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異世界令嬢

道具として生きた令嬢、雪解けの冬

「ケイト。貴様の役目も終わりという事だ。わかるな?」


「……なるほど、そうですか。その口ぶりからもう両家の合意は得ている、と」


「男を立てる為のその察しの良さには素直に関心しよう。……裏を返せば、所詮媚びる為の卑しい術でしかないが。元平民の貴様ならばそれも仕方ない。人を動かすとは高貴なる者の特権であり、使われる貴様には無いものだ。流石よくわかっている」


 そのしたり顔。果たして自らは卑しくはないと? いや、そうなのだろう彼の中では。

 彼の中では自らは聖人であり、その振る舞いは許されて然るべき正義が形作っている。そう信じて疑わない傲慢が――後にこの国を導くとでも言うのだろうか。


 私の名前――ケイトを呼ぶその不遜の声の主たるは、この国の王子。

 名をジェイミー・スチュワート・ソーンダース。私の婚約者……だった男だ。


 彼の態度にもその声色にも申し訳なさなど微塵も感じられない。ただ、私という女はその身に仕え、ただ頷き実行するだけの傀儡と疑わず。それはきっと、関係が切れてからも当然の思惑だ。


 婚約破棄。言葉にすれはそれは単純に、婚約という愛の紡ぎを解く行為。とは所詮に平民の特権か?

 結局のところ貴族の婚約に於いて重要なのは家と家の繋がり。つまるところこれも政治なのだ。


 それはわかっていた。貴族の行動とは十全に政治。そこに私欲など、本来に偏在してはならないものである。

 高貴たるとは自由にあらず。その人生は家であり国である。決して人ではない。


(……そう思っていたのだけれど)


 最近、妙な噂を耳にする。例えば今日に起こった婚約破棄が、あちらこちらから聞こえてくるのだ。

 決まってより高貴なる身分の若い令息令嬢が、やれ真実だのと叫び、自らは正しきを行うものぞとかつての伴侶の成り損ないを罵倒するという。


 狂ってる。そう思わずにはいられない。そして、本日に於いては私がその対象となった。


 一つ現状報告をしておくならば、私はこのかつての婚約者を愛してなどいない。

 私という女は拾ってくれた家の部品であり、義父の供物として差し出された物にすぎず。


 だからこそ冷静であり、だからこそ困惑していた。


 彼は曲りなりにも王子である。その身分に於いて上は無く、それ故に身勝手とは誰より離れた人間でなければならない。

 が、この様だ。期待をし過ぎていたのだろうか? 低く見積もったハードルを潜ってくるとは思わなかった。


「このまま引き下がらなければならない貴様は哀れだな。慈悲の心を持って教えておく事に感謝すると共に、だ。……その心に深く刻み込め。貴様は死ぬまで惨めでしかないとな」


「……ならば土産として傾聴致しましょう。それで、貴方様が相応しきと見染めたお方がおありだと?」


「そういう事だ。流石に流石だ。媚びるのが上手い! クァッハッハッハッハ!!」


 何が可笑しいのか?

 その高笑いはまるで、山道を通り掛かる得物を見下ろす崖の上の山賊が如く優美な上品さだ。


「ようは家格。がそれ以上に可憐さだ。貴様には無い貴族の資格を並みを超える程に持ち合わせたと言えば……気分も晴れる、そうだろう? この優しさを貴様に見せるのも最後と思えば、申し訳なさすら感じるな。フフフ、フハハハ……!」


(疲れる。それもこれで最後だけど……)


 この男に振り回され、思えば婚約に適した年齢を超えてしまった。それでも婚姻が結ばれれば関係の無い話だけど、それももう終わった。


 もう婚約は見込めないだろう。けど、こんな男との縁が公的に切れるならば。

 そう思えば、むしろ気が楽になれる。


 私の身の上を少し語れば、本来ならば街の片隅でゴミを漁っていたはずの孤児。

 それを、生まれつき体の弱い義妹の為の身代わりとして拾われた。貴族社会では割とありふれた話だ。貴族にとっては喜劇。


 だが、その為に育てられた私は……。


「これからは好きなだけ野蛮を振る舞うといい。貴様らしく――血を流すようにやましく、な」


 眉間に力を込めなかった私を自分で褒めるべきか?

