第二話 拍手の主の主張・前
場違いな拍手をしていた人物は、すぐに見つかった。会場で一人だけ、頭を下げていない者だったからだ。その人物に向かって、ゲミュート公爵は顔を真っ赤にしながら指差す。
「貴様! 不敬であるぞ!」
「不敬はお前の方だ、下がれ」
「何者だ、名を名乗れ!」
激昂しそう怒鳴る公爵は、お世辞にも高貴さとは程遠かった。また会場が異様な空気に包まれるが、公爵を止めたのは意外にも国王だった。
「やめよ、公爵! ……何故そこにいらっしゃるのかお聞きしてもよろしいか、アルメヒティヒ女王?」
皆の視線が拍手をしていた人物に集まる。それは平凡なドレスに身を包んでいた淑女だったが、彼女がぽんぽんと肩のあたりを払う仕草をするとたちまちにそれが変わった。淑女のドレスは隣国の伝統的な刺繍の施されたドレスに変わり、その横に控える者たちの衣装も変わった。それらは隣国の近衛兵の衣装だった。
そこに立って目立つように拍手をしたその人は、隣国アルメヒティヒ王国が女王、ブリジット・アルメヒティヒだったのだ。
「何故? この卒業パーティーには、父兄の参加が認められているでしょう。私は姪の父兄として参加していただけです。本来なら、その子の母である私の妹が来る予定だったのだけれど、どこかで軽い熱風邪を貰って来たようでしてね。……こちらへいらっしゃい、パトリシア」
「はい、伯母様」
女王に返事をしたのは、パトリシアだった。視線が一斉に彼女へ移る。パトリシアは分厚い眼鏡を取り、女王がしたようにぽんぽんと肩のあたりを払った。女王と同じく、その装いが変わり彼女も隣国の伝統的な刺繍の施されたドレスを身に着ける。これは隣国では初歩的で簡易的な着替えの魔法だ。アルメヒティヒ王国はモナルヒ王国とは違い、魔法学のみが特出して発展した国だった。
パトリシアは女王の下へ行く前に、誰にも見えないようにそっとクラウスの手に触れた。まるで大丈夫だからと言わんばかりのその仕草に、クラウスの混乱は深まる。
「身分を隠し、この一年間よく勉学に励みましたね」
「お褒めのお言葉、光栄でございます」
言葉少なに微笑み合う二人は、確かによく似ていた。しかしおかしい、パトリシアはクライネ子爵家の娘として留学をしていた筈だ。その彼女が女王の姪であるなどと……。会場にいる人々はまた混乱し、特に学院でのパトリシアを知る人々は開いた口がふさがらないようだった。
何せ、女王の姪は王女であるのだ。王妹が王族に籍を置いたまま産んだ娘であるから、本当にパトリシアが女王の姪であるのなら隣国の法で彼女は隣国の王女だということになる。公爵とフラヴィアの顔色が、どんどんと悪くなっていくがそれは当然のことだろう。国王でさえも拳を強く握りしめ、その動揺を隠そうと必死になっていた。
女王はパトリシアを横につけると、鋭い視線を国王と公爵に送った。
「……我々は『今回の留学生の中に、身分を隠した王女も含まれている』と、事前に伝えておいた筈です。認識阻害の魔道具がききすぎたようですが、それにしても手荒い歓迎をしてくださったようで」
隣国の王族の名前は、成人するまで明かされない。それは魔術的な意味合いや伝統であり、近しい者たち以外からは「王女様」とだけ呼ばれるのだ。未成年の王子や王女が複数いる場合はそこにあだ名がつくが、現在の隣国には未成年の王女は一人だけだった。そしてその王女は今年成人した筈だ。女王がパトリシアのことを公の場で、王女として名で呼んだのもそれで説明がつく。
「じょ、女王陛下! 知らなかったのです! わたくしは、あの……っ!」
「お黙り、小娘。お前の話など聞きとうありません」
思わず騒ぎ出したフラヴィアを、女王は視線で圧倒した。その声は決して大きくなかったのに全ての人に響くようで、フラヴィアは「ひ」と情けない音を漏らして怯え身を縮めた。
「パトリシアからは、いろいろと聞いております。ノートを破られただのペンを捨てられただの、そこらまでなら可愛らしかったですがね。その子に唆された教員が食事中に隣国の者はマナーがなっていないと不可思議な因縁をつけてきたり、無理矢理罰則をつけてきたりと教育者にあるまじき行いをしていたのも知っています。それからパトリシアを囲んで一生懸命に罵詈雑言を叫んだかと思えば、今度はパトリシアから加害を受けたと言ってみたり……。ふふ、あまりの情緒の不安定さに精神状態の異常を疑いました」
愉快そうで、けれど苛立っているような様子でもある女王に、国王はぐと黙り込むしかなかった。国王は、フラヴィアのそれらの行動を知っていたのだ。それこそ、透明な側衛たちから報告を受けていた。知っていて、放置した。子ども同士のいざこざであったけれど、それらは子どもたちだけで解決すべきことだと思っていたからだ。しかし相手が隣国の子爵令嬢でなく、隣国の王女であるなら話が違ってくる。下手をすれば交流や外交の廃止、そして最悪の場合は戦争に発展しかねない。
