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第四話 第二王子の婚約と彼女の結婚相手・前

 クラウスがアルメヒティヒ王国に連れて来られた翌日、彼は女王から王女であるパトリシアを守ったことに対する感謝を直々に伝えられた。そしてその褒美として、今後の選択肢を三つ提示された。


 一つ目はほとぼりが冷めたあとにモナルヒ王国に戻り、アルメヒティヒ王国との外交窓口になること。アルメヒティヒ王国からの指名であれば、モナルヒ王国もクラウスを無下にはできない。少なくとも表向きに処罰を下されたり、冷遇されたりすることはないだろう。


 二つ目はこのまま暫くアルメヒティヒ王国に留まりその後、別の国に旅立つこと。モナルヒ王国に戻らないというのなら、隣国であるアルメヒティヒ王国で生きていくのは危険だ。だが、この場合は王子という地位を捨て一人で生きてくことになる。それでも、平民として自分の意思のままに生きていけるだろう。そしてもしこの選択肢を選ぶなら、それなりの装備と金銭を持たせると約束された。


 そして三つ目は、パトリシアと結婚してアルメヒティヒ王国で生きていくことだ。これは一緒に話を聞いていたパトリシアも初耳だったらしく、クラウスと同じ顔で驚いていた。



「お、伯母様、何を」

「そんなに驚くことかしら。私としては三つ目を推すけれど、一番都合がいいから」

「都合って……」

「都合よ、パトリシア。我々は国益の都合で縁を結び、その縁を繋いでいく必要があります。クラウス王子は既に我が国で評判がいいの。昨日の今日だというのに、留学生たちがもう噂を広めてくれていてね」



 美しく微笑む女王に対しパトリシアは声を失い、けれどクラウスはしっかりと背筋を伸ばして口を開いた。



「私とパトリシア殿下の結婚が、本当にアルメヒティヒ王国の国益となるのでしょうか。こう言っては何ですが、私は妾腹ということもありモナルヒ王国では影響力はあまりありませんでした」

「ええ、知っているわ。それでも貴方が王子として生まれた事実は変わらない。それに昨夜の大騒ぎは、あちらでももう広まっているわ。怖くて酷い公爵令嬢と可哀想で清廉潔白な王子様って」

「……」

「私とのあの対話で、国王の求心力も下がっているわ。宰相兼公爵があれだったから特にでしょう。これからあちらはその火消しで忙しいでしょうね。……でも、我々は隣国であるのよ。モナルヒ王国で大きな揉め事が起きるのは、我がアルメヒティヒ王国としても喜ばしいことではありません。醜聞は、祝い事でかき消すことができるわ。特にそういう話が好きな民たちは、勝手にロマンスを想像してくれるでしょう。我が国も貴方を迎え入れることで、交換留学や外交がこれまで通り円滑に回るならそれに越したことはないの」



 クラウスは女王の言葉に静かに頷いた。そしてまた口を開く。



「女王陛下、考える時間をいただくことは可能でしょうか」

「ええ、勿論。貴方の人生を左右することです、よく考えなさい。そうね、一年はいいわ。留学だと思ってゆっくりなさいな。身の安全はこのアルメヒティヒ女王が保証しましょう」

「大変なご厚情を賜りありがとうございます」

「パトリシア、クラウス王子をご案内して差し上げなさいね」

「畏まりました」



 それらを伝え終わると女王は公務に戻った。二人は暫くその場に留まったが、このままでいるのもとパトリシアが散策に誘い庭園に出ることにした。


 アルメヒティヒ王城の庭園は、魔法薬を作る為の薬草が溢れかえっている。実用的なそれらは観賞用としても美しく整えられていて、観光名所として一般にも公開されているくらいだった。さすがに話題の王子と王女が一般公開エリアに行く訳にはいかないので、二人は王族が許可したものしか立ち入れない温室へ向かった。