 私は義妹の身代わりであると同時に、言わば毒である。


 襲い来る賊を、時として自らの手で散らさなければならない。

 生きて戻ればそれでよし。そうでなくとも、貴族の血は流れない。


 どちらに転べど、義両親に損は無い。そういう制度が構築されているのだ。

 その為の術。他者を害す武力を身に着けさせられた。


 それを、この男は笑った。下々とは綺麗なる事は出来ないと。


 未だ可笑しさに可笑しく。その男は自らに酔っていた。


(反吐が出る……)



 城を出た私は、鉄の面を歪ませた。



 ◇◇◇



 それから一週間後の事である。



「婚約? この私に申し出があったと、そう仰るおつもりですか」


「疑うか。それもわかる。だが、だ。現実として話が上がった」


 義父の執務室に呼び出された時は、お叱りの言葉でもぶつけられるのだろうと想像していたが、それを飛び越えるものがどうやら起こったらしい。


「伯爵家、ですか。こちらの領地からは王都を挟んで真反対ですね。繋がりがあったので? 流石に距離が離れ過ぎているとお見受けしますが」


「だからこちらも驚いた。それにあれからまだ数日だ。まるで今日という日を狙っていたかのようだな」


「把握していた。もしくは……」


「どうだろうな。が、どうする? 先ほども言ったがあれからまだ数日、傷心を理由にすれば容易に通る」


「乗り気ではないようで」


「繋がればよいというものではない。気づいた時には胃に毒が収まっていた、というのは昔からある話だ」


 同じ国内とはいえ、全ての貴族がお互いを知っている訳ではない。

 単に有力貴族ならばどこへも顔が効く訳ではない。物理的な距離も関係して、名前だけ知っているというのは貴族社会ではありきたりだ。


 何故婚約を申し込んで来たか知らないその貴族はウィンザー伯爵家。

 北の国境付近に領土を持つ武門の家柄だ。


 その武勇は数百年と轟かせてきた、北方の勇である。


 という事くらいしかこちらも知らない。

 国境防衛の任を任されている家門だけあってか、あまり中央にも顔を出す機会が無いからだ。


 現在私は王都にある屋敷に住んでいるが、本来は南方に領地があり本邸がある。

 それもあってか、あちらとは交流が無かった。今までは。


(あちらにどういう意図があるか知らないけれど……どうせ私には選択肢は無い。むしろ渡りに船と考えれば運が良い。と思えば……)


 本来なら適齢期を過ぎ、もう婚約は見込めないと思っていたけれど。


 ここで跳ねのけたところで、私の立場が変わる訳でも無い。

 行かず後家と呼ばれないようになるだけマシか。


 そう捉え、この婚約を受ける事に決めた。そして、出来ればもうこの家には戻らない事も。


「……そうか。ならば返事は直ぐに出そう。……一つ警告しておく。あちらの出方が見えた時、こちらにとって不利益になりかねないなら連絡しろ。先ほども言ったが――」


「毒、であると。そうであればこの身一つで飲み切りましょう。尻尾は早く切るに越した事はありませんので」


「……………お前がその気ならば止めはせん。が、最後の手だと思え」


 そこで義父との会話は終わり、私は自室への帰路に着いた。


(そう、結局は何が変わる訳でもない。ただ流れに沿ってベターな選択を取るだけだ、これまで通りに)



◇◇◇



 家を出て数日、長い旅路を終える。南方育ちには体に多少程度だが障る気候。

 出迎えの城壁は季節の白化粧で優美だけれど。


(いえ、そうね。素直に見惚れましょう。時々自分の卑屈さが嫌になる)


