第四話 第二王子の婚約と彼女の結婚相手・後
「あの……」
「私は、君が好きだ」
「っ、それはもう」
「君が好きだから、幸せになってほしい。泣いて欲しくなんてないし、不幸にもなってほしくない。不必要な苦労もしてほしくない」
「……随分と、傲慢でいらっしゃるのね。他人の人生を、好きに操作できるとでもお考えですか?」
「願いと祈りだよ。でもそうだね、君の言う通りかもしれない。どうあっても君にずっと笑っていてほしい。……だから、私はやはり三つ目を選ぶよ」
今度は、パトリシアが目を丸くした。話が振り出しに戻っただけのようでもあるけれど、では今までの会話は何だったのかとパトリシアは愕然とする。
「……お好きになさればよろしいですが、さっきと仰っていることが違いませんか?」
「誰でも一緒なんだろう。なら、私だってこの好機を掴む権利がある筈だ」
「言葉の綾というものをご存じ? それに、わたくしとの結婚が貴方にとって好機になるかなんて、そんなの分からないじゃないですか」
「君が好きだって言っているだろう。好きになった人と結婚ができるなんて、我々の立場では普通あり得ないことだ。それにこの国での地位もある程度確立してもらえる。君が私でもいいなら、努力する価値はある」
「何の努力です?」
「君に、愛される努力だよ」
パトリシアは何かを言い返そうとして、けれど呆れて笑ってしまった。それくらいクラウスの目が真剣で、本気でそう言っているのが理解できたからだ。
本当にさっきまでのくだりは何だったのかと思うが、パトリシアとて感情的に取り乱してしまったのだからお互い様なのかもしれない。いきなりに現れた選択肢と未来に二人とも怖気づいていて、動揺していてきっと冷静さを失っている。
パトリシアもクラウスも、学院を卒業したとはいえまだ大人になりきれていないのだ。そうでなければならなくて、結局いつも取り繕っているだけだ。学院を卒業する頃には自分も同年代の皆も、もっと大人になっていると思っていたのにとパトリシアはそれを少し残念に感じながら、けれどクラウスを笑うこともやめられなかった。
「ふ、ふふ、ふふふっ」
「パトリシア嬢……?」
「ま、前々から思っていたのですけれど、クラウス様は人とずれているところがおありですね」
「……そう、かな? それに関してはあまり自覚がないんだが」
「ええ、おありですわ。でも、それで結構です。貴方のそういうところが放っておけなくて、生徒会の皆も貴方について行っていたのですから」
「ええ……?」
クラウスが心外だと言わんばかりに顔を顰めたけれど、パトリシアはそれにも笑ってしまった。
「それで、わたくしに愛される努力とは、具体的にどのようなものですの?」
「そうだな……。とりあえず、引き続き格好付けてみるよ」
「格好付けていたんですか?」
「好きな子の前では格好付けたいものなんだよ」
「……では、この手はいつまで?」
二人の視線が同時に下がる。パトリシアを引き留める為にクラウスが掴んだ手が、そのままで二人を繋いでいた。以前のクラウスであれば、慌てて距離を取っただろう。
けれど、クラウスは手を放さずそっと繋ぎなおした。
「……駄目、かな?」
「……わたくしは、貴方が本当に三つ目を選ぶのなら、構いませんわ」
「そう……」
「はい……」
二人は同じように小声でぽそぽそと話して、やはり同じように頬を染めながら暫く温室で立ち尽くした。
―――
パトリシアと結婚することを選んだクラウスは、意外なほどすぐにアルメヒティヒ国民から受け入れられた。噂話が想定よりも早く国民たちに知れ渡っていたのが主な原因だったが、彼のまっすぐな性質もアルメヒティヒ王国では珍しく年長者たちからよく可愛がられたのだ。
勿論肯定的な意見ばかりではなく、否定派もいる。特にパトリシアの結婚相手として候補に名が挙がっていた家の者たちは、クラウスに対して嫌味を欠かさなかった。時には妨害工作と取れる程の嫌がらせをした家もあったが、やり方が上手く証拠が掴めない。しかしそのことをパトリシアが謝罪すると、クラウスは「何かあったかな?」とあっけらかんとしているのだ。
アルメヒティヒ女王が父であるモナルヒ国王と交渉し、正式にパトリシアとの結婚が決まったクラウスは、温室で彼女に見せた自信のなさなどどこかへやってしまったかのように毎日を生き生きと過ごしていた。王室の勉強に公務に、魔法技術の習得にとひどく忙しかったにもかかわらず、疲れも見せずに笑顔で日々を過ごしている。
