エピジェネティクス
「乙です」
ゲームチャット欄にコメントして、野暮今一はログオフした。
味方との連携はバッチリ、KDのアベレージも上昇。この成績なら良い一日と言える。
しかし、寝床に入ってから知らずに深い溜息が出た。
激しいパワハラに耐えかねて会社を退職し、実家の一室に居候を始めて早一年半。退職直前に同僚の自殺を目の当たりにしてから、何もかも嫌になってしまった。
両親と妹は口にこそ出さないが、僕を疎ましく思っているようだ。38歳の男が、深夜のネットゲーム以外に何もしないようでは、それも無理はない。逆の立場なら、僕もそう思うだろう。
だが、どうしても家を出て行く気になれなかった。情けない事に、人と接するのが恐かったのだ。
身体の変化に気がついたのは、桜の散る季節だったと思う。
家人が寝静まった頃、いつものようにゲーム参戦前の禊と称して、シャワーを浴びていた僕は、鏡に映る鼻に違和感を覚えた。
なんだか、心もち高くなったように見える。
「変だな」
まあ、いいか。低いより高い方がいいもんな。
しかし、異変はそれで終わらなかった。
翌日の夜、明らかに顔色が悪くなっていた。
「青白い、というより・・・」
緑色だよね。これは。
死ぬかもしれないと思ったが、悲しくはなかった。むしろこれで、楽になれるとさえ感じた。僕のネガティブ思考は筋金入りである。
その晩は「これが最後になっても後悔しない」ようにと、全身全霊でゲームに没頭した。
我ながら、救いようのないバカである。地球最後の日でも、きっと僕は変わらないだろうな。
「ファントム氏、神プレイでしたね」
ゲーム仲間の石仮面キラー氏が、チャットで僕を褒め讃えた。赤い彗星ファントムというのが、僕のハンドルネームだ。外に出るのは恐い僕だが、ネット上では恐いものなし。ついでに恥も知らない。
「たまたまです。それにしても今日は参戦者が少ないですね」
「流行っている病気のせいかな」
「病気?」
「あれ、知らないんですか?」
石仮面キラー氏によると、先週から伝染病らしき症状の人が、国内で続出しているという。
ゲームしか興味のない僕には、寝耳に水だった。
「容貌の変化を引き起こすみたいです。最初の患者は、半年前にアフリカで発見されたとか。ググればいろいろ出てきますよ」
全く知らなかった。
どう変わるのかと言えば、鼻が伸びて、肌は緑色になり、体毛が抜け落ちるのだとか。最終的には、西洋の童話に出て来る小鬼そっくりの姿になるという。その病気が日本にも上陸したのだ。
「なんかの冗談・・・」
「ではありませんよ」
「あ、そうですか。感染経路とか、どうなってるんでしょう?」
「今のところ全く不明。治療方法も見つかっていません」
嫌な予感がした。
ここ数日、僕の鼻は不自然に腫れ上がっている。肌の色も悪くなっている。痛みも不快感も無いというのが、かえって不気味だった。
しかし、家から一歩も出ない自分が、伝染病に感染するわけはない。一度はそう思ったが、家族が病原菌を持ち込むことも有り得る。
「ファントム氏、そろそろ参戦しませんか」
「・・・りょ」
明け方に参戦を終えて、僕は病気のことを調べた。
十センチを超える尖った鼻と、緑色の皮膚を持つ人間が、世界中で発生しているらしい。
後天性遺伝子不全症候群G1型、という正式な病名がついている。通称は小鬼病。患者は見た目の恐ろしさ故に、ひどい迫害を受けることも珍しくないらしい。
アフリカでは全人口の二割が小鬼病にかかり、パンデミック状態にあった。ヨーロッパは南部を中心にパニックの只中。北アメリカとアジアは、比較的出現が遅れているようだ。
症状の進み方は早い人で三週間、遅くても半年で完全変態(そう呼ぶのだそうだ)するらしい。
僕は鏡を見て、溜息をついた。鼻の高さは、既に五センチを超えている。
いや、一歩も外に出ていないのだから、小鬼病ではないかもしれない。それでも、この姿を見せれば両親は驚くことだろう。
ちょっと待て。
