空気の粒がゆらいで、向こう側に“別の層”が見える気がする。
信号の向こうで、人が立ち止まっていた。
誰も気づかない。
けれど唯には見える。
その人の影が、地面に落ちず、宙に浮かんでいた。
足を速める。
ただの幻覚だと自分に言い聞かせながら。
けれど、見えてしまう。
見えてはいけない“濃さ”が。
ビルとビルのすきま、細い路地があった。
人ひとりがやっと通れるほどの暗がり。
昼間なのに、奥の方はまるで夜みたいに沈んでいる。
影が濃い。今ならわかる。
あそこは、近づいちゃいけない。
唯は肩にかかる陽の光を避けるように、うつむいて歩いた。影の濃い路地の横を足早に通り過ぎる。
どうしようもなく疲れていたけれど、足は大学へ向かっていた。
幻燈堂のカウンターで、キツネに言われた言葉が
頭の奥でこだまする。
「人の中で生きること、忘れたらあかんで」
校門をくぐると、人のざわめきが波のように押し寄せてきた。
談笑する声、ノートを広げる音。
どれも現実の音なのに、どこか遠く、他人事のように響く。
唯は講義棟の階段を上がり、大教室の扉を開けた。
空調の風が頬を撫でる。
席の隙間を縫うようにして前のほうへ歩き、端の列に腰を下ろした。
教室のざわめきの中で、唯はようやく息をつく。
机の上に学生証を出して、その横にお守りを置いた。
甘い香りが、ほんの少し漂う。
教授が入ってきて、ざわめきが静まった。
黒板に白いチョークの線が引かれる。
――そのとき、唯は気づいた。
前の席の女子が肩を抱えて小刻みに震えている。
顔は伏せたまま。周囲の誰も気づいていない。
よく見ると、その子の足もとに、
黒いものが落ちていた。
影。……でも、二つ。
ひとつは机の脚に沿って伸びている。
もうひとつは、
まるで生きているみたいに、
彼女の足首にまとわりついていた。
唯の喉が、乾いた音を立てた。