 その門を潜れば並び立つ騎士達。端麗な姿勢には力強さを超えた美がある。

 王都の先鋭兵にも見劣りする事は無いだろう。さすが、国境の守りを任されるだけのある家門と納得せざるを得ない。


「ようこそいらっしゃいました、ケイト様」


 その内の一人、スカートの裾を軽く持ち上げて貴族の作法を見せるはメイドの女性。私もそれに合わせ頭を下げ、彼女の案内に続く。


 城内は外の寒さを感じる事も無く、着ているコートへと少しばかりの暑さを訴える程度の温もりがあった。


「この辺りへお越しになるのは初めてとお聞きしました。こちらの風は肌に辛く感じられた事と存じ上げます」


「そうですね。しかしながらこの空気、私の故郷では体験し得ないものでした。驚きと共に……その、新鮮です」


「それは良うございました。では、お部屋へとご案内致します。長旅でお疲れでしょう。お食事の準備が整い次第、お呼びしますので、それまではお寛ぎください」


「どうも」


 お互いに挨拶を交わした後、メイドは一礼して去って行った。

 ……………一つ疑問が沸く。あの身のこなし、使用人としてのそれにしては警戒心が疼く。


「そう……。ここは国境の守りの要、そういう事ね」


 ただの一般人など存在しない。素直に関心だろう。



 ◇◇◇



 翌日、確かなもてなしに旅路の疲れは癒えたと言える。

 温かい食事、何よりこの気候だからこそ骨身に染みるお風呂は格別だ。この領地は温泉が有名だと言うが、それに漏れずにこの城の湯もまた地下から汲み上げている。

 石造りの湯の情景は美しく、僅かな濁りが湯気に混じり更に風情を演出する。


(多少年寄り臭かったかもね。いや、ある意味では間違いでもないか)


 私はもう二十一。

 一般的に貴族は十八までに婚姻を交わすと言われている中、疑いようのない行き遅れだ。


(そして肝心の婚約者、まさか遠征で城を離れているなんてね。そのような話は聞いてなかった)


 なんでも急に決まったらしい。

 国境付近にて蛮族の攻勢の動きが見えた。という報告が上がり、側近と一部騎士部隊を連れて未だ顔の知らぬ婚約者は向かったという。


 ならば今のこの城、使用人しか居ないかと問われればそうでもない。


「昨日は眠れましたかな? ケイト嬢が住まうとの事で整えさせはしましたが……、何分男所帯でしたので。昨今の若い御令嬢の流行を完全には把握しておらず、ご不便などありましたら遠慮なくお申し付け下さい」


「いえ、就寝に一切の不満など。それに、私としてもそう言った事情に詳しい可愛げなどを持ち合わせてはおりませんので。お気になさらず」


「そうですか。……あぁ、甘い物などはいかがでしょう? 当方の料理人に自信はありますが、スイーツもまたオススメ致します」


「申し訳ありませんが、甘い物は少々……」


 甘い物を食べるというのは、どうにも逃げる事になる。

 漠然と昔から、そういう気分にさせられるのだ。


 朝食を共にしているのは私の婚約予定者の兄上にあたるレイフ様。御年私の一つ上らしい。

 ウィンザー家特有の美麗な銀の髪を背中まで伸ばし、その隙間から見えるうなじは年相応な色香すら感じる。また、目を悪く無さっているのか丸い眼鏡を掛けていた。


 このレイフ様とは昨日挨拶を済ませたが、その物腰の柔らかさにこちらも心を頑なにする必要はあまり感じはしない。無論、今の所はだが。


 レイフ様はウィンザー家の御長男との事だが、跡取りではないらしい。

 何でも生まれつき運動能力に乏しく、北方の守りを預かるウィンザー家の当主となる条件を満たすには難しいと判断されたからだそうだ。


 その代わり、現当主である弟君――私の婚約予定者の補佐に尽力しているとの事。


『本来なら真っ先に顔を合わせるべきは弟だったのですが……。その点には謝罪の言葉を申し上げる他にありません。この度は失礼を――』


 開口一番にそう、頭を下げられたのは印象深い。

 確かに互いに面識の無い婚姻など、不幸以外に何があるのかという話だろう。

 これが私以外の可愛らしい若い令嬢ならば、だが。


「遠征から戻るまでまだ暫しの時間が掛かりましょう。何かお困りの際は、何なりと」


「その御心遣いに感謝申し上げます。ですが、この度は突然の事でしたので。……それに、私としてはこの城や領地の風土に慣れる方が急務かと思います」


「そう言って頂けるならばこちらとしても幸い。いずれは我々の長たる北方の防衛も、貴女にお支え頂ける日が来るでしょう。少なくと私そう信じております」


「まだ昨日に顔を合わせただけの女など、そう信用なさる事も無いでしょうが……。何にせよ、この婚約が成されれば身を砕く所存ではあります」


「御令嬢がそのような酷たる覚悟をお持ちになさらずとも。私とてウィンザーの雄、淑女を立てはすれど、御身への配慮を怠る愚者に成り下がりたくはありません」


「……」


 どうにも、あの元婚約者を思い出す。

 似ているのではなく、全く違うからこそ無意識に比べる頭を憎む。


(失礼ね、私も。……中央の王子は井の中の蛙。それもキスで人へ成る訳でもない生粋の蛙だったというのに。未来のお兄様は紳士を形取ると来た。皮肉の効いた人生だこと)


