第16話 降り始めた雪
部活の途中でグラウンドに雪が舞い始めた。
監督は練習を切り上げて、部員に帰宅を促す。
更衣室で体操着を制服に着替えて、ひかりは小さな鏡で髪を確認する。
いつもあの人に可愛いと思って欲しい。誠司とお付き合いを始めてから、ひかりはこうして身だしなみに気を付けていた。
「そんなにしょっちゅう鏡見なくても可愛いって」
いじらしく髪を整えていたひかりに、親友の橘楓がからかうように顔を近づけてきた。
「高木君と帰るのにそんなに気合い入れて、かわいいー」
「もう、からかわないで」
更衣室を出て美術室に向かおうとしていたひかりと楓を、聞きなれた声が呼び止める。
「橘、時任、こっちだ」
振り返ると、勇磨と誠司が手を振っていた。
どうやら雪のせいで美術部も部活動を早く切り上げたようだ。
「誠司君」
ひかりは弾むように誠司の元へと小走りに駆けていく。
「もしかしてずっと待っていてくれてたの?」
「ううん、俺もさっき出てきたところ。本格的に降って来る前に帰れって島田先生に追い出されてさ」
「うちもそう。ゆっくりしてたら本当に積もって来そうだね」
合流した四人は、学校を出て空を見上げる。
「この調子なら、明日の朝は真っ白かも」
楓が白い息を吐きながらそう言うと、勇磨も隣で空に向かって白い息を吐いた。
「もしかしたら休校になるかもな」
何気ないひと言に、ひかりの表情が曇る。
そのささやかな変化を、楓は見逃がさない。
「ね、ひかり今、高木君に明日会えないかもって、思ったでしょ」
「え? 何でわかったの?」
「バレバレだって。ホント、ラブラブだねー」
楓はひかりの腕に自分の腕を回す。
そして、ちょっとからかい気味に、衝撃的なことを口にした。
「お昼休みのお弁当も、お箸で食べさせてあげてたし」
一瞬でひかりの顔が真っ赤になる。そして誠司も、耳まで真っ赤になった。
「なに! もしかして見てたの?」
「ちょっと新と覗きに行ったら丁度見えちゃって。ね、高木君、やっぱりひかりに食べさせてもらったら、倍くらい美味しいわけ?」
「いや、うん……まあそうかな……」
赤面しつつ真面目に答えた誠司に、楓はさらに勢いづく。
「ねえ、昼休みっていつもあんな感じなの? 愛の告白をし合ったりして……」
「もうやめてー!」
恥ずかしさに耐え切れず、ひかりは楓の口を押えて黙らせた。
息が出来なくなった楓は、ひかりの腕をバンバン叩いてすぐにギブアップした。
「黙って覗き見するなんて酷いじゃない!」
「いやー、ホントはみんなでお喋りしたかったんだけどさ、邪魔しちゃ悪いと思って、そのまま退散しちゃった」
どうやら一番恥ずかしい所を全て見られていたようだ。
この二人は、大体いつも絶妙なタイミングで現れる。
「なあ誠ちゃん。イチャイチャの他に、今日は二人で何の話してたんだ?」
「言うわけないだろ」
まだしつこく訊いてくる勇磨に、誠司は冷たく返す。
「じゃあイチャイチャだけか? お前ら学校ですげえな」
「馬鹿。なわけないだろ。修学旅行の話とか色々だよ」
「修学旅行か。そう言えば、一緒に周れて楽しかったよな」
さらりと言ってのけた勇磨に、楓はすぐに首を傾げた。
「なに? あんたたち確か同じクラスじゃなかったよね。何で一緒に周ってるわけ?」
「ああ、まあ合流してさ。な、誠ちゃん」
「うん。勇磨が勝手にね。成り行きで一緒に行動してただけだよ」
「前から思ってたけど、あんたってホント迷惑な奴ね。高木君も可哀そうに」
楓が同情すると、腕を組まれたままのひかりが呆れ顔を見せた。
「楓も人のこと言えないよ。クラスが違うのにお風呂に忍び込んでたじゃない」
「あ、そうだった。へへへ」
「へへへじゃないよ。まったく」
懐かしい修学旅行の話で盛り上がりつつ歩く並木道。
次に桜の咲く季節には、私達はここにいない。
どうしてもひかりは一抹の寂しさを覚えてしまう。
「そう言えば三日目から男子の班と合同で周らされたよね。確かひかり、高木君の班と一緒になったって前に言ってなかった」
「うん、そうなの。でもあの時は少ししか喋れなくって」