心配をしたパトリシアが無理をしていないかと聞くと、クラウスは「この国の人々は皆親切で助かっているよ」とやはり笑顔で答えた。そんな筈はないのだ。アルメヒティヒ王国の人間は、多かれ少なかれ魔法使いの気難しい気質を持っており遠回しな嫌味が得意な者が多かった。パトリシアがいくら目を光らせていても、クラウスもよく嫌味やからかいを受けていた。けれどもしかすると自国での扱いがあまりにも酷かったので、決してよい状態とはいえないこの状況でも苦に思わないのかもしれない。そこまで考えたパトリシアは少しぞっとして、クラウスの身辺警護を増やした。
警護を増やし注意をし、それでもトラブルがいくつか起こった婚約期間ではあったけれどやはりクラウスはいつも笑顔で過ごしていた。途中で在学中に一緒に生徒会役員として活動していたマシューたちが雇ってくれと乗り込んできたり、ゲミュート公爵令嬢が恨み節を認めた手紙を送ってきたりとしたが、それでも二人は何とか婚約期間を乗り切った。クラウスに関しては乗り切ったというよりも、楽しんでいたといった方が正しそうだがとパトリシアは一人で長くため息を吐いた。
そう、今日はもう、二人の結婚式なのだ。
「綺麗だ……」
「……クラウス様、それ何度言ったら気が済みますの?」
「分からない……。パトリシアがあんまりにも綺麗で、どうしたらいいのか……」
「どうしたらって……」
パトリシアは、新婦の控室でうっとりと自身を見つめる新郎に困り果ててしまった。本来、クラウスは新郎用の控室で待っているべきなのだ。それを何かと理由を付けて、この場にいる。そしてパトリシアを眺めながら、うわ言のように綺麗だと言い続けていた。
新婦に相応しく、パトリシアはとても美しく着飾っていた。彼女こそ、本日の主役だ。けれど、クラウスはパトリシアのこの姿を初めて見た訳ではない。準備期間中に何度も見たし、それこそこの姿で予行練習も行ったのだ。確かにその時もこんな調子であったが、本番前までこれでは困る。パトリシアは、眉間に力を込めた。
「しゃんとなさってください。本日はモナルヒ国王の代理で、貴方のお兄様である王太子もいらっしゃるのですよ。ほかにも我が国主要貴族や、他国の要人も多く参列します。クラウス様がそんなふうでは困りますわ」
「うん、まあ、それは分かっているんだけど。こんなに綺麗な人と結婚できるなんて、夢みたいで……」
「……今日は格好付けなくていいんですか?」
「余裕がない……」
熱に浮かされたようにぽうっと見つめられて、パトリシアも少したじろいだ。立場上、見られるという行為には慣れているが、こんなに至近距離で不躾な視線を受けることはあまりない。悪い気分ではないというが一番の問題な気もするが、とりあえずパトリシアはそれを棚上げすることにした。
「本当に綺麗だよ、パトリシア」
「……ありがとうございます。クラウス様も素敵ですよ」
「そうかな。君の隣に立っても見劣りしない?」
「勿論」
「そっか。少し、自信がつくよ」
「少しではなく、自信は持っておいてください」
「ううーん……」
クラウスは苦笑してパトリシアに近寄った。室内にはメイドや使用人たちもいるが、それこそ結婚式の準備で忙しく控えの者も交代が激しい。クラウスは、あえて彼女らからパトリシアが見えないような位置に立った。
「クラウス様?」
「ねえ、パトリシア。キスをしてもいい?」
パトリシアは目を見開いて、声を上げかける。しかし目の前でクラウスが「しー」と口に人差し指を当てるので、どうにか騒ぎを起こさずにすんだ。
「な、何を仰るのですか。もうすぐ式なのに」
「そう、もうすぐ式なんだけれど、やっぱり初めてのキスが衆目監視でというのもなって思って」
「そんなの言うのが遅いです……!」
「でも、今そう思ったんだ。それに式の最中に緊張して倒れるようなことがあったら、それこそずっと笑い者にされてしまうだろう? 練習は必要だと思うんだ」
「絶対にそれは今じゃないですっ」
「でもパトリシアは未だに私のことを好きだと言ってくれないし、君にずるいと言われてしまうような私はやはり自信が持てない……」
「なっ、なっ……!」
パトリシアは、ちゃっかり自身の手を両手で握りしめるクラウスに「どの口が言うのか」と、小一時間くらい問い詰めてやりたい気分だった。確かにパトリシアはクラウスに気持ちを伝えないままで、ここまできてしまった。けれどキスすらもしないと決めたのはクラウスだ。彼が女王から「子どもさえ作らなければ好きにしていい」と言われていたのを、パトリシアだって聞いている。それでも行動に移さなかったのはクラウスで、パトリシアもそれに異論はなかった。
それなのに直前になってこんなことを言い出すなんてと、パトリシアは眉を下げた。彼女もキスが嫌な訳ではない。ただ心の準備ができていないというか、式の最中もキスをしたふりで乗り切るのではないかと勝手に思っていたというか、そんなふうに困惑をしているだけなのだ。
