第4話 一つの出会い
修学旅行一日目の夜。
思っていたとおり、恋愛情報通の久保の話は、消灯後二時間も続いた。
布団を被って寝てしまえば良かったのだろうが、迷惑野郎の話す内容が、誠司の眼をいちいち覚まさせた。
どうしてああも頻繁に意中の少女の名前が出てくるのか。ウトウトしかけると、ひかりの名前が出てくるので、結局最後まで聞いてしまった。
情報通の久保の話を要約するとこんな感じだった。
なんでもこの修学旅行中に、時任ひかりに告白を試みようとしている輩が少なくとも三人いるらしい。
名前を聞いて顔が浮かんで来たが、どう考えてもつり合いそうにない連中だった。恐らくほぼ百パー玉砕するだろうが、話を聞いている間ずっと胃がキリキリと痛んだ。
聞いてもどうしようもない話に最後まで耳を傾けてしまい、そのあと一応眠れたものの、なんだかモヤモヤした気分が抜けきらないまま、誠司は朝を迎えたのだった。
京都巡りの初日は、定番の清水寺から始まった。
専属のガイドさんは、そこそこ年季の入っていそうな中年のおばさんで、マイクなど全く必要としない大声量で清水の舞台の歴史を語っていた。
「清水寺は 778年の創建以来 10 度を超える大火災に遭いますが、そのたびに再建され、現在の清水寺は、徳川家光の寄進により1633年に再建されたものです。今皆様がいる清水の舞台は高さ約13メートル、幅約10メートルの巨大な檜皮葺きの舞台で、本尊の観世音菩薩に芸能を奉納する場として、古くから雅楽、能、狂言、歌舞伎、相撲などの芸能が奉納されてきました。 現在でも舞台奉納が行われいて……」
カンペ無しでスラスラと解説するガイドの話を聞きながら、誠司はこの場にいる人の雑多さに感心していた。
修学旅行中の生徒たちが多いものの、日本人以外の外国人観光客が大勢いる。
いったいどこの国の言葉なんだという言語があちこちで飛び交い、伝統的な日本の建築物は異文化交流の舞台のようになっていた。
英語ですらそこまで聞き取れない誠司には、勿論何を言っているのか理解できない。
「しっかし、この舞台って木製で滅茶苦茶古いんだろ。こんなに人が乗って大丈夫なのか?」
下を覗き込んでいたクラスメートが、真面目な顔でそう言った。
なんせ建立されてから四百年近くも経っている建築物だ。現代の建築技術でも、これだけ古くなればガタが来るに違いない。
そう考えると、出来るだけそおっと歩いた方がいいのかも知れない。
それにしても秋晴れの今日は、この舞台からの眺望は圧巻の一言に尽きた。
紅葉し始めた樹々を眼下に眺めながら、京都の町を見下ろすことの出来るこの舞台で、これまでたくさんの人々が歴史の移ろいを目にしてきたのだろう。
「おい、あれを見ろよ」
遠い京都の街並みに目を向けていた誠司は、クラスメートの興奮気味な声に振り返った。
そこには昨日ホテルのロビーで見かけたベージュのブレザー姿の女生徒たちがいて、久保を筆頭に班の連中の視線をくぎ付けにしていた。
「おお、昨日ホテルで見掛けた女子校の子たちだ。もしかして運命か」
いいや、あちらも定番の観光地を巡っているだけで、ただ単に被っただけだ。プラス思考は否定しないが、勘違いはマイナス以外何も生み出さない。
それにしても、昨日さんざんクラスの女子の話題で盛り上がっていたくせに、変わり身の早い連中だ。
誠司は邪な班の連中を無視して、意中の少女の姿を探す。
誠司の心を惹きつけるたった一人の少女は、数名の女生徒たちと並んで、舞台からの紅葉の眺望を眺めていた。
「はー」
光を集める長い黒髪。そよ風に揺れるその可憐な姿に、自然と胸の奥からため息がついて出る。
そんな誠司の腕を、班の連中が掴んで引っ張る。
「たかぎー、もうちょっと近くに観に行こうぜ」
もう班の連中は、ベージュの女子高生の一団にしか関心がないようだ。
「いや、俺はいいって」
「おまえ班長だろ。班行動乱してどうすんだよ」
おかしな理屈だが、確かに班は固まって行動するよう言われている。
鼻の下を伸ばした久保にイラっとさせられつつ、誠司は後ろ髪を引かれる思いで連行されていった。
清水寺に続く参道「清水坂」には、京都の趣あふれる土産物店やカフェがところ狭しと立ち並び、大勢の観光客で賑わっていた。
流石、京都屈指の観光スポットと言われるだけのことはある。
昼食まで班行動での自由時間に割り当てられていた誠司たちは、清水寺の境内を一巡した後、大勢の人で賑わう通りを散策していた。