「そりゃそうだよね。だけどなんだか運命的よねー。確かあの時、他校の女子が絡まれたとかで、急遽男女混合班になったんだよね」
誠司の肩がビクッとなった。ひかりはその些細な変化を見逃がさなかった。
「どうしたの? 誠司君?」
「いや、なんでもないよ。そっかー、確かそんなこと言ってたねー」
視線を泳がせる誠司に、また坊主頭が余計な一言を言った。
「女子が絡まれたって? 初耳だな」
「なんでもみたらし団子屋の列に並んでた女子校の子たちが、地元のチンピラにナンパされたって聞いたよ。結局、列に並んでた男の子に助けられたらしいけど」
「へえ、奇遇だな。なあ誠ちゃん、俺達もみたらし団子屋で並んだよな」
「そうだったかな……」
何やら動揺している誠司にお構いなしに、勇磨はその時のことをペラペラ回想する。
「あの時、割り込もうとして来たチンピラがいてさ、俺が文句言ったら絡んできやがって、誠ちゃんが止めに入ったんだ」
「ホントに? それでどうなったの?」
面白そうな話題にすかさず楓が食いつくと、勇磨はその顛末を可笑しそうに語った。
「威勢だけは良かったんだけど、誠ちゃんがちょっと懲らしめたらすぐに謝って退散してった。ホント意地汚いやつだったぜ」
楓とひかりはもう勇磨の方を見ずに、やや顔をしかめる誠司に注目していた。
「ねえ、ひょっとして高木君、女の子を助けたりした?」
「いやあ、どうだったかな……」
楓の質問に、そのまま誠司はシラを切り通そうとする。
しかし、そのぎこちなさに、ひかりが気付かないわけはない。
「誠司君、嘘ついてる……」
ひかりに真っ直ぐに見つめられて、とうとう誠司は諦めて口を割った。
「実は俺でした。お騒がせしてすみませんでした」
ようやく白状した誠司に、楓は軽く手を振った。
「もう、そんなの素直に言えばいいじゃない。でもちょっと見てみたかったなー。ね、ひかりもでしょ?」
「うん、そうだね……」
何故かひかりは急に黙り込んでしまった。
「ひかりちゃん?」
心配そうに顔を覗き込む誠司に、ぽつりとひかりは口を開いた。
「お付き合いする前だし、こんなこと聞くべきじゃないんだろうけど、その女の子と、その……親しくなったり、した……?」
下を向いたままのひかりの手を誠司はそっと握る。
「少し話をしただけだよ。心配しないで」
優しい声でそう言われて、やっとひかりは顔を上げた。
「うん……」
ようやく二人にいつもの笑顔が戻った時に、脳天気な坊主頭が余計なオマケを付け足した。
「そう言えば、あの子らと合コンするとか言ってたよな。あれ結局どうなったんだ?」
一瞬でその場の空気が凍り付いた。
「なに……合コンって……」
繋いでいた手をパッと放したひかりに詰め寄られて、誠司は強張った表情で言葉を選ぶ。
「さ、さあ、なんだろうね……」
「私だけを見てたって言ってくれたのに、嘘だったんだ……」
ひかりは目に涙をいっぱい溜めて肩を震わせた。
狼狽しきった誠司は、首を横にブンブン振って、ひかりをなだめようとする。
「いや、待って。合コンなんてしてないから」
とにかく必死な誠司に、とにかく間が悪い勇磨がまた横槍を入れる。
「そうなのか? 伏見稲荷の頂上で俺を追い払って、そのあと二人で合コンの相談してたんじゃなかったのか?」
「おまえは黙ってろ!」
余計なことをペラペラしゃべる勇磨を一喝した誠司だったが、もうすでに遅かった。
「伏見稲荷でも会ってたんだ……」
ひかりは誠司を置いてすたすた歩き出した。
「待って、ひかりちゃん」
「嘘つき!」
速足のひかりに追いついた誠司は、あの少女とのやり取りを全て正直に話した。
「班の連中が盛り上がっていただけで、本当に何もなかったんだ。武道の話はしたけど、合コンの話なんてひと言もしてないから」
「本当に?」
「うん。本当だよ。そんなに俺がモテるわけないじゃないか」
ようやく少し気持ちを落ち着かせたひかりは、誠司の胸にそっと頭をもたせ掛けた。
「誠司君、分かってない……」
「え?」
「誠司君は素敵なの。だから、その……気を付けてね……」
まだ胸の中に残る嫉妬を感じながら、ひかりは気持ちを正直に伝えたのだった。




