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第三話 生徒会長と留学生・前

 パトリシアとクラウスの出会いは、一年前のことだ。身分を偽りほかの留学生に交じって見たクラウスは、パトリシアにとってあまりにも不思議な存在だった。


 紛れもなく正統な王子であるクラウスは、それにしてはひどく腰が低く優しげな人物で、その身分がなければただの好青年で通っただろう。しかし何とたかだか公爵令嬢風情に馬鹿にされていたり、そのほかにも彼を揶揄う短い歌が流行っていたりとしているのに「あれも娯楽だから」と許していたのだ。しかもその公爵令嬢はクラウスの婚約者だという。絶句するパトリシアに対して、生徒会副会長であるマシュー・ヴァイザーは苦々しい顔で「あの方は優しすぎるので」とだけ言った。クラウス自身が許していても、周りの人々は彼の扱いに対して思うところが多分にあるようだった。


 留学生の世話は、異文化交流の目的から生徒会が主にしてくれていた。しかしパトリシア含め十人の留学生たちは各々得意分野があり、各学科に別々で講義を受けに行っていたのでその学科で友人を作るとその人々と行動を共にするようになった。国の慣例で王女の名は知らずとも、パトリシアが王女であることを知っている彼ら彼女らは始めの内は傍にいようとしてくれたが、パトリシア自身がそれを断ったのだ。交流の意味がなくなるからと指示されればそうするしかなく、留学生たちはそれに従った。


 ではパトリシアも自身の専門学科で友人を作ればよかったのだけれど、何故か何となくそんな雰囲気でなくなってしまった。パトリシアの専門は魔法学だったが、彼女がモナルヒ王立学院で学べるものなど一つもなかったのだ。


 魔法先進国の王女であるパトリシアであれば当然なのだけれど、それを面白く思わなかった者が生徒だけではなく教員の中にも複数おり、パトリシアは初めから立ち回りを間違えたことを自覚した。しかもパトリシアは王女としてではなく、子爵令嬢として留学している。彼女に対して「身分を弁えたらどうか」などという、見当違いな忠告をしてくるような者もそれなりにいたのだ。


 けれど勿論そんな輩ばかりではなく、パトリシアの魔法技術を教えてほしいと近寄ってきては、友人になろうと無邪気に話しかけてくる学生もいた。ただ、そこに何故かクラウスの婚約者であるあの公爵令嬢がやってくるようになってしまったのだ。公爵令嬢は何が気に入らなかったのか、パトリシアに絡むようになり彼女を馬鹿にしたりつまらない嫌がらせをするようになった。


 公爵令嬢本人が嫌がらせ行為をすることもあれば、そのご友人たちが代わってやることもあり、一緒にやってきた留学生はそれに対して激昂していた。パトリシアの傍に控えていた見えない近衛たちも眉を顰め国として抗議することを勧めてきたが、パトリシアは様子を見ることにした。皆にも手は出さないよう伝え、公爵令嬢が何を考えているのか観察しようとしたのだ。決してクラウスの真似事がしたかった訳ではないと、パトリシアは誰に言うでもなく心の中で言い訳をした。


 物を壊されたり汚されたりする程度なら、魔法でどうとでもなる。これも一つの経験かもしれないとパトリシアは思った。ただこの国の人間であれば、あの公爵令嬢に何をされるか分からず事情の説明もできないからと、自分には近寄らないようにとだけ伝えて深く付き合わないように心掛けた。



「やあ、クライネ嬢。最近どうだい?」



 そうやって、クラウスが改めてパトリシアに話しかけたのは留学してから一ヶ月がたった頃だった。それは昼休みの時間で、パトリシアは人気のないベンチに一人座ってのんびりと日向ぼっこをしていたから、驚いて声も出せなかった。



「! ……っ、……!」

「あ、ああ、ごめん。いきなり話しかけてしまって驚かせてしまったかな?」

「……い、いいえ、申し訳ございません、殿下。昨夜読書をしていて、夜更かしをしてしまって、ぼんやりとしていて、あの……」

「いいんだ、落ち着いて」



 慌てすぎたパトリシアは、無意味な言葉を繰り返す自身に若干失望しながらぎゅっと口を噤み、そして深呼吸をする。クラウスの傍にはマシューもおり、何の用なのだとパトリシアは怪訝な顔を隠さずに二人に向き直った。



「お騒がせいたしました。……それで、何かご用でしょうか?」

「学校生活に不便さを感じてはいないかな、と思ってね」

「そうですね、特には」



 パトリシアは、おそらく自身を心配しているクラウスに対して、あっけらかんとそう答えた。性根がひん曲がってそうな公爵令嬢の嫌がらせは面倒ではあったけれど、実際彼女から見れば可愛いらしい程度のもので傷ついてなどいなかった。そもそもパトリシアの目的は、モナルヒ王国の魔法技術の程度を量ることだ。最高学府の教員と生徒の力量が分かればそれでよかったし、その上でわざわざ隠すべき自分たちの裏側も見せてくれているので、それは今後の魔法技術を提供する際の参考になる。信用ならない者に重要な魔法は教えられないのだから、むしろ都合はよかったのだ。