「昨夜は、よく眠れましたか?」

「ああ、とてもよく……。いや、申し訳ない。王女殿下に対して気安いですね」

「そのようなことは決して。どうか、今まで通りに」



 パトリシアの願いにクラウスは、曖昧に笑った。


 パトリシアも自身が無茶を言っている自覚はある。昨夜まで子爵令嬢だと偽っていた者が、いきなりに王女であると身分を明かせばこうなるだろうことも理解していたつもりだ。けれど今更、クラウスに距離を置かれるのはあまりにも寂しかった。子どものような言い分だが、それが本心だったのだ。



「……では、お言葉に甘えて。パトリシア嬢、ああええと、パトリシア殿下の方がいいかな?」

「お好きな方で結構ですわ」

「では、とりあえずパトリシア嬢で。……ふ、何か変な感じがする」

「ふふ、そうですね」



 二人はぽつぽつと話しながら温室を歩いた。学院でのこと、朝食の内容、昨夜のこと。そして――。



「君は、さっきの話をどう思った?」

「難しい質問ですね」

「そうだろうね。私も、そう思う」



 クラウスはパトリシアに向き直って歩みを止めた。



「あまりにも、そう、千載一遇の好機がすぎて」

「……好機、ですか?」

「私からすればね。……あまりにも私だけに都合がよすぎて、夢でも見ているみたいだ」



 パトリシアは、クラウスの言葉の意味を考えた。しかし同意はできなかった。女王から一方的に提示された選択肢たちは、最終的にどれを取っても苦労をするだろう。


 そもそもモナルヒ王国が、クラウスのことを王子としてきちんと扱っていればこんなことにはならなかったのだ。パトリシアは在学中に感じていた憤りを思い出して、きゅと口を引き結んだ。



「君は……」

「はい」

「君はもし、私が三つ目の提案を選ぼうと思っている、と言ったら……。いや」



 クラウスは一度言葉を切って、パトリシアと目線を合わせた。



「私は、三つ目を選びたい」



 パトリシアは息を飲んだ。心臓が煩い。けれど彼女は王女として、その動揺を表に出す訳にはいかなかった。一生懸命に表情を取り繕いながら、パトリシアは口を開いた。



「陛下の提示したどの選択肢を選ぼうと、それは陛下がクラウス様に約束されたものです。わたくしに宣言される必要はありません。しかし、まだ時間はございます。もう少し考えられたほうが……」

「女王陛下には時間を下さいと言ったが、元々三つ目以外を選ぶ気はなかったんだ。君が好きだから」

「え」

「……君が好きだ。本当は死ぬまで誰にも言うつもりはなかったけれど、せめて君にはこの想いを伝えておきたい」

「ど、どうして……」

「どうして、とは、君のどこが好きかってことだろうか?」



 違うと言いかけて、けれどパトリシアは口を噤んだ。動揺をしていたのもあるが、純粋に聞いてみたかったというのもある。耳が熱くなってきた。



「例えばそうだな。初めはあのフラヴィア嬢に目をつけられているのに、なんて気の強い女の子なんだろうと思って、驚いたのがきっかけだった。でも関わっていくと所作が美しくて話し方も丁寧で、その上魔法学や歴史学の知識が豊富で、苦手なことなんてないんじゃないかって尊敬してたんだ」



 さすがに気恥ずかしくなってきたのか、クラウスはゆっくりと視線を斜めに下げた。しかし話はまだ終わっていないらしい。



「けど、そうだな。どこが決定的に好きなのかというのは、説明ができないかもしれない。生徒会活動で一緒に仕事していた時に、君がお茶を淹れてくれたことがあっただろう? その時に、ああ好きだなって、その……思って……」



 クラウスの徐々に小さくなる声と赤くなっていく頬は、反比例でも起こしているみたいだった。ただパトリシアも既に首まで真っ赤にしているので、それを指摘することもできない。



「その、だから、私は君と結婚ができるなら、それが一番に嬉しい。本当に夢みたいなんだ。父上の前で、婚約破棄を言い出した時はもう生きた心地はしていなかったから」

「そ、そうです。何故あんなことを? せめて、相談してくださっていたら……」

「相談なんて、できなかったよ。私には常に透明な側衛が付いていたし、仮に彼らをまけたとしても隣国の子爵令嬢にそんなこと言えるはずない。そうでなくても、好きな子の前では格好くらいはつけたいからね。でも、危険な目に遭わせてすまなかった」