「少し思い上がる物言いになってしまったでしょうか? 女人の心の機微とは、いやはやどうにも理。この分野についてはまだまだ勉強不足のようでして。恥ずかしい話です」


「……いえ、レイフ様のような御方と婚約を結べるは女冥利に尽きましょう。私などには勿体無い程に」


 この方が独り身を貫くのは弟の為という。当主である弟が未婚であるというのに、己が先を越す訳にはいかないと義理を立てているのだとか。


(素敵ね、妬いてしまう私は所詮に俗物だと思い知らせる)


 故郷に残した体の弱い義妹を思い出す。

 私は何をするにも彼女の身代わり。彼女の人生に花を添える為に拾われた物だ。


 弟の為に独りの御方と義妹の為に嫁ぐ私。


(あちらにあるのが血の温かみならば、私にあるのは家名の冷徹だとでも? ……血なんて鉄臭くて飲めたものではないわ)



『お姉様……っ。私はお姉様に御自身で選んだ人生を歩んで欲しいのです。ただ悔いなく、わたくしなどお気になさらず生きて――』



(わがままよ、貴女は。花と育てられた貴女には人の世の残酷さがわかってない)


 私は、この婚約が成立したらあの家には戻らない覚悟だ。

 だから――私の事はもう忘れていい。そうすれば……。


「? どうされました?」


「ああ、いえ。ですがきっと素敵な女性と添い遂げられると確信しておりますわ」


「ははっ。まぁそう言われると素直に照れてしまいますね」


 誤魔化すように、その後の会話もつつがなく。


 昔は既に過去となった。捨てた物は忘れるくらいでいいのよ、貴女も。

 ……………そういえば、遠い昔に嗜むものがあった気がする。辛い事も包んでくれる何かが。


 どちらにせよ、それすら忘れたのが今の私だ。私を形作る為に。




 それからの数日、この城について学ぶ毎日だった。

 顔のわからぬ婚約者の為に、この家の歴史も習わしも覚えていった。

 それしかないから、と言われればそうだが。


 だが、身に着けた腕を鈍らさぬ為にした事もある。


 当然だが、この城にも演習場がある。

 お抱えの兵を鍛える為にも、立派に歴史のある傷が目立つ。


 見栄えだけの綺麗な場所とは訳が違う。信用に足る古臭さだ。


「――ッ!? ……参りました。ケイト様は豪の風を持つ技術者であらせられますね」


「お褒め頂き感謝致します。こちらもわがままに付き合って頂き言葉もありません」


 尻もちを着いた、一人の年若い女性騎士に手を差し伸べてその身を起こす。

 令嬢の証たるドレスを脱ぎ、その手にグローブと細剣を携え汗を流す。


 この瞬間には考えが晴れるものだ。不在の婚約者に対する問題も無い。


 ハンカチを取り出し額を拭う、ふと演習場の入り口を見ればレイフ様がこちらに向かって微笑んでおられた。


(ここのところ毎日ね。面白いものでも無いでしょうに)


 本人に直接言った事もある。


『いえまさか。私自身が武の才を弟に全て持っていかれたものですから、つい見惚れてしまいましてね』


 気恥ずかしそうに笑う彼の姿には、もはや警戒も無意味と悟った。

 御両親を早くに失くされたそうだが、だからかこの方の所作からは父性が滲む。


(父か……。貴方は私を物としては愛していたのか。訊ねる気も無いけれど)