僕がこうなっているのだから、家族も同じ症状を抱えている可能性がある。そこに気がついて、愕然とした。
どうすればいい。そもそも何故、どこから感染したのだろう。
しばし悩んで、僕はとりあえず静観することを選んだ。自分には何もできそうにないと思えたからだ。いかにも僕らしい判断である。
そうしている間にも、僕の容姿は確実に小鬼へ近づいていた。
ちょっとやそっとでは言い表せない、相当な葛藤が続いていたわけだが、それは割愛する。世界各地で虐待される小鬼病患者に比べたら、家の中でひっそりと暮らす僕の悩みなど、ささいなことに思えた。
世界を不幸のどん底に陥れた小鬼病にも、一つだけ良い面があった。小鬼特有の緑は、葉緑体由来だったのだ。つまり光さえあれば光合成ができる。夜間、自室でLEDの光を受け続ける僕は、空腹を感じなくなった。冷蔵庫を漁る必要もなくなり、家族への負い目が少し減って、心穏やかに引きこもりを続けた。
「ファントム氏、ここしばらく神プレイばかりですね。何かありましたか?」
石仮面キラー氏の言う通り、僕の戦績は著しく向上していた。調子が良い時には、被撃破ゼロという日もあるくらいだ。
ただ、それは偶然だと思っていた。
「いや、特に何も・・・」
「とぼけないで。これほどの戦果を上げられるのは、あなたが小鬼だからでしょう」
「・・・」
チャットを打つ手が止まった。
僕が小鬼であることは確かだ。今や疑いようもない。
しかし、なぜ知っているのだ。ゲームと何の関係があるのだろう。
「どうして、そう思ったの?」
「簡単な推理ですよ。今日のファントム氏は、十二戦して一戦平均73撃破。それに対して被撃破は1未満。普通の人間には、有り得ない戦績です」
そう言われてランキングを確認してみると、堂々の月間一位に輝いていた。戦績データ詳細は、石仮面キラー氏の言う通りだ。
すごい。自分のデータとは思えない。
ここは嬉しいと言いたいところだが、実はそうでもない。さすがに能天気な僕でも、小鬼病の症状が顕著になってからは、ゲームの成績など、もうどうでもよくなっていた。
「ファントム氏、聞いてますか?」
「はい」
「小鬼になったと言いづらいのは、なんとなくわかります」
わかるもんか、と僕は内心で毒を吐いた。
「けど、小鬼の知性は現生人類を大きく上回っていると、データが証明しているのですから、恥じることはありません」
「ええ?」
石仮面氏の話は、とても興味深いものだった。
容貌が大きく変わってしまった小鬼病の人達は、職場で、学校で、あらゆるシーンで窓際に追いやられた。
理由は明確である。
普通の人々曰く、恐い、キモい、近寄りたくない、ということだ。とほほ・・・。
残念ながら、その気持ちは僕にもわかる。鏡に映った自分の姿に慣れるまで、僕自身が何週間もかかったほどだから。
差別を受けて怒った小鬼達は、仕事と見た目は関係がないと、強く抗議した。
もっともである。それに、好きでこうなったわけではない。これは病気なのだ。誰にでも起こり得る不運なのだ。
一方、普通の人達は「これだけ見た目が変われば、別の生き物だ。凶暴性がないと言えるのか」と反論した。悲しいかな、どちらの言う事にも一理あると、僕は思ってしまう。
間もなく、働く小鬼には、例外なく適性試験が課せられることになった。知能、心理の両テストで社会適合性に問題が無い事を証明すべしという通達が、日本政府から出たのだ。こんな時だけ、政府の対応は早い。
ひどい言いがかりだが、小鬼達はこれを呑んだ。下手に逆らえば、他の国々で頻発していた小鬼狩りが、日本国内でも起こりかねない。
そして行われた適性試験で、小鬼は「平和的かつ高い知性を持つ」という意外な結果が出たのだ。
「テストは先月から始まりました。小鬼の平均知能指数は146だとか」
「それって高いの?」
「とっても。旧人類なら千人に一人の数値です」
「へええ・・・」
ピンと来ない。なんだか嘘みたいな話だ。
「ところで旧人類って言い方はどうなの?」