国王は留学生の中に王女が交ざっていることは知っていたが、さすがに子爵令嬢と偽っているとは思わなかった。高位貴族として留学していた学生もいたので、その中の誰かだとばかり思い込んでいたのだ。脂汗をかきながら、国王はこの場の打開策をいくつも考えた。ここで今までの友好関係を白紙に戻してしまっては、魔法技術の進化が遅れてしまう。隣国アルメヒティヒ王国は、この大陸中に魔法技術や魔道具を輸出している大国だ。逆に言えば魔法特化すぎるが、その技術を欲しがる国は多くそしてどの国もほかの国を出し抜きたくて仕方がない。魔法技術の遅れは、今や国家の衰退すら左右するのだ。
「ああ、でも心配をしなくていいわ。お前が藻が張る汚い池に突き落としたのは、さすがに身代わりです。そういった魔法があるの。さすがにそこまでされてしまっては我々も国として動かねばならなかったから、パトリシアの魔法の実力と咄嗟の判断に感謝なさいね」
さすがに、人々がざわめいた。自国の公爵令嬢が、隣国の王女を池に突き落としたなどと嘘だろうと皆がフラヴィアを一斉に見る。しかしフラヴィアはがくがくと震えるばかりで、反論はしない。その姿に、皆はそれが事実であることを理解した。よくよく観察すれば、ほかにも複数の令嬢や令息、教員たちの顔が青ざめている。彼らはおそらく、フラヴィアと共にパトリシアに害を加えた自覚がある者たちなのだろう。
「ですが、まあ、モナルヒ国王。我々としても学術の国である貴国の学院に、今後も留学生を送りたいのは事実です。異国で生活をし様々な学問を知った者たちは、国内にい続ける者たちとは違った視点を持つこともある。そしてそれは我が国にとってよいことでした。……しかし子爵令嬢と思っていたとはいえ、我が国の子どもを蔑ろにされるような学院に未成年の学生たちを留まらせるのは不安しかありませんね?」
「……此度の件、心よりおわび申し上げる。今後このようなことが起きないよう、再発防止を――」
「それは当然のことで、それ以上を私は女王として望みます。それについては後日、きちんとお話をいたしましょう。そしてパトリシアの父兄としては、そちらの公爵殿とご息女に賠償を求めます。ほかにもいるようですが、まあこの場ではとりあえずということで」
すっかり顔の色をなくした公爵とフラヴィアは、揃って震えあがった。そんな彼らに、味方は一人もいなかった。
「ゲミュート公爵、貴殿はお子を育てるのがあまりにも下手なようです。まあしかし親子は似るというから、貴殿自身が下位貴族には好き勝手してよいというご教育を?」
「そ、れは、そのようなことは……っ」
「ですが、パトリシアが偽りの通りに子爵令嬢であった場合、そのまま放置していたのでしょう?」
「は、いや、その……」
「随分と素晴らしいお考えをお持ちだ。貴殿の領民が哀れで仕方ない。ああそういえば宰相をなさっておいででしたね。国民全員が憐れみの対象かもしれないわ。……とりあえず、貴殿の誠意ある謝罪と賠償を求めます。私が納得できるものをひと月で用意するように。異論も遅れも許しません、いいですね」
「かっ、畏まりました」
公爵に相応しい上等な衣装は、冷や汗でびっしょりと濡れて色を変えていた。それだけ女王の威圧感はすさまじいものだった。しかし女王はそれだけでは満足しない。彼女は公爵と息女に賠償を求めると言ったのだ。
「フラヴィア・ゲミュート、こちらに」
呼びつけられたフラヴィアはびくりと震え、父公爵に視線で助けを求める。けれど公爵は勢いよくと首を振り、娘に早く行けと促すだけだった。誰も助けてくれない絶望を感じながら、フラヴィアは震えたままで女王の前に立った。
「じょ、女王陛下、あの……」
「膝と額を地につけて、許しを乞え」
「……え」
「何を驚いているの? お前が、パトリシアに吐いたセリフでしょう? この国の透明な側衛たちの魔法技術は、我が国が提供したものです。王女であるパトリシアにつけていない訳がないでしょう。ふふ、パトリシアが上手く切り抜けたからお前の首は繋がっているのです。そうですね、許しではなく感謝をなさい。パトリシアに対して、膝と額を地につけて」
それは奴隷の許しの乞い方だった。この大陸では非人道的だと数十年前に廃止された奴隷制度だが、昔の確かに存在した奴隷たちは膝と額を地面に擦りつけて所有者への忠誠を示し許しを乞うたのだ。それを女王は、この人だかりの前で公爵令嬢にせよと言う。あまりのことにフラヴィアは言葉を失くしたが、けれどそれが彼女の罪だった。やはり彼女を助ける者は現れなかった。
フラヴィアはよろよろとパトリシアの前に立ち、そっと膝と額をつけてか細い声で感謝を述べた。パトリシアにさえ聞こえない声であったが、女王はやっと笑顔を取りもどす。逆にパトリシアは、表情を動かさないままでフラヴィアを見下ろしていた。
「そうです、よくできましたね、フラヴィア嬢。立ちなさい、次があるでしょう?」
「つ、次、でございますか……?」
「そう、だって貴女、我が国から送ったほかの留学生にもひどい言葉を吐いたのでしょう。そのほかに、自国の下位貴族や平民にもひどい態度だったと聞いています。これはいうなれば禊だわ。全員に謝って来なさい。パトリシアにしたように、膝と額を地につけて」
「女王陛下、わ、わたくしは、公爵家の娘で……」
「だから?」
だから、と問われてフラヴィアは固まり、やはりか細く「いいえ」と答えた。
「さ、ここはもういいわ。早く行きなさい、全員ですよ」
「はぃ……」




