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第三話 生徒会長と留学生・後

 パトリシアのその声は、クラウスたちの目の前ではなく少し離れた所から聞こえてきた。すると、目の前で池に座り込んでいたパトリシアがぱあっと光って無くなってしまう。



「なっ!?」

「こっちです、あの、大丈夫ですから」

「パトリシア嬢!?」



 パトリシアは、池の傍にあった大きな木の陰に隠れていた。落とされる直前に転移魔法と幻覚魔法を展開させ、木の陰に移動しパトリシアの幻覚を見せていたのだ。姿を隠している近衛たちが動かなかったのはそのせいだ。一歩間違えば、フラヴィアは彼らに捕縛されていただろう。


 一番最初にパトリシアに走り寄ったのは、クラウスと一緒に来ていた生徒会役員の女子生徒オリビア・ユーバーメンシュだった。一つ年下の彼女は、パトリシアに抱きついてわんわんと泣く。



「わあー! パトリシア先輩、よかったー!」

「ええと、心配をかけてごめんなさいね?」

「うううーっ! 何なんです、あの性悪女ー! 許せないぃぃいー!」

「オリビアさん……」



 第二王子であるクラウスの目の前で、その婚約者に対して許せないは不味いだろう。パトリシアがそう思ってクラウスを窺うと、彼は顔を歪めてぐっと拳を握りしめていた。



「問題ない、私も同じ気持ちだ」

「ク、クラウス様まで……。あの、大丈夫でしたから」

「違う、大丈夫なんかじゃない!」



 クラウスの大声に、その場にいた皆が彼を見た。クラウスは視線が集まったことに一瞬だけはっとして、けれど小さく首を振る。



「……大丈夫なんかじゃない。私が情けないばかりに、こんなことになってしまって」



 クラウスはそのまま下を向いて、動かなくなってしまった。自責の念が、ただただ彼を苦しめているのだろう。この国の詳細な事情を知らなかったパトリシアでも、既にクラウスの置かれている複雑な状況を理解している。パトリシアはオリビアから離れて、クラウスに近寄った。



「クラウス様、不注意に彼女らについていってしまい、ご心配をおかけしました」

「……違うだろう、君は悪くない。私が」

「いいえ、悪いのはフラヴィア嬢で、貴方ではありません」

「……」

「実を言うと、わたくしもここまでされるとは思っていなかったのです。危機管理が不足しておりました。両国の為にも、今度は使える魔法は全て使って彼女らとはできる限り関わらないようにいたします」

「え……」

「こう言っては何ですが、わたくしは今回留学に来ている者たちの中で一番に魔法が得意なんです。お任せください」



 パトリシアが分厚い眼鏡越しににこりと笑うと、クラウスはまたくしゃりと顔を歪めて小さくありがとうと呟いた。


 その後、パトリシアは言った通りに魔法を駆使して、フラヴィアからしっかりと逃げ続けた。幻覚魔法はあまり推奨されないが、第二王子の許可があるからと自由に使った。そもそもモナルヒ王国の魔法技術では、パトリシアがどんな魔法を使っているのか感知できないので注意されることもなかった。たまに魔法学の教員の内の何人かがパトリシアをちらりと見たが、見て見ぬふりをしていた。彼らにも思うところがあったのだろう。


 しかしさすがのクラウスも、今回ばかりは黙ってはいなかった。これまでも様々な伝手を頼ってフラヴィアやその周りを注意していたが、今回に限っては抗議という形を取って彼女らの親に直接それを伝えたのだ。それらは全て不発に終わってしまったが、それでもクラウスは諦めなかった。


 全校生徒を集めて高貴なる者に伴う義務の講義をし、その意識が乏しい教員には研修に行かせ論文を提出させた上で更に学生に向けてまた講義をさせた。学生の中に高位貴族の子女や彼らを優遇する一部の教員に不満を持つ生徒もいたが、そういった生徒たちの声もよく聞き学院改革に乗り出したのだ。生徒会の仕事は増えたが、役員たちは充実した日々を送っていた。


 それでも懲りないフラヴィアは何度もパトリシアの前に現れたが、あの池事件以降はずっとクラウスが間に入った。その日もそうで、珍しく二人だけで廊下を歩いていた所を捕まったのだ。ただお互いに用事を済ませ、生徒会室に行く道が一緒になっただけなのだが、確かに少し迂闊だったかとパトリシアは反省した。