「今は小鬼が新種で、普通の人間は旧種とか旧人類って言われてますね。少なくともネット上では」
ちょっと信じられない。後で確かめよう。
「余計なお世話かもしれませんけど、もう少しニュースを見てはいかが? 世界中で小鬼のことを議論していますよ。その様子だと、新しい種族が生まれたのも知らないでしょう」
「うん、知らない」
恥ずかしながら、僕はあらゆる意味で引きこもりです。生きてさえいれば、それで十分。
「北緯43度線を境に、北方種と言われる種族が生まれたんです」
その一つが人狼種である。褐色の毛で体表面の80%が覆われ、平均身長は2メートル、体重は200キロを超える。強靭な体躯と運動能力は、旧人類を遥かに超えたレベルにある。
もう一つは吸血鬼種。紙のような白皙に金色の瞳。紫外線に弱く、主として夜間に活動する彼らは、極めて繊細な五感を持ち、色彩感覚や音感に優れているという。
「人狼に吸血鬼ですか」
「はい」
「からかっているとか・・・」
「検索すれば、すぐに分かりますよ。友人を信じなさい」
「はい。・・・いやあ、何と言うか、びっくりしたなあ。それしても、人狼って名前はどうなの?」
「外見で決めた名前でしょうね。最近になって妖精と呼ばれる新種族も発見されたとか」
「はあ・・・」
唖然とさせられた。青天の霹靂、まさに驚天動地である。
「だけど、なぜ急にこんなことが起きたのか、調査は進んでいるの?」
「少しずつ」
「はあ、少しですか」
「至る所で大混乱が起こりましたからね。調査が遅れるのも、無理はないですよ」
なんとなく、それは僕にも想像がつく。突然、隣人が人狼になったら・・・てんやわんやだろうな。
「どの種族も、固有の血中ウィルスを持っているようです。ただし伝染病ではなく、突然変異、もしくは遺伝子活性化によるもの、という説が有力です」
「遺伝子、活性化?」
「そう。人間は全ゲノムの1.5%しか使っていません。日常生活は、それで足りているんです。残り98.5%は、殆ど解析が進んでいません」
「そうなの?」
全く知らなかった。
「エピジェネティクスという言葉はご存知?」
「全然。聞いたことも無い」
僕は石仮面キラー氏の博識に、少なからず驚いていた。
「ゲノムの大半は休眠させられています。その仕組みをエピジェネティクスと呼びます。もし何かのきっかけで、太古から休眠していたゲノムが目覚めたら、どうなるでしょうね」
「それは・・・もしやそれが?」
小鬼は人のゲノムから生まれた、というのか。
「人間の引き起こす環境汚染は、数百年で地球を大きく変えました。数百年は長いようでいて、進化のスピードから見れば一瞬です」
確かに。
「急激な環境変化に対応するため、ゲノムがエピジェネティクスの扉を開き、新たな種族が生まれた、というのが最新の学説です」
「へええ・・・石仮面キラー氏、随分詳しいね」
僕は内心で舌を巻いていた。まるで、その道の専門家だ。
「WHOは、今後数年で新種族の割合が60%を超えると予測しています。もう、この流れは止められないでしょう」
信じられない。
そんなに多くの人が別の人種になったら、世界はどうなるのだろう。
僕はしばし茫然としていたらしい。画面の文字を見て、チャット中だと思い出した。
「ファントム氏、大丈夫ですか?」
「あ、ごめん。考え事」
「毎晩ゲームをしている僕が言うのも変ですけど、たまには外に出て、小鬼のコミュニティに参加してみるのも悪くないと思います」
「それ、なんですか?」
「新しい種族になった人々が、日常の問題や悩みを相談できる場所です。サイトもあります」
他ならぬ石仮面氏の勧めだ。間違いはあるまい。
僕は興味をそそられ、集会所の住所とURLを教えてもらった。
しかし、2年以上も自宅から出ていない僕にとって、外出はハードルが高い。とりあえずサイトを見学しよう。そうしよう。
トップページはスペースコロニーを背景に「新人類」という文字が躍っていた。その下に「君は、生き延びることが、出来るぜ」と書かれている。思わず苦笑が漏れた。
