第14話 出会いと別れ
伏見稲荷の最高峰、一ノ峰(上社神蹟)への階段を上がっていく修学旅行生たち。
誠司たちの班はその流れの中で、遅いでもなく速いでもないペースで参道の階段を上っていく。
相変わらず警戒心剥き出しの宇佐見美鈴だったが、時任ひかりの説得が通じたのか、男子班と女子班の距離は目に見えて近くなった。
しかし、ひかりに接近を試みた男子たちは、容赦なく牙を剥いたウサミミに、ことごとく蹴散らされたのだった。
困った娘だと思いつつも、誠司にとってはその方がありがたかった。
別に特別なことではないと分かっていても、憧れの少女が他の男子と話しているのを見たくはなかった。
ようやくこれで肩の荷が下りたと思っていた矢先に、またあの坊主頭が現れた。
「なんだ誠ちゃん、ここにいたか」
「おまえな、班行動しろって言われてるだろ。何考えてんだ」
階段を駆けあがってきた坊主頭に、誠司はいい加減にしろとはっきり言ってやった。
「ああ、別に勝手なことしてるわけじゃないぜ。競争しようぜって班で決めたんだよ」
「え? 女子もってことか?」
「いいや、女子はゆっくり行くって。実は昨晩のトランプで勝敗がつかないまま消灯時間が来てさ、昨日の続きと言っては何だけど、早く頂上に上がれた奴から昼食の席を決めようってことになったんだ」
「は? まだやってたのか? お前の班どうなってんだ」
自分の班もいい加減酷いが、負けず劣らずこっちも酷かった。
最後くらいゆっくり周ればいいのにと、誠司は思わずにはいられなかった。
「いや、あいつら何だか真剣でさ。俺はどっちでもいいんだけど、駆けっこで負けるのは癪に障るから、こうして走ってるんだ」
「そうゆうわけか……」
そのうちに追いついてきた連中の姿を見るなり、勇磨はまた階段に足を掛けた。
「やべ、追いついてきやがった。じゃあな誠ちゃん。また頂上でな」
多分あいつが一番だな。元気よく階段を駆けあがっていく坊主頭を目で追いながら、誠司はそう思った。
頂上までの道のりの間、宇佐見美鈴に阻まれて意中の少女とは殆ど話すことは出来なかったものの、誠司は普段あまり話をすることの無いクラスメートの女子たちと、ぎこちないながらも他愛のない話をしつつ参道を上った。
あたりまえだが、みんな同じクラスなので、共通の話題がある。
そのことに気付いた誠司は、自分も話の輪の中に入れるのだということに多少の驚きを感じたのだった。
「実は私、高木君と前から話してみたかったんだ」
「えっ?」
話の輪の中に入れてもらった誠司は、あまり口も利いたことの無い女子から唐突にそう言われて、反射的にそう返した。
「いや、大人しい感じだし、あんまし女子と話してるの見たことないし。どんな人なのかなってちょっと思ってたのよ」
確か樋口さんだったかな。眼鏡を掛けていて、けっこう成績の良さそうな女の子だった。
「高木君ってあの絵を描いたってちょっと有名でしょ。私さ、美術部の友達いるんだけど、高木君の獲った賞ってけっこうすごいらしいじゃない。将来何目指してるのとか聞いていい?」
かなり踏み込んだ質問に、誠司はどう答えていいものか悩んでしまう。そしておまけに身体的距離感も近かった。
「えっと、特には……」
「友達がさ、有名美大に推薦確実って言ってたよ。あ、もしかして留学するとか?」
「ハハハハ……どうだろうね……」
輪の中に入れてもらえたけれど、やはり居心地は悪かった。
どうもこういった感じの会話に、自分は向いていないようだ。
なんだか疲れたな。
何となく足が重いと感じた誠司だった。
山頂に到着してすぐに、誠司はひかりに声を掛けられた。
「高木君、お疲れ様」
「あ、時任さんも、お疲れ様でした」
「ここで少し時間を取っていく? 班のみんな、この辺りで写真を撮りたいって言ってるんだけど」
「うん。そうだね。それがいいよね」
「じゃあ、十五分後にここで。それでいい?」
「も、勿論。じゃあ十五分後に」
踵を返した少女の黒髪がふわりと舞う。
その一瞬の輝きに誠司はハッとなる。
「あの、時任さん」
咄嗟に呼び止めてしまった誠司の声に、ひかりは振り返る。
「なに? 高木君」
誠司はポケットの中で握りしめたデジカメの感触を掌に感じながら、もうひと言を絞り出そうとした。
集合写真撮りませんか。
そのひと言がどうしても出てこない。
「高木君?」
固まってしまった誠司を、ひかりはしばらく待ってくれていた。
「時任さん、行きますよー」
宇佐見美鈴がひかりを呼んでいる。
「えっと、ちょっと待って」
ひかりは急かす友人にそう応えて、誠司の言葉を待つ。
誠司はポケットの中のカメラをさらに強く握りしめた。
「集合写真……」
「集合写真?」
そして誠司の中の葛藤は最高潮に達した。
「集合写真……撮るんだったら、俺、シャッター押すから……」
「うん。ありがとう」
そしてひかりは行ってしまった。
