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第8話 妙な緊張感

 殆ど風のない夜だった。

 ほぼ真円に近い白々とした月が、ホテルの敷地内にある大きな池にその姿を落としている。

 ホテルの中庭に位置するその池を囲むように、ところどころライトアップされた紅葉があり、宿泊客がぐるり散策できるよう小路が整備されていた。

 一周十分もかからないであろうその小路を、下駄を履いた一組の男女が歩いている。

 誠司と綾乃だった。

 ロビーで二人がばったり再会したあと、綾乃の方から「少し散歩しませんか」と誘われ、玄関先に揃えられてあった下駄を履いて中庭へ出た。

 今こうしているのは、内心気合を入れた綾乃の誘いを、誠司が断らなかったからである。いや、断れなかったと言った方がいいだろう。

 女子とのコミュニケーション力が極端に低い誠司は、このとき頭の中が真っ白になっていた。

 気が付けば主導権を握られていた。そんな感じだった。

 全くの無言で、二人は下駄を鳴らしながら小路を辿った。

 息苦しい空気の中、ライトアップされた紅葉の下に差し掛かった時、ようやく綾乃が口を開いた。


「綺麗ですね……」

「そ、そうですね……」


 全く話が続かない。

 奥手で普段女子と殆ど話すことの無い誠司と、男子禁制のお嬢様学校に在籍している綾乃は、いきなり膠着状態に陥った。

 ガチガチに緊張している綾乃をチラ見しつつ、誠司は自分が妙な汗をかいていることを感じていた。


 いったいこれはどうゆうシチュエーションなんだ? 話をしたいと言っていたこの娘も殆ど話さないし、こうゆう場合は男子である俺の方が気を利かせるものなのか? 待てよ、気を利かせるってどうするんだ?


 気の利いた話など何も思い浮かんでこない誠司は、今日出会った外国人について、ここで一つ聞いておいた。


「なに言ってたのかさっぱりだったんだけど、今日のあの外国人って、いったい何言ってたんですか?」

「えっと、あれはですね、ここがあの有名な映画の撮影地ですかって言ってたんです」

「あそこって映画のロケ地だったってこと?」

「はい。有名ですよ」


 これでようやく謎が解けた。成る程やたらと写真を撮っている人が多かったわけだ。


「一ノ宮さんは、英語が堪能なんですね。すごいなー」

「私なんか全然です。あの、それより今日のアレ、すごかったですね」


 唐突にそう言われて誠司は一瞬考えこむ。

 言葉足らずだったことに気付いたようで、綾乃はもうひと言付け加える。


「えっと、あの絡んできた人、動けなくなってましたよね」

「ああ、アレね……」


 チンピラを動けなくした技のことを言っているのだと、誠司はようやく理解した。


「咄嗟に手首関節を極めたんです。上手くいって良かったです」

「そうだったんですか。あの……これも何かの縁だと思いますし、高木さんのこと、色々教えてもらってもいいですか?」

「色々って?」


 恥ずかし気に訊いてきた綾乃に、誠司はその意図が良く分からず聞き返した。

 そして綾乃は、少しアタフタした様子でこう聞いてきた。


「えっと、そうですね、お強いし、何かそういったものをされてたりするんですか?」 

「ええ、まあ少し」


 誠司は曖昧に応えつつ、頭の中を整理していた。


 もしかして格闘技好きの人なのか? 技の解説を聞きたくてここへ俺を連れだしたってことか……。


 ほんの少し風が吹いて、頭上の紅葉を揺らす。

 隣を歩く綾乃に目を向けると、思わず視線が合ってしまい、誠司は慌てて目を逸らした。


「えっと、一ノ宮さんは何かされてるんですか? 英語もペラペラだったし」

「ESSに入っているんで一応日常英会話は出来るんです。あと、弓道部と兼部してます」

「弓道か、じゃあ袴を穿いてるんですね。俺と一緒だな」

「え? 高木さんも弓道を?」

「いいえ、合気道です。そうですか、一之宮さんなら、さぞ袴姿がお似合いでしょうね」

「私なんか……高木さんの方こそきっとお似合いなんでしょうね」


 ただ袴を穿いて稽古してるというだけだが、共通点が出来たことで、少しだけお互いの表情が柔らかくなった。

 

「弓道って、かなり遠くの的を射抜くじゃないですか。あれってどれくらいの距離なんですか?」

「私たちが普段するのは近的競技なんです。直径36センチの的を28メートルの距離から狙って射抜くんです」


 誠司は両手を開いてだいたいの的の大きさを作ってみる。


「28メートル離れてこの大きさか……すごいな。全く当てられる気がしないや」

「いつも当たるわけじゃありません。よく外しますよ」

「コツとかあるんですか?」


 誠司の質問に、綾乃は掌を頬に当てて、少し考えるようなしぐさを見せた。

 