画面中央でアカウントとパスワードを要求している。どうやら会員制らしい。初めての方はこちら、というメニューをクリックすると、サイトの主旨に同意するか否かを訊かれた。
(最初に心理テスト、知能テストの実施に同意いただける方のみ、次へお進みください。テストの内容は定められた法令「新人類の適性試験方針」に基づいております)
一時、是非が問われた小鬼用のテストだ。所要時間は1時間。
僕は一通りのテストを終えて、アカウントを登録した。
さっそくログインすると、メッセージが表示された。
(ようこそ、赤い彗星ファントム様。あなたの人種は「小鬼」と判定されました。
1987142502人目のお客様です)
「よく小鬼だとわかったな。それに、すごいアクセス数だ。いち、じゅう、ひゃく・・・19億?」
日本語サイトにしては、利用者が多すぎる。
(新規登録の方へ。本サイトでは参加者の善意により、あらゆるサポートが受けられます。基本的にSNSとお考えください。)
利用者参加型の提供サービスだからマナーに気をつけてね、くらいの意味か。
暮らし、仕事、子育て、恋愛、趣味などの文字が並んでいた。
試しに「仕事」をクリックしてみよう。
(小鬼に最適なお仕事をご紹介します。
温和で少し内向的、IQ(知能指数)163の貴方は、あらゆる技術職、事務職に適性があります)
IQの数値はよくわからないが、性格はズバリ当たっている。少しではなく激しく内向的なのだが、そこはまあ置いておこう。
♪ピコン
新着メッセージとフレンド申請があります、というガイドアイコンが右上に出た。アイコンをクリックすると、美少女アバターが音声と字幕で話しかけてきた。
「ようこそ、ファントム氏。待ってたよ」
やけに馴れ馴れしい。
「あの、どちら様でしたっけ」
「石仮面キラーです」
「おお、君か。どうしてわかった?」
「検索したら、すぐにヒットしたよ。汎用MSオンラインゲームと、同じアカウント名だからね。アバターで属性もわかる。もしやキミじゃないかと思って」
僕のアバターは小鬼が設定されていた。テストで入力した国籍や氏名などが、マウスオーバーでバルーン表示される。個人情報が筒抜けじゃないか。ちょっとこわい。
「ところで、このサイトはいつからあるの?」
「三か月前」
思ったより新しかった。
「ここは世界中で利用されている。プロバイダー国籍とテスト結果から、自動的に言語判定してくれるみたい」
「なるほど」
それで二十億近いアクセスがあったのだ。
「僕はここで仕事を見つけたんだ。AIが適性を判定してくれる。だからファントム氏にも勧めたってわけ」
そうだったのか。
「ありがとう」
いつまでも引きこもりは続けられない。それをわかっていても、止められない自分の弱さに苦しみ、半ばあきらめてもいた。石仮面氏も、たぶん同じような境遇にあるのだろう。
「いつもゲームでは背中を預けているんだもの。ほんの御礼さ。僕は引きこもりが十年続いた。言うまでもないけど、抜け出せるなら早い方がいい」
その言葉に、思わずホロリとしてしまった。
僕は家族からも、半ば見捨てられた存在だ。社会の底辺で、かろうじて息をしているだけ。そんな僕を、気遣ってくれる人がいた。
「ありがとう。本当にうれしい」
「こちらこそ。いつも話し相手になってくれて、ありがとう。じゃ、そろそろ仕事に行くよ。今晩、参戦予定ある?」
「ああ、必ず参戦する」
僕はしばらくの間、じっとしていた。友と呼べる人が出来たことに驚き、戸惑い、喜びを噛みしめながら。
翌週から、僕は働き始めた。
テストの結果と適性を見た企業から、「ニュータイプ」経由で採用案内が届いたのだ。その数は、なんと五十二社もあった。これには僕自身が一番驚いた。その中から在宅でもよいと返事をくれた会社の一つと雇用契約を結び、システム開発のサポートをしている。過分な給与を提示され、総合的なシステムアドバイザーを任された。ひょっとして管理職相当では?