「……危険な目なんて遭ってないですし、貴方はいつだって庇ってくださいました」

「そうだといいんだが」



 苦笑するクラウスに、パトリシアも苦笑を返した。育ちのせいなのか自己肯定感が低いクラウスを既に理解している彼女は、それ以上は何も言わない。言葉を重ねて感謝を伝えたところで、クラウスはこうやって苦笑するだけなのだ。けれどいつか、届けばいいなとずっと思っている。



「……それで、君は私が三つ目の提案を受けたいと言っていることを、どう思う?」

「わたくしは……。わたくしは、女王陛下のご命令に従うだけです」

「うん、お手本のような答えだ。君はきっとそう言うだろうと思っていた。私も君の立場ならそう言っただろう。……だが私は、そんな君を幸せにできる自信がない」

「え」



 クラウスは昨夜、父王と対峙した時のようにまっすぐパトリシアを見た。ざわざわとパトリシアの胸がざわめく。


 どういう意味だろう、受け答えを間違えたのだろうか。パトリシアはぎゅっと手を握った。



「君は以前、『この留学が終わったら婚約者が決まる』って言っていただろう。つまり既に何人か候補者がいたんじゃないか?」

「……そう、ですね。確かに数名、候補者は選出されていました」

「ええと、『できれば見目がよく資産を持っていて、一心に愛してくれる人』で『お互いがお互いを大切に想える関係』だったっけ」

「……」

「見目には秀でているという自負が少しある。上手くいけば資産も手に入るだろう。そして、君のことを愛している。でも君に、大切に想ってもらえるような人間になれる自信がない」



 諦めたように笑うクラウスに、パトリシアは何故かひどく腹が立った。もう表情を取り繕うこともできずに、眉間に深々と皺が刻まれている。



「この国には、君と女王陛下のお眼鏡に適う人が複数いるんだろう。その人たちと比べて、私はあまりにも見劣りする。あちらでは魔力も魔法技術もそこそこだったけれど、こちらではきっと下の方だ。そんな私と無理矢理に結婚させられて、君を不幸にしたくはない。そんなことになるくらいなら、どんなに大変でも一人で世界を旅していた方がずっといい」

「……何故、そんなことを仰るの?」

「君に嫌われたくないから、かな。嫌われて、傷つくのが嫌だ。……私はそういう卑怯で、臆病な人間だから」

「違います!」



 パトリシアは生まれて初めて、怒りで体が震えるという事象を経験した。興奮して頭に血が上っている自覚はあるのに、どこか冷静に驚いている自身もいる。そんなパトリシアを、クラウスも目を丸くして見ていた。



「貴方は臆病な人ではありません! 臆病な人はあんなふうに地位を持つ横柄な人に立ち向かっていきませんし、全校生徒に向かって演説もしません! 大体、父親とはいえ国家元首にあんなに堂々と意見までしておいて、あれで臆病って何なんですか!」

「それは……」

「貴方は卑怯でもありません! できることを真っ正面から一つ一つ着実になさっていました! 法や規則が破られたり、下級生や下位貴族、平民たちが不当な目に遭っていたら、自分のことのように憤って正そうと努力なさっていました! 卑怯って言葉を本当にご存じ? 正々堂々としていない様のことを言うのですよ!?」

「……だからそれは! 君に好かれたかったからだよ!」



 クラウスがそう叫ぶので、パトリシアはぐっと押し黙った。彼女は少なくとも物心がついてから、このように激しく言い争うことなどしたことがなかった。当然、怒鳴り返されるという経験も初めてだ。けれどたじろいだ訳ではない。クラウスの話が聞きたかったから黙ったのだ。