坂の両側に軒を連ねる店に適当に入って見て周っていると、またあの坊主頭がひょっこりと顔を出した。
「いたいた、誠ちゃん、探したぜ」
「またか? 班行動しろって言われてるだろ」
クラスだろうが班だろうが、易々と垣根を越えてくる勇磨に、誠司は呆れ顔を見せつつ、内心ちょっとだけ歓迎した。
やたらと、女子の尻を追いかけようとする班の連中に手を焼かされて、少しうんざりしていたからだった。
「班行動なら、ちゃんとしてるぜ。ほら後ろについて来てるだろ」
「ホントだ。なんだか気の毒だな」
勇磨の背後には班のメンバーらしい五人の男子の姿があった。恐らく勇磨は班長でもないくせに、俺についてこいと引っ張ってきたのだろう。背後の奴らからは付き合わされている感じがありありと窺えた。
「なあ、一緒に周ろうぜ。いいだろ?」
「いや、俺はいいけど、うちの班の奴らも色々行きたい所があるみたいだし……」
誠司がそういうと、勇磨は誠司の班のメンバーを集めて何やら交渉を始めた。
そしてしばらくして、勇磨はニコニコしながら戻って来た。
「いやあ、話の分かる奴らだったぜ。誠ちゃんの行くとこに何処でもついてくって言ってたよ。やっぱ、集団行動は班長に従わないとな」
「おまえが言うか……」
間違いなく不承不承に違いないが、勇磨の圧に屈した誠司の班はこうして纏まった。
そして仕切り直しとなった班行動は、合流した坊主頭に再びかき乱されることになる。
「誠ちゃん、こっちだ」
班長そっちのけで、勇磨は飼い主の言うことを聞かない犬のように、どんどん突き進んでいく。
どうやら食べ歩きがしたいらしい。美味そうな匂いがしている店に立ち寄る勇磨の後に続いて、誠司たちは順番にご当地の味を堪能していった。
清水坂から二寧坂へと続く坂道「産寧坂」へと足を延ばすと、写真を撮っている人達と出くわした。
外国人のカップルが道を塞ぐように自撮りをしていたので、先頭を歩いていた誠司は足を止めた。
すると、写真を撮っていた白人の青年は、足を止めて待っている誠司達にぺこりと会釈をしてから、にこやかに何やら話しかけてきた。
総勢十二人の男子高校生たちは、その場で固まった。つまり、この中で誰一人、この外国人とコミュニケーションが出来る者がいなかったということだ。
「せ、誠ちゃん、なんか言ってるぞ」
「わ、分かってるって、えっと、え、エクスキューズ、ミー」
落ち着いて聞いてみると、どうやらシャッターボタンを押して欲しいだけのようだ。
誠司はやや緊張しつつデジカメを受け取って、何枚か写真を撮ってやった。
カメラを返して、ほっと胸をなでおろした途端、にこやかな外国人が更なる試練を誠司に与えてきた。
「Oh, thank you. by the way, This is a famous movie filming location. right?」
センキュー以外、全くわからん。
普段堂々としている勇磨も、負け犬のように尻尾を股の間に挟み込んで小さくなっている。助けを求めて振り返ってみると、班の連中はみんな誠司の方を見ずに、どこぞに目を向けていた。
完全に孤立無援に陥った時に、傍らのお土産物屋からベージュの制服姿の女の子が、暖簾をくぐって出てきた。
「Do you need any help?]
女の子の口から流暢すぎるくらいの英語が飛び出した。
救いの神の登場に、誠司は心から感謝した。
全く何のやり取りしているのか解らなかったが、女の子としばらくやり取りをしたあと、外国人カップルは陽気に手を振って去っていった。
「あの、ありがとうございました」
窮地を救ってくれた少女にしっかりと頭を下げてお礼を言うと、人見知りなのか、ほんの少し視線を斜め下に逸らせて、少女は胸の前で小さく手を振った。
「いえ、大したことしてないです。お気になさらないで下さい」
何だか品がある。どこぞのお嬢様といった感じだ。
肩より少し長い黒髪に薄紫色のリボンのアクセント。色白の肌に、純朴そうな目。血色の良いピンク色の唇が、その色と形に見合った上品な声を綴っていた。
誠司は普段あまり人の顔をまじまじとは見たりしないが、その容姿に少しの間、目を向けてしまっていた。
お嬢様って感じだな。こういう感じの人って初めて会ったかも……。
「では、私はこれで」
爽やかに去っていった少女の背中はキリリとしていて、不思議な空気感を纏っていた。