 きっぱりと問題ないと言い切るパトリシアに、クラウスはぽかんと僅かに口を開け、マシューはふっと小さく吹き出した。



「く、くくっ、だから僕が言ったでしょう、クラウス殿下。クライネ嬢は見かけによらず、お強くていらっしゃるようですよと……っ」

「マシュー……!」

「ええ、ですからご心配には及びませんわ。お気にかけてくださり、ありがとうございます」

「……いいや」



 話は終わりだと思っていたパトリシアは、おやと顔を上げた。クラウスは困ったような顔で彼女を見ている。



「隣国から預かっている留学生に対してあのような態度、認められるはずがないんだ。……本来なら、私がやめさせなければいけないのに」



 パトリシアはそれは確かにそうなのだと頷きかけたのを、どうにか止めることに成功した。


 しかし子爵令嬢であるからこそこのような扱いをされるというのであれば、今後の交換留学も慎重にならざるを得ないのだろうと考えてもいた。下位貴族や平民の中にも学問を学びたいと留学に積極的な者もいる。けれど、学問の前には全ての人は平等なのだとうたっているこの学院でもこの程度なら、未来ある若者たちをこの国に預けるのは難しくなっていくだろう。


 多感な時期の子どもたちなのだから多少のトラブルは仕方がないとしても、それは本来地位ある者や教員が仲裁に入るべきだろうにそれができていない。クラウスがぽつりと言ったその言葉は、彼の無力さを表しているようでもあった。



「……殿下、わたくしはヴァイザー様の仰る通りにか弱くはございません。あの……ええと、公爵令嬢様に不愉快な思いをさせてしまい、それは大変申し訳なく……」



 パトリシアは、心にも思っていないことをぺらぺらと舌に乗せて喋った。どうにか、クラウスに笑ってほしいと願ってしまったからだ。彼には暗い顔は似合わない。何故か強く、そう感じたのだ。


 しかしあまり考えずに話し始めてしまったせいで、話が纏まりそうになくしどろもどろになるパトリシアをまたマシューが笑う。



「あははっ、フラヴィア・ゲミュート公爵令嬢ですよ。本当に歯牙にもかけていないんですね」

「……咄嗟に出てこず、あの、いいえ、きちんと存じておりましたわ」

「いえいえ、こちらも安心しました。ね、クラウス殿下」



 くっと、悔しそうにするパトリシアを、またもやマシューが笑った。けれど先程とは違い、クラウスはそれを止めなかった。



「く、ははっ、本当にそうみたいだ。……ありがとう、クライネ嬢」

「いえ……」

「あの、今言うことではないかもしれないんですが、クライネ嬢とクラウス殿下って似ているので、家名ではなくお名前でお呼びしてもよろしいでしょうか? あ、僕もマシューと呼んでください」

「マシュー!」

「何ですか、クラウス殿下。仲間はずれが嫌ならご自分でそう言えばよろしいでしょうに」

「そういう話をしているのではない!」



 じゃれつき合う気安い仲の二人を見ながら、パトリシアはくすりと笑った。王女であるパトリシアの前で、こんなやりとりを見せてくれるような同年代の者はいなかったので新鮮だったのだ。



「ふふっ、ええ、結構ですわ。どうぞ、パトリシアとお呼びください」

「あ、ついでにクラウス殿下もいいですか? 寂しがりなので」

「だから、お前は……!」

「わたくしは構いません。殿下がよろしければ」



 パトリシアがそう言うと、クラウスはぎゅうと口を引き結んだ。断られるかもしれないと思っていたパトリシアは、その反応を少し意外に思いながらクラウスの言葉を待つ。



「……では、私のこともクラウスと」

「まあ、よろしいのですか?」

「この学院は、一応は身分の平等をうたっているから。それにマシューの言う通り、仲間はずれも嫌いなんだ」



 クラウスが照れたようにくしゃりと笑うので、パトリシアは何故か安心した。彼には暗い表情より、こちらの方が似合うと確信ができたからだ。



「では、クラウス様、マシュー様。改めて、留学が終わるまでの期間、よろしくお願いいたします」

「ああ、こちらこそ」

「よろしくお願いします。で、話は変わるんですが、パトリシア嬢は生徒会活動にご興味などございませんか?」

「え?」

「実は、今日はその誘いをする為に君を探していたんだ。これまでも生徒会は初めの内は留学生と関わりが強いけれど、次第に薄くなってしまって交流に積極的に参加できなくなることが多かったから、もしよければと」