ダメ元で引き受けた久しぶりの仕事は、不思議なほどスムースに進んでいる。なんだか急に頭が良くなったと錯覚をしそうなほどだ。狐につままれた気分、とでも言えばいいかな。
最初の給料日、僕はそっくり全額を両親の口座へ送金した。とりあえず、今の僕にできる精いっぱいだと思って。まだまだ足りないのは、よく分かっている。これからゆっくり返してゆこう。
数日後の深夜、参戦前の禊を済ませて部屋に戻る時、後ろから声をかけられた。
「きんいち?」
久しぶりに聞く母の声だ。僕は足を止めて、声に背中を向けたまま、じっとしていた。
「元気かい?」
「・・・うん」
「お前、あれは何のお金?」
「あれって・・・?」
「うちの口座に振り込んでくれたでしょう」
「就職したんだ。だから生活費を・・・」
「お前、働いてるの?」
「うん」
小さなため息が聞こえた。安堵する顔が見えるようだった。
「うちのことは気にしないで、お金は自分のために貯金しておきなさい。たまには一緒にご飯を食べない?」
「うん・・・そのうち」
僕はそれ以上何も言えず、足早に自分の部屋へ戻った。会話をしたのは、たぶん3年振りだ。つるりと禿げ上がった緑色の頭部を見たはずだが、母親は何も言わなかった。
小鬼病がアフリカで発生して一年余り、世界は人種的シンギュラリティーを迎えたと言って良い。
今やホワイトカラーの重要ポストは、小鬼がその多くを占めるほどになっていた。小鬼のいない企業は遠からず衰退する、とまで言われている。
人狼は、旧人類5人に相当する体力を武器に、あらゆるスポーツと肉体労働職へ進出している。男子100メートルの世界記録が、4秒台に入るのも時間の問題だろう。
絵画、音楽などの芸術分野は、吸血鬼の独壇場であった。今年のショパンコンクールは、一次審査通過者、37人中35人を吸血鬼が占めている。旧人類は二次審査で姿を消してしまった。
数少ない妖精種は、二次元アイドル的とも言われる美しい容姿を武器に、世界中の映像コンテンツを席巻していた。その多くは、パステルカラーの髪と瞳を持つ女性である。男性には絶大な人気を誇るが、女性旧人類の意見は、「非現実的」と「理想的」とで二分していた。
新人類と呼ばれる新しい人種は、世界各地で日々増加し、全人口の半数に届かんとしている。最初の小鬼が発見されてから、わずか十五カ月の劇的ビフォーアフターであった。
世界各地で新人類が増えるにつれて、旧人類の不満は、確実に蓄積されていった。数的優位にあぐらをかいている間に、能力も賃金も地位も名誉も、新人類が奪ってしまったのだから。
融和を説くべき立場のアメリカ大統領が、「新人類は人間か?」とツィートしたことが、ネット上で物議を醸していた。国のトップがそうなのだから、他は推して知るべしである。
北アメリカとヨーロッパでは、新人類に職を奪われたと訴える白人低所得者層が、大規模なデモを続けている。
小さな争いは、どの国にも数えきれないほどあった。
しかしながら、人狼のような大型種でさえ、自分から騒ぎを起こすのは稀である。火種は常に旧人類側にあるのだった。
そうした差別と排斥が、争いを好まない新人類を、安全な国へと向かわせている。
人種に比較的寛容な日本において、「北緯43度線付近は最も差別の少ない地域」だという噂が広がり、近隣都市周辺は人種のるつぼと化していた。新種族の大移動である。
追い詰められたかに見える移住者には、従来の移民と異なる点があった。貧民が少なく、人材が豊富なのだ。
小鬼を中心とする移住者のリーダーたちは、地域住民からの反発を予想し、画期的な回避策を打った。従来の街とは全く別に、人の住まない山間部へ、新たな市街地を形成したのである。「パラディーゾ」と呼ばれる街は、近未来的な独自の循環インフラを備え、再生可能エネルギーだけで運営されていた。犯罪発生率は、旧人類市街の1%に満たないというデータもある。
周辺都市は、豊かな移住者の恩恵を受けて、共に繁栄の道を歩みだしていた。最近は未来都市の手本として、世界中から「パラディーゾ」を見学に訪れる人が絶えない。移民の創り上げた街並みは、多様でありながら整然として、実に美しかった。