「クラウス様、貴方はわたくしの婚約者である自覚はないのですか!? どうしてその子を庇うのです!」

「君にもそれを問おう。私の婚約者でありながら、どうして隣国からの留学生を執拗に付け回すんだ」

「っ、気の弱い貴方が、そんなつまらない子に誘惑されているのが見るに堪えないからですわ! 妾腹である貴方が第二王子でいられるのは、公爵令嬢であるわたくしが婚約者でいて差し上げているからですのよ!?」

「君の本音はそれか。……私は別に構わない」

「え……?」

「別に構わないと言っている、王族の地位に興味はない。御父上に、婚約解消を申し出てみればどうだ?」

「~~! 貴方になくとも、わたくしにはあるんです! 王侯貴族としての誇りすら失くしてしまったのですか!? いい加減になさって!」

「はあ、こちらの台詞だ。……もういいか? 君に構っている暇はないんだ。生徒会の仕事が忙しくてね」



 クラウスは顔を真っ赤にさせているフラヴィアを置いて、パトリシアの手を引きその場から離れた。この時にはもうパトリシアはフラヴィアと直接話すなどほぼなく、二人が言い争っているのをクラウスの後ろで聞いているだけのことが増えた。言い争っているとは言っても、クラウスはいつも冷静でフラヴィアが一人で叫んでいただけだったが。


 暫く歩くとクラウスは立ち止まり、勢いよくパトリシアの方を向くとぱっと手を放した。



「ご、ご、えっ、すまない! パトリシア嬢、て、手を……っ!」



 手を引かれたのは初めてだったが、これは無意識のことだったのかとパトリシアは理解した。頬が熱くなっていることには気づかないふりをして、小さく首を振る。



「いいえ、えっと、問題は……。あるかもしれませんが、すぐに放してくださったので、多分大丈夫ですわ。きっと皆さんもわたくしと殿下がそのような関係だなんて勘違いはしないでしょうし……」



 フラヴィアを除いての話だが、今のパトリシアは分厚い眼鏡ときつく結んだ二つの三つ編みが特徴的な何とも地味な格好をしていた。眼鏡には認識阻害の魔法がかけられており、初めからパトリシアを王女だと認識していなければ、決して疑われることはないようになってもいる。その魔法がききすぎているからこそのフラヴィアの暴走かもしれないが、安全管理の面からも今更外すことはできなかった。


 対してクラウスは、王子として相応しい様相をしている。皆の憧れの王子様として人気も高く、フラヴィアが相手でなければ名乗り出たのにと話す生徒も多い。そんなクラウスと今のパトリシアに、変な噂など一つも立っていなかった。むしろフラヴィアから留学生を守る素晴らしい王子様だと賞賛があるくらいだ。



「……そうかな。それはそれで、複雑な気分だ」

「え?」

「パトリシア嬢は所作が美しいし、魔法学に対する知見もさることながら政治や歴史にも詳しい。君の婚約者の方が羨ましいよ。……ああいや、これは特別な意味はなくてっ!」

「……ふふ、その言い方はさすがに少し傷つきますね?」

「ち、違う。君は素敵な人だが、私は不埒な考えなんてなくて、だから、その……」



 顔を真っ赤にするクラウスは、こういった話には慣れていないようだった。パトリシアは笑いながら、唇に人差し指を当てる。



「それ以上は野暮ですわ。……ああでも、一つだけ」

「え?」

「わたくしには婚約者はおりませんわ。この留学が終わったら決まるのでしょうけれど」

「……そ、そう、なんだ」

「ええ」

「その、参考までに、なんだけれど」

「はい?」

「パトリシア嬢は、いやええと、一般的に女性はどのような婚約者なら嬉しいんだろうか?」

「一般的にというならば、できれば見目がよく資産を持っていて、一心に愛してくれる人、などでしょうね」

「君は違うの?」

「……どうでしょう。でも、お互いがお互いを大切に想える関係が築けるのなら、それが理想ですね」



 パトリシアの相手は、見目がよく資産を持っているだけでは意味がなかった。王族としての矜持を持ち、国と女王に忠誠を捧げ、不測の事態には国を率いる覚悟が最低条件で必要なのだ。女王には子どもがいるのですぐに王位を継がねばならない位置にはないが、けれど王族と貴族とでは責任の重さが違う。それでもパトリシアは現女王の直系ではないので、いつ王族でなくなるかも分からない。それはその時の時勢が決めることで、パトリシアの意思はそこには反映されない。その重責と不安定さに耐えられる者でなければならないのだ。