「……だって、結婚式までに言ってくれると思ったんだ。自惚れではなく、私のことが好きだと」
「そ、それは……」
「パトリシアは以前、私のことをずるいと言ったけど、私からすれば君もずるいよ。そんなに真っ赤にして可愛い顔をしておいて、言葉の一つもくれないんだから」
「……ごめんなさい」
ずるいと言われてしまえば、パトリシアに反論はできなかった。その自覚があるからだ。クラウスが好意を伝えてくれる度、それとなく誤魔化していたのも事実だった。気恥ずかしくて、クラウスが追及して来ないのをいいことにそのままでいたのだ。
俯いてしまったパトリシアにクラウスは苦笑する。彼女はどちらかといえば勝気であるのに、こういった場面ではすぐにしおらしくなってしまうのだから不思議だった。
「……責めてはいるけれど、謝ってほしい訳じゃない。ねえ、パトリシア。私は君にとって、やはり誰でも同じままかな?」
「誰でも同じ?」
「結婚なんて、誰としても同じだって言っていただろう。でも私は君以外とは結婚したくない。もう考えることもできない、君でなければ嫌だ。君のことを愛しているから、君に愛されたい。我儘かもしれないけど、今日くらいは許してほしいんだ」
そっと指先にキスをされ、パトリシアはぱっと顔を上げた。彼女に向けられているクラウスの視線は優しいが、ほんの少しの不安を孕んでいる。
「……わたくしは、王女です。直系ではありませんが、正しく、この国の王女として隣国の王子である貴方と結婚をします。きっかけは特殊でしたが、これは政治であり王命です」
「そうだね」
「貴方は誠実で勤勉で、それに精神的にとても強い。理想的な結婚相手だといえるでしょう」
「君に夢中だし?」
「……そうですね、わたくしのことを大切にしてくださっています。わたくしもそれに応えたいと思います」
「つまり?」
パトリシアはクラウスの目を見て、こほんと小さく咳ばらいをした。冷静を保とうとしているのだろうけれど、顔が赤いままなのでなんともしまらない。
「貴方のことを、愛しています」
「……ありがとう、パトリシア。キスをしても?」
「う……」
「駄目なの?」
「だ、駄目では……」
「じゃあ、いい?」
「……はい」
珍しく畳みかけるクラウスに、パトリシアはもう観念することにした。彼女が目を閉じるとそっと唇に柔らかいものが触れて、けれどすぐに離れていった。
一瞬のことだったのに、二人は硬直して暫く動けなくなってしまった。
「……嬉しいけど、結構恥ずかしいね。やっぱり先にしておいてよかったな」
「……かも、しれませんね」
「も、もう一回してもいい?」
「え、で、でも……」
もう式が始まるのにとパトリシアが焦りだすと、そんな彼女を助けるかのように控え室の扉が荒々しく開かれた。
「お二人とも何をいつまでもイチャイチャしてるんです!? 式本番なんですよ、分かってるんですか!? クラウス様はいい加減、ご自身の控え室に戻ってください!」
そう怒鳴ったのは、かつて生徒会で副会長をしていたマシューだ。ある日突然「雇ってください」と押しかけて来た彼は、今やクラウスの秘書として働いている。
その勢いに二人は顔を見合わせて笑い、言われた通りに結婚式の準備に戻った。彼らの結婚が多くの人々に祝福されたことは、言うまでもないだろう。
読んでいただき、ありがとうございます。
また、誤字脱字報告ありがとうございます。
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婚約破棄ものってスパダリか真ヒロインが無双するパターンが多くて、それはそれでとても楽しいのですし私も書くのですが保護者が出てくることが少ないなって思っていました。世界観的に学生であってもヒーローやヒロインに実力と権力があって裏で手を回してなんとかしていますが、保護者もうちょっと頑張って、って思うことがありましてこんな流れになりました。また、婚約破棄を言い出すヒーローに分があるのもあまり見ないなと思っていたのもあります。
当て馬になった公爵家の面々の処遇は、あえて書いていません。公開処刑的に土下座させられて、それで手打ちとなったのかそれ以上の罰が新たに加えられたのかは皆様のご想像にお任せします。たださすがに公爵は宰相を辞めたでしょう。
爽快感のある断罪劇やぶれない完璧な主人公像もいいのですが、ちょっと怖気づいてぐだってしまうのも人間らしくて作者は結構好きなのです。皆様はどうでしょう。少しでも楽しんでいただけたら幸いです。