日本の北端が新人類景気に沸いていた頃、アメリカでは旧人類の復権を目指して、政府首脳が対策を練っていた。先進国は、主要ポストの多くを、旧人類が占めている。
大統領が首席補佐官に問うた。
「ジャック。キミは、新人類を駆逐すべきと、そう言うのかね」
「はい」
「しかし、優秀な人材も多いがな・・・」
典型的なWASPである首席補佐官は、青い双眸でひたと大統領を見つめた。
「彼らは我々の予想を超えています。日本の北端にできた新人類の街は、コミュニティやネットのセキュリティが固く、NSAも手が出せない。これは安全保障上、極めて重大な問題です」
「それで、スパイを送り込もうと?」
「はい。諜報活動ができなくては、何もかも後手に回ります。もし彼らが、新型の武器開発でもしていたら、こちらの立場が危うくなります」
「ううむ。それもそうだな」
「ご安心を。こういう時のために、前大統領の時代から秘密裏に開発してきた、とっておきの手段があるのです」
ジャックは、ニヤリと笑った。
アメリカ政府は、閉域LAN内のスーパーコンピューターで進化を続けるAIと、新人類型のアンドロイドをリンクさせて日本の市街地に放ち、諜報活動をさせようとしていた。特殊訓練された人間を遥かに凌駕する、スーパーエージェントだ。
3Dビジョンの一点を指して、ジャックは言った。
「日本の北緯43度線。ここは世界中の新人類にとって、重要な活動拠点だと思われます」
旧人類のトップから見て、新人類の台頭は看過できないレベルに達しつつある。自分達を脅かす勢力は、どんな手を使ってでも潰す必要があった。それが同盟国領土内であろうともだ。
人間もどきには、絶対に負けない。
地球の盟主には、我々アメリカこそがふさわしい。
「ファントム氏、久しぶり」
「どうも。石仮面キラー氏も元気そうでなにより」
「新しい仕事はどう?」
「お陰様で続いてる。そっちも忙しいみたいだね」
「うん。不定休って意外と厳しい。あんまり参戦できない」
僕は就職してから、ゲームの時間が減っている。
在宅の仕事とはいえ、他のスタッフと同じ日中に働く方が、何かと都合が良かった。それは石仮面氏も同様らしい。こうして考えると、数か月前まで毎晩参戦していたのが嘘みたいだ。
「今週末、仕事でそっちへ行くことになった」
「あ、そうなの?」
「うん。もしよかったら会えないかな」
「いいよ。あ、でも・・・」
まだ僕は外に出ることも、人に会うことも苦手だ。
石仮面氏は、すぐに僕の気持ちを察したようだった。そこは引きこもり仲間である。相通ずるものがあるのだろう。
「近くに世界最大の小鬼街があるよ。多人種の集まる場所なら、いいんじゃない?」
そうか。そこなら僕も目立たない、かもしれない。
「そうだね。石仮面氏を見習って、少し外へ出ようか」
「じゃ、決まり」
チャットを終えて、僕は溜息をついた。
旧人類の頃は「キモオタ」と蔑まれ、今は醜い小鬼の姿だ。外に出たとたん、心無い中傷に晒される自分が容易に想像できる。考えただけで、少々鬱になる。
でも、たった一人の友達で、恩人の石仮面キラー氏が誘ってくれたのだ。これはもう、頑張るしかない。
何を話そう。
どんな人だろう。
ネガティブな妄想を上回る期待と興奮で、僕は眠りが浅くなるほどふわふわしていた。
札幌の東南方面に、世界中から新人類が移住して出来た未来都市がある。その中心部に、直径一キロを超える全天候型クリアドームが竣工したのは、先月末のことだった。中心の広場には小鬼、吸血鬼、人狼、妖精、旧人類の寄り添う銅像が据えられている。
ドームの中は、あらゆる人種でごった返し、熱気と人いきれとでクラクラするほどだ。
「緑、緑・・・」
僕は緑色の服を探して、右往左往していた。
あえて顔を知らせず、服の色を目印にして、お互いを探そうと石仮面氏が提案したのだった。面白そうだと、僕は喜んで同意した。
「あ、緑のジャケット」
見つけた。渋めのモスグリーンだ。他に緑色の服は見当たらなかった。
背が高く、髪はアメジストのような紫のショートカット、下はスカートである。女性だ。
この人が、石仮面キラー氏?