「君に、せめて情けない奴だって思われたくなかったからだ。そうでなければ、今まで通り静かに笑顔で黙っていたさ。そのくらい好きだったんだ!」

「……つまり、今はもうわたくしのことなんてどうでもいいと言うのですね?」

「そんなこと言ってないだろう!?」

「言っていますわ! わたくしの顔が想像と違いましたか? あの分厚い眼鏡でおさげの子爵令嬢がお好きだった? だからこんな顔で王女だったわたくしがこれからどうなろうと、どうでもいいんでしょう!?」

「違う、そんなこと言ってない!」

「違いません! 本当にわたくしのことが好きなら、わたくしがほかの人と結婚してもいいなんて言う筈ないもの!」



 そこまで叫んでパトリシアは、はーと長く息を吐いた。その振動で涙がぼろぼろと落ちたけれど、そんなことには構っていられなかった。クラウスはその涙に動揺して硬直してしまったが、パトリシアはもう一度ゆっくり口を開いた。



「わ、わたくしが、ほかの方と結婚したとして『お互いがお互いを大切に想える関係』になれる保証なんてありません。それでも結婚は政で、陛下の決定に従う義務があります。努力はします。もしかしたらすごく幸せな結婚になるかもしれません、でも辛い目に遭うかもしれません。それは、きっと貴方と結婚しようと同じことです。上手くいくかどうかなんて、誰にも分からないんですから」



 顔を真っ赤にして、鼻をハンカチで押さえながらパトリシアはきっとクラウスを睨んだ。クラウスはまだ硬直が解けていない。



「だから、わたくしだって、貴方じゃなくてもいいわ。貴方でも貴方じゃなくても、同じなんですから。でも、だからって好きだったなんて、そんなこと言わなくてもいいのに。貴方は臆病でも卑怯でもないけど、ずるいです。貴方が好きだったのはあの子爵令嬢だったかもしれませんが、わたくしがこんな顔をしているのも王女であるのもわたくしのせいではないのに……」



 パトリシアは、とうとう顔にハンカチを押し当てて俯いてしまった。口の中でひどいと呟いたけれど、それはもうパトリシアにさえ聞こえない音だった。その様子にクラウスは弾かれたように動いて、パトリシアに駆け寄る。



「ちが、違うんだ。どうでもいいなんて思っていない。本当に君が好きなんだ。それに君は可愛いし綺麗だし、子爵令嬢でも王女でも好きだよ」

「そんなの嘘です、嘘つき……」

「嘘じゃない! 私は、君に言えないことは多くあったけど、嘘はつかなかった。……どうか信じてほしい」



 パトリシアはゆっくりと息を吸って吐いて、少しだけ落ち着きを取り戻した。自身のあまりにも感情的な態度を恥じてハンカチから顔を上げることはできなかったが、そのままで話を続けた。



「でももう、わたくしにどう思われようといいのでしょう。パトリシア・クライネには好かれたかったけれど、パトリシア・アルメヒティヒには好かれなくていいのでしょう?」

「そんなことはない!」



 だったら、と言いかけて、パトリシアはまた深呼吸をした。こんなやり取りは無意味だ。その上に、彼女の身分に相応しくない。直系でないとはいえ、王女であるパトリシアが感情のままに騒ぎ立てているなどあってはならないことなのだから。


 パトリシアは表情を整え、魔法でさっと涙の痕を消し顔を上げた。けれどクラウスの顔は見れなかった。



「……大変な失礼をいたしました。どうかお許しください」

「パトリシア嬢……」

「昨日の今日で女王陛下からあのようなことを言われて、わたくしも動揺をしていたようです。ですがどうぞ、クラウス様のお心のままに。陛下が貴方に提示した選択肢は、貴方が一年間わたくしを助けてくださった報奨の意味合いがございます。隣国との関係悪化が避けられる目途が立ちそうなのも、貴方のおかげなのですから」

「……」

「ただ、今のわたくしはどうにも冷静になれないようです。きっとご不興を買ってしまうでしょうから、案内には然るべき者をすぐにお付けいたします。では……」

「待ってくれ!」



 踵を返そうとしたパトリシアを、クラウスが素早く引き留める。振りほどこうと思えばできたけれど、掴まれた手が熱くてパトリシアは戸惑った。



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