自分の勇気の無さを痛感した後、頂上で会おうと言っていた勇磨を適当に探していると、見覚えのある女の子と目が合った。
「あっ」
思わず声を上げてしまった誠司の視線の先にいた少女は、あの一ノ宮綾乃だった。
目が合った綾乃は、人の間を縫って誠司の所までやって来た。
そしてあまり大きくない声でこう言った。
「先日はすみませんでした」
ぺこりと頭を下げた綾乃に、誠司はどう返していいのかさっぱり分からない。
急に怒り出して帰ってしまった彼女に、何故か謝罪をされている。とにかく謎だらけだった。
「あの、私、何か勘違いしてしまって、高木さんに失礼なこと言ってしまって……」
「え? そうだったの? 俺はてっきり何かやらかしたんだと……」
全く思い当たるところはなかったものの、女の子を怒らせてしまったことを反省していた誠司は、とにかく少しほっとしたのだった。
「全部私のせいなんです。本当にすみませんでした」
「あ、ちょっと、人目もありますし……」
少し涙目でひたすら謝る綾乃に、周囲の視線が集中していた。
これは間違いなく良くない状況だ。誠司は慌てて場所と話題を変えた。
「えっと、奇遇ですね。って、大体どこの学校も似たような観光ルートなだけですよね」
「ええ、でも本当に偶然ですよね……」
やはりあまり話が続かない。何か捻り出さねばと頭をフル回転させていると、タイミングの悪い男がやって来た。
「なんだ誠ちゃん、こんなとこにいたのか。だいぶ探したぜ」
「勇磨!」
「ん? 誰?」
いきなり現れた坊主頭に顔を凝視されて、一ノ宮綾乃は視線を泳がせながらタラリと汗を流した。
「憶えてないか? あれだよ、みたらし団子屋で会った女子校の……」
「おお、あのみたらし団子は美味かった。もっと食っとけばよかった」
またズレてる。もう無視したかった。
「ほら、あの外国人に話しかけられたときに助けてくれた子だよ。それくらい憶えてるだろ」
「ああ、そんなこともあったな。で、なんでここにいるわけ?」
勇磨の質問に、今まで黙っていた綾乃がやっと口を開いた。
「わ、私たちも今日は伏見稲荷の観光日なんです。それでたまたまその……」
「そうなんだ。みんな似たり寄ったりってことだよ。そうゆうことだから……」
この時、誠司には一つだけ触れて欲しくないことがあった。
なので、なんとかスムーズにやり過ごそうとしていたのだが……。
「ああっ!」
何かに気付いたように、勇磨がいきなり声を上げた。
「な、なんだ?」
「思い出した。確か合コンの……」
「ワーッ!」
誠司は大慌てで勇磨の口を塞いだかと思うと、そのまま少し離れた所まで連行していった。
「勇磨。頼むからちょっと二人にしてくれ。詳しいことはあとで話すから」
「は? 俺がいたらなんかマズいのか? ひょっとして合コンの打ち合わせか?」
「いいから二人にしてくれ。このとおりだ」
両手を合わせて頼み込むと、勇磨は渋々退散していった。
「あの、高木さん……」
余計なことを言いそうな坊主頭を追い払って安堵していた誠司に、綾乃が声を掛けてきた。
「なんだか揉めていたみたいですけど、大丈夫でしたか?」
「えっと、いつもあんな感じです。ご心配なく」
騒がしい勇磨がいなくなると、また何を話していいのか分からなくなった。
誠司も落ち着きがなかったが、綾乃はそれ以上にそわそわしていた。
「高木さん……」
「はい……」
「あの、わたし、どうしてもお伝えしたいことがあって……」
頬を紅く染めて見上げる綾乃のその表情に、誠司は硬くなる。
そしてまたしばらくの沈黙。
その間、綾乃の視線は、ずっと誠司に注がれていた。
ゴクリ
誠司の喉が鳴った。
そして綾乃の唇がまた少し動きだした。
「高木さん……私……」
その時二人の間に風が吹き抜けた。
舞い上がった紅葉の葉が、青い空を彩っていく。
二人は同じ空を見上げて、その美しさに一瞬言葉を失った。
「高木くーん」
涼やかな声。
誠司の心を揺り動かす、たった一人の少女の声だった。
少し離れた所で、自分のことを探している様子のひかりに、いつの間にか待ち合わせの時間になっていたことを誠司は知った。
「もうそんな時間か」
ひと言そう呟いた誠司の瞳は、少年を探す黒髪の少女を真っすぐに見つめていた。
そんな少年の姿に綾乃はハッとなる。
そう、少年はその少女だけを見つめていた。そして、その眼差しが特別なものであることを綾乃は知ったのだった。
「ごめん、一ノ宮さん。もう行かないと」
背を向けて少年は小走りに駆けだす。
その背中を綾乃は咄嗟に呼び止めた。
「高木さん」
少年が振り返る。
綾乃はすぐに言葉が出ない。
そして、少女はたった一言、こう言った。
「お元気で」
「ええ、一ノ宮さんも」
明るい笑顔を残して、少年は去って行った。
残された少女は、少年の背中に向かって小さく唇を動かす。
「さようなら」
すぐに過ぎ去ってしまった出会いと別れを惜しむように、少女は少年の背中をしばらくのあいだ見つめていた。