いや、そんなはずはない。
他に緑の色が見えないかと、僕は何度も辺りを見回した。だが、見当たらない。約束の時刻は過ぎている。
もし間違いなら、謝ればいい。
そう思い、おそるおそる近づいて、僕は声を掛けた。
「あのう・・・ファントムです。もしもし、石仮面キラーさん?」
振り向いた女性は、髪と同じ紫色の瞳を持っていた。エルフだ。初めて見た。
「何か?」
「あ、ファントムです」
その時、後ろから嘲りの声が聞こえた。
「ひゃー見ろよ。小鬼がナンパしてるぜ」
「うわ、キモ」
「お前は引っ込んでろ」
僕は肩を強く押された。
「彼女は俺たちが相手をしてやる」
若い男性旧人類だった。三人ともスキンヘッドに揃いの刺青を入れ、迷彩服を着ている。新人類を敵視する団体のメンバーであろうと、想像がついた。
こんなことがあるかもしれないと、事前に対処方法まで考えていたのに、僕は足が竦んで動けなかった。
体格の良いリーダーと思しき男が恫喝した。
「おい、消えろっての。化け物め」
恐い。
震えながら、それでも僕は前に出た。心臓が口から飛び出しそうだ。
やっぱり逃げ出したい。
でも、ここで逃げたら一生後悔する。
「ナンパじゃありません。この人と待ち合わせを・・・」
必死に声を振り絞った僕の前に、紫のエルフが割り込んだ。
「あ、石仮面氏・・・」
「お嬢さん、わかってるね。俺たちの方がいいよな」
男が彼女の腕を引いて歩き出そうとした時、三人の顔色が変わった。僕たちの周囲には数十人の新人類が集まっていたのだ。
身長二メートルを超える人狼が、三人の行く手に立ちふさがった。
「どけ。お前らに用はない」
虫でも追うようにして、旧人類の男は手を振ったが、威勢の良い言葉とは裏腹に腰が引けている。
人狼は一歩前へ出た。
その時だ。
険悪な雰囲気にそぐわない、涼やかな声が辺りに響いた。
「あなたに、ひとつ伺ってもいいですか?」
声の主は紫のエルフだった。
「なんだよ」
油断なく人狼をにらみながら、男はチラリとエルフを見た。
「こちらにいる小鬼の男性を罵倒しましたね。なぜですか?」
「はあ?」
訝し気にエルフを見て、男は言った。
「何が罵倒だ。そいつは人間じゃねえ。お前も同じだぜ。その尖った耳はなんだ」
化け物めと捨て台詞を吐いたリーダーの男は、顎をしゃくって他の二人を促し、その場からいなくなった。
集まっていた人々は、すぐに思い思いの方向へ歩き出し、広場はもとの平穏を取り戻した。
気がつけば、僕は手に汗をかき、茫然と立ち尽くしていた。かなり緊張していたようだ。情けないことに、何もできなかった。
がっくりと肩を落とした僕は、その場にしゃがみ込んでしまった。
「ファントム氏」
ここでその名前を呼ぶのは、石仮面キラー氏に違いない。
我に返った僕は、離れて行く人々の中に声の主を探した。
「ここだよ」
ふいに、エメラルドグリーンのワンピースが目に入った。同じ色の長い髪に、同じ色の大きな瞳。
「ええと、あの、キミが、石仮面、キラー氏?」
「そう。リアルでは初めまして、だね」
スラリとしたエルフの女性は、僕の右手を取って握手をした。
「遅刻しちゃって、ごめんね。びっくりしたよ。少し遅れたから慌てて来てみれば、なんだか騒ぎになってるし。大丈夫?」
澄んだ双眸が僕を見ていた。
「あ、うん・・・なんとか」
僕は石仮面氏を凝視したまま、動けなかった。エルフだ。しかも、とんでもなく美人だ。
「ちょっと、よろしいですか?」
声に振り向くと、紫のエルフが、まだそこにいた。
「はい?」
「教えてください。罵倒されたのに、あなたはなぜ黙っていたのですか?」
「ああ、それは・・・」
恐くて言い返せなかったのだ。それに、化け物と言われることを、心のどこかで肯定する自分もいた。
ありのままを伝えようと、僕は口を開きかけた。
だが、僕が答える前に、石仮面氏は腰に手を当てて誇らしげに言った。
「それはね、ファントム氏が優しいから」
「優しい、から?」
彼女は首をかしげた。
「あなたにもわかるはずよ。エルフでしょう?」
「わかりません」
「あらそう。まだ覚醒していないのね。じゃあ、これならわかる?」
石仮面氏は、紫のエルフを抱きしめた。
「あ・・・」
エルフの面差しが驚愕に変わった。眼を大きく開いて、虚空を見据えている。
「わかった? じゃあ、私たちはこれで失礼するわね。さあ、ファントム氏、行くよ!」
広場から遠ざかるエメラルドグリーンの後姿が見えなくなるまで、紫のエルフは立ち尽くしていた。
「これが、新人類・・・」
エルフ型アンドロイドがもたらした情報を元に、AIは旧人類の存続における重要リスクと、今後の行動方針を再計算した。