 パトリシアはそっと口に手をやり少し考え、すぐに顔を上げた。



「ええ、是非」

「よかった、受けてくれてありがとう。アルメヒティヒ王国のことをもっと詳しく聞きたかったんだ」

「わたくしでよければ、いつでも」

「では、さっそくなんだが、いくつか質問が。アルメヒティヒ王国では生活魔法と呼ばれる魔法が多く活用されていて、小さな子どもでも使えるというのは本当なのかな?」

「ええ、そうですね。例えば――」



 それからパトリシアは生徒会活動を通して、生徒会役員たちとよく一緒に動くようになった。それを見ていた周囲の反応はまちまちで、攻撃的な態度を改める者もいれば逆に媚を売るようになった者も、更に攻撃的になった者もいた。けれどパトリシアからすれば取るに足らないようなことばかりだったので、相手にもしなかった。ただ生徒会役員たちがそれを見つけると、きちんと教員に報告がいき正式に注意をされるようにはなった。……フラヴィアを除いて、の話だったが。


 おそらく、パトリシアを生徒会に引き入れたのはフラヴィアの暴走を監視する為だったのだろう。パトリシアはそれを理解し、それが更なる暴走に繋がる可能性があることも理解した上で生徒会に入ったのだ。その判断は間違っていなかったとパトリシアは胸を張って言える。生徒会の皆と過ごす時間は、彼女が昔から憧れていた同年代の友人同士と過ごすそれであったから。


 ただ問題が一つもなかったかといえば、そうではなかった。恐れていたフラヴィアの暴走が、本当のものとなってしまったのだ。嫌がらせ程度なら問題はなかったが、ある時、フラヴィアは複数人でパトリシアを囲み校舎の裏にある管理の行き届いていない池まで連れて行ったのだ。魔法で姿を隠している近衛たちは焦っていたが、パトリシアは彼らを視線で押しとどめフラヴィアの行動を見ることにした。



「本っ当に、話の分からない方ね。アルメヒティヒ王国では、高位貴族に対する礼儀がなっていないようでお可哀想ですわ」

「それで、何のお話でしょう?」

「……満足に会話もできないのですか、教養もなさそう。こんな子しか送って来れないなんて、さすがは魔法先進国だわ。お得意の魔法以外は何もできないのねえ」



 フラヴィアは口の端をひくりとさせながら、パトリシアをぎろりと睨んだ。しかしパトリシアからしても、ここらで止めておいてほしいと懇願をしたいくらいだった。


 フラヴィアは知らないとはいえ、パトリシアがアルメヒティヒ王国の王女である事実は変わらない。しかも留学生の中には身分を隠した王女がいると、事前に伝えてあるのだ。生徒全員が知らずとも、第二王子の婚約者がそれを知らなかったなどと道理が通らない。つまり、これ以上は確実に外交問題になる。本当は今でさえぎりぎりで、近衛たちの報告を受けているパトリシアの伯母である女王はひどく怒っているのだという。それを娘の意思を尊重したい彼女の母が何とか留めていてくれているのだ。


 そして外交問題となれば、パトリシアやほかの留学生も国に帰らなければいけないし、今後の留学制度も駄目になる可能性が高い。すぐに開戦とはならないだろうが、最悪は戦争となる。戦争は無意味な血が流れ過ぎる。それは、王女として絶対に避けねばならないことだ。……本当はパトリシアが一人で帰ればいいだけなのかもしれないが、それはまだ嫌だった。



「モナルヒ王国では貴族に確かな順位が存在し、下位の者が上位の者に逆らうなどあってはならないことですの。貴女は覚えが悪そうだから、その体に教えてあげますわ」



 そう言って、フラヴィアはどん! と、パトリシアを思いきりに押した。パトリシアの体は簡単に倒れ、藻が張り濁った池に落とされる。その池は浅く、溺れるようなことはなかったが、パトリシアは尻餅をつきどろどろに汚れてしまった。



「うふふ、本当はわたくしもこんなことしたくはなかったのですよ。でもね、言ってきかないなら体罰は有効だと思いますの。だって打てばさすがに分かるでしょう、自分がいかに愚かだったのかって。……すぐに生徒会から身を引きなさい。次はこんなものでは――」

「お前たち何をしている!」

「っ、……ではね、パトリシア・クライネ子爵令嬢。ご自身の立場をきちんと考えて、今後の身の振り方を考えるように」



 クラウスの声を聞き、フラヴィアたちは逃げて行った。逃げたところでどうともならないだろうに、彼女たちは何故この場から逃げれば大丈夫なのだと思えるのだろう。彼女たちが突き落としたのは自国の者ではなく、隣国の留学生なのだ。公爵と子爵の地位の差はあれど、隣国から預かっている者だ。それを害していいと、公爵令嬢が本気で思っているというのがここまでくれば面白い。パトリシアは、その楽しそうな脳内を調べたくなった。


 呆然とするパトリシアの前に、騒ぎを聞きつけたクラウスたちが走ってきた。池に落とされて尻餅をついているパトリシアに驚き、すぐに引き上げようとした。



「あっ、待って、待ってください!」

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