「そうか、それは素敵だ」



 クラウスはそう言って、穏やかに笑った。寂しそうに見えたのは、パトリシアがそうだったからだろう。クラウスとパトリシアは、この留学が終わればもうこんなに気軽に言葉を交わす仲ではなくなる。留学が終わればパトリシアは成人として認められ、公務に追われる日々を送るだろう。クラウスもそうで、そして彼はフラヴィアと結婚をする。勿論パトリシアだって、おそらく誰かと結婚する。王族の結婚は政治だ。そこに個人の意見は反映されないが、この時間が終わることを惜しく思うのは止められるものではなかった。


 どんなに惜しんだところで、時間は正確に過ぎていく。しかし生徒会活動に参加するようになったパトリシアは、確かにその時間を楽しんでいた。時間はいつだって一定なのに、楽しい時間は過ぎるのが早く困ったものだった。


 卒業が近くなった頃、パトリシアは伯母と魔法で会話をすることになった。多忙な伯母が、異国の地にいる姪を気づかって時間を割いてくれているのだ。パトリシアの母はこの手の魔法が不得意で魔力が漏れてしまうので、気付かれてはいけないような会話には使えなかった。



『そんなに恩を感じているのなら、そのクラウス王子をうちに招待してもいいのよ?』

「え」



 報告が終わり世間話になった途端、パトリシアの伯母であるアルメヒティヒ女王は何でもないことのようにそう言った。揺らめく湯気のような魔力の中にいる女王は、楽しげに笑っている。通話魔法にはいくつかの種類があるが、今回は相手の姿が見えるものだった。そしてパトリシアはそれを少し後悔している。せめて声だけであれば、動揺した姿は隠せたのにと。



『他人様の家庭にも国にも首を突っ込むものではないけれど、クラウス王子の婚約者に意地悪をされているのでしょう? 留学生に悪質な嫌がらせをするような子が王子妃とか、隣国としてもちょっと笑えないわ。人は変わっていくとはいえ、その対象がパトリシアだったわけだし』

「で、ですが、伯母様……」

『そうそう、貴女のお母様ったらまた熱風邪を貰ってきたのよ』

「またですか」

『ええ、あの子ったら昔から体が弱い癖に動き回るのだから困ったものだわ。今回のは軽いものだからいいけれど、でも、父兄参観は私が行きます』

「……伯母様、父兄参観とは、何のお話でしょう?」



 パトリシアはそれを慎重に聞いたが、女王はやはりにこりと微笑んだ。



『卒業パーティーは父兄も参加できるでしょう? 実質、参観日よね』

「違いますが!? え、そ、それに母が駄目なら父が……!」

『駄目。彼には貴女のお母様の看病をしてもらわなければいけませんからね。ついでに、貴女に意地悪をしたという子の顔とその子の親の顔もしっかりと見なければ。そのあとで国王や学院の方々とも話をするつもりよ。これは、パトリシアが特別だからという訳ではないわ。今後も留学生を送り続けられる環境なのか、私は女王として見届けなければならないの』



 そう諭されてしまえば、パトリシアにはもう何も言えなかった。近しい親族ではあるものの、彼女の伯母は女王だ。逆らうつもりもないが、それに近しいこともできない。



『そんなに心配そうな顔をしないの。伯母様がちゃんとしてあげますからね、大丈夫よ』



 女王は言いたいことだけ言うと、ぷつりと通話魔法を閉じた。反論もできないままで、パトリシアはふうとため息を吐く。こんなこと、誰にも相談はできない。それこそ、クラウスにもだ。



「……いえ、あの方はただ留学先の王子だというだけで、相談なんてする程の仲では。でも、当事者にしてしまいそうなのに……」



 パトリシアはそうやって一人で思い悩んだが、結局誰にも伝えずに卒業パーティーを迎えることとなった。そして、あれが起きたのだ。


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