環境汚染、人口増加、戦争など、様々な観点から導き出された最初の施策は、大量破壊兵器とその保有国の処分だった。環境の保全と人種の調和こそが、旧人類の未来を担保する。それを脅かすのは、同じ旧人類の好戦的種族に違いないと、AIは結論を出したのだ。
間もなく二つの超大国を皮切りに、核保有国の殲滅作戦が実行される。
物理的手段を得て外に出たAIが、ネットを掌握し、独自に情報を収集すると予想しなかったアメリカは、自らを死地に追いやってしまった。
石仮面氏が「仕事を辞めたの」とやって来たのは、クリアドームで会ってから4か月後だった。
初めて僕の家に来た彼女は、人狼の姿に変わった母と妹を見ても、全く意に介せず、明るく挨拶をしてくれた。
「初めまして。きんいちさんには、いつもお世話になっております」
母と妹は、彼女を見て大いに驚いた。
それはそうだろう。エルフは希少種だから、むやみやたらに会えるものではない。
「兄貴、彼女が誰なのか知ってる?」
「石仮面キラー氏だよ」
「なに言ってんの?」
彼女は有名なアイドルグループの主要メンバーなのだと、妹は教えてくれた。この時点で、既に引退していたのだけれど。
「へえ・・・」
「へえ、じゃないよ。大変だ」
妹はサインをもらうのだと、色紙を買いに走った。
その後も、石仮面氏はちょくちょく家に来る。先週に続いて今日も来た。これで5回目だ。
「また来たよ。ファントム氏に会いたくて」
「あ、それはどうも・・・」
嬉しいけれど、僕は下を向いた。まだ自分が化け物だという思い込みから、抜け出せていない。
人形のような彼女の横顔を見ているうちに、初めて会った時のことを思い出した。
「クリアドームの中央広場で、紫色のエルフと会ったこと、覚えてる?」
「うん」
「あの時、エルフならわかるはずって言ったよね」
「そうだったかな」
「言ったよ」
彼女は少し間をおいた。
僕をチラリと見て、小さく息をついた。
「仕方ない。他言無用ね」
「わかった」
「新人類には、どの種も固有の能力があるでしょう」
「そうだね」
「エルフには、言語を介さずに、情報を共有する力がある」
意味がわからなかった。首をかしげる僕に、石仮面氏は続けて言った。
「昔なら、テレパシーと言ったのかも」
「テレパシー・・・」
石仮面氏はテレパシーについて、それ以上詳しく語ろうとはしなかったし、僕もあえて聞かなかった。おそらく説明されても理解できないだろう。
「だからね、僕にはファントム氏がいい人だってわかる。あ、誤解しないでね。心の中を覗いたわけじゃないから」
少し頬を染めた石仮面氏は、そんなことより参戦しようと話題を変えた。
「今日は二人でKD100を目指すよ。達成できるまで帰らないからね。ファントム氏もそのつもりで」
僕は少し戸惑いながら頷き、汎用MSオンラインを起動した。KD100は無理だと思うなあ。
「今日は敵同士で参戦しよう。完全変態したエルフの力を見せてあげる」
「え?」
どういうこと?
「私たちの動体視力は、旧人類の3倍なの。これ種族の秘密だけどね」
彼女は可愛らしくウィンクした。
「私には敵が見える。味方も見えるし、他にも何かと見えるんだ」
コントローラーを手にした石仮面氏は、エメラルドグリーンの瞳を輝かせて僕を見た。
「だから、僕はキミと一緒にいるんだよ。フフフ・・・。石仮面キラー、行っきまーす!」
その後しばらくしてから、僕はエルフに予知能力があると知らされ、とても驚いた。
いくらなんでも、それはないだろう。でも、彼女は至極真面目だった。
混沌とする世界の中で、何を信じ、何をすべきか、分かるのだという。種族全体で、進むべき未来像を共有している、ともいっていた。
僕は半信半疑である。
だが、彼女を信頼している。それは間違いない。
「人類は分断しちゃいけない。融和が何より大切なの」
「なるほど」
それは分かる。
「だから、先ず私たちが先例となるのよ」
「?」
意味が分からなかった。
エメラルドグリーンの双眸が、僕をじっと見つめている。
僕は首をかしげ、彼女の意図を汲み取ろうとした。小鬼の知能を総動員して。しかし、一向に分からない。
「鈍いわね、ファントム氏」
珍しく言葉に棘がある。
なぜだか僕は笑っていた。困った時の悪い癖だ。どうすれば良いか、全く分からない。
誰か、僕を助けてくれ。
彼女の顔に、軽い失望が浮かんだ。
「困ったわねえ」
苦笑する彼女は、とてもチャーミングだ。
エメラルドグリーンの瞳を見ているうちに、得も言われぬ喜びが、ふと僕の中に湧き上がった。
了
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