「そうですね。コツといえるかどうか分かりませんけど、構えた時に何だか感じるんです。ああ、今だったったら当たりそうだなって」

「構えが大事ってことですか?」

「そうなんです。構えもそうですけど、構えるまでの動作もけっこう大事なんですよ。普段から姿勢を気を付けなさいって顧問の先生から言われてます」

「それで、いつも美しい立ち振る舞いをされてるんですね」


 詳しいことは知らないが、弓道は立ち方から美しい。

 武道に共通する姿勢の重要性が、弓道は際立っていた。


「高木さんのされている合気道にも構えはあるんですか」

「ええ、ありますよ。弓道ほど美しいと言えるかどうか分かりませんが」


 またここで会話がピタリと止まってしまった。

 会話を膨らませてゆくというのは難しいものだと、今まさに誠司は痛感していた。

 再び訪れた沈黙に耐えられなかったのか、今度は綾乃から話を振ってきた。


「でも、珍しいですね。合気道部とか高校の部活であまり聞きませんね」

「いや、部活では無いんです。父が道場をやってまして、まあ小さい頃からやらされてるって言うか……あ、こんな話つまんないですよね」

「そんなことないです。もっと色々知りたいです」


 真剣な眼差しで見上げてきた綾乃に対し、誠司は武道のことについて話をすることに、少し躊躇いを感じていた。

 幼少の頃からやっている合気道を嫌いではなかったが、あまり争いごとを好まない性格の誠司は、祖父や父のように武道家を目指しているわけでは無かった。

 そして、やたらと武道の道へ引きずり込もうとする祖父に、最近は少々困らされていた。

 歩きながら誠司が考えを巡らせていると、ふと綾乃が立ち止まった。


「あっ、あの私、こういった出会いとかあんまり無くって……それでその、もっと色々教えて下さい……」


 最後は蚊の鳴くような声だった。やや上気した感じの綾乃に、誠司は少し困った顔をした。この真剣さを前に、はぐらかすことなど出来そうもなかった。


 女子校だし、周りに武道経験者も少ないんだろうな。合気道はマイナーな方だし、こういった話が聞ける機会もきっと貴重なんだろう……。


「そうですか。よっぽどお好きなんですね?」

「えっ!」


 綾乃の声が裏返った。そして何やら狼狽えながら目を泳がせる。


「わ、私はただ、ちょっと気になったってゆうか……」

「恥ずかしがることないですよ。好みは人それぞれですし、好きなものは好きって言って構わないと思いますよ」

「す、好きって……そ、そんなこと軽々しく言えません!」

「え? 好きなんでしょ。隠さなくてもいいですよ」


 全く会話が噛み合っていないのに二人は気付いていない。

 もしここに、少しはまともな第三者がいたとしたら、こうはならなかっただろう。

 しかし、誠司も綾乃も、ある意味天才的な思い違いをしたまま突き進んでいった。


「あまり多くはないですけど、女性にもそこそこ人気あるんですよ。ですので……」


 誠司のその言葉で綾乃の顔色が変わった。先ほどまでのモジモジしていた感じから一転して、軽くキレたような雰囲気になった。


「た、高木さんがそんな軽い感じの人だったなんて、見そこないました!」

「えっ?」


 顔を真っ赤にしてスパッと言い切った綾乃に、誠司はどう反応していいのか分からない。


「失礼します!」


 下駄を鳴らして去って行った綾乃の背中を見送って、誠司はいったい何が原因で嫌われてしまったのか、その場でしばらく真面目に悩んでいた。


「そろそろ戻るか……」


 ふと、寂しい場所で一人きりでいることを自覚してしまい、誠司はもと来た道を戻り始めた。



 真っ赤になって部屋に戻った綾乃を、待ち構えていた班の女子たちは怪訝そうな顔で迎えた。


「なに? いったいどうしたの?」


 綾乃は何も応えず、不貞腐れた顔のまま布団にくるまった。

 しかし、綾乃に何かあったのは明らかだ。女子たちの好奇心の炎は真相を知るまでは決して消えることは無い。

 取り囲まれた綾乃は、このままでは寝かせてもらえそうにも無さそうだったので、仕方なくいきさつを話しておいた。


「私に好きなのかってしつこく訊いてくるし……ちょっとモテてるみたいに自慢してたし……」


 やや愚痴っぽくなった話を聞き終えて、燈子が真っ先に口を開いた。


「あんたホント馬鹿だわ……」

「何がよ?」

「つまり今の話の流れだと……」


 不貞腐れたままの彩乃に、班を代表して燈子が細かい解説を入れたのだった。

 そして……。


「穴があったら入りたい……今すぐ消えてなくなりたい……」


 全ての解説を聞き終えて、綾乃は愕然とした表情で落ち込んでいた。

 立ち直れそうにない綾乃を見かねて、周りの女子たちが一応慰めの言葉を掛ける。


「まあ、致命的だったけど、相手の男子も勘違いしてそうだったしさ」

「そうそう、綾乃だけのせいじゃないって。クヨクヨすんなって」

「明日、会いに行って謝ったら。きっと分かってくれるって」

「でも、格闘技好きって彼に思われちゃってるわけよね。その辺からちゃんと誤解を解かないと駄目よね」


 それらの慰めの言葉は、綾乃には届いていなさそうだった。


「いや、挽回不可能だよ……」


 これ以上はないほどの暗い目をして、綾乃はまた布団にくるまったのだった。

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