 そうだ、結局これが父性かは私になどわからない。

 父が本気で愛をくれたなら、あの王子との婚約は存在していなかったかもしれないのだから。



 その後も頭を空にするが如く、剣に身を委ねて手合わせを続けた。



 ◇◇◇



 戻ってくるらしい。当然、その噂の婚約者だが。

 蛮族との問題に片が着き、首級を手土産にもうすぐ城へと到着するそうだ。


 城は慌ただしく、主人が戻って来るのを心待ちにしていた。


 私も朝から身支度を整え、その時は訪れる。


「ただ今よりこの俺が新たな名声と共に戻った。皆も今日は祝杯を挙げるといい!」


 玄関のホールに響く声は力があり、入ってきた主人を使用人達と騎士達が頭を下げて出迎える。


「あのお方が?」


「ええ。私の弟であり、ウィンザー家の若き獅子。現当主でありケイト嬢の婚約者である――ルパート・アトキン・ウィンザーです」


 ホールの階段から二人で見下ろしながら、隣に立つレイフ様が誇らしげに紹介をなさった。


 なるほど、彼が……。




「ようやく顔を合わせる事となったな、この俺こそがルパート。君との婚姻を希望する男だ。美丈夫という言葉が飾りでない事は、この顔を見ればよくわかるだろう?」


 ようやく主が姿現した執務室にて、私はレイフ様の案内で噂の婚約予定者と顔を見合わせる。

 レイフ様と同じく銀の髪だが、肩にわずかに掛かる程度という違いはある。

 それに目には力があり、目じりのつり上がりと合わせて兄弟で印象がかなり違う。


 だが……。


(分かっていたけど――若い)


 その体は服の上からでも分かる良質な肉を伺わせる。その自信と相まって年不相応に色と貫禄を匂わせた。

 それでも、その頬と目元から青さが滲む。背丈は百七十半ば程だろうか? 今の私が踵にヒールを立てているの差し引いても、十センチは低い。


 年齢は十八と聞いた。三つ下か……。


「お初にお目にかかります。この度の婚約、このような女に手を差し伸べて頂いた事に感謝を申し上げます。ですが不躾ながら、何故既にとうの立ったこのケイトを欲したのか? その理由をお聞かせ願いたく存じ上げます」


 最大の疑問だ。一度婚約に失敗しただけでなく、適齢も過ぎた女だ。

 彼が私と同年代以上ならば話は別だが、十八という若さで可愛らしい令嬢を娶らない理由が分からない。


「ケイト嬢! そのように卑下なさるなど――」


「いや待ってくれ兄者。……そうだな、実際気になる話だろう」


 私を気にかけて下さるレイフ様には申し訳ないが、こればかり引き下がれなかった。


 当初からの疑問、何故私だったのか? 何故私の婚約破棄を知っていたのか?


 どう考えても納得のいく答えを見出せず、どうしても聞かずにはいられない。

 そしてさらに不思議なのは……ルパート様の視線だ。その目には慈しみが見られる。


(私達は初対面のはず、そのように見られる理由がとんと分からない)


「ふっ、こうして会うのも久しぶりか。以前に顔を合わせたのは十年も前の話だな」


「? 何をおっしゃって――」


「まあ聞いてくれ。……今から十年前だ、当時まだ鼻垂れ小僧だった俺は生前の母と共に南方へと出かけた事があった。初めて見る風土、温暖な街並み。どれ一つとっても新鮮だった俺は、幼さに身を任せて真新しさを求めて――そして迷子になった」


 一体何の話をなさっているのか?

 それでも話は続く。


「情けない事だが、当時八っつの俺は生意気ながらに臆病でもあった。領地では使用人を困らせるガキ大将でも、見知らぬ土地に一人きりではただの子供でしかない。不安に苛まれ、涙すら浮かびそうになった時に、ある女性が現れた」


 懐かしむ姿に、辛さよりも歓びを見出す。

 十年前の南方。迷子。ある女性……。


 ……………。



『どうしたの、ぼく?』


『おねえちゃん、だれ?』



 何? 今の。

 どこかで、どこかで……。


「その女性はその土地では見慣れない髪色の子供にも関わらず、純粋な親切心で話しかけ、何度も励ましの言葉をくれた。あの時貰った飴玉の味は今でも鮮明なままだ」


 飴……?



『大丈夫! きっとお母さんと会えるから。そうだっ、これ食べる? あたしのお気に入りなんだ。ま、こんなの貧乏人でも買えるくらいの安物なんだけどね。でもこの甘さがやさしくて……。だからきっと気に入って……貰えるといいかなぁ。なんて』



 遠い昔、嗜んでいたもの。甘い……。


「手を握って母を探して貰った。遠くで俺を呼ぶ母の声に喜んだ時、一緒に微笑んだ女性の顔が美しかった。問題はそれっきり会えなかった事だな。礼もまともに言えずに別れてしまったから。――だから今言いたい、俺に励ましと思い出をくれてありがとう」


「!? あの時の……っ。まさか、こんな事があるなんて」


 甘い物を食べる気が無くなったのは、あの後に引き取られたからだ。

 今の家。貴族の教育を受けた私は、自分の人生に嘆き、それでも生来の負けん気がそれまでの人生との決別を選んだから。


 逃げ場を自分で塞いだんじゃない、諦めたんだあの時に……!


(忘れていた。例え貧しくても、親は居なくても、それでも自由はあった。それにあの街の人達は笑顔だった。孤児だからって私の事を無視なんてしなかった、食べ物だってお菓子だって分けてくれた! 温かかったんだ! あの人生が無くなった事が悔しくて……。それで忘れる事で今の自分になった。環境に従順になれば辛さなんて耐えられるから)


「どうして? どうして私だって……」


「再会は偶然だった。君は知らないだろうが、当主就任の際に王都へ行った事がある。国王と面会の後、君の姿を王城で見つけた。一目で分かったさ、あの時のお姉さんの美しさは俺の目にはそのままだった。声を掛けようともしたが、直ぐ隣に君の肩を抱く王子が居た。君が貴族になった事も、婚約していた事も、知ったのはその後だったな」


 知らなかった。あの時は目に映るものが全て灰色だった。

 道具になる為に感情を出来るだけ殺した結果、何もかもに無関心になっていたから。


 何も、気づこうとしなかった。


 体から力が抜けそうになる。それに耐え、私は再び聞き返す。


「私の婚約破棄をどうしてお知りに? ここから王都まで距離があります。ここまで知れ渡ってから婚約の希望を出したとて、破棄から一週間で南方の屋敷に届くはずはありません」


「不快に思うかもしれないが、王都に駐在している部下を使って君と王子の動向を探っていた。あの王子は良い噂を聞かん愚物だからな、どうしても心配になった。案の定だったな、王子が別の令嬢との逢瀬を楽しんでいる情報を掴んだ。それからだ、半ば賭けだったが君の家門に婚約の申し出を飛ばしたのは。この俺の予想通り、王子は婚約破棄。後の事は、言わなくてもいいだろう」


「そんな事があったのか……。私にくらい話してもよかったんじゃないか?」


「兄者に話すと、そこから彼女に話が漏れてしまいそうだからな。こういうのは自分の口から話たかったのさ」


「信用が無いな」


 不満顔のレイフ様を何のそのと、素知らぬ顔で彼はまた話を続けた。


「そういえば、預かっていたものがある。少し待ってくれ」


 ルパート様は壁に掛けていた遠征用の制服に向かうと、その懐から何かを取り出した。

 それは二つの……手紙?


「帰る途中に配達員と会ってな、君宛てだ。勿論中身は見ていない」


 手渡されたそれには、私の家紋の封印が押されている。

 差出人は……義父と義妹だった。


(どういうこと?)


 疑問より早いか、私の手は気づけば中から手紙を取り出し、その視線は既に文面へと落ちていた。


『この手紙が無事、そちらに届いている事を前提として書く。


私達は今までお前にばかり苦労を掛けてきた。孤児であったお前を引き取り、自由を奪ってまで育てたのは体の弱い我が娘の為だ。それを否定するつもりは無い。


私は幼いお前に家門の重責を押しつぶす程に載せ、強引に託した。言い訳はしない。聞きたくもないだろう。


お前が毎夜泣いていた事も知っている。私への恨みを表に出さないように耐えていた事も知っている。

これが貴族としての生き方であると、本来受け止める必要の無い物を押し付けた。一人の人間として、この私は掛け値なしに碌でもない生き物だ。


最初の婚約、王子の評判を知っていながら合意した。さらなる不幸なる事も承知でお前を見送ったのも貴族として私の意志だ。家を守る為、その存続と繁栄を天秤に掛けた。

所詮は権力に媚びるしかない蛆虫だ。


そんな私は面と向かってお前にあれこれと言う資格はない。文面で済ませるのは私が臆病だからだ。お前と向き合い、今更に腹を割って話せる度胸が無かった。


だが、あの婚約が無かったことになった時、内心喜んだのも事実だ。

私は貴族だ。血の繋がった娘ならばいざ知らず、お前相手には父である前に貴族でなければならなかった。


それでも、お前を娘として迎えた事を後悔した日は無い。

お前に苦痛を与え、それを悔やまなかった日も無い。


お前が家に居たいならば、もう婚約をさせて家門の道具にするのを止めるつもりだった。

だがお前は再度の婚約を選んだ。婚姻が成立すれば、お前はもうこちらには戻らない事を悟った。


だからこそ、今更ながらにここに記す。これも私の我が儘でしかない。鼻で笑ってくれて構わない。それでも――』


「今まで、本当に済まなかった……。何をっ」


 何を今更……っ。

 一体、今まで何をしてきた? その目に映す価値もないと、私という人間を見なかったくせに!


 身勝手な人は、謝るのも身勝手だ。私の許可無く恨みや憎しみの居場所を奪う。


 ヨレた手紙はもう一枚の下へと持っていき、義妹から来たという手紙も見る。


『拝啓、親愛なる姉・ケイトへ。愚鈍の妹がこの手紙をしたためさせて頂きます。


結局のところ、そのお顔を前にして本心を語る度量が無いわたくしは、卑怯にもこういう手段を持ってしかあなたと向き合う事が出来ませんでした。一方的で大変申し訳ありませんが、なにとぞその心中に留まれればと思います。


お姉様はきっと、このわたくしも父も、そして今は亡き母の事もお恨みになられておられる事でしょう。

わたくし達家族は、お姉様から全てを奪いました。自由も人としての尊厳すらも根こそぎ取り上げ、ただ惨めのみを強いました。


それでも、何も知らず気づこうともしなかった頃の幼いわたくしは、突然現れた姉の存在に心から喜びました。

疎まれるなど思いもせず、お姉様の後ろを付いて回ったわたくしはそれだけで楽しい日々でした。


家門の事情に気付き始めたのは、生前のお母様が人知れずに涙を流しているのを偶然にも目にしてからです。

普段あれほど気丈な母が、何を悲しむ事があるのか? それを疑問に思った時、家の中の不自然さが目に付くようになったのです。


親しい使用人達にわたくしの代わりの目となって頂き、家中の事情を耳にしたわたくしは、己の存在そのものを恨みました。


全てはこの身の貧弱さの為、その為の犠牲としてお姉様が選ばれたのだと。


わたくしの代わりに淑女として、そして身代わりとしての教育を無理矢理施されたお姉様。

そして、そんなお姉様に無理を強いなければならない両親。


なにもかもがわたくしを起因として引き起こされた不幸。

わたくしはその全てを知り、しかしてそれを口に出す勇気も持てずにお姉様に甘えていたのです。

愚かな恥知らずにも程があるというものです。


この手紙を書きながら、わたくしは何度も涙が零れそうになりました。

ですがそれは決して許されぬ事です。

両親を恨むなとは言いません、ですが、何よりもこのわたくしをお恨み下さいませ。


そして、最早お会い出来るかもわかりませんが、どうかお幸せになってください。

いつか伝えましたが、それこそがわたくしの一番の願いです。


最後に、信じられないかもしれません。それでもわたくし達親子はお姉様が大好きでした』


「ケイト嬢……! 大丈夫ですか?」


「……っ。いえ、お気になさらず」


 心配して下さったレイフ様の気遣いを余所に、水滴の零れた手紙を力の抜けた手で再び封筒へと戻した。


「その顔を見るに、余程良い事が書かれていたのだろうな」


「意地の悪い事をおっしゃいますね。……改めてご挨拶を申し上げます。私はカルバー家の”長子”、ケイト・ベアトリス・カルバー。この度の婚約、謹んでお受けいたします」


 あの時の男の子が、悪戯な笑顔で了承してくれた。





 季節は廻り、嫁いでから三年目の春。

 私は隣に夫を、そして腕に赤ん坊を抱きながら――再び、”実家”の門を叩いたのだ。

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